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  加藤段蔵

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 小田原への出陣を数日後に控えた日、長野業正が面会を求めてきた。
「何用じゃ?」
 景虎が尋ねると、業正は後ろに控える男を紹介する。
「これなるは加藤段蔵と申しまして、それがしが使っておる忍びにございます」
 ほぉ、と景虎は呟く。
「なかなか役に立つ者なので、弾正どのにお譲り致したいと・・・」
「譲ってくれるのか?」
 はい、と言って業正は頭を下げる。

「段蔵とやら面をあげよ」
 景虎の言葉に、はっ、と答えて、加藤段蔵なる忍びは顔を上げる。
 異相だ。
 長い手足に、長い顎、高い鼻をして目は大きくギョロリとしている。
 天狗というのはこんな顔だろうという、見本の様な顔だ。

「なるほど、良い面構えだ」
「それはなにより」
 ニヤリと笑い、太々しく段蔵は応える。
 これ、と業正が段蔵を叱る。
「申し訳ございませぬ」
 業正は景虎に向き直り、謝る。
「口の利き方を知らぬ奴で」
 構わんよ、と景虎は微笑む。
「忍びに大切なのは、礼儀作法よりその腕だ」
「それならご安心を」
 段蔵は胸を張る。
「今、東国で拙者より優れた忍びはおりませぬよ」
 ハハハハッ、と景虎は笑う。業正は顔を顰めるが、止めはしない。

「小田原の風魔より上か?」
 景虎の問いに、当然です、と段蔵は答える。
 風魔とは北条お抱えの忍者衆の事だ。
「拙者の腕がというのもありますが、あそこは今、駄目なのですよ」
「風魔がか?」
 ええっ、と段蔵は頷く。
「少し前に頭(かしら)が病で亡くなりましてねぇ、隠居した先代が代わりを務め、孫を育てておるのです」
 まるで土地の気候風土を語るように、段蔵は忍びの内情を話す。

「まぁ、越後の軒猿よりはマシでしょう」
 段蔵の言葉に、景虎は苦笑する。
 越後の軒猿とは、越後の山間の里に住む地侍衆で、山の民とも関わりが深く、忍び仕事もする者たちだ。
 ただ今は、段蔵のいう通り、衰退している。
 景虎の父為景が、関東管領上杉顕定と戦ったり、主君上杉定実と争っていた時、彼らを用いていたのだが、多くが討ち死にしたらしい。
 一部は密かに宇佐美定満が召し抱えているらしいが、少なくとも景虎の元には一人もいない。

「なるほど東国一か・・・・・」
「ええ」
「まことか?」
「勿論、まことにございます」
 なら、と景虎は不敵な笑みを浮かべる。
「小田原の城に忍び込み、相模守(北条氏康)の首を取ってまいれ」
 いやいや、と段蔵が手を振る。
「それだけはご勘弁を」
「なぜじゃ?やはり無理なのか?」
「そうではございませぬ」
 段蔵はその大きな鼻にシワを寄せ、微妙な笑みを浮かべる。
「先ほども言いましたが、風魔は今、先代の隠居が頭を務めております」
「ふむ、それで?」
「拙者、この爺さまに、まぁなんと言いますか、多少のしがらみがございます」
 しがらみ?と呟いて、景虎は眉を寄せる。
 ええっ、と言って段蔵は話を続ける。
「恩ではございませぬ、まぁ義理と言うよりは・・・・しがらみ、そういうものがございます」
 なんじゃ、そりゃ、と景虎が首を傾げる。

「拙者は忍び、忠義や恩義では動きませぬ」
 段蔵がまた喋り始める。
「銭と情で動きます」
「銭と情なぁ・・・・・」
 景虎は顎を撫でる。
「銭ならあるぞ」
 そう景虎が言うと、知っております、と段蔵が答える。
「拙者は、銭はほどほどあれば良いと思う方です」
 そうか、と景虎は応える。
「それよりも情にございます」
「情・・・・かぁ」
 ええっ、と段蔵は頷く。
「拙者、情に厚い男にございます」
 胸を張って告げる段蔵に、景虎は苦笑する。
 景虎はそれほど忍びに詳しくない。
 それでもこんなに堂々と、自分の事を情に厚いという忍びも、珍しいのではないか。
「長野さまに使われておるのも、情ゆえにございます」
 その段蔵の言葉に、業正も苦笑している。
「ですからまぁそのしがらみがあるので、風魔の主人である相模守の首を取ってくるのだけは、ご勘弁を・・・・・」
 ペコリと段蔵が頭を下げた。
「ご勘弁を、と言われてもなぁ・・・・」
 景虎は呆れながら、このよく喋る、情に厚い忍者を眺める。
 
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