上 下
41 / 62
第七章 限界突破のソウルサクリファイス

1・吹き荒れる嵐

しおりを挟む

 涙が流れないのは、相変わらずだった。

 今の僕は砂漠に転がる獣の死体だ。
 熱に焼かれ血肉は蒸発し、骨も内臓も何もかもが渇いた物体になっている。
 何も無い。人の形をしているだけの、ただのモノだ。

 どうすればいいか、分からなかった。
 今までのような先に進むべき道が見えないのではなく、全てが闇に閉ざされていた。
 過去も未来も現在も、思考も感情も記憶も、何もかもがゼロへと溶けていく。

 屈辱と苦痛しかなかった二か月前。僕は悪魔と契約し、時間を戻すすべを手に入れた。
 契約の力は僕に生きる希望を与え、そして世界を変えてくれた。
 もちろん、苦難は山ほどあった。九行さんとの出会いと死。何度ものリセット。
 全てを乗り越え僕が得たものは、かけがえのない友人と、そして大切な人だった。

 僅か二ヶ月。
 六十日あまりの出来事。
 その全ての記憶が、感情と一緒に消えていく。

 口の悪い悪魔、賢く強い少女。心の痛み、耐えがたい後悔、詠うような悪魔の声、彼女の手のぬくもり、生きるよろこび。

 もう、僕には何も無い。
 何もかも消えてしまった。

 悲しみも、激情も、嘆きも、後悔も、憎悪も、何も無い。
 その中でただ、たった一つ残っている物があった。

《執念》。

「……失って、たまるもんか」
 伯父にあてがわれた部屋でひとり呟く。縋るように、足掻くように。
 熱風にも似た感情の嵐が心を渦巻く。戦え、抗え、飛び出せと叫び続ける。

 希望を、家族を、友を、恋人を取り戻せと。

 全ての道は失われた。グリードからの連絡は無い。
 ならば僕に出来る事は一つだけだった。
 残酷な運命から全てを奪い返すためならどんなことでもしよう。

 それが、例え《家族をもう一度死なせる事になろうとも》。

 世界をリセットし、家族の死の原因を見届ける。
 出来る事なら、直接殺人犯を押さえる。そこから、《死の引き金》を推測し、次のリセットで取り除く。もはや道はそれしか無かった。

 警察の捜査は当てにならない。
 未だに一件目の事件さえも全く手掛かりがつかめていないのだ。
 唯一の手掛かりであるグリードからの連絡も無い。

 冷静な人間ならば、きっと待つことが正解だと僕に言うのだろう。
 確かに正論だ。
 だが、いつまで待てばいいと言うのだ。数日か、数週間か、数か月か、数年か。

 先が見えない暗闇の中でただ待ち続けることがどれほどの苦痛であるのか、理解できるのはこの世界に僕しかいない。

 もう、限界だった。

――違う。もう、限界なんてとっくに超えてるんだ。

 だからこそ、僕は今《電動ドリルを握り締めているのだ》。

 リセット条件である《眼窩から脳を串刺しにしての即死》を達成するために。
 ドリルは拳銃の形に似ていた。銃口に当たる場所からは錐の様な刃が伸びている。錐と違うのは先端部分がうねっていることと、長さが十五センチはあることだろう。

 引き金を、引く。
 バッテリー駆動のドリルは振動と共に針の様な先端を高速回転させた。

――今から僕は、こんなものを目に突っ込むんだ。
 意思とは無関係に指が引き金から離れた。同時にドリルの回転も止まる。
 ドリルで頭を掻きまわした後、僕はどうなるのだろうか。
 グリードがもし既に死んでいれば契約は無効だ。
 例えメールの条件通りに死んだところで僕はただ死ぬ。
 物言わぬ躯に、肉の塊になる。

――それでも、構わないじゃないか。
 何を怯えているのだ。
 家族を、九行さんを、そしてグリードを失った世界で生きるのなら、死んだ方がましだ。
 ただ、この世界に神がいるのなら祈ろう。

 どうか、リセットを成功させて欲しい、と。

 親指に力を込め、ドリルの引き金を引く。
 再びけたたましいモーター音が狭い部屋に鳴り響き、振動がを腕を震わせる。
 ちらりとドリルを見ると、渦を巻く先端が高速回転していた。

――やれる、やってやるさ。
 以前なら全身に鳥肌が立っていたことだろう。だが、今の僕は何の感慨も無かった。

 やらなければならないからやる。
 それだけだ。

 重い腕を上げ、両の手で持ちなおす。指が離れても大丈夫なように、止め具をかける。
 眼は見開いたままだ。先端部分が無情に回転している。
 うねり、けたたましい音を鳴らし、今か今かと僕を串刺しにする瞬間を待っている。

 瞳は、閉じない。閉じるつもりは無い。
 焼き付けておきたかった。
 痛みを、死の瞬間を、乾ききった絶望を、心に刻みつけておきたかった。

 息を止め、腕に力を込める。

 迫る凶器。近付くとげ。回転する刃。

 終わりを招く死の螺旋が僕の黒眼へと触れ、抉りだす。

「あっ、あがっ……がっ」
 ドリルが眼球表面を引き裂き、内部の水分をかきだしていく。
 頭の中で奇妙な音が響いた。破裂したような不気味な、響き。

 大丈夫。まだ、大丈夫。痛いだけなら耐えられる。
  あっさりとドリルは眼球の中心に到達。
 振動が頭蓋をかき乱し、激痛を走らせるが気にしていられるものか。

――このまま、突っ込む!
 頭の中に響くのは音、音、音。
 改めて持ち手を握り締め、思い切りドリルをねじ込む。

 それが、失策ミスだった。

「がっ! あがっ、ああああああああああああああああッッ!!」
 柄を持ちなおした事でドリルの軌道がずれる。
 当然だ。激しく震える機械は二キロ近い重さがあるのだ。栄養不足の細腕で安定させられるはずが無かった。
 斜めに走った金属の錐は僕の眼窩下部、頭蓋へとめり込み削り取っていく。

 もはや、悲鳴さえも上がらない。
 何が何だか、分からない。

 思考が定まらず、体をどうやったら動かせるのかも良く分かっていない状態。
 ただその中で唯一、確かな物があった。
 今の僕の中にたった一つ残された揺るぎないもの。

――助ける。絶対に。死ぬ、助ける。死ぬかも。構わない。それでも。
「助けるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 願いと言う名の執念が燃え上がった。
 手首に力を込め、先端を引き上げる。唸る刃が肉を、骨を吹き飛ばし、神経を引き裂く。

  ぐりんっ。

 眼窩の中でぼろぼろになった眼球が回転した気がした。
 きっと気のせいだ。

 気持ち悪い。痛い。
 うるさい。知るか。気にしてられるか。

 軌道を修正し、ドリルを思い切り押し込む。
 感触は、何も無かった。

 あっさりとドリルはあたまの奥までたっした。

 多ぶん脳にとどいた 思う。
 豆腐につっ込んだ、らこんな、かん、じ?

 ささる。えぐ。る。

 ひびく。

 ことば、かたち、ならない。

 ひびく、おと。


 きゅいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。

 うる い。

 きゅいぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。


 いたい。

 きゅいこぃぃぃいぃぃん。

 こわい。


 きゅいぃぃぃぃぃ。たすけ。

  


 ぶつん。

 ■

 息が、荒い。
 久々のリセットに全身が震えている。
 目を押さえ、ベッドの上でのたうちまわる。

 未だにドリルが眼球を抉っているようだ。頭の中を殺人的なモーター音が支配している。眼球が破裂した感覚、骨が削り取られる感触。消えない。消えない。消えない。

「ああああああああああああああああああっっ!!」
 転げ、這いずり、叫ぶ。
 右目を、触る。ある。目を開く。見える。考える事も、できる。大丈夫、大丈夫。

 僕は生きている。
 リセットに、成功したのだ。

『戻ったか』
 ぜえぜえと息を吐く僕へと、懐かしい声がかけられる。
 成功したなら当然だ。彼は生きている。
 例え動けないほどの傷を負わされようとも、十一月二十五日の彼は無傷なのだから。
 理屈では分かっていたが、胸にこみ上げる熱いものを押さえる事が出来なかった。

「……戻ったか、じゃない。何があったのさ!」
 頭に響く異音も忘れベッドから飛び出し、モニターを引っ掴む。
 グリードが生きていた。どうしようもなく嬉しい事実だ。

 だからこそ、疑問だった。
 どうして彼はこんなにも平然としていられるのだろうか。

『おいおい、落ち着け。落ち着くんだ。いつも通りの《儀式》をしろ』
「できるもんか! 何でそんなに落ち着いてんだよっ! グリード、君は……君は死んだんだぞ!?」
 グリードの様子がいつもと変わらない事に苛立ちを覚える。
 何が儀式だ。こんな時に筋道立ててリセット前に起きた事を話している余裕など無い。
 何故、彼は何事も無かったのようにいられるのだ。それどころか、グリードは凄まじい剣幕でまくし立てる僕に困惑しているようだった。

 耐えがたい違和感が胸をざわめかせる。

『……何を言っているんだお前は。むしろ、聞きたいのはオレの方だ。いきなり《リセット》したような素振りを見せたと思えば訳のわからない事を言って。そもそも、お前はいつリセットした?
 いや、そもそも本当にここでセーブしたのか?』

「えっ?」
 どう言う、事だ。
 停止しそうな思考の糸を必死に手繰り寄せる。
 待て、待て、待て。考えろ、整理しろ。

「……今日は何日?」
『十一月の二十五日だ』
 間違っていない。
 僕がセーブした日の記憶と寸分違わない。気を利かせたグリードが点灯させたモニターにも日付と、午前五時四十五分と言う文字が表示されている。

「グリード。今日、何が起きるか知っている?」
『だから何を言っているんだ。質問したいのはオレの方だと言っているだろう』
 やはり、おかしい。

 首筋を、ヒルが這いまわるような感触が走った。

 予感が確信へと近づいていく

『なあ、ミライ。お前は《いつから来た》? それにどう言う意味だ。オレが死んだと言うのは』
 間違いない。もう、疑いようのない事実だった。


《グリードの記憶は継続していない》。

 僕が九行さんとデートする事どころか、自分が襲われる事さえ、何も知らないのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

磯村家の呪いと愛しのグランパ

しまおか
ミステリー
資産運用専門会社への就職希望の須藤大貴は、大学の同じクラスの山内楓と目黒絵美の会話を耳にし、楓が資産家である母方の祖母から十三歳の時に多額の遺産を受け取ったと知り興味を持つ。一人娘の母が亡くなり、代襲相続したからだ。そこで話に入り詳細を聞いた所、血の繋がりは無いけれど幼い頃から彼女を育てた、二人目の祖父が失踪していると聞く。また不仲な父と再婚相手に遺産を使わせないよう、祖母の遺言で楓が成人するまで祖父が弁護士を通じ遺産管理しているという。さらに祖父は、田舎の家の建物部分と一千万の現金だけ受け取り、残りは楓に渡した上で姻族終了届を出して死後離婚し、姿を消したと言うのだ。彼女は大学に無事入学したのを機に、愛しのグランパを探したいと考えていた。そこでかつて住んでいたN県の村に秘密があると思い、同じ県出身でしかも近い場所に実家がある絵美に相談していたのだ。また祖父を見つけるだけでなく、何故失踪までしたかを探らなければ解決できないと考えていた。四十年近く前に十年で磯村家とその親族が八人亡くなり、一人失踪しているという。内訳は五人が病死、三人が事故死だ。祖母の最初の夫の真之介が滑落死、その弟の光二朗も滑落死、二人の前に光二朗の妻が幼子を残し、事故死していた。複雑な経緯を聞いた大貴は、専門家に調査依頼することを提案。そこで泊という調査員に、彼女の祖父の居場所を突き止めて貰った。すると彼は多額の借金を抱え、三か所で働いていると判明。まだ過去の謎が明らかになっていない為、大貴達と泊で調査を勧めつつ様々な問題を解決しようと動く。そこから驚くべき事実が発覚する。楓とグランパの関係はどうなっていくのか!?

バージン・クライシス

アーケロン
ミステリー
友人たちと平穏な学園生活を送っていた女子高生が、密かに人身売買裏サイトのオークションに出展され、四千万の値がつけられてしまった。可憐な美少女バージンをめぐって繰り広げられる、熾烈で仁義なきバージン争奪戦!

白羽の刃 ー警視庁特別捜査班第七係怪奇捜査ファイルー

きのと
ミステリー
―逢魔が時、空が割れ漆黒の切れ目から白い矢が放たれる。胸を射貫かれた人間は連れ去られ魂を抜かれるー 現代版の神隠し「白羽の矢伝説」は荒唐無稽な都市伝説ではなく、実際に多くの行方不明者を出していた。 白羽の矢の正体を突き止めるために創設された警視庁特捜班第七係。新人刑事の度会健人が白羽の矢の謎に迫る。それには悠久の時を超えたかつての因縁があった。 ※作中の蘊蓄にはかなり嘘も含まれています。ご承知のほどよろしくお願いいたします。

日月神示を読み解く

あつしじゅん
ミステリー
 神からの預言書、日月神示を読み解く

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

月夜のさや

蓮恭
ミステリー
 いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。  夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。  近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。  夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。  彼女の名前は「さや」。  夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。     さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。  その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。  さやと紗陽、二人の秘密とは……? ※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。 「小説家になろう」にも掲載中。  

処理中です...