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  尾張の織田

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「失礼いたします」
 しばし岩鶴丸と話をしていると、十二、三才の少年が入って来て、岩鶴丸に何か告げた。
 岩鶴丸の弟だろうか、顔がよく似ている。
 分かった、と岩鶴丸が頷くと、少年は頭を下げて、部屋を出ていく。
「隼人佑さまが、お戻りになられました」
 そう岩鶴丸が言うので、そうか、と景虎は頷く。


「お待たせして、申し訳ございませぬ」
 しばらくすると先の少年を連れて、神余親綱が部屋に入ってくる。
「忙しそうだな」
「あ、はい、おかげさまをもちまして」
 親綱は景虎の前に座り、頭を下げる。
 その言葉と言い、その丸顔と言い、どう見ても侍ではなく商人だ。

 親綱が背後を向き、岩鶴丸らに頷くと、二人は部屋を出て行く。
 景虎も側にいた山吉豊守に顔を向ける。豊守も頷き、部屋を出る。
「公方さまとの謁見、いかがなりました?」
「会うには会った、というところだ」
「それは・・・・その・・・」
 微妙な表情を親綱はする。
「安心いたせ」
 ふっ、と景虎は微笑む。
「ヘマはしておらぬ」
「ハハッ、ありがとうございます」
 商人の様な笑みを浮かべて、親綱は頭を下げる。

 親綱が気にしていたのは、景虎が義輝からの三好討伐の命を承諾したかどうかだ。
 義輝は景虎と接触する時、まず初めに在京している親綱に、家臣の大館晴光を遣わせた。
 親綱からすれば、迷惑な話だ。
 上方で商いをする以上、三好と揉めたくはない。
 義輝に味方した為に、三好の支配する堺で商いが出来ないと言うことは、絶対に避けたい。
 とは言え相手は将軍。武家の棟梁。
 その命に従わないのは、越後の守護代であり、守護上杉家の代行を務める景虎からすれば、こちらも絶対に避けたい。

 景虎が義輝に謁見し、忠誠を誓う。
 しかし三好長慶討伐の確約は与えない。
 それが景虎、親綱の最善の形だ。
 景虎は、その最善をなしたのだ。

「ところで・・・・話があると言っておったが?」
 上洛する少し前、親綱から使いがあり、そう言ってきた。
「はい、それで・・・・」
 少し近寄り親綱は、話を始める。
「公方さまは各地の諸侯に、上洛するよう要請いたしました」
「うむ」
「多くの諸侯の和議を仲介し、上洛を促したのですが、結局、来たのは殿と、後お二方だけです・・・・・」
 たったの三人か、と景虎は苦笑する。
 北は奥州、伊達稙宗と晴宗の親子の争いから、南は九州の大友と島津の戦さまで、各地の和議を仲裁して、結局、上洛したのは三名。
 それも仕方ないと、景虎は思う。
 自分と武田の仲裁を思い出し、あれで和議が成った、上洛しろと言われても、誰も納得しないだろう。
 幕府も、そして諸侯の争いも、どうしようもないところまで来ているのだ。

「その二名ですが・・・・・」
 親綱が話を続ける。
 こんな世の中で上洛する二人。
 余程の暇人か、それとも景虎と同じように義理堅い男を演じているのか、或いは本当に義理堅いのか。
 自分の事を棚に上げて、酔狂な奴らだと景虎は思った。
「美濃の斎藤治部大輔と、尾張の織田三郎にございます」
 そいうか、と景虎は呟く。
 正直、二人ともよく知らない。
 美濃の斎藤治部大輔義龍の方は、多少分かる。
 父親は蝮の異名を持つ斎藤山城守利政で、その父親を討って当主になった男だ。
 父の為景が主君に謀叛を起こし、自分も兄に謀叛を起こして当主になった景虎が言うのも何だが、ろくでなしの父を持つろくでなしだ。
 織田の三郎というのは、全く知らない。
 ただ尾張の守護は斯波家の筈だから、こちらも謀叛人だろう。
 近江で言うところの京極が斯波で、浅井が織田なのだろう。
 つまりどちらも、景虎と変わらないろくでなしの謀叛人ということだ。
 なら上洛した理由も、景虎と変わらないのだろう。

「その織田の三郎から使者が来まして・・・・」
 親綱が話を続ける。
「使者の村井吉兵衛なるものが申すには、尾張で商いをされてはいかがかと」
 うむ、と景虎は首を捻る。
 尾張と言われても、特に何も浮かばない。
 これが美濃なら、手を結び西から信濃を攻めて貰い、武田を牽制できる。
 だが尾張ではそれも出来ない。
 結んだところで益はない。ただ害もないだろう。

「どう思う?」
 景虎が問うと、よい話かと、と親綱が答える。
「尾張は商いの盛んな土地、青苧も沢山売れるでしょう」
「そうか分かった、好きにせい」
 ハハッ、と親綱が頭を下げる。
 神余親綱の商いを見る目は確かだ。任せて問題は無い。
 しかし・・・・と親綱が頭を上げる。
「商いの手を広げるには、今のままでは青苧が足りませぬ」
 分かっておる、と景虎が応じる。
「それは問題ない、大丈夫だ」
 口には出さないが、関東で人狩りをして、人手はある。青苧を増やすことは可能だ。
「それはありがとうございます」
 そう言って親綱は、深く頭を下げる。

 少し呆れて、ふっ、と鼻で景虎は笑う。
 六年ぶりに親綱に会うのだが、心の底から商人になっている。
 そういう素質があったのだろう。
 宇佐美定満の勧めで任せたのだが、適任だったなぁと景虎は思う。


 才ある者が、才ある地位に就いている。
 足利公方義輝の事をを少し思い出しながら、親綱の丸い恵比寿顔を見つめる。
 義輝より親綱の方が有能だ。
 なぜなら才覚を、活かせる地位にいるからだ。
 なら有能とは、運の良い者の事を言うのだろうか?
 そんな事をふと、景虎は考えた。
 
 
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