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第八章 運命叛逆のファイナルリープ

1・デッドトリガー/5:45

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 僕の疑念を証明するかのように、時間は巻き戻った。《リセット》されたのだ。
 ベッドから起き上がる。いつもの殺風景な部屋、静かにファンを回すパソコンの駆動音。
 何もかもが、いつもと同じだった。

 恐らく、現在時刻は午前五時四十五分。
 およそ二時間後、愛沢珠希は死ぬ。寄生しているウィスパーもろともに。

 終わった。何もかも終わったのだ。

 家族と九行さんの《死の引き金》は解除され、僕には日常が戻って来た。
 なのに、どうしてだろう。僕の背筋に堪えようのない寒気が走るのは。吐き気を押さえ、自分自身を抱きすくめる。
 心の底では、答えなんて分かっている。ただ、認めたくないだけだ。

《ウィスパーの言う通り、グリードが僕に嘘を吐いている事》を。

  あんなくそったれな悪魔の言葉を真に受けたくは無かった。
 だが、気付いてしまったのだ。

 ウィスパーの囁きで生み出された疑惑を論破できる材料なんて、どこにもない事を。

『どうしたミライ。落ち着け。落ち着くんだ。いつものように、何があったのかしっかりと話せ。一つ漏らさずだ。まずは落ち着くことが大切だからな』
 震える僕に、グリードが語りかけてくる。いつもと同じ口調で、謳うように、そしてどこか楽しそうに。
 だが、今の僕には何も信じることができそうになかった。

 寒気が、震えが全身へと広がって行く。

 今までと違い、今回はグリードに損傷は無いはずだ。ならば記憶は継続しているはずではないか。
 ならば『何があったのか』ではなく『どうだった』と聞くのが筋のはずだ。

「また、覚えてないの?」
 振り向かずに、俯いたまま声を絞り出す。
『また? どう言う意味だ。突然リセットしたかのような動きを見せたかと思って声を掛けたら……』

――あぁ、やっぱり。

 既視感が胸を締めつける。疑惑が確信へと変わり、気が狂いそうになる。
 今回も、彼の記憶は消えているようだった。

『とにかく、何が起きたか話せ。オレからしてみれば何が起きたのかさっぱり分からないんだからな』
 ぶっきらぼうさの中にある優しさが、やけに薄っぺらく感じられた。例えようのない違和感が声の中に聞き取れた。
 彼が僕を騙していたのかを知るのは簡単だ。たった一つの質問をすれば良い。嘘を吐けないと言う契約が存在している以上、彼の返答次第で全てが確定する。

  ただ、彼の嘘を暴いてどうなるという気持ちもあった。
 質問を口にするのは簡単だ。しかし、その瞬間、全てが終わってしまう。何もかも崩れ去ってしまう。砂のように、蜃気楼のように。
 グリードが放つ違和感を無視して日常に戻る。とても甘美な響きに思えた。
 真実を問いただした所で、リセット回数が残されていない僕には何も出来ない。
 そして、例え残っていたとしても、《セーブ》と言う縛りがある以上身動きは取れないのだ。
 ならば、仮初の甘い友情に身を沈めたまま《全ての終わり》を待つのもいいかもしれない。

 少なくとも、家族と九行さんは救えたのだから。

「どうしたらいいのかな。残機ゼロで、頭がおかしくなりそうだよ」
 たっぷり数十秒の沈黙の後、僕がようやく口を開く。正直な気持ちだった。
『それを決めるのはお前自身だ。オレはただ、お前の選択を支持し、ほんの少しばかりの力添えをするだけだからな』
「本当に、力になってくれるの?」
『当たり前だろう。お前はオレの契約者だ。お前が諦めない限りオレは助けになるぜ。何せ、友人だからな』

――あぁ。そっか。

 今の言葉で、分かった。疑問が、違和感が答えとなって繋がった。
 彼の言葉の裏側、行動の矛盾。
 ほんの数週間前まで孤独に、そして他人の顔色を覗って虫のように生きていた僕だからこそ、気付いてしまった。

 グリードの真意に。

 以前の彼なら、残機数0の状態の僕の手助けなどしなかったはずだ。
 何もかも見捨て、自身のリセット回数を回復させる手段が出来るのを待たせるはずだ。
 何故なら、前の契約者は《失敗した絶望で最後は自ら命を断った》のだから。

 つまり――

「グリードはもう、僕が死んでも良いと思っている?」
 気付けば、口にしていた。
 一切の感情の無い声。事実だけを告げる、質問とさえも言えないものだった。

『おいおい、温厚なオレでも怒るぞ?』
 グリードは質問に答えない。

《イエスともノーとも言わない》。
《嘘も、真実も言っていない》。

『とにかく、何があった。話はそれからだ。お前は今混乱している。だから訳のわからない事を口走っているんだ。いいから早く《取り消した世界》での出来事をオレに教えてくれ』

《質問から話を逸らした》。
《僕から情報を引き出そうとしている》。

「先に、僕の質問に答えてよ」
 体ごとパソコンへと振り向き、問いただす。縋るような情けない声だった。
 本当は、聞きたくない。答えなど聞かず、このままぬるま湯のような幸福に浸かっていたい。

 だが、もう後戻りは出来なかった。

 数秒の沈黙。やがて、一字一句区切るようにスピーカーから声が漏れ出る。

『死んだ方が良いだなんて、思っちゃあいない。生きてエクステンドして欲しいと思っている』
「僕が聞いているのは、『死んだ方が良い』じゃない。『死んでも良い』だ」
『……だったらイエスだ。オレはこの世の誰であろうと、死んでも大きな影響は無いと思っている。残念だが、お前も例外じゃあない。お前が死んだら悲しみ、嘆きはするがな』
「……そうじゃない。僕が聞きたいのはそんな言葉じゃない!」
 どうして話を逸らし、すり替える。回りくどい表現をする。

 答えは一つ。
《互いに嘘を吐けない契約》があるせいだ。
 僕の憶測でも何でも無く、悪魔にとって契約は絶対的な物。だからこそ、彼は真実でも無く嘘でも無い薄っぺらい言葉を並べたてる。

「グリード。君はもう知ってるんだろ」
 ここまで来たらもう何処にも逃げ場所なんて無い。

 最後の質問を放つ。
 決定的で、救いようが無い、僕を絶望の底に叩き落とすであろう質問を。

「僕がもうすぐ死ぬ事を。僕の《死の引き金》はとっくに引かれてる事を」
 悪魔が息を飲んだのが肌で分かった。

 間違いない。彼が真実と嘘のはざまの中でひた隠しにしていた事実の一つ。《僕の死の引き金》。

 グリードは、僕が近い未来に死ぬ事を知っている。

「君の知らない場所で、僕は二回も不自然な死に方をしている。最初はビルの崩落。次に、悪魔ウィスパーの不意打ちだ」
『悪魔? お前、他の悪魔に出会ったのか。馬鹿が、簡単に誑かされやがって』
「誑かされる? だったら説明してくれよ! 僕が契約してから、現実の時間で二カ月。《僕が十回も死んでいる事の意味》をっ」
 人の死のきっかけ、デッドトリガー。レイプを引き金とし、林田章吾は二度死んだ。兄の借金と、ロト6のせいで九行さんは三度死んだ。

 だが、僕はどうだ。契約してから後、十回も命を失っているのだ。

「気付いたんだよ」
 口を塞いだままのグリードにゆっくりと告げていく。
 僕が辿りついた真実を。救いようのない残酷な運命を。

「僕の《死の引き金》は、《契約》だ」
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