上 下
60 / 167

  剣豪将軍

しおりを挟む
 足利義輝という将軍には、変わった趣味があるらしい。
 なんでも義輝は、天下一の剣豪を言われている塚原卜伝から剣術を習うほどの、兵法好きらしいのだ。

 その話を聞いた時、景虎は呆れた。

 武士にとって大切なのは、格と分だ。
 それぞれの武士には格があり、その分を守ことが重要なのである。

 景虎の家臣の中で最も武勇に優れているのは、間違いなく小島弥太郎貞興である。
 戦さ場で貞興と一騎討ちをして勝てる者など、越後どころか関東一円にもいない。
 それほどの武者だ。

 それに対し、兵を率いる武将という意味で優れているのは、柿崎景家と斎藤朝信だ。
 冷静沈着な景家と勇猛果敢な朝信。対照的なこの二人が、間違いなく最も優れた将である。
 
 ではもし、貞興と景家が一騎討ちをすればどうなるか?
 景家が一目散に逃げるだけだ。
 朝信でも逃げるだろう。

 逆に貞興が軍を率いたらどうか?
 黒田秀忠と戦った時、貞興に二十名兵を与えようとすると、十名で良いと言われ、結局己一人で敵陣に突撃をかけた。
 
 貞興に軍勢を率いる才は皆無である。
 だがそれで構わない。貞興には武者としての才があれば良いのだ。

 そして大将である景虎は、それらの家臣、冷静沈着な将である景家、勇猛果敢な将の朝信、そして一騎当千の武者である貞興を、戦さ場でどう配置するかが求められる。
 更に国主として、武将たちだけでなく、奉行の才覚も見極めねばならない。
 妥当な事を言う直江景綱の策を取り上げるのか、宇佐美定満のあっと驚くような知恵を借りるのか。
 そう言った事を考える器量が、国主には重要だ。

 そしてその国主たちの上に立つのが、武家の棟梁である公方の義輝だ。
 
 義輝には、様々な思惑、欲望、そして建前や体面を持つ国主と、駆け引きをしていかないといけない。
 そういういわば清濁併呑む力が、義輝には求められているのだ。

 それなのに兵法を学び武勇を好むなど、言ってしまえば貞興と同じ才覚を誇るとは、景虎にすれば呆れ果てて言葉も出ない。
 
 義輝の師である塚原卜伝こと、塚原高幹は常陸の国、鹿島神宮の神官の家の出である。
 そう言う出であれば、兵法を磨くのも一つの生き方だ。

 しかし義輝は公方だ。
 武家の棟梁たる将軍の家に生まれたのだから、兵法に才があろうと、その修練が楽しかろうと、そんなものは控えるべきだ。
 たとえ義輝がどんなに剣の腕を磨こうと、一度に十数人しか相手には出来ない。
 千の軍勢、万の敵を相手に戦うには、そんな才覚使えないのだ。
 
 それが分かっておられぬとは・・・・・・。
 幕府はもう保たぬな。

 会う前から、失望しつつ景虎は義輝に拝謁する。
 
しおりを挟む

処理中です...