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蛙の子は蛙
全てが壊れた日
しおりを挟むいつものように彼と待ち合わせをする。いつもの宿屋へ行く前に何か買おうと、食べ物やら飲み物やら、後は疲れた後に食べたい甘いケーキ、部屋に籠もる前に街で買い物をした。
彼が俺の肩を抱き寄せ耳元で囁いた。
「早く部屋に戻ろう。早く抱きしめたくて仕方ない」
「俺もだ」
俺達は顔を見合わせ笑った。
肩を組むのも男同志なら不自然ではない。俺も平民が着るような服に馬車の中で着替えていた。俺が貴族なんて誰にも分からない。
馬車の御者は口が堅い。ここは父上に感謝だな。
買い物を終えいつもの宿屋に入ろうとした時だった。
「坊主にはまだここは早いぞ、ほら帰った帰った」
その声に俺は振り返った。
ただ声がしたから何事かと振り返っただけだった。
俺は咄嗟に俺の肩を抱き寄せている彼の手を払った。
まるで汚物を見るような目で俺は見つめられている。
「ま、待て、ショー…」
息子は俺の声が聞こえなかったのかそのまま走り去って行った。俺の伸ばした手だけが無情にもその場に残った。
「どうしたんだ?知り合いか?」
彼は俺の肩に手を置いた。その手がまるで重りのように重く感じた。
「……息子だ…、すまない今日は帰る」
俺は慌てて息子の後を追った。息子は見つからなかった。俺は足取りが重いまま馬車に戻った。馬車の中で服を着替え邸に帰ろうとした。
それでも御者に『帰ってくれ』その言葉が出ない。馬車の中で俺は頭を抱えていた。
どう言い訳しようか、そればかり考える。
いつから後ろにいた?いつから俺だと気づいていた?あんな街の端にある宿屋に息子がたまたま来たなんて事はあり得ない。どこかで俺を見つけ後をつけた、それしか考えられない。
それよりどう言い訳する。途中で体調が悪くなって宿屋で休もうと思った、そう言うか?体調が悪い俺をサロンの従業員が助けてくれた、そう言うか?だから俺を支える為に彼の腕が俺の肩に乗っていて、力が入らない俺は彼に身を預けていた。そんなの無理だ。体調が悪いなら邸に帰って休むのが自然だ。
今日は明日の準備の為に王城へ行くと言って邸を出た。王城からなら宿屋に行くより邸に帰った方が近い。
駄目だ駄目だ。
なら正直に話すか?それも駄目だ。確かに妻をもう愛してはいない。それでも離縁したいわけではない。愛情はないが情はある。息子や娘にも情はある。一緒に暮らしたくないほど嫌なわけではない。俺はこれからも一緒に暮らしていきたい。
確かにそこに保身もある。
離縁すればまた何を言われるか。
それに……、
男を愛しているだなんて異常だ。
父上のように女好きなら周りはまだ容認できる。あの男は根っからの女好きだからな、不快な顔もされるし嫌味も言われるが父上はなんだかんだと容認されているように思える。
だが男を好きなど知られれば拒絶だ。狂乱していると排除される。
知られるわけにはいかない。
息子が妻に何か言う前に息子と話さなければ。そうは思っても体が重く、恐怖が襲う。
どうすればいい、俺はどうすれば、いい…。
「旦那様、どうなさいますか」
御者の声に俺は顔を上げる。さっきまで明るかった回りがすっかり暗くなっていた。
「か、帰って、くれ……」
馬車がゆっくり走り出し、俺は地獄へと向かう。
邸に近づけば近づくほどドクンドクンと大きな音をたてる。手が震え手のひらはジメッと湿る。額には汗のつぶが溜まり頬を伝う。喉は渇きゴクンと喉の音が鳴る。息づかいは早くなり静かな馬車の中で響いた。
邸に着き戸を開ける。どんな顔をすればいいのか分からず下を向いた。
「遅かったですね」
妻はいつもように俺を出迎えた。
「あ、ああ…。こ、子供達は、もう、寝たのか?」
「ええ、もうとっくに」
「そ、そうか……。遅くなって、すまない。いつも悪いな」
「急にどうしたんですか?それより明日は朝が早いんですから早く寝てくださいね?」
「ああ、そうだな」
妻のいつもと変わらない笑顔にほっと胸をなでおろした。息子は誰にも何も言わなかったのだと。
もうやめよう。
彼と会うのはもうやめよう。
家族をもう一度愛そう。妻の笑顔を見ていると安心する。妻に俺の醜い部分を話そう。歪な部分を正直に話そう。そしてもう一度俺とやり直してくれないかと頼もう。
愛が情に変わるのなら情が愛にも変わる。
もう一度妻を愛せる。
今度は余所見はしない。誰にも心を奪われない。この先一生妻だけを愛し大切にしよう。
次の日の朝、俺は王城で行われる議会に参加する為に邸を出る。
「お気をつけて」
妻の笑顔に見送られ王城へ向かった。
今日の帰ってきたら正直に話そう。そして息子にも娘にも正直に話そう。そして3人に謝罪しよう。土下座してでも縋ってでも許してもらおう。
俺には妻と子供達との幸せの方が大切だ。
議会が延びてそのままサロンへ行こうと誘われたが俺は急いで邸に帰った。
「お帰りなさませ」
いつも出迎えてくれる妻の姿がない。
子供達の部屋にいるんだろうな、そう思った。妻は子供達の教育にも熱心だ。俺はそのまま執務室へ向かう。
執務室の机の上。
『離縁してください』
妻の直筆のサインが書かれていた。
俺は急いで子供達の部屋を覗く。部屋の主がいない静かな子供部屋。そして自分の部屋で無造作に上着を脱いだ。そして寝室続きの妻の部屋に入った。ここも部屋は静かだった。だが部屋にはドレスや宝石が残っている。
俺は手に持っていた紙をグシャリと握りしめた。
これは何かの間違いだ。
こんなの俺は信じない。
そうか、3人は買い物に出かけたんだ。
そうだそうだ。
「クククッ、ついに出て行ったか」
俺は父上を睨んだ。
「俺は街で面白い話を聞いた。街では今その話題で持ちきりだ。貴族の男が男娼を買っているらしいってな。その背格好がどうもお前とそっくりなんだ。
なぁ、お前、男が好きだったのか?
ククッ、だから女に興味がなかったのか?
男はどうだった。良かったか?」
俺は父上をジッと見つめた。
「まさか、お前、女にみたいに喘ぎ声をあげていた方なのか?
そうかそうか、ククッ、ハハハハッ」
俺は笑ってる父上が憎くて憎くて仕方がなかった。
「お前は昔から今みたいに女みたいな顔をする。恋しい人を見つめる目で俺を見る。俺はそれが心底気持ち悪かった」
俺は悔しくて下を向いた。
「お前の奥さん、あの娘だけは本当にお前を愛してくれた唯一の女性だったのに、お前はあの娘を裏切った。
お前は知っていたか?上手く笑顔を作っていたがいつもその笑顔が泣いていた事を。毎朝目が赤かった事を。お前が帰るまで消えない部屋の明かりを。ずっとお前の帰りを待っていた事を。
俺は女性が好きだ。大勢女性を抱いた。だが手放してはいけない手だけは放した事はない。
まあ俺には言われたくないだろうがな」
父上は手をヒラヒラと振り部屋を出ていった。
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