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第七話 放たれる悪意
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ワッツたちが出奔してからしばらくして、屋敷内に怒号が響き渡った。
「――何だとぉっ! ラーティアが消えたとはどういうことだ!?」
怒りに全身を震わせているのは、この屋敷の主であり領主を任されている――オルド・フィ・バハール・フェニーガ公爵だ。
まるで武人のような頑強な体格を有し、鋭い眼差しを持つ偉丈夫。口元に生えている髭が、より一層強面感を助長している。
そんなオルドの前にいるのが、青ざめた顔で跪いている従者だ。彼は、ラーティアが幽閉されている建物の見張りを任されていた。
天気が崩れていても、関係なく任を全うしていた彼だったが、突然建物内から呻き声が聞こえたというのだ。
扉に設置されている監視窓を開いて確認すると、血を吐きながら倒れているラーティアを発見した。慌てた彼は、すぐさま扉の鍵を開け、彼女の安否を確かめるため駆け寄ったという。
声をかけ、容体を尋ねたところ、『な、何か飲み物を……』と口にしたので、すぐに立ち上がり、テーブルの上にあった水差しを手に取ろうとしたその時、後頭部に強烈な衝撃が走り意識を失ったのである。
目が覚めた時、手足がロープで縛られており身動きできない状態になっていたらしい。さらに、建物内にいるはずのラーティアの姿も見当たらない。
何とかオルドにこの事実を伝えようとするが、拘束から抜け出せずにモタモタしていたところ、交代の時間になって別の従者がそこに現れた。
そこでようやく解放された従者は、急いでオルドのもとへやってきたというわけだ。
「うぬぅ……ラーティアめ、一体どこへ……いや、まさか!?」
オルドがある思い付きを浮かべた直後、扉が激しくノックされた。同時に、従者の声で「オルド様、至急お伝えしたいことがございます!」と響く。
オルドが入室の許可を出し、そこから慌てた様子の従者が飛び込んできて跪く。
その従者は、ラーティアによって拘束されていた従者を解放した人物だった。
「何があった?」
「も、申し上げます! 蔵からワッツ様のお姿がなくなっておりました!」
「なぁにぃっ!? やはりか、ラーティアめぇっ!」
どうやら推察が当たっていたようだ。
「蔵にも見張りを立てていたはずだ!」
「そ、それが、何者かに気絶させられていたとのことです!」
彼もまた、離れから抜け出したラーティアが向かったのは、蔵だと判断し確認しに行ったという。そこでも同じように拘束されている見張りを見つけ、ワッツがいないことも知った。
「ええい! 役立たずどもめぇ! その見張りをしていた者を連れてこいっ!」
そうして、下手を打ってしまった二人が、オルドの前に並べられた。二人の顔は絶望に苛まれ震えてしまっている。
「貴様らは見張りも碌にできんのかぁ!」
「「も、申し訳ございませんでしたっ!」」
怒りに満ち満ちている声音に、従者たちは怯え切ってしまっている。
「ラーティア……何故だ? 何故私のもとから去る……これだけ目をかけてやっているというものをっ!」
勢いに任せて、固く握った拳をテーブルに叩きつけた。ハンマーのように振り下ろされた衝撃は強烈で、テーブルはものの見事に砕け散ってしまう。
さらに彼の身体からは大量の霊気による青い光が迸り、それに呼応するかのように室内がビリビリと振動している。
「――――ずいぶんと荒れておられますわね」
そこへ、一際落ち着いた声が聞こえてきた。
オルドが「あぁ?」と険しい顔で、現れた人物を見やる。そこには、オルドの正妻であるマリスが、不気味に微笑みながら立っていた。
「マリスか……今は冗談に付き合っている暇などないぞ」
「あら、愛しい妻にそのような物言いはいかがでしょうか」
「……一体何の用だ?」
明らかに苛立っている。それほどオルドはラーティアに執着していたのか。彼女が自分を裏切ったことが許せないようだ。
「オルド様、ご安心くださいませ。すでに処置は施しておりますので」
「何? 処置……だと?」
「はい。私の子飼いに、あの者たちの後を追わせております。子飼いは非常に優秀です。すぐに獲物に追いつくことでしょう」
「お、おおそうか! ならばすぐに捕まえて――」
「いいえ、それはなりません」
「!? な、何故だマリス?」
困惑気味のオルドに対し、マリスは笑みを崩さずに言う。
「もうお分かりでしょう。ラーティアは、あなたへの忠誠は微塵もございません」
「っ……そんなことはない!」
「いいえ、ありませんわ。それは幾度となくオルド様の命令に背いたことと、今回のことでより明確になったはずです。たとえ捕縛して連れ帰ったとしても、もう二度と言うことは聞かないでしょう。いえ、まず間違いなく自害を選ぶ」
「っ!? …………くっ」
オルドも反論できないようで、悔しそうに拳を震わせている。
そんな彼へと近づき、震える拳にそっと両手を添えるマリス。
「もうよいではありませんか。ラーティアはあなたを裏切った。一度裏切りを行った者は、必ずまた裏切る。ここで始末しなければ、いずれあなた様に牙を剥くことでしょう」
「そ、それは……むぅ」
「それに、公爵ともあろうものが、卑しい平民にいつまでも熱を向けているのも世情的にも悪いですわ。それに、そんな輩に裏切られ逃げられたとなれば、名誉に傷がつくやもしれません」
「…………」
「そろそろ火遊びも終わりになさいませ。安心してください。後の始末はこの私にすべてお任せを。あなたの地位も名誉も守りましょう」
艶やかな唇が動き、そこから紡ぎ出される言葉を受け、オルドの怒気が次第に収まっていく。
「……………………分かった」
承諾したオルドに対し、嬉しそうに口角を上げるマリス。
「ご英断、でございます」
「ただし、必ず奴らを殺せ! いいな!」
「当然ですわ。我がフェニーガ家を裏切った報いを存分に味わわせるつもりですので。では、子飼いへ通達がございますので」
一礼をしたマリスが部屋から出ようとしたが、不意に立ち止まり、今もなお跪いている従者たちに視線を向ける。
「ああ、この者たちの処罰も私にお任せくださいな」
その言葉に、この世の終わりのような表情を見せる両者。
だが、そこへ「待て」と制止をかけるオルド。
従者たちは、助けてくれると思ったのか、頬を緩めながらオルドを見る……が、
「そやつらには、この私自ら鉄槌を下すと決めておる」
膨れ上がる殺気と霊気。従者たちの命運は……ここに尽きた。
静かに部屋から出たマリス。その背後から、従者たちの悲鳴が聞こえてくる。
カツカツカツ、と足音を鳴らしながら、自室へと向かったマリスは、扉を開いて中に入った。その表情は愉悦に歪んでいる。
「――お母さま?」
その時、前方から愛らしい声音が発せられた。
「ああ、起こしてしまったのですね――ブレイス」
そこに立っていたのは、ワッツの腹違いの弟であり、マリスの子――ブレイス・フィ・バハール・フェニーガ。
マリスと似た顔立ちで、甘やかされて育っているせいかポッチャリとしている。
寝ていたが、騒ぎによってベッドから起き上がってきたらしい。
マリスは、おもむろにブレイスを抱きしめた。
「ああ、今日は何という素晴らしい日なんでしょう。あなたもそう思うでしょう、可愛い可愛い私のブレイス?」
「んぅ……よくわかんないです」
「フフフ、そう? まあいいわ。けれど、これでようやく害虫を駆除できたんですよ」
「虫ですか? 虫は嫌いです。気持ち悪いので」
「ええ、ええ、そうでしょう。さすがは私の息子ですよ、ブレイス。ただ安心しなさい。もうあなたを脅かす害虫は消えました。そう、ここからはあなたの……輝かしいブレイスの物語が始まるのです」
「う~ん、むずかしくてよくわかんないですけど、お母さまが楽しそうで僕も嬉しいです!」
「偉い子ね、ブレイス。さあ、もう寝なさい」
マリスの言いつけを守り、ブレイスは返事をしてベッドに戻って行った。
ブレイスを寝かしつけたのを確認してから、マリスは稲光が輝く中、テラスへ通じる窓の傍まで近づく。
暗雲を見上げながら、マリスは込み上げてくる愉快さに口元を緩める。
「フフフフフフ、最後の夜を精々楽しみなさい。ラーティア、それに……ワッツ」
「――何だとぉっ! ラーティアが消えたとはどういうことだ!?」
怒りに全身を震わせているのは、この屋敷の主であり領主を任されている――オルド・フィ・バハール・フェニーガ公爵だ。
まるで武人のような頑強な体格を有し、鋭い眼差しを持つ偉丈夫。口元に生えている髭が、より一層強面感を助長している。
そんなオルドの前にいるのが、青ざめた顔で跪いている従者だ。彼は、ラーティアが幽閉されている建物の見張りを任されていた。
天気が崩れていても、関係なく任を全うしていた彼だったが、突然建物内から呻き声が聞こえたというのだ。
扉に設置されている監視窓を開いて確認すると、血を吐きながら倒れているラーティアを発見した。慌てた彼は、すぐさま扉の鍵を開け、彼女の安否を確かめるため駆け寄ったという。
声をかけ、容体を尋ねたところ、『な、何か飲み物を……』と口にしたので、すぐに立ち上がり、テーブルの上にあった水差しを手に取ろうとしたその時、後頭部に強烈な衝撃が走り意識を失ったのである。
目が覚めた時、手足がロープで縛られており身動きできない状態になっていたらしい。さらに、建物内にいるはずのラーティアの姿も見当たらない。
何とかオルドにこの事実を伝えようとするが、拘束から抜け出せずにモタモタしていたところ、交代の時間になって別の従者がそこに現れた。
そこでようやく解放された従者は、急いでオルドのもとへやってきたというわけだ。
「うぬぅ……ラーティアめ、一体どこへ……いや、まさか!?」
オルドがある思い付きを浮かべた直後、扉が激しくノックされた。同時に、従者の声で「オルド様、至急お伝えしたいことがございます!」と響く。
オルドが入室の許可を出し、そこから慌てた様子の従者が飛び込んできて跪く。
その従者は、ラーティアによって拘束されていた従者を解放した人物だった。
「何があった?」
「も、申し上げます! 蔵からワッツ様のお姿がなくなっておりました!」
「なぁにぃっ!? やはりか、ラーティアめぇっ!」
どうやら推察が当たっていたようだ。
「蔵にも見張りを立てていたはずだ!」
「そ、それが、何者かに気絶させられていたとのことです!」
彼もまた、離れから抜け出したラーティアが向かったのは、蔵だと判断し確認しに行ったという。そこでも同じように拘束されている見張りを見つけ、ワッツがいないことも知った。
「ええい! 役立たずどもめぇ! その見張りをしていた者を連れてこいっ!」
そうして、下手を打ってしまった二人が、オルドの前に並べられた。二人の顔は絶望に苛まれ震えてしまっている。
「貴様らは見張りも碌にできんのかぁ!」
「「も、申し訳ございませんでしたっ!」」
怒りに満ち満ちている声音に、従者たちは怯え切ってしまっている。
「ラーティア……何故だ? 何故私のもとから去る……これだけ目をかけてやっているというものをっ!」
勢いに任せて、固く握った拳をテーブルに叩きつけた。ハンマーのように振り下ろされた衝撃は強烈で、テーブルはものの見事に砕け散ってしまう。
さらに彼の身体からは大量の霊気による青い光が迸り、それに呼応するかのように室内がビリビリと振動している。
「――――ずいぶんと荒れておられますわね」
そこへ、一際落ち着いた声が聞こえてきた。
オルドが「あぁ?」と険しい顔で、現れた人物を見やる。そこには、オルドの正妻であるマリスが、不気味に微笑みながら立っていた。
「マリスか……今は冗談に付き合っている暇などないぞ」
「あら、愛しい妻にそのような物言いはいかがでしょうか」
「……一体何の用だ?」
明らかに苛立っている。それほどオルドはラーティアに執着していたのか。彼女が自分を裏切ったことが許せないようだ。
「オルド様、ご安心くださいませ。すでに処置は施しておりますので」
「何? 処置……だと?」
「はい。私の子飼いに、あの者たちの後を追わせております。子飼いは非常に優秀です。すぐに獲物に追いつくことでしょう」
「お、おおそうか! ならばすぐに捕まえて――」
「いいえ、それはなりません」
「!? な、何故だマリス?」
困惑気味のオルドに対し、マリスは笑みを崩さずに言う。
「もうお分かりでしょう。ラーティアは、あなたへの忠誠は微塵もございません」
「っ……そんなことはない!」
「いいえ、ありませんわ。それは幾度となくオルド様の命令に背いたことと、今回のことでより明確になったはずです。たとえ捕縛して連れ帰ったとしても、もう二度と言うことは聞かないでしょう。いえ、まず間違いなく自害を選ぶ」
「っ!? …………くっ」
オルドも反論できないようで、悔しそうに拳を震わせている。
そんな彼へと近づき、震える拳にそっと両手を添えるマリス。
「もうよいではありませんか。ラーティアはあなたを裏切った。一度裏切りを行った者は、必ずまた裏切る。ここで始末しなければ、いずれあなた様に牙を剥くことでしょう」
「そ、それは……むぅ」
「それに、公爵ともあろうものが、卑しい平民にいつまでも熱を向けているのも世情的にも悪いですわ。それに、そんな輩に裏切られ逃げられたとなれば、名誉に傷がつくやもしれません」
「…………」
「そろそろ火遊びも終わりになさいませ。安心してください。後の始末はこの私にすべてお任せを。あなたの地位も名誉も守りましょう」
艶やかな唇が動き、そこから紡ぎ出される言葉を受け、オルドの怒気が次第に収まっていく。
「……………………分かった」
承諾したオルドに対し、嬉しそうに口角を上げるマリス。
「ご英断、でございます」
「ただし、必ず奴らを殺せ! いいな!」
「当然ですわ。我がフェニーガ家を裏切った報いを存分に味わわせるつもりですので。では、子飼いへ通達がございますので」
一礼をしたマリスが部屋から出ようとしたが、不意に立ち止まり、今もなお跪いている従者たちに視線を向ける。
「ああ、この者たちの処罰も私にお任せくださいな」
その言葉に、この世の終わりのような表情を見せる両者。
だが、そこへ「待て」と制止をかけるオルド。
従者たちは、助けてくれると思ったのか、頬を緩めながらオルドを見る……が、
「そやつらには、この私自ら鉄槌を下すと決めておる」
膨れ上がる殺気と霊気。従者たちの命運は……ここに尽きた。
静かに部屋から出たマリス。その背後から、従者たちの悲鳴が聞こえてくる。
カツカツカツ、と足音を鳴らしながら、自室へと向かったマリスは、扉を開いて中に入った。その表情は愉悦に歪んでいる。
「――お母さま?」
その時、前方から愛らしい声音が発せられた。
「ああ、起こしてしまったのですね――ブレイス」
そこに立っていたのは、ワッツの腹違いの弟であり、マリスの子――ブレイス・フィ・バハール・フェニーガ。
マリスと似た顔立ちで、甘やかされて育っているせいかポッチャリとしている。
寝ていたが、騒ぎによってベッドから起き上がってきたらしい。
マリスは、おもむろにブレイスを抱きしめた。
「ああ、今日は何という素晴らしい日なんでしょう。あなたもそう思うでしょう、可愛い可愛い私のブレイス?」
「んぅ……よくわかんないです」
「フフフ、そう? まあいいわ。けれど、これでようやく害虫を駆除できたんですよ」
「虫ですか? 虫は嫌いです。気持ち悪いので」
「ええ、ええ、そうでしょう。さすがは私の息子ですよ、ブレイス。ただ安心しなさい。もうあなたを脅かす害虫は消えました。そう、ここからはあなたの……輝かしいブレイスの物語が始まるのです」
「う~ん、むずかしくてよくわかんないですけど、お母さまが楽しそうで僕も嬉しいです!」
「偉い子ね、ブレイス。さあ、もう寝なさい」
マリスの言いつけを守り、ブレイスは返事をしてベッドに戻って行った。
ブレイスを寝かしつけたのを確認してから、マリスは稲光が輝く中、テラスへ通じる窓の傍まで近づく。
暗雲を見上げながら、マリスは込み上げてくる愉快さに口元を緩める。
「フフフフフフ、最後の夜を精々楽しみなさい。ラーティア、それに……ワッツ」
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