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「なんだったんだろ……」

 花奈実はいぶかしがりながらも、蜜也の家のチャイムを押す。案の定中から反応はない。

「田中さんみたいに合鍵持ってたらなあ……」

 そしたら入ってご飯を作って帰りを待っていられるのに。蜜也の家なら一人でいても、ホテルに一人でいたときほど寂しい気持ちにならなくて済みそうだと思った。きっとここにいれば蜜也が帰って来るという安心感があるからだろう。

 そこまで考えてずうずうしいなと思い自嘲する。

 ――合鍵ちょうだいって言ったらどんな顔するんだろう。

 想像の中の蜜也に問いかけると、彼は面倒くさそうに顔をしかめた。
 付き合ってるけど、好かれてはいない。その事実が花奈実の胸にずんと重く伸し掛かる。

「付き合いたいな、ちゃんと」

 自分が好いているくらい蜜也にも好かれて、合鍵がほしいとか用事がないのに会いたいとかそんなわがままを躊躇なく言えるくらいに。

 自宅へ向かう電車に乗ってはみたものの、このまま帰るのはなんとなくいやだった。
 一人のワンルームにいるよりは人混みにいて気を紛らわせたいと思い、花奈実は途中の表参道で降りる。

 なんだかおしゃれなイメージがあって今まであまり来たことのない駅だ。けれど、蜜也が以前このあたりを散策してアイディアを練ると言っていたことがあった。自分も同じところを歩けば何か蜜也の考えに少しでも近づけるかも知れないと思い改札を抜ける。

 大通に立ち並ぶ雑貨屋やカフェをなんとなく横目で眺めながらゆっくりと歩く。おしゃれなショップは確かに多いけれど、どこかに入ろうという気にはならなかった。ただ、時間が過ぎるのを待つようにぶらぶらと歩いていたい。

「今の人、めっちゃスタイルいい」

 通り過ぎていった女の子二人組の言葉にはっと顔を上げる。反射的に後ろを振り向いて、こちらを見ていた女の子たちと目が合った。二人組は「しまった!」と言う顔をして足早に行ってしまった。

 ――今の、私に言った?

 状況を反芻して、自意識過剰でないか確かめる。それが確信に変わると心臓が変にバクバクと煩い。

 ――うれしい、けど、そんなことある?

 通り過ぎる人から「でかい」などと噂されることはあってもあんな前向きなことを言ってもらったことなんてなかったのに。

 花奈実は半信半疑でショーウィンドウに映る自分の姿を見て納得する。

 今自分は蜜也が選んだブランドの服を着ている。形が綺麗でしかも自分のサイズに合った服だ。確かにこの服を着た自分はいつも自室で姿見を見ているときの何十倍もスタイルがよく見えた。

 服自体のセンスの良さもあるだろう。けれどなにより自分に合った服を着ていることでこんなに違って見えているのだ。
 さっき蜜也の家の前であった学生も、だから自分を褒めたのかもしれなかった。

 着るもの一つでただでかい人からスタイルのいい人に見える。この仕事をしていなかったら、蜜也と再会していなかったら一生気づかなかっただろう。

 蜜也が、自分の長所を見つけてくれた。だから頑張りたい。
 本当の彼女になれなくても、せめてサンドリヨンのモデルとして恥ずかしくないようにしなければ。背筋を伸ばし、ふと通りの向かいを見たときだった。

 向かいの雑貨屋から出てくる、蜂蜜色に輝く髪をみて心臓が止まりそうになる。
 こんな偶然あるだろうか。

「蜜也く……」

 だが、そのあとの光景を見て花奈実はその場に動けなくなる。雑貨屋から続けて出てきたのは理亜だった。

 満面の笑みを浮かべて蜜也に寄り添う理亜はとても楽しげで、蜜也はそんな理亜の話を真剣に聞いていた。

 胸が、ずきずきと痛む。足元ががらがらと崩れていくようだった。
 花奈実が感じたのは嫉妬ではなく、どこか諦めに近い感情だった。
 理亜を見た瞬間、気づいてしまった。

 ――あ、無理だ。

 すとんと、その考えが下りてくる。
 それほどに二人はお似合いに見えた。

 蜜也が選ぶのは理亜かもしれないし、もっと違う別の誰かかも知れない。けれど、それは絶対に自分ではない。その考えが花奈実の頭を支配する。

 確かに自分はサンドリヨンのモデルとして蜜也に選ばれたかもしれない。けれど、蜜也は自分を恋人としてずっと側に置くことはないだろう。

 蜜也の側にいるのは小さくてふわふわとした雰囲気の可愛らしい女の子に決まっている。自分の様な大女では絶対にない。

 身長をコンプレックスに思っている蜜也にとってそれが一番自然で、幸せなことなのだから。

「……帰ろ」

 花奈実の足は徒労感でずっしりと重かった。



 ◇



 すっかり日も沈み、住み慣れたワンルームでなんとなくテレビを見ているとスマートフォンがメッセージの着信を告げた。

『俺のスケッチブック、ホテルになかった?』

 蜜也からのメッセージを見て、花奈実は飛び上がる。
 結局返せなかったスケッチブックはここに持ち帰ってしまった。事務所に寄ったときララか田中に預けるべきだったと後悔する。

「ごめんなさい。今私が持ってる」と返事を送信し、明日持って行くねという文面を打ち始めたとき蜜也からの返信が先に表示された。

『じゃあ今から取りに行くわ』
「……はい?」

 その返信に慌てる。お風呂から上がったばかりですっぴんな上に部屋着は何年も着古したものだ。慌ててマシな部屋着を探して、ふと我に返る。

 ――なんか、馬鹿みたい。

 蜜也の言動に一喜一憂して、結局がっかりするだけなのに。
 昼間理亜と一緒にいたところを思い出して胸が痛む。

 そのことを責めるわけではない。責める立場になんていないのだから。自分はお情けで付き合ってもらっているだけで、蜜也に本当の好きな人ができれば身を引くのだと最初からわかっていたのだから。そう自分に言い聞かせる。

 数十分後、アパートの前に車の止まる音がした。出てみると、蜜也がタクシーから降りて外階段をのぼってくるところだった。

「よお」
「あ、こんばんは……」
「朝ごめん。一緒にいてやれなくて」
「う、ううん。ありがとう。お花うれしかった。オムレツも美味しかったし、部屋もすごくて……」

 朝はあれだけ伝えたかった興奮がうまく言葉にならない。

 本当は理亜との関係を聞きたい。なぜ仕事だなんて言ったのか。けれど聞いたらこの関係がこの瞬間に終わってしまいそうだった。

 蜜也は花奈実の全身を上から下までざっと眺める。

「……なんか、エロくね?」
「は?」
「いやなんか……部屋着って……。短いし……」

 よれよれの格好をダサいとでも言われると思っていた花奈実は思わずぽかんとしてしまう。
 今来ているのは首元の伸びたTシャツと、スウェット生地のホットパンツだった。典型的な、涼しさだけを求めた部屋着である。

「しかもお前すっぴんだろ」
「だってお風呂入ったから……」
「反則だろ」
「な、なにが?」

 どことなくうれしそうな蜜也に怪訝な顔をする。

「とりあえず中入れてよ」
「え、だ、だめ」
「は、なんで。エロいとか言ったからか!?」
「そ、そうじゃなくて……散らかってるし……」

 嘘だ。本当は蜜也と二人きりになりたい。けれどそうしたらまた不要な期待をしてしまいそうで怖かった。

「ケチ」

 口を尖らせる蜜也がなんだか可愛い。こんな何気ない表情を愛しく思ってしまう自分に気づいて、また胸がずきんと痛む。

「これ、すぐに返せなくてごめんね」
「いやサンキュ。お前が持っててくれて助かったわ」

 スケッチブックを渡しても蜜也はその場から動かなかった。

「花奈実……」
「っ、タ、タクシー、拾わなきゃね」

 先に階段を下りる花奈実の腕を蜜也がぐいと引く。

 反射的に振り向いた所で、唇に柔らかなものが触れた。キスされたと気づいた時にはもう唇は離れてしまって、目の前には蜜也の顔があった。

 自分が一段下りるとちょうど目線が同じになるのだと花奈実はその時気づいた。

「今度はちゃんと掃除しとけよ」

 蜜也は機嫌良くそう言うと、花奈実の横をすり抜けて階段を下りていってしまう。

「う、うん……」

 花奈実はなんだか泣きたくなって曖昧に言った。

 ――この身長差が逆だったらよかったのに……。

 唇に残る柔らかな感触を思い出して指先でそっと触れる。
 なんだかこれが最後のキスになるようなそんな予感がした。



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