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 ――気づけば見知らぬ場所に膝をついていた。

 どこか寒々しさを感じさせる空気の中、俺はもう感じない重圧から解放されて、やれやれと立ち上がって前を見る。

 そこには約五メートルくらいに続いて階段が設置されていて、その上には金細工で装飾された赤いソファのような玉座らしきものがポツンとある。
 それだけじゃない。今まさにその玉座に足を組んで座っている一人の人物が、冷たい眼差しのまま俺を見つめていた。

「……ノーヴァ様」
「ここがどこか把握しておるか?」
「……さっきのは転移の魔術、ですよね? なるほど、ヴァインさんから聞いてましたから。多分……というかまず間違いなく、ここって【オーナイト王国】……ですよね?」
「うむ、さらに言えば余の住処――〝夜の城〟と呼ばれる場所じゃ」

 やっぱりか。それにしても【モンストルム王国】から一瞬で転移できるなんて、ヴァインさんも図抜けた力を持ってるよな。

 転移魔術を扱える者は確かにいる。だが精々が一国内くらいの距離を移動するくらいだろう。
 地図で確認すれば分かるが、【オーナイト王国】は北の果て。地図上で南の位置にある【モンストルム王国】とは正反対の場所である。
 海を渡り最新最速の船で向かうとしても、一ヵ月以上はかかると言われているのだ。
 その距離を一瞬で潰すとは恐るべき魔術の力である。いや、ヴァインさんの実力だ。

「まあ、連れて来られた以上は慌てても仕方ないですね。……帰してもらいたいんですが?」
「帰すと思うてか?」

 思ってません。一応要求を出したまでだ。

 俺はチラリと背後を見やる。そこにはヴァインさん他、侍女や兵士らしき者たちの姿も確認できた。
 何か事を起こそうとしたら力ずくでも止めようという魂胆だろう。

 ……さて、俺も《スアナ》に引きこもることはできるけど、どうすっかなぁ。

 たとえここで逃げ帰ったとしても、また同じことの繰り返しになることは目に見えている。
 何とかノーヴァに納得してもらうのが一番良いが……。

「せめて妥協案とかないですかね?」
「ほう、夜を統べる王の余に妥協せよ、と?」

 だからいちいち怒気を込めて睨まないでほしい。心臓に悪いから。
 そこへヴァインさんが一歩前に出て跪く。

「主、一方的に拉致しただけでは、彼の心を掴むことなどできはしませんぞ」
「……何が言いたい?」
「不躾ながら、主は少々強引過ぎます。確かに我らは命令には逆らえませぬが、これではクロメ殿の怒りをただ買うだけで、本懐を遂げることなど叶いますまい」

 おお、さすがはダンディ・ヴァイン! よくぞ言ってくれた! まあアンタの魔術のせいでここにいるんだけども!

「ヴァイン、そなた……余に諫言をするか?」
「主が望むはクロメ殿が心を込めて作られたパンでは? 彼のパンは食べる者への愛に溢れた素晴らしき芸術品」

 いや、そこまで褒められると嬉しいを通り越して照れるんだけど……。

「しかしこのようなやり方では、主のために心を込めたパンなどできますまい」
「う……それは…………た、多少強引だったことは認めるが」

 多少じゃない。誘拐そのものだ。俺に何の力もなかったらチビってるぞ多分。

「し、しかし余はどうしてもクロメが欲しいのじゃ!」

 わお、大胆告白。美少女にそう言われて嬉しくないわけじゃないけど……見た目が小学生でなければ、な。俺、ロリコン、違う。

「クロメよ! そなたには何不自由のない暮らしを約束する! だから余に仕えよ!」

 もう何度目か、今度は必死に嘆願するような目を向けてくる。

「……先程も言いましたけど、俺にはすでに仕えてる奴がいるんです」
「ならそやつも一緒というのであればどうじゃ?」
「いやぁ、それは無理でしょ」
「何故じゃ!?」
「アイツは誰かの下につくような奴じゃないですし」

 それにロニカは、こういう自分勝手で物を言う人物は嫌いだし。自分のことを棚に置いてな。あれかな、同族嫌悪ってやつかも。

「うぬぬぬぬ!」
「パンなら好きな時に作ってあげますよ? ヴァインさんなら店とここを行ったり来たりすることができるみたいですから」
「余は欲しいと思ったものは傍に置きたいのじゃ!」

 何その子供の理屈。めんどくせ~。

「本当はレシピだけを聞いて戻ることも考えておった。しかし余はそなたと話をして面白いと思ったのじゃ」
「それは光栄なことですけど。でもパン作りに関してはメリエールさんの方が上ですよ?」
「それも聞いた。しかし余はあやつよりもそなたのことを気に入ったんじゃ!」
「まあ、若い男性でビクつかずに主に接してくれる者は少ないですしね。しかも他種族」

 ヴァインさんの言葉をそのまま受け取ると、俺みたいな男は珍しいようだ。確かに相手は外見はガキだが、それでも一国の王。しかも言葉だけで跪かせるほどの凶悪的な力まで持っている。普通なら忌避するのは当然か。性格もコレだし。

 しかし力も性格に関しても俺の場合、似たような奴が傍にいるから怯えとかはない。
 悲しいことに慣れてしまっているといえばそれまでだろう。
 もっといかつい世紀末的なオッサンとかならビビッたかもしれないけど。

「それにハンカチで口元を拭かれて、ずいぶんと嬉しかったようですから」
「っ!? よ、余計なことを申すではないわ、ジイッ!」
「はぶふんっ!?」

 いやいや、何かヴァインさんが物凄い勢いで弾け飛んでったけど!?

 今起きたことを正確に伝えるならこうだ。
 ノーヴァが顔を真っ赤にして玉座から立ち上がり、右手をヴァインさんの方へ向けてかざした瞬間、その右手から眩い光の球が走り、それが真っ直ぐヴァインさんの顔面に衝突して爆発。彼は風になった――。

 おいおい、ヴァインさん死んでねえだろうなぁ。ていうかジイって呼ばれてんだぁ。

 後ろを見て恐る恐る確認してみると、十メートル以上もの先にある巨大な円柱状の柱に彼はめり込んでいた。

「あ……あふぃ……る……っ」

 良かった。生きているみたいだ。顔の原型が歪んでしまって何を言ってるか分からないが、命には別状なさそう。
 それにしても……。

 やっぱり『魔族』の大王だ。ヴァインさんも常人と比べると逸脱した力の持ち主なのに、たった一撃で戦闘不能とは……怖過ぎるわ。

 いつの頃だったか。ロニカと一緒にドラゴンを倒しに行った時のこと。早く帰りたいと言い出したロニカが、現れたドラゴンを慈悲の欠片もない圧倒的な魔術の力で潰し、それを見ていた小動物たちの気持ちがよく分かった。

「ったく、次は顔ごと消し飛ばすぞ愚か者め!」

 恥ずかしげに鼻を鳴らし玉座に座り直すノーヴァに対し、兵士たちによって柱から救出されたヴァインさんがフラフラのまま近づいてくる。
 そして俺の隣に立つと、

「くろふぇどお、ひにほぉふぇふ(クロメ殿、死にそうです)」

 何を言っているかとんと理解できないけど、普段は凛々しく渋いジジイが涙を流してるんだし、相当肉体的にも精神的にもダメージを負ったんだろう。顔もまだ歪んどるしな。

「あ、あの、良かったらコレどうぞ」

 俺は懐から小袋を取り出し、中から《ヒールドロップ》と呼ばれる肉体の傷などを回復させてくれるビー玉くらいの治療薬を一つ手に取り彼に手渡す。

「服用すればその怪我とか治るんで」
「ほぉ、ほふぇはあいがはひ(ほう、それはありがたい)」

 疑うこともなくヴァインさんは口にした。すると歪んで腫れていた顔面の傷が徐々に元通りになっていく。

「お、おお! 治った! しかしほとんど時間もかからずに治してしまうとは、結構値の張るものだったのでは?」
「いえいえ、俺が作ったものですから」
「何と!? これほどの質の良い治療薬まで作ることができると! 《エクスポーション》並みの回復力だったぞ!」

 この世界には《ポーション》と呼ばれる液体状の治療薬が存在する。その質によって区分けされていて、《ポーション》から始まり《ハイポーション》、《エクスポーション》が存在するが、当然高質なものほど店が付ける値段は高い。

「ほほう、面白い」

 あ、しまった……。

 つい見るに見かねてヴァインさんを治したが、自分で作ったことまで言ってしまったことを後悔した。
 案の定、興味津々な表情でノーヴァが見つめてきている。

「よもや薬までも作ることができるとはのう。益々そなたが欲しくなった」

 ああ、こうなることは分かってたのに、俺のバカ!
 もしここにロニカがいたら、『短絡的過ぎ。バカなの? 死ぬの?』とか言われそうだ。まあ言った時点で夕食抜きにしてやるけど。

「主、クロメ殿もすぐには心を決められないでしょう」
「む?」
「ですからここは器の広いところを見せて、しばらくこちらで様子を見られてはいかがでしょうか?」
「…………」
「主のことを知れば、もしかしたらクロメ殿も主を好きになり自ら仕えたいと申されるやもしれませぬ」
「す、好き? う、うむぅ……なるほど」

 いやいや、勝手に話を進めてくれてるけど、俺の心はすでに決まってたよね?

「うむ、分かった。ヴァインがそう言うのであれば、しばらく様子見をしてやろう! ありがたく思うのじゃぞ、クロメ! ナーッハッハッハ!」

 ちっともありがたくないんだけど……。

「クロメ殿、ここは話を合わせておいた方が吉ですぞ」

 ヴァインさんの耳打ち。
 なるほど、とりあえずこの場を収拾するために、彼が見せたファインプレーだったようだ。
 だったらここは……。

「……ノーヴァ様のご采配、ありがたく頂戴致します」
「うむ! 良きに計らえ! ナーッハッハッハッハッハ!」

 ヴァインさんのせいで? いやいやお陰で、俺は〝夜の城〟での滞在を許されたのであった。




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