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  逃げ弾正

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 駆けて、駆けて、駆けた。
 敵も味方も、辺りに誰もいない。
 はぁ、と政虎は一息吐く。
 
 もう少しで善光寺だ。
 放生月毛を並足にして、ゆっくり進む。
 
「・・・・・・むっ」
 手綱を引く。
 行く手の雑木林から、数人の武者が現れた。
 百足の旗印をしたその武者たちは、静かに政虎を囲む。

「長尾・・・・・いえ、上杉弾正少弼どのですね?」
 侍大将らしき、少し高い綺麗な声をした武者が前に出る。
「何奴?」
 失礼致した、と答えその武者は、面頬を外す。
 色の白い鼻筋の通った、整った顔をしている。
「高坂弾正にございます」
 ゆっくり頭を下げる武者を見て、政虎は顔を顰める。


 高坂弾正昌信は、その美貌と才覚で、農民の出でありながら信玄に気に入られ、信濃の名族高坂家を継ぎ、海津城を任されている武田の重臣だ。
 歳は四十近いはずだが、十以上若く見える。

「お覚悟を」
 その美しい声で、昌信は告げる。
 ぺっ、と政虎はその場に唾を吐く。
「寵童上がりが、えらい口の利き方だな、おい」
 政虎の悪態に動じることも無く、昌信は笑みを絶やさない。
「別にこちらは、生きたまま捕らえても良かったのですが・・・・・」
 昌信の手下たちが、政虎を近づく。
「それはお望みではないようで・・・・」

「・・・・・・」
 さてどうする?
 己の囲む武田の兵を眺めながら、政虎は思う。
 自決するか?
 いや、ありえないな、と首を振る。
 斬り死にする。それで良い。
 敵を幾人か斬って、槍で串刺しにされる。
 それで良いし、そうなるだろう。

 分かっていたことだと、政虎は思う。
 自分は必ず戦さ場で死ぬ。
 そう思っていた、そう決めていた、そう信じていた。
 戦さを求め、血を求め、生を嫌い、性を嫌う自分は、必ず戦さ場で死ぬ。
 戦さ場で死にたいのだ。だから戦さ場で死ぬ。
 それを当然だとして、当たり前だとして、今まで生きてきた、戦ってきた。

 だが・・・・・・。
 周りを囲む武田の兵が、ジリジリと迫ってくる。
 こんな戦さの、こんな場所で・・・・・。
 昌信をチラリと見る。
「こんな奴にやられるとはな」
 おもわず思っていた事が口に出る。

 小豆長光を握る。構えは取らない。
 掛かって来た敵を、斬れば良い。
 だが同時に掛かってくれば、どうしようもない。

 はぁ、と息を吐き、昌信を見る。
「・・・・・・」
 昌信はこちらを見ていない。遥か後方を見ている。
 何か音がする。後ろから何かが近づいてくる音がする。
 政虎は振り返らない。振り返らずに苦笑する。
 取り囲んでいる武田の兵たちの、表情が強張る。
「・・・・・・っぁあ」
 思わず呻き声を上げた。
 政虎は振り返らない。見なくても分かる。
「うわぁあああああ」
 巨大な黒い影が唸り声を上げ、武田の兵を跳ね飛ばす。
「遅いぞ、弥太郎」

 その黒い影、小島弥太郎貞興が、政虎の前で止まる。
「引け」
 昌信はすぐに家来に命じる。
 武田の兵は百人近くいた。
 それでも昌信は、貞興一人に勝てないと思ったのだろう。

「逃げ弾正か」
 引いていく昌信を眺めながら、政虎は呟く。

 危うい賭けはしない。負けるとなればすぐに退く。
 死中に活を求めるなどと言うことは、決してしない。

 それが武家の生まれで無い、高坂昌信という男なのだろう。





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