私訳戦国乱世 クベーラの謙信

北条氏政

　北条氏政が上野に攻めて来た。
　謙信も越後を発ち迎え撃つ。

　利根川を挟み対陣する。
　謙信はジッと氏政の陣立を窺った。
　隙のない陣だ。
　加藤段蔵は武田勝頼の事を、勇猛果敢だと言った。
　氏政は逆で慎重な男らしい。

　戦さというのは、極言すれば無駄な事である。
　孫氏の兵法曰く、戦わずに勝つ事が上策なのだそうだ。
　しかし実際はそういう訳にはいかない。

　戦わなければならい時がある。

　その時謙信や勝頼のような賢くない者は、損得を無視して無駄な戦さを仕掛ける。
　しかし武田信玄や氏政の様な賢い者は、戦さを避ける。

　避けて信玄は謀を巡らせる。
　敵を裏切らせたり、疑心暗鬼に陥らせたりするのだ。

　氏政は信玄とも違う。
　謀を巡らせるのでは無く、周囲の国衆地侍に自分に味方するよ説き伏せていくのだ。

　利根川の対岸の北条の軍勢は多勢である。
　氏政が多くの国衆地侍を説得出来たからだ。
　謙信が感心するのは、その陣に乱れがないことだ。
　むかし謙信が小田原の城を囲み、その最中に鶴岡八幡宮で関東管領就任式を取り行った。
　その時従っていた関東の国衆地侍は、席次の事で不満を言い出した。
　小田原を攻め落とせなかった第一の理由は、その不満の所為で国衆らの足並みが揃わなかった為だ。
　しかし今の北条の陣を見るに、そういう乱れがまったく無い。

　氏政にはそういう才覚があるのだろう。
　多くの人間を集めて何かをする時、その不満を小さくする。
　それぞれの顔をそれなりに立てる。
　そう言った才覚だ。

　そしてそれは今や関東一の勢力を誇る北条家の当主として、最も必要なものだ。

　才覚というものにとって重要なのは、その者の立場に合ったものであるかどうかだと謙信は思う。
　足利公方義輝は兵法の才覚があった。しかし武士の頭領として、諸侯の上に立つ義輝には無用なものだ。
　兵法の才覚などというものは、その辺の地侍か浪人が持っておれば良いものである。
　それが義輝という人物の不幸である。

　氏政はそういう意味で、幸運である。
　関東一の勢力を誇る北条の当主として、求められる才覚を氏政は持ち合わせている。
　これが父氏康の代か、或いは曽祖父早雲の代の頃であれば問題だったが、今の北条の当主には最も必要な才覚であろう。

　その立場に適した才覚を持っている者が優秀なのだ。
　優秀な者とは、結局、幸運な者の事なのである。