上 下
37 / 167

  太原雪斎

しおりを挟む
 そんな時、、武田の陣から使者が来た。
 正しく言えば、武田と手を組んでいる今川の使僧、太原雪斎である。

「和睦を仲立ちすると・・・・・?」
 はい、と大きな頭の雪斎は、一礼して頷く。
「それは・・・・ご親切な事で・・・・」

 目を細めて景虎は雪斎を見つめる。
 骨の太そうな立派な身体つきをした、六十前後の老僧だ。
 貫禄があり、黙っていても人を圧する威厳がある。

「戦さが続くのは、兵にも民にも辛いもの」
 ゆっくり雪斎は合掌する。
「御仏の使いとして、出来るだけ世の人の痛みを和らげたいのです」
 ふふっ、と景虎は苦笑する。

「それは・・・・まことにごもっとも・・・」
 で、と景虎は続けて問う。
「何をすれば、我らは兵を引かして頂けるので?」
 景虎の皮肉に、
「何も」
 と言って、雪斎は合掌をやめる。
「弾正さまは、兵を引いていただくだけで、何もなさる必要はありませぬ」
 馬鹿にしおって、と景虎は一睨みする。

 景虎に黙って越後に帰れ、と言っているのだ。
 確かに景虎は手詰まりだが、それは武田晴信も同じ。
 どちらも打つ手なしなのだ。
 しかしここで景虎が黙って引けば、晴信の信濃支配は進む。
 今は晴信に信服していない信濃の国衆たちも、少しずつ懐柔されていくだろう。
 村上義清を裏切った、栗田永寿が良い例だ。
 だからここは、あっさり引く訳にいかない。

「我らが引くとして・・・・・」
 一度身体を揺すり、景虎が告げる。
「武田太膳はどうする?」
「勿論、兵を引いて頂きます」
「それで・・・・・」
 景虎は目を細めて、雪斎を見つめる。
「旭山の城は、壊して頂きます」
 微笑み雪斎に、ほぉ、と景虎が呟く。
「それでこちらは、如何すればよろしい?」
 景虎が問う。

 相手が旭山の城を壊したのだ、当然こちらは葛山の城を棄てねばならない。
 しかしそれを交渉で、もっと言えばごねて、葛山の城を残したい。
 だがおそらく無理だろう。
 相手はこちらの足元を見るはずだ。
 雪が降れば越後に帰れ無い。
 困るのはこちらだ。

 そんな事を景虎が考えていると、
「何も・・・・」
 と雪斎が言う。
 んん?と景虎は眉を寄せる。
「何もと言うのは?」
「ですから、何も・・・・」
 景虎の問いに、雪斎は不適に微笑む。
「弾正さまは、兵を引いてくださるだけで、結構です」
 どう言うつもりだ?と景虎は不審に思いながら、雪斎を見つめる。

「この・・・・葛山の城は・・・どうすれば良い?」
「勿論、弾正さまのお好きな様に」
「・・・・・」
 不適に微笑む雪斎の顔を、景虎は目を細めて眺める。
 良いのか?と景虎が重ねて問う前に、雪斎が口を開く。

「それと、須田、井上、島津どのの領地を、お引き渡しいたします」
「・・・・・・っ・・・・」
 景虎は言葉を失う。
 須田満親、井上清政、島津忠直はいずれも信濃の国衆で、武田に領地を追われ、景虎を頼り越後に来た面々だ。
 彼らに領地を返すという事は、武田が信濃の支配を手放すと言う事だ。
 今まで戦った成果の全てを、捨てると言う事だ。


 あり得ぬ・・・・。
 景虎の疑いの眼差しを受け、雪斎が静かに告げる。
「戸石はお返し出来ませぬが、これで如何です?」
 戸石とは、村上義清の本拠地である。
 そもそもこの戦さは、義清の要請で出陣している。
 戸石は取り返したいところだ。

 ただ満親らの領地は葛山の北にあるのに対し、戸石は南。
 葛山を手放さないのであれば、十分すぎる条件だ。
 少なくとも、他の者から見れば、景虎の勝ちに見えるだろう。

 景虎は静かに答える。
「・・・・・・少し、待って頂きたい」
 好条件だ。
 だから怪しい。

「村上どのを説くのに、少し時を頂きたい」
 嘘だ。
 義清は景虎に恩義を感じている。
 信濃に出兵した事もそうだが、人質に出した息子を、景虎が養子しに、領地を与えている事に、義清は感激している。
 この条件なら義清も、仕方なし、と諦めてくれるだろうし、無理でも満親らが説得してくれるはずだ。

 だから義清を説得する時では無い。
 この明らかに怪しい和睦の裏を、考える時間が欲しい。

「そうですな・・・・・当然のことです」
 終始笑みを絶やさない雪斎が、分かりました、と頭を下げ、それでは、と出ていく。
「・・・・・・・」
 その後ろ姿を、景虎はジッと見つめる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

明日の海

山本五十六の孫
歴史・時代
4月7日、天一号作戦の下、大和は坊ノ岬沖海戦を行う。多数の爆撃や魚雷が大和を襲う。そして、一発の爆弾が弾薬庫に被弾し、大和は乗組員と共に轟沈する、はずだった。しかし大和は2015年、戦後70年の世へとタイムスリップしてしまう。大和は現代の艦艇、航空機、そして日本国に翻弄される。そしてそんな中、中国が尖閣諸島への攻撃を行い、その動乱に艦長の江熊たちと共に大和も巻き込まれていく。 世界最大の戦艦と呼ばれた戦艦と、艦長江熊をはじめとした乗組員が現代と戦う、逆ジパング的なストーリー←これを言って良かったのか 主な登場人物 艦長 江熊 副長兼砲雷長 尾崎 船務長 須田 航海長 嶋田 機関長 池田

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

劉禅が勝つ三国志

みらいつりびと
歴史・時代
中国の三国時代、炎興元年(263年)、蜀の第二代皇帝、劉禅は魏の大軍に首府成都を攻められ、降伏する。 蜀は滅亡し、劉禅は幽州の安楽県で安楽公に封じられる。 私は道を誤ったのだろうか、と後悔しながら、泰始七年(271年)、劉禅は六十五歳で生涯を終える。 ところが、劉禅は前世の記憶を持ったまま、再び劉禅として誕生する。 ときは建安十二年(207年)。 蜀による三国統一をめざし、劉禅のやり直し三国志が始まる。 第1部は劉禅が魏滅の戦略を立てるまでです。全8回。 第2部は劉禅が成都を落とすまでです。全12回。 第3部は劉禅が夏候淵軍に勝つまでです。全11回。 第4部は劉禅が曹操を倒し、新秩序を打ち立てるまで。全8回。第39話が全4部の最終回です。

ロシアの落日【架空戦記】

ぷて
歴史・時代
2023年6月、ウクライナとの長期戦を展開するロシア連邦の民間軍事会社ワグネルは、ウクライナにおける戦闘を遂行できるだけの物資の供給を政府が怠っているとしてロシア西部の各都市を占拠し、連邦政府に対し反乱を宣言した。 ウクライナからの撤退を求める民衆や正規軍部隊はこれに乗じ、政府・国防省・軍管区の指揮を離脱。ロシア連邦と戦闘状態にある一つの勢力となった。 ウクライナと反乱軍、二つの戦線を抱えるロシア連邦の行く末や如何に。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

ドレスを着たら…

奈落
SF
TSFの短い話です

処理中です...