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第五章 恋と友情の鎖
第二十話 乙女心はままならない
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放課後恒例の生徒たちとの談笑がひと区切り付き、芹香は適当な空き教室で休憩を取ることにした。引き上げ時にちょうど玲音と鉢合わせ、休憩を一緒に過ごすことになった。
電気を点けると生徒に見つかってしまう可能性があるので、教室内は少し薄暗い。
廊下を歩いていた時には微笑みを浮かべていた玲音が椅子に座った途端、大きく息を吐いて顔を歪めた。あまりにも分かりやすい態度に、芹香から苦笑が零れる。
「まだ真愛と仲直りしてないの?」
「……そもそも喧嘩をしているわけじゃない」
「それでも顔合わせない、口きかないを続けてんなら同じじゃないか。真愛の方も気にしてるみたいだし、玲音の方から歩み寄ってあげなよ」
「なんで俺が……」
「す……大切なんでしょ、真愛のこと」
好きなんでしょ、とは言えなかった。
口を閉ざして考え込んだ玲音はおもむろに机に伏し、顔を少しだけ横に向けた。その顔は少し悲しそうに見える。
真愛を想い、悩む玲音を見ると、やはり胸がチクリと痛む。けれど略奪をしようなどとは思えない。真愛の気持ちも、玲音の気持ちも知っていて、そこに隙はないのだ。中途半端に気持ちを伝えて友情を壊してしまうくらいなら、二人の間を取り持つ最高の友人になりたかった。
仲直りの後押しのために言葉を続けようとした時、芹香が言うより早く玲音が口を開いた。
「そうだな、真愛は大切な幼馴染だ。それは互いの一番大切な人が誰であろうと変わらない」
うん、と大きく頷く玲音に安心感を抱いた。本当に本心から、二人が仲良くしていくのを祝福できる。
「そうだよ。玲音や真愛がそれぞれ誰を一番に思ってたっ……て……あれ?」
なんだか重要な台詞をスルーしていたようだ。脳内で反復して意味を捕まえた瞬間、芹香は椅子をひっくり返して立ち上がった。
「今なんてったっ?」
「なにをそんなに驚いてるんだ。こっちが驚くぞ」
「驚くよ! 驚くに決まってる! 今のどういう意味なのさ!」
興奮した芹香の声は次第に大きくなっていく。
「うるさい。……真愛の一番大切な奴が俺じゃなくなって、俺の一番大切な奴も真愛じゃなくなったって意味だ。けど、そんなの関係ないな。別に一番じゃなくたって」
「な、に、言ってんだよ」
そう言った芹香の声はもう大きくなかった、しかし怒りと悲しみに震えるそれは室内に響き、静寂をもたらした。
「なんでそんなこと言うんだよ。玲音は真愛のことが好きなんだろ。なんで、そんな……」
真愛に勝てないのは分かりきっていた、真愛が玲音の彼女になるのなら心から祝福できる。そう思っていた。真愛が相手だから諦めることができたのに!
「諦められなくなる……」
真愛が相手でなければ、もしかしたら自分でも玲音の横に立てるだろうか、と弱い希望の光に縋ってしまう。
「芹香」
温かみのある低い声で呼ばれ、顔を上げると、思いのほか玲音の顔が近くにあった。
「そんな可愛いこと言われたら、期待したくなるだろう」
真剣な顔をした玲音にそっと頬を撫でられて、芹香は思わず仰け反った。触れられた部分が熱い。
まるで逃がさないとでも言うかのように、離れた芹香を追って玲音は立ち上がった。
並の男子よりやや身長のある芹香だが、玲音と並ぶと頭半分ほど低い。少し上にある玲音の顔を見上げると、そこには今まで決して向けられることのなかった熱の籠った眼差しがあった。
鼓動が加速する。芹香の全身が喜びに震えていた。本能が雄叫びを上げている。
今なら捕まえられる。手を伸ばせば届くところに大好きな人がいる。
このままつき進むだけで、玲音が自分のものになる。だというのに――。
――本当にいいの?
一滴の理性が芹香の思考に流れ込み、猛る本能を押し止めて意志を呼び戻した。冷静な頭で、もう一度玲音と見つめ合う。
宇宙のように黒く深い瞳。熱をもって輝く瞳は、どんな高価な宝石よりも美しく魅力的に思えた。けれど。
「え……」
熱をもった黒の奥に、わずかな淀みを捉えた。よく覗き込まなければ気付かないほどの、小さな異物。
それがなんなのか、芹香は一瞬で理解した。
あの赤い髪の悪魔が掛けた魔法の証拠だった。それに気付いてしまったら、罪悪感を感じずにはいられない。芹香は彼に協力しているのだから。
(魔法の効果なんだね……)
悪魔に脅迫をもって協力を迫られた芹香は、その要求を呑んだ。とどのつまり、脅しに屈したのだ。
芹香の弱みに付け込んだ悪魔は、魔法についてこう説明した。
――一番好きな相手と二番目に好きな相手を入れ替え、この学校を混乱させる。
目の前で起こる異常な状況が腑に落ちた。玲音は魔法に掛かっている。
魔法に掛かるというのは風邪を引くようなものだ。体力の落ちた人が風邪を引きやすいように、精神的に弱っている人が魔法に掛かる。
この前の魔法の時は玲音に異変は見られなかったのに。今度の魔法の方が強力だからなのか、それとも玲音の精神が弱っていたからなのか。
「芹香」
いつもとは違う声音で呼ばれ、嬉しくて耳を塞ぎたくなった。これ以上まやかしの態度に舞い上がりたくない。
「……玲音」
どうしたら正気に戻せる? 元の玲音を呼び戻したくて呼んだ声に、なにを勘違いしたのか玲音は嬉々として近づいてくる。近すぎる距離に戸惑い、芹香は身を引こうとしたのだが。
「逃がさない」
両腕をしっかりと掴まれてしまい、それは叶わなかった。
「れ、玲音…………えっ!」
身体が重くなった。力が入らない。突然の異変に、玲音に向けていた視線を下げて己の身体を顧みて、驚きで声を失った。
「……っ!」
身体から流れ出る青白い霧。芹香の中にあった魔力が、本人の意志とは関係なく放出されていた。青白い色をした霧が一様に同じ方向へと――玲音の身体へと流れている。
(魔力が吸われてる?)
力が抜けていく中、芹香は的確に状況を理解していた。自分の魔力が玲音に吸われているのだ。
意識はどんどん白んでいき、身体からは感覚が無くなっていく。身体がどんどん動かなくなっていく中、芹香は最後の力で声を絞り出した。
「……れ、お……。あ、く……ま……?」
玲音は悪魔なのだろうか?
ほとんど動かない唇でそう残し、芹香は意識を手放した。
電気を点けると生徒に見つかってしまう可能性があるので、教室内は少し薄暗い。
廊下を歩いていた時には微笑みを浮かべていた玲音が椅子に座った途端、大きく息を吐いて顔を歪めた。あまりにも分かりやすい態度に、芹香から苦笑が零れる。
「まだ真愛と仲直りしてないの?」
「……そもそも喧嘩をしているわけじゃない」
「それでも顔合わせない、口きかないを続けてんなら同じじゃないか。真愛の方も気にしてるみたいだし、玲音の方から歩み寄ってあげなよ」
「なんで俺が……」
「す……大切なんでしょ、真愛のこと」
好きなんでしょ、とは言えなかった。
口を閉ざして考え込んだ玲音はおもむろに机に伏し、顔を少しだけ横に向けた。その顔は少し悲しそうに見える。
真愛を想い、悩む玲音を見ると、やはり胸がチクリと痛む。けれど略奪をしようなどとは思えない。真愛の気持ちも、玲音の気持ちも知っていて、そこに隙はないのだ。中途半端に気持ちを伝えて友情を壊してしまうくらいなら、二人の間を取り持つ最高の友人になりたかった。
仲直りの後押しのために言葉を続けようとした時、芹香が言うより早く玲音が口を開いた。
「そうだな、真愛は大切な幼馴染だ。それは互いの一番大切な人が誰であろうと変わらない」
うん、と大きく頷く玲音に安心感を抱いた。本当に本心から、二人が仲良くしていくのを祝福できる。
「そうだよ。玲音や真愛がそれぞれ誰を一番に思ってたっ……て……あれ?」
なんだか重要な台詞をスルーしていたようだ。脳内で反復して意味を捕まえた瞬間、芹香は椅子をひっくり返して立ち上がった。
「今なんてったっ?」
「なにをそんなに驚いてるんだ。こっちが驚くぞ」
「驚くよ! 驚くに決まってる! 今のどういう意味なのさ!」
興奮した芹香の声は次第に大きくなっていく。
「うるさい。……真愛の一番大切な奴が俺じゃなくなって、俺の一番大切な奴も真愛じゃなくなったって意味だ。けど、そんなの関係ないな。別に一番じゃなくたって」
「な、に、言ってんだよ」
そう言った芹香の声はもう大きくなかった、しかし怒りと悲しみに震えるそれは室内に響き、静寂をもたらした。
「なんでそんなこと言うんだよ。玲音は真愛のことが好きなんだろ。なんで、そんな……」
真愛に勝てないのは分かりきっていた、真愛が玲音の彼女になるのなら心から祝福できる。そう思っていた。真愛が相手だから諦めることができたのに!
「諦められなくなる……」
真愛が相手でなければ、もしかしたら自分でも玲音の横に立てるだろうか、と弱い希望の光に縋ってしまう。
「芹香」
温かみのある低い声で呼ばれ、顔を上げると、思いのほか玲音の顔が近くにあった。
「そんな可愛いこと言われたら、期待したくなるだろう」
真剣な顔をした玲音にそっと頬を撫でられて、芹香は思わず仰け反った。触れられた部分が熱い。
まるで逃がさないとでも言うかのように、離れた芹香を追って玲音は立ち上がった。
並の男子よりやや身長のある芹香だが、玲音と並ぶと頭半分ほど低い。少し上にある玲音の顔を見上げると、そこには今まで決して向けられることのなかった熱の籠った眼差しがあった。
鼓動が加速する。芹香の全身が喜びに震えていた。本能が雄叫びを上げている。
今なら捕まえられる。手を伸ばせば届くところに大好きな人がいる。
このままつき進むだけで、玲音が自分のものになる。だというのに――。
――本当にいいの?
一滴の理性が芹香の思考に流れ込み、猛る本能を押し止めて意志を呼び戻した。冷静な頭で、もう一度玲音と見つめ合う。
宇宙のように黒く深い瞳。熱をもって輝く瞳は、どんな高価な宝石よりも美しく魅力的に思えた。けれど。
「え……」
熱をもった黒の奥に、わずかな淀みを捉えた。よく覗き込まなければ気付かないほどの、小さな異物。
それがなんなのか、芹香は一瞬で理解した。
あの赤い髪の悪魔が掛けた魔法の証拠だった。それに気付いてしまったら、罪悪感を感じずにはいられない。芹香は彼に協力しているのだから。
(魔法の効果なんだね……)
悪魔に脅迫をもって協力を迫られた芹香は、その要求を呑んだ。とどのつまり、脅しに屈したのだ。
芹香の弱みに付け込んだ悪魔は、魔法についてこう説明した。
――一番好きな相手と二番目に好きな相手を入れ替え、この学校を混乱させる。
目の前で起こる異常な状況が腑に落ちた。玲音は魔法に掛かっている。
魔法に掛かるというのは風邪を引くようなものだ。体力の落ちた人が風邪を引きやすいように、精神的に弱っている人が魔法に掛かる。
この前の魔法の時は玲音に異変は見られなかったのに。今度の魔法の方が強力だからなのか、それとも玲音の精神が弱っていたからなのか。
「芹香」
いつもとは違う声音で呼ばれ、嬉しくて耳を塞ぎたくなった。これ以上まやかしの態度に舞い上がりたくない。
「……玲音」
どうしたら正気に戻せる? 元の玲音を呼び戻したくて呼んだ声に、なにを勘違いしたのか玲音は嬉々として近づいてくる。近すぎる距離に戸惑い、芹香は身を引こうとしたのだが。
「逃がさない」
両腕をしっかりと掴まれてしまい、それは叶わなかった。
「れ、玲音…………えっ!」
身体が重くなった。力が入らない。突然の異変に、玲音に向けていた視線を下げて己の身体を顧みて、驚きで声を失った。
「……っ!」
身体から流れ出る青白い霧。芹香の中にあった魔力が、本人の意志とは関係なく放出されていた。青白い色をした霧が一様に同じ方向へと――玲音の身体へと流れている。
(魔力が吸われてる?)
力が抜けていく中、芹香は的確に状況を理解していた。自分の魔力が玲音に吸われているのだ。
意識はどんどん白んでいき、身体からは感覚が無くなっていく。身体がどんどん動かなくなっていく中、芹香は最後の力で声を絞り出した。
「……れ、お……。あ、く……ま……?」
玲音は悪魔なのだろうか?
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