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  不織庵謙信

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「では言って参る」
 そう告げると、二人の養子、喜平次景勝と、三郎景虎が
「ご武運を」
 と頭を下げた。

 三郎にかつての名である景虎を与え、輝虎自身は出家し、不織庵謙信と号した。
 景勝の方には、自らの官位である弾正少弼を譲っている。
 
 それぞれに思惑あっての事だ。

「跡継ぎという意味では、わしもまだ四十、それほど深くは考えておらぬ」
 そう公言はしている。
 ただ戦さに出るとこには、直江景綱に遺言は残していた。
「まだ道は色々残しておいた方が、ようございます」
 景綱もそう応える。

 長尾家と越後の守護職、上杉家と関東管領職、そして領地。
 それらを如何するか?道は幾つか考えている。
 だが決めるにはもう二、三年、様子を見たい。

 そんなところだ。



 出陣は越中に向けてだ。

 武田信玄は駿河を奪った後、更にその西の遠江を目指している様だし、北条氏政も安房の里見といつもの様に戦さをしている。
 氏政が信玄と手を結び直すと、里見義弘や佐竹義重も信玄と手を切り、謙信に遣いを寄越して来た。
 しかし明らかに、かつての様な熱心さは無い。

 彼らにすればうんざりなのだろうが、それは謙信も同じだ。
 所詮、敵の敵は味方という理屈では、上手くいかないのだ。
 謙信も関東に対しては、程々にと思っている。
 あくまで上野を領有していれば、それで良いと考えているのだ。

 越中も同じ様にしたいのだが、こちらはなかなか厄介だ。

 副将として従えたのは、斎藤朝信である。
 越後の鍾馗と呼ばれた闘将は、何度も越中に攻めているので土地に詳しい。
 留守はいつもの直江景綱、それに柿崎景家、そして出戻りの北条高広ら老臣たちを置いた。
 武田も北条の攻めてくる事はないだろうから、問題は無い。

 むしろ問題なのは、越中攻めの方だ。

 甘粕景持や本庄繁長らは使えない。
 何故なら相手が門徒だからだ。
 当然主力は、河田長親の浪人衆となる。
 長親の叔父、重親を上方の神余親綱の元に送り、浪人を集めるだけ集めさせた。

 浪人衆は二千人になり、吉江資堅、鯵坂長実という将も得た。

 妙な事だが浪人を集めるのに、信長の上洛が影響した。
 彼らは皆、長親と同じ近江の者だ。
 かつて近江を支配していたのは、佐々木氏の流れを汲む京極家だった。
 しかし国衆の浅井亮政が、京極家に不満を持つ国衆地侍を束ね、謀叛を起こして北近江を奪い取った。
 長親の祖父たちは京極家に仕えていたので、浅井の天下になれば領地を追われる。
 それでも一部は南近江を支配する六角家に仕え、なんとか浅井に対抗していたのだ。
 しかし信長が上洛するとき、その六角を攻め落としている。
 また信長の妹婿は、亮政の孫、長政だ。
 それで京極に仕えていた者、そして六角の家臣たちが、大量に領地を追われ、浪人する事になった。
 重親はそれらに声をかけ、大量に連れて来たのだ。


「撃て、撃て、撃て」
 領地を追われた近江の浪人たちは、遠い越中の地で門徒相手に戦さをしている。
 戦さと言っても大量の鉄砲を用意したので、それを撃ち殺しているだけだ。
「これは・・・・・・」
 側に控える斎藤朝信が嫌な顔をする。
 歴戦の闘将である朝信にすれば、こんな兵法も武勇もない戦さ、ただの殺戮だ。

 しかし謙信には、国主として避けられない道である。
 越後という国を守ため、為さねばならぬ事だ。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「撃て、撃て、撃て」
 念仏を唱える門徒を、長親率いる浪人衆が、唯々撃ち殺していく。
 
 




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