日々これ、よき日

ihcikuYoK

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日々これ、よき日

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***

 後ろから、ドタドタと騒々しい足音が迫ってきていた。

 足音でわかる、これは間違いなくうちの親父である。
 縁側で俺はため息を飲み込み、諦めて歩を止め振り返った。
「~~どんだけ踏みしめてんだよ、床抜けるぞ!」
親父は俺の言葉を無視した。
「今日こそ受け継いで貰うからな!」
「あーもー、まだ言ってんのかよ! いいってそんなの」
そんなのとはなんだ! と親父は肩を怒らせた。

「ほらそこ座れ!」
縁側から畳の部屋へと押しやられ、仕方なく胡座を掻いた。親父は対面に座し、俺との間に刀を2本置きやった。
「この二振りが持つ歴史は長いーー……」
そのいやに厳かな声と表情に、俺はげんなりしていた。このくだりを、ほぼ毎日やっているのだ。
 溜め息を吐きつつ、学ランの止め襟を外した。
「そういうのもういいって……。学校遅刻しちまうよ」
「こんな時にそんなとこ行ってどうすんだ、サボれそんなもん」
と大真面目な顔で言われ、思わず俺は吹き出した。
 親が子に言うセリフではない。
「今日朝練あんだよ。避難してきた人らの中にバスケのセミプロの選手がいてさー、皆で教わんの」
なんだそれ楽しそうだな、と零した親父が慌ててその口を結んだ。
 真面目な顔を保とうとしているらしい。どうせ5分と保たないのに。

 すでに生徒の9割近くが学校に来なくなっており、教師も8割がた来なくなっていた。
(こんな時に学校なんか行ってどうするんだ?)
という至極まっとうな疑問にたどり着き、それぞれ通いやめたのだと思う。

 ただ残り1~2割の教師と生徒は、何故か時間割通り学校へ向かい午前授業をこなし、だが生徒も教師も足りないので、午後はなんとなく流れで解散していた。
 その後は、やりたいやつだけが残って適当にバスケやらバレーやらをして帰るのが日常となっていた。
 俺はその数少ない登校生徒の一人であり、この非常事態にスポーツに興じるような、比較的深刻さに欠けた部類の人間なのであった。ゆるく遊んでいるうちに新しい友達や顔見知りもできてきて、それなりに楽しく暮らしている。

 ……まぁ、楽しく思えているのは、現実味がないからなのかもしれないが。

「この剣術は一子相伝! お前も知ってるだろ」
「へぇへぇ、聞いたよ何度も。兄貴に教えてたろ」   
「そうだよあいつに教えてたんだ。まだ途中だったのに、どこほっつき歩いてんだかな」
 数か月前「ちょっと出てくるわ」と言ったきり、あの生真面目な兄貴が一度も帰っていないのだ。どこかで暴動に巻き込まれたのか、はたまた家出か、もはや定かではなかったし確かめるすべもなかった。

「それでな? せっかくだからお前にも教えておくことにした」
「『それでな?』じゃねぇよ、勝手に決めんなよ。一子相伝が二子相伝になってんじゃん」
「仕方ねえだろ、父ちゃんだって毎日毎日暇なんだから。誰も道場来なくなっちまったし」
「竹刀振ってる場合じゃねぇもんな」
  親父はまた俺の言葉を無視した。
「誰かが継がなきゃ途絶えちまうだろ。緊急事態なんだから、二人に教えたってご先祖様も怒らんだろ」
「でも俺、剣道の才能なかったし。第一、教わったところで使うとこもねぇしさ」
「ガキの頃はあんなに『父ちゃんカッコいい! それやりたい!!』っつっといてなんだよ、あの頃のやる気はどうした?!」
「子供の頃の言葉を本気にされてもよ。目の前で二刀流とか見せられたら、そりゃはしゃぐだろ」
 親父はお袋から「真剣抜くなんてなに考えてんの! 危ないでしょうが!!」とキレられていた。途端にシュンと小さくなった親父のあの背中が、昨日のことのように思い出された。
 切れ味抜群の二刀流よりも、キレッキレにキレたお袋の方がよっぽどこわくて、まだ子供だった俺は兄貴にへばりついて泣いた。

 そのお袋は数か月前、自ら命を絶った。
 遺書と思しき書き置きには、こわい、ごめんね、と何度も書いてあった。
 親父は、……なんで謝るんだろうなぁ、と言った。
 真面目なお袋らしい、生真面目で繊細な終わりであった。

 状況が状況だけに、葬式は身内だけでささやかに執り行った。
 案内も何もしていなかったが、ご近所さんが幾人か線香を上げに来てくれた。ありがたかった。
 だがその顔触れも、少ないものだった。ここ数年で暴徒やら暴動やらが再燃し、当時は出歩くのも危なかったのだから仕方ない。

 されど、人類がやけっぱちでい続けるには微妙に時間がありすぎた。
 最近、人々はまた落ち着きを取り戻して(というより取り戻した振りをして)生活をしていた。
 いまは落ち着いているが、暫くしたらきっとまた家の外にも出られないような状態になるのだと思う。
 あの非現実的なニュースが流れてから、そしてそれが嘘ではないとわかってから、仮初めの日常と慣れてしまった異常の間を振り子みたいに何度も行ったり来たりしながら、人の影はちょっとずつ確実に減っているのだった。

 お袋の葬儀が終わるなり、スーツを脱ぎさっさとジャージ姿になった兄貴が、
「ちょっと出てくるわ」
と嘯いた。俺は、
「あ、スポドリあったらついでに買ってきて」
と言った。
「おー、わかった」
見つけてきてやるよと述べ、木刀2本を引っ下げて兄貴は出ていった。 
 その背を、すげぇなぁと見送った。
 あのとき俺は色んなことにすっかり疲れていて、畳に転んだまま二度と起き上がりたくなくなっていた。だから、ジャージであれちゃんと着替えて「ちょっと出てくるわ」なんて言葉を繰り出せる兄貴を、すげぇ人だと思ったのだ。

 ずっといつも通りだった兄貴が、いつまで経っても帰ってこなかった。
「スポドリなんて頼まなきゃよかった」
と呟いた俺に親父は、
「あいつの『ちょっと』は、たぶん俺らの『ちょっと』と違ったんだろ」
と言った。
 その夜、4人分の晩飯を作ってしまった親父は、それに気が付き鍋を見つめ黙ってしまった。いくらなんでも2人で食いきれる量じゃなかった。
「明日も食えるな」
と俺が言うと、
「……そうだな」
と親父は頷いた。
 俺も親父も意気地なしなので、それからはずっとふざけた会話をしてきた。「一子相伝の剣技を継げ」は、その延長だった。

 親父は刀に視線を落としつつ、神妙な面持ちで腕を組んだ。そのしぐさは、真面目ぶるのがすでに限界に近いことを告げていた。
「このままじゃ途絶えちまうんだぞ? 先祖代々のやつなんだぞ? ちゃんと繋いどきたいんだよ俺は」
親父の眉間には皺が刻まれていた。

 誰も彼もが、ギリギリの線で堪えていた。
 俺と親父はこの通り、継ぐ継がないのやり取りで現実逃避をしながら、なんとか1日1日を生き長らえてきたのであった。

 畳の部屋から、俺は空を見やった。 親父は頑なに見上げようとはしなかった。 
 水彩画のような粉っぽい水色の空には、冗談みたいな大きさの岩(と言っていいのか迷うほどデカい)が浮かび、地球にいる俺たちに大きな影を落としていた。

 あのアホみたいな大きさの隕石は、近いうちこの地球に直撃して、ありとあらゆる物を跡形もなく消し飛ばすんだそうだ。
 正気を保つにも失うにも、中途半端に足りないこの時間にこっちはすっかりウンザリしていた。
 来るならパッときてバーンと思い切り弾けろよ、と思う。ちょっとずつ寄って来るから、こんな宙ぶらりんな時間ができちまったんだろうが。

 おかげでうちはめちゃくちゃだ。

「どのみち俺が末代だろ。半端に習った奴が継ぐより、ちゃんと継いだ親父がそのまま持ってろよ」
その方がその二振りも先祖も喜ぶだろ、と言うと親父は項垂れた。
「……。後悔してもしらねぇぞ~? なんでも斬れる二刀流なんだぞ」
「ほんとならすげぇよなぁ」
「おい、ほんとならってなんだよ、ほんとに決まってんだろ!!」
ふーん、と口から漏れた。

「なら、あれも斬れんの?」

 空を指し示した。親父は指につられてようやく空をみた。
 お袋や兄貴や人類を一方的に追いつめた、人類史上最大を誇る隕石である。

 親父は目を細めた。
「ーー当たり前だろ。うちの二刀流はなんでも斬れる。あんなモン、真っ二つだ」

「……。二刀流なのに真っ二つって一太刀あたってなくね?」
「うるせぇ、細けぇこと言うんじゃねぇや」
と開き直った。

 父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん。
 反抗期ぶって過ごしてきたけど、俺、本当は別に何も嫌じゃなかったんだよ。

 空に、我が物顔で浮かんでいた。
「……ただのデケェ岩のクセに、偉そうなモンだよな」
「そうだよなァ。お前なんてせっかく高校デビューしようとしてたのに」
それいま関係ねぇだろ! と腹から声が出た。
 髪を染めたのは入学前の一度きり。この緊急事態では、安物のヘアカラーすら今ではもう手に入らない。でもたまにファンキーな緑髪ショートの婆さんや赤髪ロン毛のオッサンやらが歩いていたりして、遭遇するとまぁまぁビックリしてしまう。

 たぶんみんな、あの手この手で現実逃避をしているのだ。

 どっこいせ、と俺は腰を浮かせた。
「お、いまから行くのか? 朝練どころか学校も遅刻だろ、休んじまえよ!」
うるせぇなー、と口から漏れた。
 一時間目には遅刻である。ハタと思い出し、結構ちゃんとガッカリした。

「~~、無遅刻無欠席だったのに……!」
「あーあ」
腹が立った。
「教えるならさっさと教えてくれよ。チャチャっとぶった斬って、うちの二刀流めちゃくちゃ流行らせてやるからな」
俺の返答に親父は目を丸め、ついでそれは晴れやかな顔をした。

「一子相伝っつっただろうがよ、流行らせてどうすんだよ」

Fin.
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