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第八章

魔界の侵入者

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 魔界の扉を抜けると、私はまるで大きな掃除機の中へ吸い込まれるように、細長い真っ暗なトンネルの中のような空間の中を流されて行った。
 どこかの世界とどこかの世界を繋いでいるような長い長いトンネルを抜けると、急に明るい空間に投げ出された。
 投げ出されたと云っても無重力空間みたいに、ふわ~っと着地したんだけど。
 明るいと云ってもセピア色…っていうか、なんだか古い映画の中に入ったみたいな感じだった。
 色も無ければ音もない。
 静寂の中、動くものもない。
 自分が立っているところが上なのか下なのか、地面なのか天井なのかもわからない。
 私はこれを夢だと思っていたから、こんな不思議なこともあるんだくらいに認識していた。
 イシュタムは魔界だと云ったけど、魔界というより、イシュタムの思念の亜空間に似ていると思った。
 地面も空も何もなく、ただ一面セピア色の世界が広がっている。

「しっかし…夢とはいえ、殺風景なところね…。何もないじゃない。ここ、ホントに魔界?」

 魔界といえば、おどろおどろしい森に不気味な魔物、あと魔王の住むお城とかがあるのが定番よね。
 あ、でも魔王は魔界にはいないんだっけか。
 じゃあ、魔界には誰がいるの…?

 イシュタムはテュポーンの本体が魔界から私たちの世界へやってくるって云ってたけど、ここが魔界ならテュポーンの本体がいるはずよね?
 でもテュポーンどころか、生き物一匹いないんですけど。
 無音が続くって、結構辛いもんね。
 ふと思い出して、私はポケットの中を確認した。
 良かった、ちゃんとイドラの立方体は持ってた。
 私はそれを手のひらの上に乗せて話しかけてみた。

「ねえ、イドラ…。ここ、本当に魔界だと思う?」

 私は手に持っている立方体に顔を寄せて語り掛けた。
 すると、イドラらしき声が返って来た。

「わからない」
「ここ、何もなさすぎなのよね…。ねえ、そこから出てこれない?こんなところで1人なの、寂しくて死んじゃう」
「ここにテュポーンはいないのか?」
「テュポーンどころか草一本生えてないわよ」
「そうか」

 私が手に持っていた立方体が、突然光を放った。
 その光は大きくはじけたかと思うと、目の前にイドラが元の大きさで現れた。
 意識体のせいなのか、イドラは天女みたいなスケスケのローブを着ていて、後光が差して見えた。性別がないから胸とかはないけど、それでも色気はダダモレだ。

「うわぁお!イドラ…めっちゃセクシーじゃん…!」

 現れたイドラは、めちゃくちゃ色っぽかった。

「君に言われて、意識改革をしてみたんだ」
「すごーい!きれーい…」

 私が見とれていると、イドラはクスッと笑った。
 イドラは衣装だけじゃなくてその体も少し透けている。やっぱりテュポーンに食われてかなり弱っているんじゃないかな。
 意識体は想像力によって影響を受けるらしく、好きなように想像すれば、姿が変えられるのだとイドラは云った。

「そっか、これ、夢だから好きにできるんだね」

 そうそう、夢なんだった。
 早く目覚めないかな…。

「夢?何を言っている。これは夢などではない」
「え…?」
「まあ、そう思うのも無理はない。ここにいる我らは意識体で、何かに触れるとか痛みを感じるといった五感を持たない。体があるように見えるのも、私が君に、君が私に見せている幻にすぎない」
「そうなんだ…。意識体って、魂のこと?」
「人間の言葉でいうとそうなるな」
「夢じゃない…?本当に?」
「ああ、本当だ。夢であって欲しいのは私の方だ。すべてが夢で、目を覚ましたら幸せだった幼い頃のベッドの上であって欲しい…と、何度願ったことか」

 イドラの表情は微かに曇った。

「意識体の状態では、一切の魔法もスキルも使えない。これではどうしようもないな」
「それじゃ、運命操作も使えないってことか…」
「何?」
「なんでもない。でもさ、魔獣召喚する時って、魔界から魔獣を呼ぶっていうじゃない?ここが魔界なら、魔獣がうじゃうじゃいるはずじゃないの?」
「…もしかしたら、魔界は実体が存在できない世界なのかもしれない」
「どういうこと?」
「私が魔獣を召喚するとき、依り代を必要とする。なぜなら魔獣は実体を持たない姿で召喚されるからだ」
「そういえばそうね…」
「私たちも意識体だろう?だからここへ来ることができたのではないかな?ここには誰もいないのではなく、見えないというべきか」
「えっと…それじゃ、元の世界の私って今どうなってるの?」
「意識がない状態、つまり昏睡状態、あるいは仮死状態になっているのではないかな」

 え!
 ちょっと待って…
 私、魔王にエンゲージしようって迫られて、また眠くなって…そのままここへ来たような。
 あの状態で、私、仮死状態になってるの?
 それじゃまるで私が魔王とエンゲージするのを超嫌がってるみたいじゃない…!
 彼が誤解したらどーしてくれるのよ!
 ともかく、早く戻らなきゃ!

「どうやってここから出たらいいの?」
「わからない。…神にでも頼んでみるか?」
「神って…イシュタムのこと?でもイシュタムは向こうにいたわよ?」
「以前イシュタムが言っていた。自分は多くの神の意識体の一部でしかないと。だからここには他にも神がいるのではないかな」
「ふ~ん?でも目に見えない神様をどうやって探したらいいと思う?」
「名を呼んでみたらどうだろう。名には特別な力があるというぞ」
「うん、わかった」

 イドラがそう云うので、ダメ元で呼びかけてみた。

「イシュタムー!おーい!いるなら出てこーい!!」

 何度か呼んでいると、どこからか声が聞こえた。

<音声認識>
<未許可体侵入を感知>
<意識体2個体確認>
<未許可体分析開始>
<分析中…>

 それはどこか無機質な、まるでAIがしゃべっているような音声だった。

「何この声…。頭の中に直接響いてくるみたい」
「これが…神の声なのか?何とも不思議な声だ」

 すると今度は、緊急時のアラームみたいな音が聞こえた。

「わっ!今度は何?」

<異常個体検知>
<異分子検出>

「何これ…セキュリティシステム?」

 音はするけど、相変わらず何も見えない。
 一体どうなってるの?

「何なの?返事をしなさいよ!」

 私が叫ぶと、再びアラームが鳴った。

<分析完了>

「ここから出して!元の世界に戻してよ!」

<認証中…>

「トワ、あれを見ろ」

 イドラが指し示す方向を見ると、それまで何もなかったセピア色の空間に、白い扉が1つ、ポツンと現れていた。
 ドアノブがついた普通の家の扉みたいに見えた。

「扉…?まさかど〇でもドアってんじゃないでしょうね…?」

<認証完了>
<通行許可>

 さっきから聞こえるのは合成音みたいで、男か女かもわからない何かのシステムの音声っぽい。
 こういうSFっぽいの、ここの世界観に似合わない。全然別の世界って感じ。魔界って一体何なの?
 まさか、この世界はゲームでした、なんてオチじゃないでしょうね?
 あの扉を開けたら神様という名のゲームプログラマーが座ってるとか、ラスボスがコンピューターだったとか、もう珍しくもない展開なんだからね?ゲームヲタク舐めんなよ!
 …ともかく、その答えがきっと、あの扉の向こうにある気がする。

「あの扉、怪しすぎる。どうする?」

 イドラは私に決定権を委ねた。

「行ってみましょう」
「…良くない予感がする」
「でも、ここにいてもラチが開かないわよ」
「…確かにな」
「諦めなければきっとなんとかなるもんよ」
「君は楽観的だな」
「前向きって言ってよ」

 イドラはフッと微笑んだ。

「トワ」
「ん?」
「私を助けに来てくれてありがとう。こんなことに巻き込んでしまって、申し訳ないと思っている」
「そんなの、もういいのよ。だって私たち、友達でしょ?」
「トモダチ…?」
「あ、違った?」
「いや、嬉しい…」
「私、イドラのこと好きだよ。私のこと助けてくれたし、親切だし美人だし」
「ありがとう」

 イドラは少し照れたように云った。

「この扉の向こうに何があるのかわからないが、今のうちに言っておきたいことがある」
「そんな、ここでお別れってわけでもあるまいし…」
「私はもう自暴自棄になったりしない。君が助けてくれた命なんだ。何があっても最後まで諦めないよ」
「…うん、その意気よ。大丈夫、一緒に元の世界に戻ろう?」
「…ああ」

 そして、私は扉を開けた。
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