私訳戦国乱世 クベーラの謙信

逆落とし

　真夜中、政虎は妻女山をおりた。

　それほど進まぬうちに、斥候を命じていた千坂景親が戻って来る。
「武田勢が海津城を出て、八幡原に布陣しております」
「どういうことだ？」
　政虎は眉を寄せる。
　夜襲をかけてくると思っていたのに、山の下の平地に布陣している。
　意味が分からない。

「どうやら敵は、軍を二手に分け、一隊を妻女山の裏手に回した様です」
「裏手・・・・・」
　景親の報告に、馬鹿な、と政虎は思った。
　妻女山の裏手は険しくて、とても軍隊が回り込める様な場所ではない。
　いや・・・・或いは・・・と政虎は考え直す。
「・・・・・・」
　景親の顔を見つめる。いつもの陰気な顔だ。
　しかし同じ事を、考えているのだろう。
　とても回り込めない様な場所だから、武田勢は回り込もうとしているのではないか。
　そうする事で、こちらの隙を突くことが出来る。
　言ってしまえば、源義経が一ノ谷の戦さでで用いた、鵯越の逆落としをしようとしているのだ。

　くくくっ、と政虎は苦笑してしまう。
　そんな大それた策を信玄はやったのに、肝心の政虎はただの夜襲だと思い、山を降りている。
　本当にまったく噛み合わないなぁ、と己と武田信玄という男に呆れる。
　互いに目隠しをして相撲を取って、偶然、政虎の手が信玄に届いた様なものだ。

「甘粕近江に使いを送り、その事を教えてやれ」
　承知しました、と景親が去ろうとするので、続けて命じる。
「あと皆に、敵は八幡原にいると伝えておけ」
　ハハッ、と応えて、景親は駆けていく。

　妙な事になったと、政虎は微笑む。