愛華薔薇学園恋事情

月宮明理

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第八章 愛は幸せを運ぶ

第三十三話 涙と笑顔の再会

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 激しい光が埋め尽くす異空間の中、真愛は二本の細腕を重ねて顔を、目を守っていた。
 緊張で喉がカラカラに乾いていた。心なしか頭痛もする。
 なにが起きているのか正確につかめてはいなかった。けれどこの光が収まった時に、なんらかの答えが出るのだ、と真愛は思う。
 光が弱くなっていくのを感じて薄っすらと目を開けると、いつの間にか異空間が放送室に戻っていた。しかし現実的な装いにホッとする暇は与えてもらえない。
 期待と望まぬ結果への不安を胸に抱いて見つめた先には、緑髪の青年の姿。やがて彼も、眠りから覚めるようにゆるゆると瞼を上げた。
 周囲が緊張感を伴って彼を凝視した。真愛もまた緊張で身体を強張らせる。
 彼はグレイグルンド? それとも――。
 ゴクリ、と誰かの唾液を飲む音が真愛の耳に届いた。

「ラック、みんな……」

 少しだけ硬い声で彼は言った。

 ――知ってる。真愛のよく知る声色。

 空間を支配していた緊張が霧散し、みんなの顔がほとんど同時に弛緩した。気のせいだろうが、放送室の明りがほんの少し増したみたいだ。
 真愛の胸中に温かく染み渡る安堵。しかし同時に、グレイグルンドに――おそらく玲音である彼に感謝と別れを告げられなかったことが悔やまれた。

(……ううん、これで良い)

 あの身体はフィードのもの。『失敗』して一時的にグレイグルンドが表に出ていただけ。フィードが無事ならそれで十分だ。……十分、なのだ。
 頭を振って未練を振り払い、無事に成人したフィードに笑いかける。

「おかえり、フィード。まったく……心配させないでよ」


 ☆ ☆ ☆


 薄く涙を浮かべて笑う人間の少女に、フィードも笑顔を返した。安心して、という思いを込めて。フィードの気持ちが通じたようで、儚かった真愛の笑みが深みを帯びた。途端、心が高鳴る。今まで真愛相手に感じたことのない感情だったが、嫌ではない。

(この笑顔が温かかったんだな)

 一体化した前世の記憶は、現世で築いてきた思い出と同じように、直接フィードの感情を刺激した。フィードではなくグレイグルンドの感覚だと理解していても、やはり彼女の笑顔は心地よいのだ。
 けれど感傷に浸る暇はない。戻ってきたフィードにはやるべきことがある。一つは真愛にあのことを伝えることだが……。
 真愛の後方に視線を投げると、無造作に横たわる玲音の身体が目に入った。彼は、まだ、動けないようだ。

(こっちは後だな)

 玲音から視線を切って、友人の姿を探す。
 まずはラックに謝罪と感謝を伝えよう。奪ってしまったものの大きさを考えれば、許してもらえるはずなどないのに、ラックはそれを飛び越えてフィードの生を望んでくれたのだから。この懐の大きな友人になら全てを捧げても良い。これからの人生はラックの力になるために生きる。その決意を伝えるのだ。
 彼と話をつけるため、フィードはラックに顔を向けた。

「……っ!」

 瞬間、息を飲む。

 ――ラックは涙を流して笑っていた。涙で顔中を濡らしているというのに、満面の笑みが咲いている。

「ハアァァァッ? おまっ……なに泣いてんだっ?」

 ギョッとして、魔界にいた頃の調子に戻る。伝えようとしていたことが吹き飛んでいった。
 ラックが自分を呼んだのは知っていたが、まさか泣いてるとは……予想外だ。

「この、馬鹿野郎……!」

 途中で言葉は涙に沈み、弱々しく震えた。あまりにも切ない声に、フィードは瞠目してしまう。

「九死に一生を得た友を目の前にして、泣かずにいられるか! ……本当に、良かった……!」
「ラック……」

 本来、ラックはこんなにストレートな感情を表現しない。それは昔から一緒にいるフィードが一番よく分かっている。
 だからこそ、今こうして泣きながら笑っている彼を見て、すごく心配をかけてしまったことを痛感した。

「ごめん。ごめん……」

 謝罪の言葉はいくつも存在するのに、「ごめん」しか吐き出せない。伝えたい気持ちが大きすぎて、フィードの言語能力はショートしてしまっていた。
 謝ってるうちにフィードの目にも涙が溜まっていく。恥ずかしくて止めたいのに、緩んだ涙腺がフィードの意思を汲むことはない。
 フィードの瞳から熱い液体が零れると同時に、ラックはフィードを抱き寄せた。ラックの絞り出すような声が耳をつく。

「もういい。もういいんだ。……戻ってきてくれてありがとう、フィード」
「ラック……」

 もう一度、ごめん、と言いかけて……止めた。

 ――笑ってろ。

 脳内にグレイグルンドの言葉が蘇る。
 ……そうだ。
 約束したじゃないか。自分は笑わなければいけない。ラックのために。
 謝罪の言葉はもういらない。口先で謝るのではなく、行動で示す。その一歩がこれだ――。
 力ずくで笑みを浮かべた。笑えてる自覚などない。けれど精一杯口角を上げてみせる。

「ありがとな、オレを呼んでくれて。ラックの声があったから、オレは戻って来られたんだ」

 ラックが強く求めてくれたから。そうでなければフィードは生きることを諦めてしまっただろう。ラックがフィードを欲してくれることだけが、フィードをこの世に繋ぎとめたのだ。
 ひとしきりフィードの存在を確認したラックはゆっくりと離れた。少し照れ臭そうに頬をかく。心配事がなくなって、自分の行動を客観的にみられるようになったらしい。
 これからもう一度やり直そう。フィードとラックの人生はまたまだ先が長いのだから。

「別れの挨拶は済みましたかねぇ?」

 二人の間にできていた和やかな雰囲気に、割って入った声が波紋を生む。

「どういう意味ですか? スタージさん」

 胸のざわめきに任せて、フィードは素直に聞いた。そんなフィードに、スタージは言葉を返さなかった。代わりに右手を掲げ、合図を出すように振る。

「……っ! しまった!」
「ラック!」

 突然声を上げたラックに目を移すと、いつぞやの悪魔と同様にロープで縛り上げられているではないか。
 目の前で起こっている状況についていけず、フィードは声を張る。

「なにをするんですか、スタージさんっ!」

 困惑したままラックを縛るロープに手を掛けるが、固く巻きつくロープに歯が立たない。いっそ魔力で切ろうか、とも思った。成人した今のフィードになら、それも可能だ。けれどそれは、下手をすればラックまでも傷つけてしまいかねない方法である。

「なにって、逮捕ですよぉ」

 あっけらかんとした様子で彼は言い放った。

「彼は未成人なのに媒体を使用せずに人間界に来ていますしぃ、人間たちに害を与えました。逮捕は当然のことじゃないですかぁ。むしろ、お二人の話が終わるまで待っていたことに感謝して欲しいくらいです」

 手を止めたフィードは閉口してスタージを見やる。彼の言うことはもっともだった。
 しかしやりきれない。
 そもそもラックが今回のような暴挙に出たのは、フィードが原因だ。前世の魂さえフィードが消滅させていなければ……。

「馬鹿なことを考えるなよ」

 顔を顰めるフィードに声を掛けたのは、縄で拘束されているラックだった。

「法を犯したのは俺だ。他の誰のせいでもない」
「ほほう、潔いですねぇ。素直にしていただけると、こちらとしても助かります。……よいしょっと」

 動けないラックを担ぎ、スタージは空間を裂いて道を作る。魔界に帰るつもりだ!

「待ってください!」

 フィードの訴えに振り返ったスタージは、糸目をわずかに開いて嘆息する。

「たとえ私がほんの少し待ったとしても、結論は変わりませんよ。彼は罪人です」
「けどその罪はオレが作らせたんです」
「事情は存じていますが、今まで前世の魂を失わせた者に罪が問われたことはありません。どんな理由であれ、法を破ったものが罪人です」
「けど……」
「いいんだ、フィード」

 なおも食い下がろうとするフィードだったが、それを止めたのは当のラックだ。熱くなるフィードにも届く落ち着いた声。本当ならラックの方こそ訴えたかったはずなのに、彼はフィードを止める役割を選んだ。

「自分の罪は自分で償うのが道理だ。それはフィードにだって分かるだろ」

 理解はフィードにだってできている。けれどそれを受け入れられるかは別問題だ。頭では、心を完璧にコントロールしきることなんかできやしない。

「成人しそこなったとはいえ、俺はフィードと同い年だ。……頼むから俺に一人の悪魔として責任を取らせてくれ」
「そんな言い方……ずるいだろ」

 これ以上フィードが庇うことは、ラックの自尊心を傷つける。フィードの罪悪感に触れた、最も有効な脅し文句だ。そして同時に――ラックが自分自身を切り裂く文句でもある。
 可不可は置いておいて、フィードが罪を被ることをラックは望んでいない。成人できなかったという、ラックにとっては辛すぎる現実を持ち出してまで、フィードを止めたいのだ。
 そこまで読み取れてしまい、ラックの意思とは裏腹にフィードの思いは強くなった。考えて、考えて、考え抜く。
 なにか、方法はないのか。この優しい友人を救う方法は……!

 ――……ソウサイ。

「……っ!」

 頭の中に、意味のつかめない言葉が音となって生まれた。
 浮かんだアイディアに、フィード自身が追いつけない。

(ソウサイ? ソウサイってなんだ?)

 ――ソウサイするんだ。

 自分の中の、自分ではない部分。制御しきれない思考回路に振り回されて、緑髪に両手を突っ込んでかき回す。

「だから、ソウサイってなんなんだよ!」

 やけくそ気味に叫んだ。
 いきなり声を荒らげたフィードに、周囲は目を瞬かせる。放送室に声がすっかり吸収された後、フィードとは対照的に落ち着いた声が上がった。

「なるほど、その手がありましたか」

 ラックを担いでいなければ、ポンと手を打っていそうな顔をして、スタージが頷いた。
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