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 小色は、誰もいない厨房の一角に陣取りながら、どうすればいいか悩んでいた。
 感情では、せっかく会えた日門とともに生きたいと思いつつも、ここで知り合った多くの人たちに、まだ世話になった恩を返していないような気がするのだ。

 何よりも……。

「――小色」

 不意に聞こえた声に顔を上げると、いつの間にか目前に厨房長である凛が立っていた。

「もう掃除は終わっただろ。皆も引き上げてるし、お前もさっさと自室へ戻って休みな」
「え、あ……はい」
「…………はぁ。あの男、そんなに良い男なのかい?」

 唐突な質問に、つい「へ?」と間抜けな声を上げてしまう。

「お前がそんなにも悩むくらいだ。……好きなんだろ?」
「ふぇあ!? す、すっすすすす好きだなんてっ!」
「ハッハッハ! これでもこっちはお前の倍以上は生きてんだよ! 誤魔化そうったって無理さ、小娘」
「うぐぅ……っ」

 やはりこの人には敵わない。それよりもここに来て凛とともに働いてそこそこ経つが、こうしてプライベートな話をするのは初めてだったことも気づく。

「お前さんが何を悩んでんのかは分かる。本当はあの男についていきたいが、自分だけが安全な場所で過ごすことに罪悪感があるんだろ?」
「そ、それは……」

 日門の気持ちは理解できる。彼の力は絶大だし、その気になれば屋敷の者たちすら守れるものだろう。しかし当然人が増えればリスクも増える。人間関係がこじれてしまえばどうなるかなんて、前の拠点での出来事から十分に察することができた。だからこそ彼の選択を一方的に冷たいだなんて言えない。

 それに日門には秘密があるし、自分たち意外に教えないという意思は、素顔を見せていないことからも理解できた。
 日門の傍にいればこれから先も安全だろう。何せあんな怪物すら問題にしないほどの強さなのだから。伊達に一つの世界を救ってはいない。

 しかし彼は勇者でもなく聖人でもない、精神的にはただの人間だ。少々ぶっ飛んだところもあるけれど、それでも自分たちとそう変わらないと思う。 
 そんな彼に、これ以上多くの命を背負わせる選択をさせることは小色にはできなかった。そして恐らくそれは理九も同じだろう。だからあの場で強く反論できなかったのだ。

 だが自分たちの安全を図れても、ここで知り合った者たちはこの先どうなるか分かったものではない。こんな世の中だ。また今回のような事件が唐突に起きることだってゼロではない。むしろ確率的にいつ起こってもおかしくない高さであろう。 

 だからこそ自分たちだけが平和な環境で過ごしてもいいのか、ここで世話になった人たちを見捨てていいのか思い悩んでしまう。 
 そんな命と命の天秤のどちらに傾けるか困惑していると、不意に頭に手を置かれた。

「……厨房長?」
「お前は人が良過ぎる」
「え?」
「こんな世の中になっちまったんだ。優先すべきはお前や家族の命でいいんだよ」
「で、でもここにはお世話になった人たちがたくさんいます。厨房長にだって……」
「だーかーら、んなこと考えてもしょうがねえって言ってんだよ」
「しょうがないって……」

 ずいぶんとあっさりとしている凛に、つい不愉快気な目を向けてしまう。

「じゃあお前は、これから会う奴会う奴を救うつもりか? それをあの男にせがむつもりか?」
「!? …………」
「誰かを救いたいって思うなら、それは自分でするべきことだ。自分の想いで、自分の力で。一方的に誰かを頼るだけなんて、そんなのは救いじゃねえ。ただの自己満足だ」

 自己満足と聞いて胸がキリッと痛みを感じた。

「そんなに目に映る奴らを全部救いたいなら、お前自身が救えるように強くなるしかねえ。まあ、いくら鍛えたところで、あんな男みたいなことができるとは思えねえけどな」

 しかし彼女が言うことは正しい。
 救ってくださいと言うのは簡単だが、それは自分ではなく誰か――日門がやることになる。そのせいで日門は傷つくこともあるし、救えなかったとしたら心を病むかもしれない。そんな当然のことを考えていなかった。

「わたしは…………バカですね」
「なぁに、お前さんはまだまだ若いんだ。いっぱい失敗して、その度に学んでいきゃいい」

 ニカッと笑う凛の表情が、日門と重なる。

(ああ、そっか……)

 自他ともに厳しい凛のことを決して苦手だと思わなかったのは、やはりこの人がどこか日門と似通っているからだと気づいた。

(今のわたしじゃ、誰かを救うなんてことはできない……)

 それを痛感したし、誰かに頼るリスクも凜に教えてもらった。
 ならどうするか。そんなことは簡単だ。凛の言うように強くなるしかない。幸い異世界で戦ってきた日門がいる。彼もまた戦などとは縁遠い人物であり、ゼロから今の強さまで駆け上がった存在だ。 

(わたしも……強くなりたい!)

 そして目に映る者たちを助けられる存在になりたい。
 まだ拙く漠然とした目標ではあるが、それでも今後の自分の指標が見つかった。

「厨房長……いや、凜さん」
「んぁ? どうした?」
「わたし……決めました!」
「! ……そっか」

 小色の覚悟を秘めた眼差しを見て、凜はまるで母が子に向けるような笑みを浮かべた。そしてグシャグシャと乱暴に小色の頭を撫でつけると、

「ほれ、もう一人……ちゃんと話すべき相手が来たみてえだぞ」

 凜が指し示した方角にいたのは、ここで最も親しくなった友人――すずねだった。
 そして凜が「じゃあな」と言って、気を利かせてくれたのか二人にしてくれる。
 小色は座っていた椅子から立ち上がり、静かにこちらに来るすずねを迎えた。

「すずねちゃん……」
「小色ちゃん……」

 小色はすずねの瞳を見て、その奥に潜む強い意思のようなものを感じた。こちらが口を開く前にすずねが「今、いいかな?」と言ってくる。

「うん、わたしも話したいって思ってたから」

 そうして小色は、彼女と一対一で思う存分対話をすることになったのである。



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