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  臆病

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「どうした?」
 こちらを見ている千坂景親に、謙信が問う。
「あっ、いえ・・・・」
「よいから、申してみろ」
 はぁ、と呟き、一度頭を下げてから、景親は告げる。
「罠かもしれませぬ」
「かもな」
 謙信は静かに応じた。

 確かにそうかもしれない。
 不安な話をして、その兵をわざと謙信に捕らえさせる。
 相手が浮き足立っていると思った謙信が、攻撃をかけたところを待ち伏せする。
 考えられないわけではない。

 しかしそれは無いだろうと、謙信は見ている。
 なぜなら七尾城が落ちたと言う報せは、少し前に織田に伝わったはずだからだ。
 それも城内の者が裏切って落ちたのだから、織田側からすれば予期せぬ事だ。
 それなのに、待ち伏せの準備ができるとは、思えない。
 その上、織田勢も加賀の土地には暗い。待ち伏せをするのは難しいだろう。

 だが景親の不安も分かる。
 織田には越前での浅倉の旧臣を始末した、切れ者の軍師がいる。
 或いはそやつならば、と考えられない事もない。

 だが切れ者の軍師がいるなら尚更、織田はこちらと事を構えようとしないだろうと謙信は思う。
 なぜなら織田は去年、大阪の木津川というところで、毛利の水軍と戦い敗れたのだ。
 そんな時に上杉とも事を構えるなど、絶対に避けたいはずだ。
 信長の側に切れ者の軍師がいるのなら、そう進言するはずである。

 だから罠は無い。そう謙信は見ている。

「・・・・・・・」
 暗い表情の景親の顔を眺める。
 おそらく景親も、罠はないと思っているのだろう。
 しかし一分でも罠の感じとれば、景親は引く。
 千坂景親とはそういう男だ。
 臆病な男だ。
 
 しかしそれは、武将として悪くない素質だ。
 だが大将である謙信は、たとえ三分罠かもしれないと思っても、打って出ねばならぬ時がある。
 そういうものだ。


「皆を集めろ」
 謙信が命ずると、ハハッ、と答えて景親が退がる。
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