愛華薔薇学園恋事情

月宮明理

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第八章 愛は幸せを運ぶ

第三十四話 喜び×悲しみ

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 フィードの胸の内に、ほんの少しの期待が生まれた。助けたいと願いながら、それを叶えられないもどかしさを抱えて苦しんでいたフィードにとって、その言葉が唯一の光となった。

 ――なるほど、その手がありましたか。

 スタージの言葉を心の中で反芻する。間違いではない。彼は確かにそう言った。

「スタージさん、なにか知ってるんですか?」

 無意識のうちに、熱く、弾んだ声になっていた。

「おやおや?」

 対するスタージは、話の続きを求めるフィードの勢いを削ぐように、普段と変わらないテンポを保つ。スタージは首を傾げて黙してしまった。
 早く、話の続きを。そわそわと落ち着きなく、フィードはスタージに激しく視線を突き刺した。そんなフィードに負けて……というわけではないだろうが、スタージが再び口を開いた。

「貴方は悪善あくぜん相殺法そうさいほうをご存知ない、ということでよろしいですか?」
「は? いきなりなにを…………って……あ! 相殺って……まさか!」

 はたと気がつく、自分の頭の中に響く「ソウサイ」の意味に。

「ソウサイ」は「相殺」だ!

 フィードは目を丸くしてスタージを見つめた。

「その悪善相殺法ってやつが、オレの言ったソウサイ……」
「やはり……ご存知ないようですねぇ」

 フードの様子を見たスタージがしみじみと頷いたその時、話を聞こうとしたのだろう、ラックが身じろいだ。スタージは小さく首を動かして、自分の肩に乗っているラックを一瞥する。

「あぁ、忘れてました」

 と呟き、縄でぐるぐる巻きになっているラックを下ろす。そしてそのまま縄も解く。

「お、おい……」

 いきなり解放されて、ラックは目を白黒させた。なにが起きてるんだ、と目でフィードに問うが、そんなことフィードにだって分からない。ただ、ラックが解放されたことは良いことのように思えた。

「二つ。私は貴方たちに教えることがあります」

 スタージが二本立てた指を向ける。フィードたちが注目したのを確認すると、中指を折って、人差し指一本に変えた。

「まず一つ目。フィード君といいましたね……貴方は成人したことにより、前世の記憶を使うことができるようになっています」
「前世の記憶?」
「えぇ、そうです。先ほどの様子からの推測になりますが……声を聞いたのではありませんかぁ?」
「そ、そうです!」

 驚いた。告げていない、どう説明して良いか分からなかった現象を、スタージは的確に見抜いていた。

「まれに起こるんですよ、魂の授受を終えたばかりの者が前世の声を聞くという現象が。ともあれそれは一時的なものに過ぎないとされています」

 フィードに分かるように、丁寧に説明するスタージ。

「じきに聞こえなくなるでしょうから、特別大きな問題はありません。ご安心ください」
「……本当に安心できるのか?」

 疑問を呈したのはラックだった。その声音には、言葉通り不安が聞いて取れる。
 ラックが心配するのも無理はない。前世の声が聞こえるなどと言われて、またフィードの人格が押しのけられてしまうと直感的に想像してしまったのだろう。この場の誰よりフィードを大切に思っている彼なのだから。
 背筋を伸ばして胸を張り、スタージは鷹揚に頷いた。着ている制服と合間って、その姿はすこぶる真面目に見える。

「えぇ、えぇ。どうぞ安心してください。一度授受を乗り越えた者が前世に成り代わられた例というのは、二千年以上生きていますが聞いたことがございません」
「……そうか」

 吐息交じりに紡がれた短い言葉には、優しさが込められていた。ついついフィードは笑みを浮かべる。

(心配すべきなのはオレじゃなくて、自分自身のことだろう)

 解放され、その上スタージになにやら思うところがあるらしいとはいえ、まだラックの身の振り方は楽観視できるものではない。そんな状況で他人の心配をしてしまうなんて。

「スタージさん、それで悪善相殺法というのは……」
「そうそう、それがお伝えすべき二つ目のお話です」

 瞳を煌めかせ、得意げな笑みを口元に乗せた。

「フィード君、貴方が前世の記憶から引っ張り出してきた悪善相殺法は、ラック君を救うのに最適で……今の君たちにぴったりな法律ですよぉ」

 無意味な軽口と感じさせる口調で、重要なことをさらりと言う。フィードもラックも一瞬なにも言えずに固まった。
 言葉を理解して、瞬きを一つ。

「ほ、本当なんですかっ? 今の言葉」
「もちろん、本当ですとも」
「……っ!」

 歓喜で息が詰まり、声が出ない。

(まだ、だめだ。喜ぶのは最後まで話を聞いてからだ)

 そう思うのに、どんどん気持ちが盛り上がっていく。

「嬉しそうですねぇ」
「え……あ、すみません、つい……」

 顔に出ていたらしい。恥ずかしい。

「悪善相殺法というのは、簡単に説明すると、犯した悪事を善行で帳消しにするというルールのことです」

 そのままだ。法律名そのまま。だが分かりやすくて良い。

(なるほど、善行か……)

 この法律に基づいてなにをすればラックが助けられるのか。詳しい手続きは聞いてみないと分からないが、大まかな流れは理解できた。

(確かに、今のオレ達にぴったりの法律だな)

 教えてくれた前世の記憶に感謝しよう。

「俺は善行なんかしていないが?」

 フッと皮肉げに笑い、ラックが言った。ラックにはスタージがなにを言いたいのか、すべては理解できなかったらしい。
 スタージはさらに説明を加える。

「むやみ命を奪うことが重罪であることと等しく、正しく命を救うことも多大な功績となるのです」
「だから、俺は誰かの命を救うなんてこと……」
「――ラック」

 フィードが声を掛けると、ラックはなんだ、とたっぷりとした髪を流して頭を傾けた。
 声を掛けた以上の言葉をフィードが発することはなく、ただ見つめた。不自然な沈黙にラックは眉をしかめかけ……次の瞬間、はっと目を見開く。

(やっと気づいた)

 いたずらな、それでいてこの上なく優しい笑みを浮かべて、フィードは言った。

「オレを救ったのはラックだよ」

 口をパクパクさせて、ラックはスタージの様子を伺う。

「はい。失敗しかけた授受を正しい道へ戻すのも、悪善相殺法の指す善行に当たります。ですので、今回貴方がしでかした、禁止されている本体の持ち出し、人間への攻撃に関しましては、おそらく完全相殺されるものと思われます」

 完全相殺。全身が喜びに震えた。感情が身体に収まりきらず、皮膚を破って溶け出してしまいそうだ。

「やった! やったな! ラック!」
「あ、そ……そうだな?」
「なんで疑問形だよ! 喜べ! もっと感情を爆発させて!」
「フィードこそもう少し……いや、そうだな」

 珍しく、ラックもフィードのように感情を大きく表現する気になったらしい。

「おぉ、その意気いいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……っ!」

 ぐわっと抱き着かれ、フィードは一、二歩たたらを踏んだ。

「良かった。フィードが悪善相殺法を教えてくれたおかげだ、ありがとう」

 掠れた声が耳に響く。フィードは胸を撫で下ろした。

(またラックと一緒に生きていける。今までのように、今まで以上に、オレたちは仲良く進んでいける)

 親友の体温を全身で感じながら、フィードは未来に思いを馳せた。


 ☆ ☆ ☆


 ――良かった。

 そう思うのが正しいのだろう。けれど……。

「……」

 抱き合い、喜びを噛み締めるフィードとラックを見て湧き上がってきた感情は、ドス黒く胸を染める不快感だった。
 真愛は拳を握り、重く沈む胸をそっと抑えた。

「真愛……」

 真愛の視線からなにを読み取ったのだろう、優は心配そうに真愛に声を掛ける。彼は真愛の顔を覗き込もうとした。

「大丈夫」

 顔を見られたくなくて、そっけない口調でそれだけ言って身体を反転させる。そして否が応でも視界に入ってくる玲音の遺体。

「……っ」

 胸が詰まり、なにかがこみ上げてくる。それを無理やり飲み下して、真愛は玲音に近づいた。傍に座り、真愛の腕にはかなり重い玲音の身体を持ち上げ、膝に頭を乗せる。彼は、動かない。
 玲音はもうすぐ寿命だと言った。
 フィードは寿命以外の死で前世の授受は行われないと言った。
 そしてフィードは玲音の魂を前世として授受を行った。
 一連の出来事が意味するところ――玲音の死は寿命なのだ。

(でも、でも、でも!)

 ラックと戦わなければ、余計な力を使わずに済んだのではないか。そう思わずにはいられない。なにせ、寿命が書き換えられ生き延びた人間を真愛は知っている。

 ラックが攻撃してこなければ――玲音は死なずに済んだかもしれないのに!

 固く目を瞑り、真愛はそれ以上考えないように努めた。しかし振り払っても振り払っても、その考えが頭から離れない。
 もしも真愛が望んだとおり玲音が戦わずに生き残ったとしたら、フィードは成人できなかったことになる。哀れな未成人としてこの先一生過ごすことになったのだ。

(だとしても、私は)

 もしも選択肢が真愛にあったなら、事情をすべて把握したうえで、玲音が生きることを選んだだろう。

「玲音くん、なんで死んじゃったの……?」

 玲音が絶命した直後、目まぐるしく状況が移り変わっていったせいで悲しむ暇さえなかった。ようやくことが落ち着き、現実に目を向けることができた。
 彼はやっぱり死んだままだ。
 戦いが終わって、日常に戻っても、玲音はいない。家に帰っても、窓の向こうの部屋は空っぽのまま。学校に行っても、生徒たちに囲まれて得意になって笑う宇宙コスモ王子は存在しない。

 どこにも、いない。

 染み渡る絶望感の中、真愛がふと顔を上げると視界に黒い塊が入った。

「……っ! あ……あぁ……」

 それがなんなのか即座に理解し……ついに限界を超えた。

「……っふ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――っ!」

 黒い塊――それは魔法攻撃を受けて黒焦げになった冠クマちゃんだった。
 声も涙も、止まらない。止められない。
 叫び声を上げた真愛に驚き集まってきたみんなは心配そうに、その様子を見守る。
 近くに来た面々の中にラックの姿を見つけた真愛は、大きく息を吸った。

 ――なんで、あんたは罰せられないのよっ!

 そう怒鳴りつけそうになるのを寸前のところで飲み込み、ただの泣き声に変える。わずかに残った理性が、ラックに傷をつけるのをいとったのだ。彼はフィードの友人のうえ、本人もそこまで悪い悪魔ではない。

「あああぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 感情のぶつける先を見つけられず、ただただ泣きわめいた。

「真愛……」

 恐る恐るフィードは真愛の肩に手を置いた。いやいや、と真愛は首を振る。

「真愛、真愛!」
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 玲音を胸に強く抱きしめる。思いのたけをすべてぶつけるように、強く強く。

「玲音くん、玲音くん、玲音くん、玲音くん、玲音くん、玲音くん、玲音くん、玲音くん、玲音くんんんんん!」

 腕の中の身体が逃げていきそうになり、真愛は力を強めた。

「やだ、行かないで……」

 真愛の声が通じたのか、玲音の身体は真愛の腕の中で動きを止めた。逃がさない。離さない。これで最後になるだろう。だから満足いくまで抱きしめたい。

「真愛、真愛」
「玲音くん…………」
「真愛」
「真愛」
「真愛」
「真愛」

 上から下から真愛真愛呼ばれ、玲音に向いていた意識が少しだけ薄れる。

「真愛、顔を上げろ」

 真愛が平静を取り戻しつつあるのを悟ったフィードがそう言った。彼は真愛と目が合うと、なぜか苦笑する。

「――真愛、重い」

 今度は下から声がした。えっ、とものすごい勢いで声の方へ視線を落とす。

「えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――っ?」

 気だるげな表情をした玲音が真愛をジッと見ていた。
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