上 下
5 / 167

  初陣

しおりを挟む
 栃尾城に来て三ヶ月ほど経ち、田植えが終わった頃、
「そろそろ、戦さをいたします」
 と本庄美作守実乃が言ってきた。
 田植えと稲刈りの間にするもの。
 国衆地侍の戦さとは、そういうものだ。


 三条城の長尾景俊が、栃尾に向かって来る。それを栃尾方が迎えうつ。
 そう言う戦さになる様だ。

 国衆の小競り合いだ。両軍ともに四、五百というところ。
 攻められているので、勢いは三条方にあり、地の利は栃尾方にある。
 どうする?
 景虎は実乃は見た。

 名目上の大将は景虎だが、実質的には実乃が指揮をとる。
「兵を二手に分けます」
 実乃は答える。
「平三さまの隊とそれがしが率いる隊」
 強い視線でジッと、実乃は景虎を見つめる。
「平三さまの隊に敵が攻めかかって参りましたら、それがしが背後から敵を襲います」
 待て、と実乃の言葉が遮られる。
「平三さまを、囮にするつもちか?」
 強い口調で詰問したのは、金津新兵衛義旧だ。

 此度、景虎は栃尾に来るのに兵を率いていない。
 唯一、付き従っているのが、義旧である。
 金津義旧は、妻が景虎の乳母であった。
 その縁で、景虎が寺に入ってからも、何度も訪ねて来てくれた。
 肉親の縁の薄い景虎にとって、本当の家族の様に思える相手だ。
 義旧の方もそうで、景虎の為なら死をも恐れぬ忠義を見せる。

「ご安心を、平三さまの隊には腕利きを備えさせておきます」
 実乃が答えると、
「そういうことではない」
 と義旧が、更に口調を強くする。
「まぁ待て、じい」
 景虎が義旧を宥める。

「美作守の策、まことにもっともだ」
「しかし・・・・」
「ただ」
 反論しようとする義旧を、景虎が遮る。
「腕利きは、お主の隊に回せ」
 あっ、義旧が声を上げ、で、ですが・・・と実乃が慌てる。
「背後から攻撃する隊の方が重要だ」
 ピシャリと景虎は告げる。

「お主の隊は、腕利きを少数にして、素早く攻撃出来る様にしろ」
 景虎の言葉に、実乃は目を見開く。
「わしの隊は人足を多くして、とにかく数を多く見せるのだ」
 それが囮というものだ。
 そう景虎が断言する。

「な、なにを申しておるのですか、虎千代さま」
 思わず義旧が、景虎を幼名で呼ぶ。
「わしの方は、心配ない」
 義旧の非難を無視して、景虎は実乃に言う。
「じいがおる」
 顎で義旧を指す。
「じいが居れば、問題ない」
 そうだろ、じい、と景虎が言うと、勿論にございます、と義旧が胸を叩く。

「・・・・・・・分かりました」
 しばし景虎を見つめた後、実乃は頭を下げる。
「ではその様に」
 うむ、と景虎は答える。



 戦さは景虎と実乃の読み通りに進んだ。
 景虎の前で、厳しい顔をした義旧が仁王立ちしていたが、そこまで敵がくることも無く、実乃の手の者が景俊を討ち取り、あっさり終わった。
 初陣の景虎からすれば、少々拍子抜けだ。

「お味方、大勝利にございます」
 二カッと笑い、義旧が言う。
 そうだな、と景虎は淡々と答える。
「平三さま」
 ムッと顔を顰め、義旧が告げる。
「此度は運よく勝てましたが、戦さは水もの、慢心は禁物でござる」
 景虎は苦笑する。
 あまりにも景虎が、拍子抜けの顔をしていたので、義旧は心配になり、戒めたのだろう。
「ああ、分かった」
 頷き、しかし・・・・・と景虎は呟く。
「本庄美作は、なかなかの戦上手だな」
 確かに、と義旧は頷く。
 知略を用いたと言うことはないが、手堅い戦さを手堅くやった。
 なかなかの人物だと、景虎は感心した。

「我らの大勝利にございます」
 本庄実乃が報告にやって来た。
「見事である」
「ハハッ、ありがたきお言葉」
 実乃は頭を下げる。
「全て平三さまのお力にございます」
 別に景虎は何もしていない。
 ただ実乃とすれば義旧の手前、そう言わねばならないのだろう。

「今後も、御屋形さまと殿に忠節を励む様に」
 そう景虎が言うと、承知いたしました、と実乃はもう一度、深く頭を下げる。
 御屋形さまとは、越後守護であり景虎の義理の叔父でもある上杉定実のことである。
 殿とは勿論、景虎の兄、晴景のことである。
 あくまでこの戦さは、定実、晴景が領地を安堵している本庄実乃に対し、長尾俊景が無法にも攻撃を仕掛けたと言うこと。
 実際は実乃と景俊の土地争いなのだが、形の上では、俊景が定実と晴景に、謀叛を起こしたと言うのではある。
「では、帰陣いたす」
 そう景虎が言うと、ハハッ、と実乃は答え、自分の家来たちに、城に戻るぞ、と命じる。

 こうして見事に、長尾平三景虎は、初陣を大勝利で飾った。
 
しおりを挟む

処理中です...