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第七章

エンゲージの記憶

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 ある夜、カナンはマルティスの元を訪れた。

 マルティスたちは元いたコンドミニアムの上等な部屋に戻っていた。
 ただし、イヴリスだけはマクスウェルのいる魔王府に移った。
 このコンドミニアムも、魔王軍に参加する魔族たちの収容先になっているのだが、司令官に任じられたゼフォンとエルドランにはこの部屋を引き続き使用することが認められたのだ。

 突然カナンが訪ねてきたことにゼフォンは驚いた。
 彼はゼフォンらに連絡事項を伝えに来たと云う。
 カナンの剣技にすっかり魅了されたゼフォンとエルドランは、訪ねてきた彼に弟子入りを志願し、彼を困惑させた。
 部屋には彼ら2人とマルティスがいた。
 優星は、将たちを探しに市内に出ていて留守だった。
 カナンは部屋にあがり、リビングに通された。

「トワとイヴリスがいなくなってすっかりむさ苦しくなったぜ」

 マスティスはボヤいていた。
 ゼフォンやエルドランと違い、マルティスだけは軍に参加しないと表明していたが、ここから出て行く気もないらしい。
 そんな彼に、カナンは話しかけた。

「あんた、マルティスって言ったな。エンゲージしてる相手はいるのか?」
「何だよ突然。いるけど、それがどうかしたか?」
「相手はロアって言わないか?」
「…なんで…そんなこと」
「私の知り合いにロアという者がいて、今病に臥せっている。ナラチフからエンゲージした相手を探しに出て来たというんだが、そのロアのパートナーが、マルティスと言う名だそうだ」
「…へえ、奇遇だな」

 マルティスは他人事のように答えた。

「あんたではないのか?」
「俺じゃあない」
「…そうか。私はエンゲージしたことはないが、エンゲージすると相手に対する想いが深まると聞いたことがある。その名を聞いて何か思うところはないか?」
「ないね。たまたま同じ名前だったんだろ」
「…金髪の巻き毛だとも聞いているのだが、それもたまたま同じだというのか?」
「ああ、そういうこともあるんだろうよ」

 カナンは訝し気にマルティスを見た。

「あくまで認めないんだな」
「俺は本当に知らないんだ」
「…そうか。ロアは我々が保護している。もし興味が湧いて、彼女に会いたいというのなら魔王府に来てくれ」

 カナンはそう云って部屋を出て行った。
 エルドランがカナンを外まで見送りに出て行った。
 それを見送って、ゼフォンがマルティスに声を掛けた。

「確かおまえはナラチフ出身だったな」
「よく覚えてるな」
「…なぜ嘘をつく?」
「…嘘じゃない」
「言いたくないなら無理には聞かん。だが、相手は病だと言うぞ。…それを聞いても平気なのか?」

 ゼフォンの言葉に、マルティスは盛大に溜息をついた。

「平気なわけないだろ」
「…なんでそう言わなかった」
「俺だって言いたかったさ!だけどできねーんだ」
「どういうことだ?」
「…思い出せないんだよ。ひとっつも!」
「…何だと?」
「俺は、パートナーの記憶を消されちまってんだ」
「…エンゲージしている相手を思い出せないなんてことがあるのか…?」
「大戦で俺はエウリノームの軍に参加したんだ。精神スキルの使える俺は、諜報部隊に配属された。そこで、エンゲージしている者は、その記憶を消されたんだ」
「…なぜだ?」
「戦場には恋だの愛だのは邪魔なんだと云われた記憶があるよ。もう帰らぬつもりで戦えってな」
「むごいことを…」
「里心が付かないように、だろうな。エンゲージは残っているけど、その相手については一切記憶が無いんだ。相手の元に戻ろうと思っても戻れないだろ」
「相手に事情を話してやり直すわけにはいかなかったのか」
「そんなこと、おまえならできるか?バツが悪すぎんだろ…」
「…案外臆病なんだな、おまえ」
「悪かったな。だいたい会ったとしても、こっちは初対面みたいなもんだし、相手と温度差がありすぎるだろ。受け止める自信ねえよ…」

 ゼフォンはマルティスの悩む姿を見て云った。

「だが、会えるのなら会ってみてはどうだ。エンゲージしたほどの相手だ。記憶が無くても、何か心に蘇ることもあるかもしれんぞ」
「…ゼフォン、おまえさんも案外ロマンチストだな」
「そうか?」
「ああ、モテるわけだよ」
「話をすり替えるな」
「…俺は、怖いんだ。相手と会っても、その気持ちを受け止めてやれないことがさ。会えばきっと悲しませちまう。エンゲージってのは不思議なもんでさ。相手のことを思い出せなくても、自分が相手を思ってたって感情だけは残ってるんだ。だけど、今そのパートナーに会っても、その時と同じ感情が持てるかどうか、自信が無いんだ」
「連絡しなかったのはそういうことだったのか」
「ああそうだよ!…ちゃんと話して、エンゲージを解消してれば、あいつは自由になれたのにな…」
「解消する気はないのか?」
「本音をいえばな。この100年、ずっと相手の魔法紋を眺めてた。思い出そうと努力もしたさ。エンゲージしてたって相手の顔も覚えてねぇし、それを想像することが日課みたいになってたんだ。人間に媚び売ってまで100年以上も人間の国で生きてきた俺のモチベーションがそれさ。…俺みたいなのを好きになってくれる奇特な奴がどんな人物なのか、ってな」
「金に執着しすぎなのもモチベーションの1つではないのか」
「バーカ!そんなのいつかパートナーをこっちへ呼んで、いい暮らしをするために決まってんだろ!」

 ゼフォンはフッと笑った。

「なら、会いに行って来ればいいのに」
「簡単に言うなよ…!おまえが云う通り、俺は臆病なんだ」

 ゼフォンにはマルティスが迷っているように見えた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 暴動の起こったゴラクドールからは、ほとんどの人間が避難もしくは退去していた。

 市長の別荘にいた将たちは、魔族がうろついていて外に出られない状態が続いていた。
 その周辺地区はペルケレ共和国のVIPの屋敷が多く集まっているところで、領主のヒースをはじめ、屋敷に軟禁されている者も多く、魔王の命によって封鎖されていた。
 外では暴動が起こっていたが、この地区だけは食糧の供給もあり、平穏だった。
 彼らは、ある程度暴動が治まった頃を見計らって外へ出てみたが、魔族が溢れていて、人間だと見ると襲い掛かってきたので、別荘に戻らざるを得なかった。
 別荘の管理人は、市長が戻るまで別荘から出ないと公言していたので、彼らはしばらくの間ここで平穏に暮らすことができた。しかし実は市長はもうとっくに脱出していたのである。
 管理人からこの都市の地下の地図を見せられた彼らは、地下道を通って脱出しようと計画を立てた。
 勇者候補一行は管理人に礼を云って、別荘を後にした。
 彼らは地下道の入口までなんとかたどり着き、長い地下道を進んで行った。

 彼らは、そこで思いがけない人物に出会った。
 それは地下道のポータル・マシンからやってきたロアと聖魔騎士団員たちだった。
 将とエリアナが何より驚いたのは、魔族たちに混じって人間の優星の姿があったことだ。
 彼らは混乱した。
 彼らが知る限り、人間の優星は殺害され、魔族の姿になっていたはずだった。
 なのに、元の姿の優星が目の前にいる。
 これは一体どういうことなのだろうか。

「ちょっと…優星…なの?」

 エリアナが恐る恐る問いかけた。

「ああ、エリアナじゃないか。こんなところでどうしたの?」

 彼女には優星が今までと変わらないように思えた。

「どうしたのじゃないわよ!あんたこそ…なんで元の姿に戻ってんの?」
「ああ、彼らに助けてもらった時に、戻ったみたいなんだ」

 そう云って人間の優星は、ここまで連れてくれた騎士団メンバーを振り返った。

「本当に優星なのか?」
「やだな、将。本当に私だよ」
「…私?」
「これからどこへ行くの?」
「トワに会いにだよ」
「…ここに、トワがいるの?」

 クシテフォンが誰かと遠隔通話で連絡を取っていたようで、魔王府の前まで移動する、と云い出したので、将たちも同行を申し出た。
 トワがそこにいるのなら会わねばならないし、何より優星が本物かどうか、見極めたいと思ったのだ。
 
 彼らは魔王府として使用されているホテルの正面へ移動した。
 ちょうど、遠隔通話で連絡を受けたカナンがロビーの外にいた。
 魔王府入口とロビーの中には大勢の警備の魔族がいた。
 どこを見ても魔族だらけな光景に、エリアナたちは場違いなところへ来てしまったと思った。
 人間の彼らは、大勢の魔族たちからガン見されていて、カナンたちと一緒でなかったら即襲われただろう。

「将!エリアナ!やっと見つけたー!」

 2人が声のした方を振り向くと、前の道路を魔族の姿の優星が手を振ってこちらへ駆けてくるのが見えた。
 こっちは天幕で別れた時のままの彼だ。
 だが、隣には人間の優星がいる。彼らは混乱した。

「えええーー!?」
「どーゆーことだ?」

 将とエリアナは、2人の優星を交互に見ながら叫んだ。

「優星様が…2人?」

 アマンダとゾーイも、思わず声に出していた。
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