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第七章

夢の中の夢

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 ゴラクドールの魔王府の執務室に転移してきた私たちを、ジュスターが出迎えてくれた。
 ジュスターは予想していたのか、急に魔王や私が現れても驚きもしなかった。
 それどころか、彼は冷静に、魔王にオーウェン軍がこちらへ向かっていると報告した。しかもその軍にはテュポーンを名乗る正体不明のバケモノが同行しているという。
 私たちが不在の間もジュスターは自分の職務を黙々と遂行していて、情報収集にも抜かりはなかった。
 既にジュスターは魔王軍の出撃準備を整えていて、魔王の指示さえあればいつでも出発できる状態だった。出来る部下を持つと上司は楽よね。

「すぐに全軍で進軍する。足の速い者は先行させよ」
「はい。既にゼフォンらを斥候として送り出してあります」

 どこまで抜け目がないんだろう、この人は。天然なのは仕事には影響しないんだな。
 ジュスターの報告の中で私が驚いたことは、マルティスがゼフォンと一緒に偵察に出ているということだった。
 ずっと魔王軍には参加しないと云っていたマルティスに、どんな心境の変化があったのかな?
 そう思って同行しているメンバーを聞いたら、なんか納得した。ロアが一緒だということだった。
 一緒にいるということは、やっぱり2人はパートナー同士だったんだ。
 もしかして彼女の手前、カッコつけたかったのかもしれない。彼、ちょっとそういうとこあるからね。

 魔王が出撃命令を出したことで、私の周囲は途端に慌ただしくなった。
 魔王不在の間、ジュスターは全軍の実権を完全に掌握したみたいで、マクスウェル軍の将軍やら魔王軍の副将らがひっきりなしに彼の元を訪れている。

 聖魔騎士団の皆もそれぞれに任務を与えられて、バタバタと忙しそうだ。
 ザグレムも自分の軍を指揮すると云って出て行ったきりだ。
 こうなると、暇なのは私だけになった。
 ヘタに動くと他の人に迷惑かかるってわかってるから、執務室の中の個室でおとなしくしていることにした。
 イヴリスもロアもカイザーもいないから、話し相手になってくれる人もいなくて寂しい。
 暇つぶしに、このホテルの低層階にある図書館へ行ってみた。
 テュポーンについて、何か情報がないかと思って調べてみたのだけど、見つけたのは子供向けの絵本だけだった。まあ、アカデミーの図書館とはレベルが違うからなあ。
 テュポーンの話といっても絵本になるくらいの神話レベルの話だし、新しい情報なんか期待できないだろう。
 私はなにげなくその絵本を読んでみた。

 『むかしむかし、異世界から、大いなる癒しの力を持つ1人の女神様がやってきました。
 この世界には大自然と、会話のできない生き物だけが住んでいました。
 ある時、女神様は寂しくなって、1組の人間の男女を生み出しました。』

 …この女神って人間の神ってやつよね?
 異世界?
 何その設定…初めて聞いたわ。子供向けの絵本にしてはちょっとぶっ飛びすぎじゃない?
 その後の話は、知っている展開どおりだった。
 テュポーンの箇所はというと…。

 『魔族の神イシュタムは、恐ろしい怪物テュポーンを魔界から呼び出して、人間を半分にまで減らしました。
 目的を果たしたイシュタムは、テュポーンを魔界へ送り返そうとしましたが、テュポーンは嫌がって、イシュタムを呑み込んでしまったのです。
 イシュタムはテュポーンの腹を裂いて外に出てきましたが、毒が全身に回って死んでしまいました。
 腹を裂かれたテュポーンは魔力を失ってその場に倒れました。』

 えっ?
 腹を裂かれただけで?
 弱点はお腹?でも死んでないよね…?

 『女神様は癒しの力を使って死んだイシュタムから魔王を誕生させました。
 魔王は女神様の命令で、テュポーンを魔界へ送り返しました。』

 あっさりと書かれてるなあ…。
 ここ、一番重要なとこなんだけど。
 イシュタムから魔王が誕生するところの挿絵なんか、イシュタムがパッカーンて割れて中から桃太郎みたいに魔王が出て来てるんですけど。
 こっちの挿絵ではテュポーンめちゃくちゃでっかく描かれてるのに、小さな魔王が片手で持ち上げてるわよ…?実際こんなでっかいのどうやって魔界へ送り返したっつーんだよ。

 『そして女神様は半分に減った人間たちを導くために人間に生まれ変わり、大陸で初めて人間の国を作りました。
 魔王は魔族の国へ帰り、魔族を支配しました。』

 …ダメだ、参考にならん。
 所詮は絵本だもんね。
 私は溜息と共に絵本を閉じた。

 私が自分の部屋に戻ろうとすると、ちょうど魔王とバッタリ出くわした。
 彼は話があると云って、私を執務室へ連れて行った。
 私は執務室のソファに座らされ、向かいには魔王が座った。他には誰もいない。

「明日、進軍することになった。おまえはここで待っていろ」
「え?やだ、置いてかないでよ!」
「テュポーンは危険は相手だ」
「危険な相手なら尚更私が行かないといけなくない?」
「…おまえはここで運命操作を使ってテュポーンの滅びを願っていれば良い」
「…何言ってるの…?」

 この言い草に、カチンときた。

「おまえは神のごとき力を持つ貴重な存在だ。危険な場所へ行かせるわけにはいかない」
「冗談じゃない!皆が行くのに私だけ置いてけぼりとか、ありえないから!それに万が一誰かが死ぬようなことがあったら、蘇生が必要でしょ?」
「テュポーンはこれまでの相手とは違う。ここにいろ、護衛の者もつける」
「絶対嫌!!こんなところで皆の無事を祈ってるだけとか、何の拷問よ!」
「運命操作はおまえの願いを必ず叶えてくれる。おまえが願いさえすれば、何の心配もいらぬ」
「運命操作さえ使っておけば、私は何もしなくていいって言うの?」
「危険な場所へ行く必要はないと言っている」
「確かに私には戦う力も危険を回避する力もないけど…そんな言い方ひどくない?」
「相手は神をも殺す魔獣なのだ。おまえの身に万が一のことがあってはならぬ」

 魔王は怒ったように云った。
 その気持ちはわかる気もするけど…。

「私の気持ちはどうなるの?」
「トワ…」
「大切な人たちが戦いで傷ついたりしてるのに、私だけ安全なところにいて平気なわけないでしょ!そんなの…心配で死んじゃうわよ!」

 魔王は困った表情で溜息をついた。

「私も連れて行って。運命操作でどうにかできるからって、運命を他人任せになんてしたくないの」
「困った奴だ…」
「置いてったりしたら運命操作を使って抜け出してやるんだからね!」

 彼はフッと笑った。
 やっと私の云うことを受け入れてくれたみたい。

「…わかった。連れて行ってやる。その代わり条件がある」
「何?」
「我とエンゲージしろ」
「なっ…!今それ関係ある?」
「ある」

 彼はソファに座る私を押し倒すように、上に覆いかぶさってきた。
 ソファの脇に手をついて、私のすぐ目の前に魔王が迫ってくる。

「ま、待って…心の準備が…」

 心臓がバクバクいっている。
 魔王の整った顔が正面に迫ってきて、近い…。
 私は覚悟を決めて、そっと目を閉じた。
 吐息と共に唇が触れる感触があった。

 あ…れ…?
 なんだかまた気が遠く…。
 まさか、また…?
 なんで…?
 やだ…!気を失いたくない。
 また彼を失望させるの、嫌なのに…!

 意識が遠のいていく私の両肩を、魔王の腕が強く掴んだ。

「トワ、しっかりしろ。支配されるな」

 支配…?何を言ってるの…?

 彼の唇の熱を感じる。
 呼吸が苦しくなるほど、深く口づけされている。
 霞む視界とは裏腹に、頭の芯が甘く痺れる感覚があった。

「ゼル…くん、私を、離さないで…」
「ああ、離さない」

 彼の温もりを全身に感じたことで、私は安心したのかもしれない。
 それきり、私の意識は途切れた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 私は夢を見ていた。
 夢だってわかってる夢だ。
 ほんとに、どうしていつも、魔王とエンゲージしようとするとこうなっちゃうんだろう…?
 催眠術にでもかかってるみたいだ。

 でもさっき、魔王とキスした時…なんだか少し変だった。
 いつもと違うっていうか…なんていうのかな、お花の香りがしたみたいな。
 思い出しただけでもちょっと興奮して胸がドキドキする。
 もしかして、エンゲージするって、こんな気持ちなのかな…。

 私が立っている場所は、以前イシュタムに連れていかれた亜空間に似ていた。
 夢だからって背景使い回しすぎじゃない?

 そうしているうちに、なぜか目の前にイシュタムが現れた。
 相変わらず大きな角だなあ。魔族っていうより、鬼って感じだよね。
 私、イシュタムにそれほど思い入れとかないはずだけど、夢の中にまで出てくるってどういうことなんだろう?
 それならどうして魔王が出て来てくれないわけ?おかしいでしょ。

 イシュタムは私に手を差し出して云った。

「トワ、手を貸して欲しい。おまえの助けが必要だ」
「夢の中でまでお願い事しないでよ…」
「このままではイドラはテュポーンに食われて世界から消えてしまう。イドラを助けたい」
「あんたってば口を開けばイドライドラって。そんなにイドラが大事?」
「この世界に来て、初めて感情というものを知った。イドラはその感情を向けた初めての相手だ」

 それって…もしかして、初恋ってやつじゃない?
 マジでウブな奴かよ!
 でも確かに初恋は大事にしないとね。

「わかったわ。いいわよ」

 どーせ夢なんだし。
 …と思って軽く請け負った。

 イドラのことを考えると、突然、私は見たことのない暗い空間の中に転移した。

「ちょっと、どこよ?ここ?」
『うまく入りこめたようだな』

 どこからかイシュタムの声が聞こえる。
 イシュタムによれば、ここはイドラの思念の世界だという。イシュタムは他人の思念の中には入れないので、亜空間から私にガンガン指示を飛ばしてくる。なんだか偉そうだ。
 この思念世界は、テュポーンに食い荒らされているせいで、黒い雲がかかっていて、あちこちに雷光が見え、まるで嵐の中にいるようだった。
 この世界のどこかにイドラの思念がまだ残っている筈で、イシュタムはそれを見つけて持ち帰って欲しいと伝えて来た。
 嵐のような荒天の中、まるで荒野みたいにゴツゴツした岩場を歩いて進む。いくら夢だとしても、こんなところを闇雲に歩いてイドラを探すなんて、途方もない話だ。

 こんなの聞いてないよ!
 散々歩いて、髪はボサボサだし、雨でびしょ濡れだし。
 それでもようやく私はその荒れた空間の中に、地面から空に向かって真っすぐに立ち昇る光の柱を見つけた。
 その光の柱の中には、小さな白い立方体が浮かんでいた。
 それは白一色のルービックキューブみたいだった。
 私はその立方体を手に取った。
 イシュタムは、それこそがイドラの意識体だと云った。
 手のひらの上に乗るくらいの小さな立方体を上から横から見てみたけど、中がどうなっているのかはわからなかった。

「この中にイドラがいるのかしら…」
『それを持って帰ってきて欲しい』
「はいはい」

 立方体の外から呼び掛けてみると、聞き取れないほどに小さな声で返事があった。
 耳を傾けると、中からかすかにイドラらしき声が聞こえてくる。
 私が立方体に話しかけると、イドラは答えた。
 イドラは自分の意識世界をテュポーンの意識に乗っ取られて、ついにはこんなに小さな意識体のみになってしまったのだという。
 でも、この意識がある限り、テュポーンはイドラを完全に支配できないらしい。

 ん?
 それを聞いて、私はあることに気付いた。

「ちょっと待って…。それじゃ、イドラの意識をここから持ち出したら、この体はテュポーンのものになっちゃうんじゃない?」
『ああ』
「…そうすると、テュポーンが復活するんじゃ?」
『そうなるな』
「…それっていいの…?」
『このまま、ここに置いておいておけばいずれ呑み込まれる。あれに意識を呑み込まれたら存在が消えてしまう。そうなる前に救い出したい』
「えー…!だってテュポーンが復活したら、人間とか魔族とか皆食べられちゃうって…云ってたよね?」
『それがどうした』
「どうした、じゃないわよ!イドラを助けるために、他の人を犠牲にしてもいいの?」
『テュポーンを倒せば問題ない』
「問題大アリよ!」

 夢の中までもイシュタムはイシュタムだった。
 イシュタムは自分の認知していない人物のことなど眼中にないみたい。
 テュポーンが復活して誰かが犠牲になってもきっと興味が無いんだ。

「テュポーンの復活を止めないとダメなのよ!」
『止める方法はない。倒すしかない』
「倒したらイドラだって死ぬんじゃないの?」
『おまえは蘇生ができるのだろう?意識さえあれば元に戻せる』
「結局私に頼ろうってことじゃん!何よそれ」
『では、どうするかはおまえに任せる』
「ちょっと!人に投げないでよ!!」

 ここへ来て、こんな大事な選択を私に任せるとか鬼かあんたは!
 私が迷っていると、立方体からイドラが語り掛けて来た。
 ここへ自分を置いていけという。
 できうる限り抵抗して頑張ってみるから、呑まれるまでにテュポーンを倒す計画を練るか、避難対策をして欲しいとか云う。
 そんなこと云われたら、助けるしかないじゃん!

「…こんなところまで来て、手ぶらで帰るとかないわよね…」
「私を連れ出せばテュポーンが復活する」
「私、イシュタムにあなたを助けて欲しいって頼まれて来たのよ?」

 私がそう云うと、イドラは沈黙した後、とても小さな声だけど、確かに云った。

「こんな私に好意を寄せることなんて…ありえないのに」
「そんなことないよ。イドラは私から見ても奇麗だもん。もっと自信持ちなよ」

 するとイドラは「恥ずかしい」と云ったまま沈黙してしまった。
 気のせいか立方体が、一回り大きくなった気がした。

 私は覚悟を決めた。
 これがなんとなく夢じゃないような気がしていたけど、夢でも夢じゃなくても、やるべきことはやるしかない。
 私のせいでテュポーンが復活するんなら、全力で倒す手伝いをするしかない。
 イドラを助けて、皆も助けたい。
 どっちか選ぶなんて無理よ。2つしか選択肢がないのなら2つとも選んでやるわ。
 だって、後悔したくない。

 私は小さな立方体を服のポケットに仕舞い込んだ。
 そうして空間をイシュタムの元へ戻ろうと意識を集中させた時、突風が私を襲い、空中に飛ばされてしまった。

「きゃああ!」
『トワ、早く戻れ』
「そ、そんなこと言ったって…」

 私はどこが上か下かわからなくなるほどぐるぐると宙を飛ばされていて混乱していた。 
 そのまま風に飛ばされた私は、蜘蛛の巣のようなものにひっかかった。

「なんなのよう!」
『トワ、どうした』

 蜘蛛の巣のようなものは、よく見ると魔法陣のように見えた。

「風に飛ばされて、魔法陣みたいなのにひっかかってるのよ」
『魔法陣だと?…トワ、そこから離れろ。引き込まれるぞ』
「え?」
『その魔法陣は魔界の扉だ。扉の向こうは魔界に繋がっている』
「嘘でしょ…」
『その扉はイドラの宝玉によってできたものだ。テュポーンは宝玉の力で魔界の扉を開き、こちらの世界へやってくるつもりだ』
「マジか!」
『魔界へ落ちてしまったら助けてやれぬ。何とか自力で戻って来い』
「無茶言わないでよ!」

 私は必死で体を起こそうとしたけど強烈な風に煽られ、ついに魔法陣を突き抜けてその奥へと飛ばされてしまった。

「きゃあああ―――!」

 私の悲鳴だけが暗い奈落の底にこだました。
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