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3 お母様 ①
しおりを挟む領地で与えられたのは一軒の家。未亡人になったお母様と私にはメイドはいない。平民と同じになった名だけの侯爵令嬢。帰る家も継ぐ家も嫁ぐ家も何も手に出来ないただの貴族令嬢。
それもいずれ貴族籍を抜かれ平民にされる。
あの叔父様が私達の籍をいつまでも置いておく訳がない。それにお祖父様が私達を籍に入れてくれる訳がない。
何も出来ないお母様。
何も出来なくてもやるしかない私。
お父様の裏切りに、お祖父様の拒絶に、心を病んだお母様は領地では床に塞ぎがち。部屋の窓からただボーっと外を眺める毎日を暮している。
笑った顔も見ていない。声も聞いていない。一瞬私と目を合わせてもまた外を眺める。
お母様の声を最後に聞いたのはお母様の実家の侯爵家で聞いたのが最後。領地までの道中お互い何も話さなかった。
お母様はこの時既に抜け殻だった…。
この先の不安、見捨てられた悲しみ、領地へ追い出されたと、誰も救ってはくれないと、お互い何も話さなかった。
ただただ絶望していただけ…。
声を出したら『どうして』と聞いてお母様を困らせるだけだから…。
こんな風になるのならまだあの頃の方が良かった。
お父様が亡くなり埋葬も終わり、まだ侯爵家で暮していた頃、毎晩毎晩静かな邸の中に響くお母様の怒鳴り声。お父様に対する罵声を一人部屋の中で叫んでいた。
最初の頃は我慢していた叔父様も次第にお母様と口論するようになりお母様は段々何も話さなくなった。
毎晩繰り返されるお母様の罵声、叔父様と口論する怒鳴り声、私は布団に包まり耳を手で塞いだ。止めて、早く終わって、と毎晩思った。
それでもあの頃のお母様はどこか壊れながらも生きていた。今みたいに息をしているだけの抜け殻ではなかった。
今は私が一方的に話すだけ。返答のない会話が今の私とお母様の関係。それでも私にはもうお母様しかいない。
領地で暮らし始めて数年。
私は10歳になった。
慣れない畑仕事も教えてもらいながら何とか様になってきた。料理の腕もあがった。洗濯も今はお手のもの。
そして叔父様に貴族籍を抜かれ平民になった私とお母様。お祖父様も伯父様も私達を引き取ってはくれなかった。
でもこの家があるだけ良かった。雨風がしのげ眠れるベッドがある。私とお母様が食べるくらいの食料は畑で作れる。お金は無いし、その日暮らしの生活だけど、優しい近所の人がいて困る事はない。
多く作ったから余ったからとおかずを持ってきてくれるおばさん達。力仕事は任せろと言ってくれるおじさん達。一緒に畑仕事を手伝ってくれる友達。
皆に支えられて今は楽しく生活している。
案外暮していけるものよ。堅苦しい挨拶もしなくていい。勉強も読み書きが出来れば十分。それに好きな時に走れて好きな所に座れる。水だってゴクゴク飲めるわ。
叔父様に気を使って暮していた頃より『生きてる』って感じる。
貴族令嬢だったっていってもたったの5年。身に付いた所作なんてないし、難しい歴史なんて知らない。それよりも生活に必要な知恵を覚える方が何倍も役に立つわ。
お母様と違って私は貴族令嬢として育った記憶より平民として生きてる記憶の方が多い。それに幼かったから平民の暮らしにも順応が早かったのかもしれない。
時が経ち、
「ねぇ、そこの貴女」
お母様に声をかけられたのは私が13歳の時。
「この刺繍どう?」
ワンピースの裾に自分で刺した刺繍を私に見せる。
「綺麗」
「でしょ。私刺繍は得意なの」
この頃お母様は心を取り戻したのか令嬢のような生活をしている。読書をし刺繍を刺す。優雅にお茶を嗜み毎日部屋の窓から外を眺め今か今かとある人を待っている。
まるで恋人を待っているかのように…
「今日はリクル様が来るの。だからお洒落をしないと。今日は、そうね…、このワンピースにするわ。それに合わせた髪型にして。髪留めはこれよ」
お母様は自分でワンピースを選び、最近お気に入りの髪留めを私に渡した。
メイドがいないこの家でお母様の世話は私の仕事。着替えから毎日のブラッシング、湯浴み、何から何まで私の仕事。
だから髪を結うのも上手くなった。
令嬢としても夫人としてもメイドに全てしてもらっていたお母様は私をメイドのように扱う。
この家には私とお母様しかいない。ベッドから動かないお母様。だから食事も一口一口食べさせた。毎日体も拭いた。脱ぎ着しやすい寝間着も毎日替えた。
洗濯だって掃除だってメイドの代わりじゃなくて自分達で生活する為に必要だから。私がしなきゃ誰もしてくれない。
だって私とお母様はもう貴族じゃない。平民は自分達で全てしている。平民になった私達はもう自分達でしないといけない。メイドを雇うお金もないんだから。
だから仕方がないと思ってる。
思ってるけど…
「リクル様だわ」
窓の外を見て嬉しそうに笑うお母様。
ねぇお母様、私はお母様のメイドじゃなくて娘なのよ?
娘の私の事、
忘れちゃったの?
ねぇ、お母様、
私を思い出して…
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