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第三話 誰か為に日は射す3
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肋骨穹窿(リブ・ヴォールト)の開放感ある高い天井。簡素なシャンデリアの光をつややかに反射する、白石造の優美な柱と壁。
屋内を木霊し、鼓膜内に何度も侵入するピアノの生演奏。人々の会話が伴奏となる。
「……は、無意識的な自己破壊欲求だと思うのだよ」
「デストルドーでしたっけ? スピノザのコナトゥスとは反目しますね、博士」
「……るつもりなんだ?」
「待つさ。私の著した本は、カウツキー主義者によって改訂されてしまった。まだ時期尚早と言わざるを得ない」
「……んだよ、じゅらいも~ん!」
「落ち着いてよ、のび〇くん。きっと帰る方法は見つかるさ」
席に着く人々。荘厳な雰囲気の中、各々の会話を繰り広げている。
そんな屋内の窓際にて、紫の布地に白の植物文様を走らせる、ソファーと椅子。そこに、屋内の優雅さと合致するアンゲリカと、無理に連れてこられた子供のようなムーラウは座っていた。
「ノラちゃんから誘ってくれるなんて、珍しいこともあるんですね」
ソファーと椅子の真中に据えられた、よく磨かれた丸机。その上で湯気を燻らせる円筒状のデミタスカップを、アンゲリカは婉然と口に運んだ。
対してムーラウは、銀のスプーンを小さな手に取る。コーヒーカップ内の泡立ったミルクとスチームドミルクとエスプレッソを、一緒くたに掻き混ぜる。
「別にいいでしょ、飲みニケーションよ」
「のみにけーしょん?」
「私の作った造語よ、造語。気にしないでいいわよ」
掻き混ぜ終え、ミルクの付着したスプーンを自身の口に突っ込むムーラウ。ちゅるんっ、と口からスプーンを引っ張り出し、満面に笑みを湛える。
──可愛い……っ。
と、今すぐ頬を擦り合わせたくなるような情趣が込み上げる。
だが、声にすれば途端、ムーラウは二度と笑みを見せないであろう。
微弱な共感性を元に、アンゲリカは漏れそうな感声を押し殺した。
「……っ」
「ん? そんなに美味しかった?」
机のカップに顔を向けているためか、見上げる形となったムーラウは上目遣い。……効果は抜群だ。アンゲリカは眼福に満足し、そっと瞼を閉じた。
「え、えぇ。大変に美味でした。叶うなら、もう一度味わいたいですね」
「まだ大量に残ってるわよ。飲めばいいでしょ」
くいっと顎で、デミタスカップに満ち満ちたエスプレッソを指すムーラウ。
話が噛み合っていない様子だ。しかし、指摘するのは野暮。
アンゲリカは大人しくカップを持ち上げ、再度口に含んだ。
「ごくっ……はぁ……。いつ飲んでも、味わい深いですね……」
「そう言えば、ここで待ち合わせしてるって言ってたけど、よく来るの?」
「えぇ、自分は子供の頃から。レベカ……あ、えっと、友人はヴィエナに越してきた一年前からですね」
「ふーん。待ち合わせしてるのって、女なんだ。『友人が来るまでならいいですよ』とか言われたから、てっきり彼氏かと思ったわ」
「違いますね」
愛想笑いのひとつも浮かべず、はっきりと断言。事実を答えたまでとは言え、愛嬌に乏しい。二十半ばというのに未だに婚姻の予兆ひとつ無いのはそのためか……。
眼前のムーラウはさもありなん、という風に肩を竦めた。
「ま、そうよね。こんな愛想のない奴に男が寄ってくるはずないわよね。世間一般でも言うわよ、男は度胸、女は愛嬌、社会主義は宗教って」
「最後のひとつは余計な気が……」
「いいの。資本主義の自然淘汰を放棄した驢馬以下の思想なんて宗教と同じよ」
罵詈雑言の嵐だ。社会主義を忌み嫌っていると見える。
しかし、ムーラウが否定しているのは、ただ社会主義のみにあらず。発言から察するに、宗教も嫌っている様子だ。
「……社会主義は兎も角、宗教への批判は多分に批判されますよ」
「分かってるわよ。だから小声なのよ。でも、言いたいことは言うわ。それが私の『教義』よ」
「ニーチェの影響でしょうか?」
「ぎ、ぎくっ!」
レースカーテン越しの路地へと顔を逸らすムーラウ。どうやら正鵠を射たようだ。
弱肉強食の自然淘汰、反宗教(アンチ・クリスト)的思想、確固たる自己(Übermensch)。ムーラウの言葉の節々に耳を傾ければ、かの哲学者ニーチェの影響が感じ取れる。
とは言え、それ自体は構わない。問題なのは、
「加えて民族主義的な言動ですか……」
強者の権力を大いに認める自然淘汰と、他民族の排斥にも繋がる恐れのある民族主義。このふたつが合致して起こり得る可能性としては、前時代の民族的な奴隷制や階級制。または……徹底的な民族弾圧と民族浄化。
予想に過ぎないが、あまり宜しい予想とは言い難い。
賢哲のアンゲリカは表情を曇らせ、それに対しムーラウは逆切れする。
「なに、悪い⁉ 私達デウシュ人が優生人種なのは事実でしょ! それに進化を是としない劣等種は滅んで当然よ! 人類の足を著しく引っ張ってるわ!」
「ノラちゃん、しーっ」
人差し指を口前で立て、声量を下げるよう促す。
ムーラウは周囲を数度見回した後、不満げに声量を落とした。
「でも私は、あんたや反人種主義者が思っているような人間じゃない。優生種には劣等種を救う義務があるし、人類は動物じゃない。それが私の考え」
確固たる自己の持つ、確固たる思想なのだろう。ムーラウの声音に揺るぎはない。
可否はさて置き、ムーラウは『盤石な精神』だ。眼鏡の党首や女魔術師と言葉を交わしたときと同様に、ある種の憧憬を覚える。
──とても眩しい。羨ましいな……。
感情への渇望と羨望。その欲望こそが、極小な感情の焔を焚き付かせる。
「……ノラちゃんの考え、確と伝わりました」
「そう。てか、もうこの話は終わり。別に思想の発表会をしに来たわけでも、クソ真面目な討論をしにきたわけでもないし」
「違うのですか? てっきり二重帝国に対する不信感を覚えて、自分に相談しようと誘ったのかと……」
「あー違う違う」銀のスプーンを横振り、否定するムーラウ。カップを持ち上げ、
「常識的に考えて、目的はこれに決まってるでしょ。ご飯は食べる気になれないけど、甘い物は別。ふっ、まるで生粋のヴィエナ市民みたいね」
言い終わるなり、ムーラウはカップの淵を口につけ、おもむろに傾けた。
それから十数分ほど。二人は談笑しつつ、味と香りに味覚と嗅覚を集中した。
カップ内のメランジュも底をつき、ムーラウが暖かい満足げな吐息を零していたころ、
「アンジェ~!」
二人のいる席へと快活な女の声が投げ掛けられた。
しかし、ムーラウは聴覚に気を遣う余裕はない。捲り上げたレースの先で街行く人々を眺め入っている。
対してアンゲリカは聞き馴染みのある声に、顎を上げて首を回した。
「レベカ?」
「うん!」と晴れやかな笑みを浮かべる淡褐色のショートカットの女性。
身を屈め、幼さの残る顔を近づけてきていたが、肩を引いて振り返り、
「まぁ私だけじゃなくて……」
背後の二人組に視線を回す。
その内の一人はよく見知った顔だ。オールバックの茶髪に、上品な口髭を生やしたその中年男性は、
「やぁ、ミッターマイヤー中尉」
上官ウンフェアツァークトだ。
そして、その横で人見知りらしく小心翼々と縮こまっている茶髪の少女。長身軍服無表情のアンゲリカに対し、恐れ多くも丁寧に頭を下げる。
「こ、こんにちはっ」
「えぇ、こんにちは」
「え、えっと……そ、その……凄くお綺麗ですねっ!」
「ありがとうございます」
可憐な百合が咲いたように、笑みを綻ばせるアンゲリカ。
少女は恥ずかしげに一礼し、ウンフェアツァークトの背後に顔を隠す。
「すまないね、ミッターマイヤー中尉。娘は君のファンみたいでね。会いたがっていたんだが、いざ実物を目にした途端、羞恥心が勝ったようだよ」
「お、お父さんっ!」
「ははは、すまない」
娘の尖り声に、ウンフェアツァークトは自身の罪を誤魔化そうと笑った。
非常に仲睦まじい親子だ。微笑ましい。アンゲリカの優然とした笑みが、ふと零れそうになる。しかし彼女は感情に乏しい故か、先に疑問を問うた。
「にしても、どうして中佐と娘さんがここに?」
「元々、娘と一緒にかみさんの誕生日プレゼントを探していてね。その道中でたまたまルビク君と会って、君と待ち合わせていると聞いたから、休憩がてら顔を見せに来ただけだよ」
「……レベカとは、知り合いなのですか?」
「あぁ。彼女に魔石工廠の職を斡旋したのは私だからね」
アンゲリカが顔を向けると、レベカはにこっと笑む。
「そうなの、アンジェ。たまたま中佐に誘われたんだ、『やらないか』って」
屈託ない笑みのレベカ。その発言を耳にし、ムーラウがウンフェアツァークトを、刺々しい視線で刺す。
「若い女に、やらないかぁ? ……きっも。中佐、見損なったわ」
「ちょっと待ってくれ! 語弊があるよ! やらないかっていうのは、ミッターマイヤー君と同じ陸軍省で仕事をやらないか、って意味で……」
「雄弁は銀、よ。この前捉え損なった社会主義のゲロ豚が言ってたわ」
「ち、違うんだ! ムーラウ士官候補生! 誤謬を正さなければ犯罪者扱いされるからだよ! それにほら、昔は銀のほうが価値が高かっただろう!」
「なんかお父さん、必死過ぎるよね……」
「う、うぬっ!」
素っ頓狂な声を上げるウンフェアツァークト。浴びせられる視線の火炎放射は、前方の未成熟そうな見た目の部下と、後方の少々陰気な愛娘から。
そういった性的嗜好者ならば、大枚をはたいてまで味わう価値があると考える状況だ。しかし彼にとってはまさに、前門の虎と後門の狼。非常に恐ろしい。
必然か、彼は縋るように、アンゲリカと囁き声を交わすレベカへと弁明を求める。
「る、ルビク君! た、頼むから二人に何とか言ってやってくれないか!」
「ん? あっ、聞いてませんでした!」
愛玩動物が如く可愛らしい朗らかな笑みを浮かべ、残酷に突き放すレベカ。ウンフェアツァークトは下唇を噛み、最後の頼みの綱、狐色の髪をしたアンゲリカへと目線で援軍を求める。しかし、
「行こうか、レベカ」
「うん!」
アンゲリカは軍刀の柄に手を置きつつも席を立ち、レベカを連れて店外へと去った。
屋内を木霊し、鼓膜内に何度も侵入するピアノの生演奏。人々の会話が伴奏となる。
「……は、無意識的な自己破壊欲求だと思うのだよ」
「デストルドーでしたっけ? スピノザのコナトゥスとは反目しますね、博士」
「……るつもりなんだ?」
「待つさ。私の著した本は、カウツキー主義者によって改訂されてしまった。まだ時期尚早と言わざるを得ない」
「……んだよ、じゅらいも~ん!」
「落ち着いてよ、のび〇くん。きっと帰る方法は見つかるさ」
席に着く人々。荘厳な雰囲気の中、各々の会話を繰り広げている。
そんな屋内の窓際にて、紫の布地に白の植物文様を走らせる、ソファーと椅子。そこに、屋内の優雅さと合致するアンゲリカと、無理に連れてこられた子供のようなムーラウは座っていた。
「ノラちゃんから誘ってくれるなんて、珍しいこともあるんですね」
ソファーと椅子の真中に据えられた、よく磨かれた丸机。その上で湯気を燻らせる円筒状のデミタスカップを、アンゲリカは婉然と口に運んだ。
対してムーラウは、銀のスプーンを小さな手に取る。コーヒーカップ内の泡立ったミルクとスチームドミルクとエスプレッソを、一緒くたに掻き混ぜる。
「別にいいでしょ、飲みニケーションよ」
「のみにけーしょん?」
「私の作った造語よ、造語。気にしないでいいわよ」
掻き混ぜ終え、ミルクの付着したスプーンを自身の口に突っ込むムーラウ。ちゅるんっ、と口からスプーンを引っ張り出し、満面に笑みを湛える。
──可愛い……っ。
と、今すぐ頬を擦り合わせたくなるような情趣が込み上げる。
だが、声にすれば途端、ムーラウは二度と笑みを見せないであろう。
微弱な共感性を元に、アンゲリカは漏れそうな感声を押し殺した。
「……っ」
「ん? そんなに美味しかった?」
机のカップに顔を向けているためか、見上げる形となったムーラウは上目遣い。……効果は抜群だ。アンゲリカは眼福に満足し、そっと瞼を閉じた。
「え、えぇ。大変に美味でした。叶うなら、もう一度味わいたいですね」
「まだ大量に残ってるわよ。飲めばいいでしょ」
くいっと顎で、デミタスカップに満ち満ちたエスプレッソを指すムーラウ。
話が噛み合っていない様子だ。しかし、指摘するのは野暮。
アンゲリカは大人しくカップを持ち上げ、再度口に含んだ。
「ごくっ……はぁ……。いつ飲んでも、味わい深いですね……」
「そう言えば、ここで待ち合わせしてるって言ってたけど、よく来るの?」
「えぇ、自分は子供の頃から。レベカ……あ、えっと、友人はヴィエナに越してきた一年前からですね」
「ふーん。待ち合わせしてるのって、女なんだ。『友人が来るまでならいいですよ』とか言われたから、てっきり彼氏かと思ったわ」
「違いますね」
愛想笑いのひとつも浮かべず、はっきりと断言。事実を答えたまでとは言え、愛嬌に乏しい。二十半ばというのに未だに婚姻の予兆ひとつ無いのはそのためか……。
眼前のムーラウはさもありなん、という風に肩を竦めた。
「ま、そうよね。こんな愛想のない奴に男が寄ってくるはずないわよね。世間一般でも言うわよ、男は度胸、女は愛嬌、社会主義は宗教って」
「最後のひとつは余計な気が……」
「いいの。資本主義の自然淘汰を放棄した驢馬以下の思想なんて宗教と同じよ」
罵詈雑言の嵐だ。社会主義を忌み嫌っていると見える。
しかし、ムーラウが否定しているのは、ただ社会主義のみにあらず。発言から察するに、宗教も嫌っている様子だ。
「……社会主義は兎も角、宗教への批判は多分に批判されますよ」
「分かってるわよ。だから小声なのよ。でも、言いたいことは言うわ。それが私の『教義』よ」
「ニーチェの影響でしょうか?」
「ぎ、ぎくっ!」
レースカーテン越しの路地へと顔を逸らすムーラウ。どうやら正鵠を射たようだ。
弱肉強食の自然淘汰、反宗教(アンチ・クリスト)的思想、確固たる自己(Übermensch)。ムーラウの言葉の節々に耳を傾ければ、かの哲学者ニーチェの影響が感じ取れる。
とは言え、それ自体は構わない。問題なのは、
「加えて民族主義的な言動ですか……」
強者の権力を大いに認める自然淘汰と、他民族の排斥にも繋がる恐れのある民族主義。このふたつが合致して起こり得る可能性としては、前時代の民族的な奴隷制や階級制。または……徹底的な民族弾圧と民族浄化。
予想に過ぎないが、あまり宜しい予想とは言い難い。
賢哲のアンゲリカは表情を曇らせ、それに対しムーラウは逆切れする。
「なに、悪い⁉ 私達デウシュ人が優生人種なのは事実でしょ! それに進化を是としない劣等種は滅んで当然よ! 人類の足を著しく引っ張ってるわ!」
「ノラちゃん、しーっ」
人差し指を口前で立て、声量を下げるよう促す。
ムーラウは周囲を数度見回した後、不満げに声量を落とした。
「でも私は、あんたや反人種主義者が思っているような人間じゃない。優生種には劣等種を救う義務があるし、人類は動物じゃない。それが私の考え」
確固たる自己の持つ、確固たる思想なのだろう。ムーラウの声音に揺るぎはない。
可否はさて置き、ムーラウは『盤石な精神』だ。眼鏡の党首や女魔術師と言葉を交わしたときと同様に、ある種の憧憬を覚える。
──とても眩しい。羨ましいな……。
感情への渇望と羨望。その欲望こそが、極小な感情の焔を焚き付かせる。
「……ノラちゃんの考え、確と伝わりました」
「そう。てか、もうこの話は終わり。別に思想の発表会をしに来たわけでも、クソ真面目な討論をしにきたわけでもないし」
「違うのですか? てっきり二重帝国に対する不信感を覚えて、自分に相談しようと誘ったのかと……」
「あー違う違う」銀のスプーンを横振り、否定するムーラウ。カップを持ち上げ、
「常識的に考えて、目的はこれに決まってるでしょ。ご飯は食べる気になれないけど、甘い物は別。ふっ、まるで生粋のヴィエナ市民みたいね」
言い終わるなり、ムーラウはカップの淵を口につけ、おもむろに傾けた。
それから十数分ほど。二人は談笑しつつ、味と香りに味覚と嗅覚を集中した。
カップ内のメランジュも底をつき、ムーラウが暖かい満足げな吐息を零していたころ、
「アンジェ~!」
二人のいる席へと快活な女の声が投げ掛けられた。
しかし、ムーラウは聴覚に気を遣う余裕はない。捲り上げたレースの先で街行く人々を眺め入っている。
対してアンゲリカは聞き馴染みのある声に、顎を上げて首を回した。
「レベカ?」
「うん!」と晴れやかな笑みを浮かべる淡褐色のショートカットの女性。
身を屈め、幼さの残る顔を近づけてきていたが、肩を引いて振り返り、
「まぁ私だけじゃなくて……」
背後の二人組に視線を回す。
その内の一人はよく見知った顔だ。オールバックの茶髪に、上品な口髭を生やしたその中年男性は、
「やぁ、ミッターマイヤー中尉」
上官ウンフェアツァークトだ。
そして、その横で人見知りらしく小心翼々と縮こまっている茶髪の少女。長身軍服無表情のアンゲリカに対し、恐れ多くも丁寧に頭を下げる。
「こ、こんにちはっ」
「えぇ、こんにちは」
「え、えっと……そ、その……凄くお綺麗ですねっ!」
「ありがとうございます」
可憐な百合が咲いたように、笑みを綻ばせるアンゲリカ。
少女は恥ずかしげに一礼し、ウンフェアツァークトの背後に顔を隠す。
「すまないね、ミッターマイヤー中尉。娘は君のファンみたいでね。会いたがっていたんだが、いざ実物を目にした途端、羞恥心が勝ったようだよ」
「お、お父さんっ!」
「ははは、すまない」
娘の尖り声に、ウンフェアツァークトは自身の罪を誤魔化そうと笑った。
非常に仲睦まじい親子だ。微笑ましい。アンゲリカの優然とした笑みが、ふと零れそうになる。しかし彼女は感情に乏しい故か、先に疑問を問うた。
「にしても、どうして中佐と娘さんがここに?」
「元々、娘と一緒にかみさんの誕生日プレゼントを探していてね。その道中でたまたまルビク君と会って、君と待ち合わせていると聞いたから、休憩がてら顔を見せに来ただけだよ」
「……レベカとは、知り合いなのですか?」
「あぁ。彼女に魔石工廠の職を斡旋したのは私だからね」
アンゲリカが顔を向けると、レベカはにこっと笑む。
「そうなの、アンジェ。たまたま中佐に誘われたんだ、『やらないか』って」
屈託ない笑みのレベカ。その発言を耳にし、ムーラウがウンフェアツァークトを、刺々しい視線で刺す。
「若い女に、やらないかぁ? ……きっも。中佐、見損なったわ」
「ちょっと待ってくれ! 語弊があるよ! やらないかっていうのは、ミッターマイヤー君と同じ陸軍省で仕事をやらないか、って意味で……」
「雄弁は銀、よ。この前捉え損なった社会主義のゲロ豚が言ってたわ」
「ち、違うんだ! ムーラウ士官候補生! 誤謬を正さなければ犯罪者扱いされるからだよ! それにほら、昔は銀のほうが価値が高かっただろう!」
「なんかお父さん、必死過ぎるよね……」
「う、うぬっ!」
素っ頓狂な声を上げるウンフェアツァークト。浴びせられる視線の火炎放射は、前方の未成熟そうな見た目の部下と、後方の少々陰気な愛娘から。
そういった性的嗜好者ならば、大枚をはたいてまで味わう価値があると考える状況だ。しかし彼にとってはまさに、前門の虎と後門の狼。非常に恐ろしい。
必然か、彼は縋るように、アンゲリカと囁き声を交わすレベカへと弁明を求める。
「る、ルビク君! た、頼むから二人に何とか言ってやってくれないか!」
「ん? あっ、聞いてませんでした!」
愛玩動物が如く可愛らしい朗らかな笑みを浮かべ、残酷に突き放すレベカ。ウンフェアツァークトは下唇を噛み、最後の頼みの綱、狐色の髪をしたアンゲリカへと目線で援軍を求める。しかし、
「行こうか、レベカ」
「うん!」
アンゲリカは軍刀の柄に手を置きつつも席を立ち、レベカを連れて店外へと去った。
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