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第六章
キマイラの襲撃
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ゴラクホールでは、開閉式の天井が開けられて開放的な雰囲気の中、模擬戦が行われていた。
天井が開くとホールの雰囲気は闘技場そのものになった。
闘技場と違うのは、中央の円形の闘技グラウンドが、ショーアップのための昇降式のステージになっていることだ。
ホールの中央に設けられた円形の大きなステージは地上から3メートルほどの高さに底上げされており、そこへ登るための階段と通路が東西南北に1つずつ配置されている。
そのステージを中心に、360度ぐるりとすり鉢状に観客席が取り囲んでいる。
この日は個人戦のチャンピオンが登場するとあって、客席は満席だった。
やはりチャンピオンのエルドランの人気は高く、この日のチケットは高値で転売されるほどの人気ぶりだった。
個人戦のチャンピオンのエルドランがたった1人で10人以上の闘士を相手に戦うというバトルロイヤル的なプログラムや、パーティ戦準優勝チームのルキウスたちが、魔物召喚士の召喚した人狼やトカゲ人間軍団と戦うというかなり変則的なプログラムもあった。
ステージへの東側入場通路口の近くでそれを見ていたマルティスたちも、セウレキアの闘技場とは違って完全にショーアップされた催し物を、それなりに楽しんでいた。
「ゼフォン、エルドランと戦ってやらないのか?あいつおまえとやりたがっていたぞ」
「あいつはチャンピオンだ。俺とやったらあいつの経歴にキズがつくことになる」
「余裕の発言だな~。今日は模擬戦だから勝ち負けはつかねえよ」
「心の問題を言っているんだ」
そうしているうちに、闘士たちが引きあげ、女性のダンサーたちがステージに出て来た。
太鼓や笛などのマーチングバンドが出て来て、華やかなハーフタイムショーが始まった。
若い女性たちがお揃いのユニフォームを着て、キレッキレのダンスを披露している。
「あの子たちのユニフォーム、可愛いですねえ~」
イヴリスはダンサーのショーに夢中だった。
彼女は別に女性体だからといって女性に興味がないわけではなく、むしろ可愛い女子が大好きだったようだ。
バンドの演奏の音にかき消されていたが、なにやら外から騒音が聞こえる気がする、と最初にその異音に気付いたのはマルティスだった。
「なんだか騒がしいな」
そう云った次の瞬間、地面が大きく揺れた。
「うおっ!何だ?」
一部の客席の人々も異変を感じたらしく、騒ぎ出した。
「おい、あれ…なんだ?」
「何か上から飛んできたぞ」
客が見たのは、ホールの壁を越えて外から飛んできた物体だった。
飛んできたというより、誰かが投げ入れたといった方が良いかもしれない。
それはステージでダンスを踊っていた女性たちのド真ん中にベチャッと音を立てて落下した。
女性たちは、それを見て悲鳴を上げた。
それは人間の女性の死体だった。
ダンサーたちは悲鳴を上げながら、争うようにステージから一斉に逃げ出した。
すると、他にもいくつもの死体がホール内に降ってきた。
「ひ、人が降ってきた!」
「うわぁぁぁ!」
客席にも死体が落ちて来て、その下敷きになった客もいた。
彼らはパニックになって一斉に出口へと殺到した。
控室の方からコンチェイが息を弾ませながら走ってきた。
「大変だ!魔獣が現れて、すぐそこまで来てる!早く逃げろ!」
「魔獣だって?」
マルティスは驚きの声を上げた。
「私が見てきます」
イヴリスはそう云うと、ひらりとジャンプしてホールの柱を登り、天井近くのポールに駆け上った。
天井が開いているため、都市が一望できる。通常なら、高層ビルやカジノの看板など華やかな風景が見られたことだろう。
だがこの時イヴリスが見た光景は、見たこともない巨大な魔獣が、人間を食らい、前足で建物を破壊しながらこちらへ向かってくる様子だった。
彼女の目の前に迫る巨大な魔獣は、ライオンのようなタテガミを生やす肉食獣の顔を持ち、「ギャオォ」と吠えていた。
タテガミの後ろには馬のような草食動物の頭が後ろを向いて生えている。
尻尾は根元から二股に別れた双頭の蛇で、馬のような4つの足先には2つに割れた蹄がついていた。
そして、その胴体は鱗で覆われ、背中には大きな蝙蝠のような翼が生えていた。
ホールの中に降ってきた人間は、その魔獣によって跳ね飛ばされた人間たちだった。
「なんというデタラメな獣…!」
イヴリスはゼフォンたちの元へ戻ると、巨大な魔獣が人間たちを殺しながらこちらへ向かっていることを伝えた。
マルティスは、その魔獣の特徴をイヴリスから聞くと、その正体に思い当たった。
「そりゃキマイラってやつだな」
「キマイラ…ですか。なんだか恐ろしい姿をしていました」
「大昔にも人間との戦いに召喚された記録があるヤツだよ。人間の国の歴史書で見たことがある。前の頭から灼熱の炎を吐いて、後ろの頭からは毒液を吐くらしい。おまけに飛ぶんだとよ」
「ここの観客たちを食らいに来たというわけか」
ゼフォンが呟いた。
「弱点はあるんですか?」
イヴリスがマルティスに尋ねた。
「わからん」
マルティスがあっさり云ったのでイヴリスはがっかりした。
そう話していると、観客席からまた一段と大きな悲鳴が上がった。
ホールから逃げようとして、人々が殺到した結果、出口に向かう階段で将棋倒しになってしまい、その場で死人が出る事態になってしまったのだ。
警備員たちが必死で整理しているが、人々は彼らを押しのけ、我先に逃げようとする。
人を押しのけ、踏みつけてなんとか外に脱出できた者は、外に出た途端、魔獣の吐き出した業火の炎に焼かれて消し炭になってしまった。
その様子を目の前で見ていた他の客たちは、足を止めた。
すると、警備員たちがこう叫んだ。
「このホールはテロや魔法による攻撃の対策が施されているので、ホール内にいれば魔獣の吐く炎も無効化されます!中にいれば安全です!席に戻るかホール内にいてください!」
それを無視して外に逃げた者は、魔獣の吐いた炎に焼かれて死んだ。
逆に逃げ遅れてホールに残された者たちは助かったのだ。
警備員たちが客たちを落ち着かせ、傭兵部隊が来るまでホール内に退避してくれと客たちを客席や舞台前に押し戻した。客たちは、仕方なくホールの中で待機することにした。
魔獣はホールの周りをうろうろしていたが、ホールの外壁には防御壁が張られていて、魔獣も簡単には壊せないようだった。それでも、キマイラがホールの外壁に体当たりすると、ホールが音を立てて揺れた。その度に人々の悲鳴があがる。
通路の入口にいたマルティスたちはコンチェイ共々、客席からあふれ出た人々が通路にまで押し寄せたため、中央のステージ近くまで人の波に押されて来てしまった。
「こう人が多いと身動きが取れん。魔獣と戦おうにも外にも出られん」
ゼフォンが大勢の市民たちの波にのまれながら云った。
「大勢の人質を取ったってことかよ…。魔獣よりこっちの方が厄介だったりしてな」
「他の闘士たちは?」
ゼフォンが訊くと、コンチェイが答えた。
「とっくに逃げちまったよ。今ホールにいるのはこの後の出番を待ってたおまえたちとルキウスのチーム、エルドランくらいだ」
「そいつらはどこに?」
「あそこだ」
コンチェイが指さす方向を見ると、ちょうどステージを挟んで反対側の入口付近に姿が見えた。
マルティスは中央のステージに上がって彼らにこちらに合流するよう合図をした。
ステージの上に誰も上がってこないのは、空から降ってきた死体がいくつも転がっていたからだ。
マルティスが不遜にもその死体を足で蹴ってステージの端に滑らせて寄せていると、ステージの中央に突然歪みが生じ始めるのを目撃した。
「お、やっと戻ったか?」
マルティスは思わず声を上げた。
その声に釣られてゼフォンもイヴリスもステージの上に視線を移した。
空間の歪みが大きくなった。
「いいタイミングで帰ってきたな」
マルティスが呟くと、その歪みから複数の人影が現れた。
大きな角を持った魔族を中心に、円を描くように複数の人物がステージ上に現れた。
その中にはトワがいて、マルティスの良く知っている顔もあった。
彼らがステージ上に現れた所を見ていた客たちからはざわめきが起こった。
一部の客たちは、彼らが魔獣討伐のために派遣されてきた傭兵部隊ではないかと思い込んだ。
彼らの中には、鎧をつけた者もいたからだ。
「なにここ…?」
「うわ!めっちゃ人いるじゃん!どこかの球場か?」
エリアナと将は周りをきょろきょろと見回していた。
ゾーイもアマンダも驚きを隠せなかった。
彼らが現れた場所は、大勢の人間たちが見守るステージの上だったからだ。
「ゾーイさん…なんだか、私たち、すごく注目されていませんか?」
「ああ。この円い形状、まるで噂に聞く闘技場みたいだな」
その隣で大声を上げていたのは優星だった。
「うわぁ!何だよ、これ死体?」
優星は傍に転がっていた死体を踏んづけそうになって驚いていた。
ステージの中央にいたイシュタムは、無言のままゆっくりと周囲を見回し、トワを見つめた。
イシュタムがトワに声を掛けようとした時、イヴリスがステージに駆け寄ってきた。
ゼフォンもそれに続いた。
「トワ様ー!」
イヴリスがトワに抱きつくと、彼女は力なくイヴリスの腕の中に崩れ落ちてきた。
「トワ様?どうしたんですか?」
「トワ…?」
駆けつけてきたゼフォンも心配そうに彼女を見た。
イヴリスの腕の中でしばらくボーっとしていたトワだったが、すぐに元の表情に戻った。
「あ…イヴリス。ただいま…」
「あ、お、おかえりなさい、大丈夫ですか?」
イヴリスが心配そうに声を掛けたが、トワにむぎゅっと抱きつかれると、恍惚とした表情になった。
「ああっ、トワ様…!」
イヴリスはトワを抱き返した。
ゼフォンは、やれやれ、という表情をして、ふとトワの横にいた優星を見た。
「…もしや、アルシエル様?」
ゼフォンは優星にそう声を掛けた。
「は?」
「魔王護衛将筆頭のアルシエル様、でしょう?ご無事だったんですね!」
ゼフォンは優星の元の身体の持ち主であるアルシエルを知っているようだった。
「あ、ああ…あの、そうなんだけどそうじゃないんだ」
「このようなところでお会いできるとはなんという幸運。敵に囲まれた時、あなたの決死の屍術のおかげで我々は生き延びることができました。なんとお礼を云って良いか…」
「し、屍術?」
「あれは命を削る秘術だったと、後から仲間に聞きました。そんな命懸けのスキルを、我々ごときに使っていただけたことに感謝しています」
優星は目の前の魔族が何を云っているのかよくわからなかった。
カラヴィアからは、かなり強い戦士だったとしか聞いていなかった優星は、戸惑うばかりだった。
「あの、ごめんなさい!勘違いです!」
「勘違い?」
「僕、アルシエルじゃないんです…」
ゼフォンの鋭い眼光が優星を見つめた。
「どういうことだ?まさかアルシエル様に化けているのか?だとしたら許さん…!」
「ちょっと、待って待って!あの、そうじゃなくて…」
優星は、将たちに話して聞かせたように、また身の上話をすることになった。
イドラはホールの中を見渡してその人の多さに驚いてると、後ろから肩をポン、と叩かれた。驚いて振り向くと、そこには見知った人物が立っていて、白い歯を見せていた。
「よぅ、イドラ…だよな?」
「…マルティス!?どうしてここにおまえが?」
声を掛けてきた相手を見て、イドラは目を見開いた。
「そりゃこっちのセリフだよ。おまえ、その顔…もしかしてトワに治してもらったのか?」
マルティスの驚いた顔を見て、イドラはにっこりと笑顔を見せた。
「ああ、その通りだ。トワに癒してもらった」
「そうか…良かったな。なんでトワと一緒なのか、聞かせてもらおうか」
「ああ、こんな奇跡が起こるなんて、未だに夢じゃないかと思うよ」
「なんだかずいぶんべっぴんさんになっちゃったな…。やりにくいぜ」
そこへ、イドラとマルティスの間に、額から大きな角の生えた魔族の男が割り込んできて、マルティスを押しのけた。
「うわっ!なんだよ、あんた誰だ?」
「おまえは誰だ?イドラの知り合いか?」
「イシュタム、大丈夫だ。これは私の古い知り合いだ」
突然イシュタムが、まるでイドラを守るように間に立ったので、イドラはクスッと笑った。
「!…って、今そんな場合じゃないんだった!」
マルティスが慌てて彼らに、魔獣が出現したことを説明した。
「ここでも魔獣だと…?どういうことだ…!」
イドラは顔色を変えた。
天井が開くとホールの雰囲気は闘技場そのものになった。
闘技場と違うのは、中央の円形の闘技グラウンドが、ショーアップのための昇降式のステージになっていることだ。
ホールの中央に設けられた円形の大きなステージは地上から3メートルほどの高さに底上げされており、そこへ登るための階段と通路が東西南北に1つずつ配置されている。
そのステージを中心に、360度ぐるりとすり鉢状に観客席が取り囲んでいる。
この日は個人戦のチャンピオンが登場するとあって、客席は満席だった。
やはりチャンピオンのエルドランの人気は高く、この日のチケットは高値で転売されるほどの人気ぶりだった。
個人戦のチャンピオンのエルドランがたった1人で10人以上の闘士を相手に戦うというバトルロイヤル的なプログラムや、パーティ戦準優勝チームのルキウスたちが、魔物召喚士の召喚した人狼やトカゲ人間軍団と戦うというかなり変則的なプログラムもあった。
ステージへの東側入場通路口の近くでそれを見ていたマルティスたちも、セウレキアの闘技場とは違って完全にショーアップされた催し物を、それなりに楽しんでいた。
「ゼフォン、エルドランと戦ってやらないのか?あいつおまえとやりたがっていたぞ」
「あいつはチャンピオンだ。俺とやったらあいつの経歴にキズがつくことになる」
「余裕の発言だな~。今日は模擬戦だから勝ち負けはつかねえよ」
「心の問題を言っているんだ」
そうしているうちに、闘士たちが引きあげ、女性のダンサーたちがステージに出て来た。
太鼓や笛などのマーチングバンドが出て来て、華やかなハーフタイムショーが始まった。
若い女性たちがお揃いのユニフォームを着て、キレッキレのダンスを披露している。
「あの子たちのユニフォーム、可愛いですねえ~」
イヴリスはダンサーのショーに夢中だった。
彼女は別に女性体だからといって女性に興味がないわけではなく、むしろ可愛い女子が大好きだったようだ。
バンドの演奏の音にかき消されていたが、なにやら外から騒音が聞こえる気がする、と最初にその異音に気付いたのはマルティスだった。
「なんだか騒がしいな」
そう云った次の瞬間、地面が大きく揺れた。
「うおっ!何だ?」
一部の客席の人々も異変を感じたらしく、騒ぎ出した。
「おい、あれ…なんだ?」
「何か上から飛んできたぞ」
客が見たのは、ホールの壁を越えて外から飛んできた物体だった。
飛んできたというより、誰かが投げ入れたといった方が良いかもしれない。
それはステージでダンスを踊っていた女性たちのド真ん中にベチャッと音を立てて落下した。
女性たちは、それを見て悲鳴を上げた。
それは人間の女性の死体だった。
ダンサーたちは悲鳴を上げながら、争うようにステージから一斉に逃げ出した。
すると、他にもいくつもの死体がホール内に降ってきた。
「ひ、人が降ってきた!」
「うわぁぁぁ!」
客席にも死体が落ちて来て、その下敷きになった客もいた。
彼らはパニックになって一斉に出口へと殺到した。
控室の方からコンチェイが息を弾ませながら走ってきた。
「大変だ!魔獣が現れて、すぐそこまで来てる!早く逃げろ!」
「魔獣だって?」
マルティスは驚きの声を上げた。
「私が見てきます」
イヴリスはそう云うと、ひらりとジャンプしてホールの柱を登り、天井近くのポールに駆け上った。
天井が開いているため、都市が一望できる。通常なら、高層ビルやカジノの看板など華やかな風景が見られたことだろう。
だがこの時イヴリスが見た光景は、見たこともない巨大な魔獣が、人間を食らい、前足で建物を破壊しながらこちらへ向かってくる様子だった。
彼女の目の前に迫る巨大な魔獣は、ライオンのようなタテガミを生やす肉食獣の顔を持ち、「ギャオォ」と吠えていた。
タテガミの後ろには馬のような草食動物の頭が後ろを向いて生えている。
尻尾は根元から二股に別れた双頭の蛇で、馬のような4つの足先には2つに割れた蹄がついていた。
そして、その胴体は鱗で覆われ、背中には大きな蝙蝠のような翼が生えていた。
ホールの中に降ってきた人間は、その魔獣によって跳ね飛ばされた人間たちだった。
「なんというデタラメな獣…!」
イヴリスはゼフォンたちの元へ戻ると、巨大な魔獣が人間たちを殺しながらこちらへ向かっていることを伝えた。
マルティスは、その魔獣の特徴をイヴリスから聞くと、その正体に思い当たった。
「そりゃキマイラってやつだな」
「キマイラ…ですか。なんだか恐ろしい姿をしていました」
「大昔にも人間との戦いに召喚された記録があるヤツだよ。人間の国の歴史書で見たことがある。前の頭から灼熱の炎を吐いて、後ろの頭からは毒液を吐くらしい。おまけに飛ぶんだとよ」
「ここの観客たちを食らいに来たというわけか」
ゼフォンが呟いた。
「弱点はあるんですか?」
イヴリスがマルティスに尋ねた。
「わからん」
マルティスがあっさり云ったのでイヴリスはがっかりした。
そう話していると、観客席からまた一段と大きな悲鳴が上がった。
ホールから逃げようとして、人々が殺到した結果、出口に向かう階段で将棋倒しになってしまい、その場で死人が出る事態になってしまったのだ。
警備員たちが必死で整理しているが、人々は彼らを押しのけ、我先に逃げようとする。
人を押しのけ、踏みつけてなんとか外に脱出できた者は、外に出た途端、魔獣の吐き出した業火の炎に焼かれて消し炭になってしまった。
その様子を目の前で見ていた他の客たちは、足を止めた。
すると、警備員たちがこう叫んだ。
「このホールはテロや魔法による攻撃の対策が施されているので、ホール内にいれば魔獣の吐く炎も無効化されます!中にいれば安全です!席に戻るかホール内にいてください!」
それを無視して外に逃げた者は、魔獣の吐いた炎に焼かれて死んだ。
逆に逃げ遅れてホールに残された者たちは助かったのだ。
警備員たちが客たちを落ち着かせ、傭兵部隊が来るまでホール内に退避してくれと客たちを客席や舞台前に押し戻した。客たちは、仕方なくホールの中で待機することにした。
魔獣はホールの周りをうろうろしていたが、ホールの外壁には防御壁が張られていて、魔獣も簡単には壊せないようだった。それでも、キマイラがホールの外壁に体当たりすると、ホールが音を立てて揺れた。その度に人々の悲鳴があがる。
通路の入口にいたマルティスたちはコンチェイ共々、客席からあふれ出た人々が通路にまで押し寄せたため、中央のステージ近くまで人の波に押されて来てしまった。
「こう人が多いと身動きが取れん。魔獣と戦おうにも外にも出られん」
ゼフォンが大勢の市民たちの波にのまれながら云った。
「大勢の人質を取ったってことかよ…。魔獣よりこっちの方が厄介だったりしてな」
「他の闘士たちは?」
ゼフォンが訊くと、コンチェイが答えた。
「とっくに逃げちまったよ。今ホールにいるのはこの後の出番を待ってたおまえたちとルキウスのチーム、エルドランくらいだ」
「そいつらはどこに?」
「あそこだ」
コンチェイが指さす方向を見ると、ちょうどステージを挟んで反対側の入口付近に姿が見えた。
マルティスは中央のステージに上がって彼らにこちらに合流するよう合図をした。
ステージの上に誰も上がってこないのは、空から降ってきた死体がいくつも転がっていたからだ。
マルティスが不遜にもその死体を足で蹴ってステージの端に滑らせて寄せていると、ステージの中央に突然歪みが生じ始めるのを目撃した。
「お、やっと戻ったか?」
マルティスは思わず声を上げた。
その声に釣られてゼフォンもイヴリスもステージの上に視線を移した。
空間の歪みが大きくなった。
「いいタイミングで帰ってきたな」
マルティスが呟くと、その歪みから複数の人影が現れた。
大きな角を持った魔族を中心に、円を描くように複数の人物がステージ上に現れた。
その中にはトワがいて、マルティスの良く知っている顔もあった。
彼らがステージ上に現れた所を見ていた客たちからはざわめきが起こった。
一部の客たちは、彼らが魔獣討伐のために派遣されてきた傭兵部隊ではないかと思い込んだ。
彼らの中には、鎧をつけた者もいたからだ。
「なにここ…?」
「うわ!めっちゃ人いるじゃん!どこかの球場か?」
エリアナと将は周りをきょろきょろと見回していた。
ゾーイもアマンダも驚きを隠せなかった。
彼らが現れた場所は、大勢の人間たちが見守るステージの上だったからだ。
「ゾーイさん…なんだか、私たち、すごく注目されていませんか?」
「ああ。この円い形状、まるで噂に聞く闘技場みたいだな」
その隣で大声を上げていたのは優星だった。
「うわぁ!何だよ、これ死体?」
優星は傍に転がっていた死体を踏んづけそうになって驚いていた。
ステージの中央にいたイシュタムは、無言のままゆっくりと周囲を見回し、トワを見つめた。
イシュタムがトワに声を掛けようとした時、イヴリスがステージに駆け寄ってきた。
ゼフォンもそれに続いた。
「トワ様ー!」
イヴリスがトワに抱きつくと、彼女は力なくイヴリスの腕の中に崩れ落ちてきた。
「トワ様?どうしたんですか?」
「トワ…?」
駆けつけてきたゼフォンも心配そうに彼女を見た。
イヴリスの腕の中でしばらくボーっとしていたトワだったが、すぐに元の表情に戻った。
「あ…イヴリス。ただいま…」
「あ、お、おかえりなさい、大丈夫ですか?」
イヴリスが心配そうに声を掛けたが、トワにむぎゅっと抱きつかれると、恍惚とした表情になった。
「ああっ、トワ様…!」
イヴリスはトワを抱き返した。
ゼフォンは、やれやれ、という表情をして、ふとトワの横にいた優星を見た。
「…もしや、アルシエル様?」
ゼフォンは優星にそう声を掛けた。
「は?」
「魔王護衛将筆頭のアルシエル様、でしょう?ご無事だったんですね!」
ゼフォンは優星の元の身体の持ち主であるアルシエルを知っているようだった。
「あ、ああ…あの、そうなんだけどそうじゃないんだ」
「このようなところでお会いできるとはなんという幸運。敵に囲まれた時、あなたの決死の屍術のおかげで我々は生き延びることができました。なんとお礼を云って良いか…」
「し、屍術?」
「あれは命を削る秘術だったと、後から仲間に聞きました。そんな命懸けのスキルを、我々ごときに使っていただけたことに感謝しています」
優星は目の前の魔族が何を云っているのかよくわからなかった。
カラヴィアからは、かなり強い戦士だったとしか聞いていなかった優星は、戸惑うばかりだった。
「あの、ごめんなさい!勘違いです!」
「勘違い?」
「僕、アルシエルじゃないんです…」
ゼフォンの鋭い眼光が優星を見つめた。
「どういうことだ?まさかアルシエル様に化けているのか?だとしたら許さん…!」
「ちょっと、待って待って!あの、そうじゃなくて…」
優星は、将たちに話して聞かせたように、また身の上話をすることになった。
イドラはホールの中を見渡してその人の多さに驚いてると、後ろから肩をポン、と叩かれた。驚いて振り向くと、そこには見知った人物が立っていて、白い歯を見せていた。
「よぅ、イドラ…だよな?」
「…マルティス!?どうしてここにおまえが?」
声を掛けてきた相手を見て、イドラは目を見開いた。
「そりゃこっちのセリフだよ。おまえ、その顔…もしかしてトワに治してもらったのか?」
マルティスの驚いた顔を見て、イドラはにっこりと笑顔を見せた。
「ああ、その通りだ。トワに癒してもらった」
「そうか…良かったな。なんでトワと一緒なのか、聞かせてもらおうか」
「ああ、こんな奇跡が起こるなんて、未だに夢じゃないかと思うよ」
「なんだかずいぶんべっぴんさんになっちゃったな…。やりにくいぜ」
そこへ、イドラとマルティスの間に、額から大きな角の生えた魔族の男が割り込んできて、マルティスを押しのけた。
「うわっ!なんだよ、あんた誰だ?」
「おまえは誰だ?イドラの知り合いか?」
「イシュタム、大丈夫だ。これは私の古い知り合いだ」
突然イシュタムが、まるでイドラを守るように間に立ったので、イドラはクスッと笑った。
「!…って、今そんな場合じゃないんだった!」
マルティスが慌てて彼らに、魔獣が出現したことを説明した。
「ここでも魔獣だと…?どういうことだ…!」
イドラは顔色を変えた。
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「そういうことだ、ルアナ。スッキリと婚約破棄といこうじゃないか」
公爵令嬢のルアナ・インクルーダは婚約者の第二王子に婚約破棄をされた。
しかも、信用していた妹との浮気という最悪な形で。
ルアナは国を出ようかと考えるほどに傷ついてしまう。どこか遠い地で静かに暮らそうかと……。
その状態を救ったのは王太子殿下だった。第二王子の不始末について彼は誠心誠意謝罪した。
最初こそ戸惑うルアナだが、王太子殿下の誠意は次第に彼女の心を溶かしていくことになる。
まんまと姉から第二王子を奪った妹だったが、王太子殿下がルアナを選んだことによりアドバンテージはなくなり、さらに第二王子との関係も悪化していき……。
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