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(49)婚約者3
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「あ…!」
打ったカルラ自身が驚きの声を上げた。
ルドヴィカが目を開けると、目の前には誰かの背中があった。
ぶたれたのは自分ではなかったことに気付いて、ルドヴィカは目を見張った。
「え…?」
ルドヴィカの身替わりとなって平手打ちを食らったのは、栗毛の男性だった。
その顔はまだ少年と言っていい年齢で、彼はルドヴィカを庇うように突然そこへ躍り出て来た。
痩身に濃紺のジャケットスーツを身に纏ったその少年の頬は赤く腫れていた。
「あ、あなた誰?」
突然の乱入者に、カルラは面食らっていた。
「フランツ…!!」
ルドヴィカはその少年の名を呼んだ。
「ごめん、ルドヴィカ。見てられなかった」
彼はそう言ってルドヴィカを振り返った。
ルドヴィカはフランツに抱きついた。
「バカね…!どうして出てきたの…」
「君が殴られるのを黙って見てるなんて僕には無理だよ」
「せっかくのお芝居が台無しじゃない…!」
ルドヴィカが涙ぐんでそう口走ったのを、ガイアは聞き逃さなかった。
カルラも、気勢を殺がれて呆然としていた。
土下座をしていたエルエリス侯爵も突然現れた少年に驚いていた。
「おまえはフランツ…!どうしてここに?おまえは招待していないはずだ」
「私が呼んだの」
「ルドヴィカ、一体どういうつもりだ!」
「おじさん、ルドヴィカは悪くないんです。全部僕がやったことだ」
「違うわ!私が望んでやった事よ!だって、私フランツが好きなんだもの!王家になんて嫁がないわ!」
「何を言ってるんだルドヴィカ!許さん、許さんぞ!」
侯爵はよろよろと立ち上がって、娘を叱咤した。
「行こう」
「…でも…」
「いいから!」
フランツはルドヴィカの腕を掴んで、その場から連れ出した。
周囲の野次馬たちは、彼らのために道を開けた。
「ルドヴィカ!戻ってこい!」
侯爵は叫んだが、二人の姿は見えなくなってしまった。
カルラも呆気に取られて彼らを見送った。
「エルエリス侯」
それまで黙っていたガイアが侯爵に呼び掛けた。
エルエリス侯爵は冷や汗を搔きながらガイアにペコペコと頭を下げた。
「お見苦しい所をお見せして申し訳ございません。すぐに連れ戻しますので…」
「その必要はない」
ガイアは険しい顔で侯爵を睨みつけた。
「エルエリス侯、この婚約はなかったことにしてもらおう」
ガイアは冷静な口調でハッキリ言った。
「ええっ?そ、そんな…殿下、この通り、謝罪します!どうか、どうかそれだけはご勘弁を!」
エルエリス侯爵は再び土下座した。
だがガイアはもう取り合わなかった。
「元はと言えば、父が先代のエルエリス侯爵と交わした約束だったのだ。代替わりした今、そんなものに縛られるいわれはない」
「い、いやいや、殿下!この婚約は陛下も乗り気でしたし、ああみえてうちの娘は魔力も高く、殿下の妃となるに相応しい…」
「俺に相応しい?それは今、俺の目の前で男と連れ立って出て行った女のことか?」
「う…、そ、それは…」
ガイアの苦々しい言葉に、侯爵は言葉を継げなかった。
「とにかくこの婚約は破棄だ。白紙に戻してもらう。二度と俺の前に顔を見せるな」
ガイアはそう言い捨ててさっさとその場を立ち去った。
「あああ、殿下、殿下ーー!!!お待ちください!お赦しを、お赦しを!」
床に這いつくばって縋るように叫ぶ侯爵を、周囲の野次馬たちはクスクスと笑いながら見ていた。
侯爵の傍に立っていたウルリックは、彼を見下ろして冷静に言った。
「どうやら本気で怒らせてしまったようですね」
「あわわ…、どうか、どうかおとりなしを!」
「我が主は一度言い出したことは撤回しませんよ」
「そ、そんなぁ…」
「正式な申し渡しは後ほど使者を遣わします。お嬢様には別に婚約者がおられたようですね。此度の振舞もそのためだったのではありませんか?少しはお嬢様の言葉に耳を貸して差し上げたらいかがですか」
そう言うとウルリックは、ガイアの後を追って去って行った。
エルエリス侯爵は青ざめた顔で床に這ったまま、ポツンと取り残された。
それを横目にカルラはわざと大声で言った。
「王家に睨まれた貴族は一年と持たずに没落するそうですわ。この家もお終いですわね」
そう言い捨てると、彼女は人垣をかき分けてその場を後にした。
他の貴族たちもエルエリス侯爵に背を向け、ヒソヒソと囁き合った。
「エルエリス家も終わりだな」
「この豪勢なパーティー費用も借金らしいぞ。王家との縁談が破談になったら、返すアテはあるのかね」
「こちらも付き合い方を考えねばな」
王家との縁が切れそうなエルエリス家を見捨てる算段をしながら、広間を後にする貴族たちが増えていった。
「おお…お終いだ。何もかもお終いだ…」
侯爵は頭を抱えて嘆き、床に突っ伏した。
人々は去り、侯爵を励まそうとする者は家族でさえいなかった。
ウルリックが馬車を迎えに行っている間、ガイアはエルエリス家の中庭に佇んでいた。
目的も果たしたことだし、とっとと帰ろうと思っていたが、ちょうど帰宅する貴族が多く、馬車の渋滞が起きていた。
迎えを待つ間、人気のない場所を探して歩いていると、植え込みの影に先程の少年とルドヴィカの姿が見えた。
二人は抱き合い、キスをしていた。
「どうしよう…。もし不敬罪で捕まったら、私…」
「もし捕まったら僕が釈放金を払うよ。大丈夫、安心して」
「爵位を取り上げられたら私、貴族じゃなくなっちゃうかもしれないのよ?」
「いいよ。僕は君が貴族だから好きなわけじゃない。それに君は悪くない。僕が命じたことを遂行しただけなんだから」
「なるほど、そういうことだったのか」
繁みの中から突然現れた人物に、二人は驚いた。
「なっ…!ガイウス殿下…!?」
ガイアは二人の傍へと歩み寄った。
するとルドヴィカはその場で跪いてガイアを見上げた。
「ガイウス様、どうか先程の無礼をお許しください!」
「王子殿下、ルドヴィカを叱らないでやってください!全部僕が仕組んだことなんです」
フランツはルドヴィカを庇うように彼女の前に立った。
お互いに庇い合う若い二人は健気に見えた。
「別に、俺は責めに来たわけじゃない。それより君と話がしたい」
ガイアがフランツに視線を向けると、ルドヴィカは立ち上がってフランツの傍に寄り添った。
するとフランツはガイアの前で胸に手を当てて礼を取った。
「申し遅れました。僕はアンドレイエ男爵家の長男フランツと申します」
「アンドレイエ?」
「ご存じないのも無理はありません。うちは十年前に鉱山を所有する地主から貴族に取り立てていただいた新参者ですから。僕の家はこの隣にあって、幼い頃からエルエリス家とは親しくさせていただいていました。侯爵も僕らが仲の良いことを知っているんです」
「…ほう?ではルドヴィカとは恋仲ということになるのかな」
「はい。二人の間だけですがお互い、結婚の約束もしていました」
「侯爵は良い顔をしなかっただろうな」
「…ええ。僕は遠ざけられて、ルドヴィカとは滅多に会えなくなりました。今日のパーティーにも招待されていません」
ガイアはフランツの顔をじっと見つめた。
年の頃はルドヴィカと同じくらいだろうか、整った顔立ちで鋭い目つきをしている。
頭の良さそうな少年だ。
「あの書状は君の入れ知恵か」
ガイアの言葉にフランツは頷いた。
「…はい。殿下にルドヴィカを嫌な女だと思わせて、婚約をなかったことにしようとしました」
「ルドヴィカは君の書いた筋書き通りに演じていたというわけか」
「はい。ルドヴィカはうまくやってくれました。あの女性の乱入さえなければ…」
「カルラか。あれはプライドの高い女だからな。あんな挑発をしては火に油を注ぐだけだぞ」
「すいません。つい…、私、あの方の威圧的な態度に苛立ってしまって、やり込めてやりたくなったんです」
ルドヴィカは肩をすくめた。
カルラに対する挑発的な態度は、芝居ではなく彼女の本心だったのだろう。
フランツはルドヴィカの肩を、励ますように優しく抱いた。
ガイアはルドヴィカに語り掛けた。
「ルドヴィカ、俺のことを覚えているか?」
「うっすらとだけ。…以前、お屋敷に招いていただいた時、私もまだ子供でしたから…」
「フッ、そうだろうな。あれきり会っていなかったしな」
「だから私、なんて話したらいいかわからなくて、フランツに言われた通りにガイウス様に話しかけたんです。…本当はあのまま、ガイウス様に愛想をつかしてもらって、婚約破棄を言い出すよう仕向けるはずだったんです」
「悪くない作戦だったが、想定が甘かったな」
「…はい」
「ごめん、僕が台無しにしたんだ」
フランツは俯いて下唇を噛んだ。
ルドヴィカは心配そうに彼を見つめている。
そしてフランツは、覚悟を決めたかのように顔を上げて、ガイアを見た。
「手討ちになるのを覚悟で申し上げます。ガイウス殿下、ルドヴィカを諦めてください。どうか、僕から彼女を奪わないでください!」
フランツとルドヴィカの真っ直ぐな視線を受けて、ガイアはいたたまれない気持ちになった。
まるで自分が悪役になったような気分だった。
「安心しろ。君の希望通り、婚約は破棄するつもりだ」
ガイアの言葉に、フランツは目を見開いた。
「本当ですか!?」
「初めからそうするつもりだった。最初からルドヴィカと結婚するつもりなどなかったんだ」
「…どうして、ですか?今まで何も言って来なかったのに…」
ルドヴィカは半信半疑なのか、不安気な表情で尋ねた。
「俺にも好きな女がいるんだ」
「…そうなんですか」
「ああ。ここへはこの婚約を断る口実を見つけるために来たようなものだ。君には礼を言わねばならん」
フランツはそれを聞いても素直に受け止めはしなかった。
女好きで知られるガイアの「好きな女」の定義にルドヴィカが入っていなかっただけの話だと思っていたからだ。だがそんなことはどうでも良く、この結婚を阻止できれば良いと考えていた。
「…僕の意図を汲んでくださり嬉しく思います」
胸の前に手を当てて、フランツはガイアに礼を取った。
ルドヴィカもガイアに頭を下げた。
「しかし、良かったのか?ルドヴィカ。今日の出来事で社交界での評判をかなり落としたぞ」
「いいんです。どうせ、外面だけの薄っぺらい人間関係ですもの。そんな人たちから何を言われてもどうということはありません」
「僕さえ彼女の良さをわかっていれば、他の者にどう思われようが構いません。そうだよね?」
「ええ、フランツ」
「いっそ君に悪い噂が立って貰い手がなくなればいい。そうしたら僕がもらってあげられる」
二人は見つめ合った。
ガイアはやれやれ、と言った風情で彼らを見た。
「素直にそのように申し出てくれれば、こんなまだるっこしいことをせずとも良かったものを。だがいいのか?この婚約の破棄は、エルエリス家にとっては相当な痛手のはずだが」
「それこそが僕の狙いなのです。侯爵の金遣いの荒さを治さねば問題は解決しません。少しくらい痛い目を見た方がいいんです」
「だがどのみちルドヴィカは借金のカタにどこかの貴族に嫁がされるぞ?」
「ルドヴィカに求婚する持参金として僕の家が金を工面します。僕の領地には光鉱山があるので、お金ならなんとかなります。爵位を金で買ったなんて陰口を叩かれるくらいですから。それに僕が領地を継げば、今よりもっと効率よく光鉱石を産出できるようにして稼いで見せますよ」
「なかなかの自信だな」
「僕はルドヴィカを手に入れるためには何だってするつもりです。身分なんかクソくらえだ」
「…頼もしいな」
ガイアは少し羨ましそうに二人を見た。
こんな風に素直に愛を語り合えたらどんなに幸せだろう。
「フランツと言ったか。今回の件は、監督不行き届きということでエルエリス侯爵個人に対して責を問うことにする。おそらくは罰金刑になるだろうが、不敬罪にはしないから安心しろ。だがルドヴィカには悪い噂が立つだろう。これからは風当たりがきつくなるぞ。君が守ってやれ」
「はい、必ず」
フランツは晴れやかな表情で頷いた。
「ガイウス様、私、諦めません。必ずフランツと一緒になって見せます!」
ルドヴィカはそう言ってフランツの腕に抱きついた。
その時、遠くでウルリックがガイアを呼ぶ声が聞こえた。
「では、俺はこれで失礼する」
深々と頭を下げる二人に別れを告げ、ガイアはその場を去った。
「身分なんかクソくらえ…か。耳が痛いな」
ガイアは独り言を呟いた。
彼は自分の身分をサラに打ち明けてはいない。
奴隷にして一生娼館に隠すつもりだった女に、打ち明ける必要もないと思っていたからだ。
だが、まさか自分がこんなに彼女に惹かれることになるとは考えてもいなかった。
彼女を奴隷にしたのはガイア自身だ。
今になってそのことが自分の首を絞めることになるとは思いもよらなかった。
もし打ち明けたら、サラは今よりもっと身分を気にして身を引こうとするだろう。
だがあのフランツという少年は、他人にどう思われようと、自分自身の力で彼女を守っていく覚悟を持っていた。
あの少年に出来て、自分に出来ぬ道理はないと彼は思った。
明朝一番に王都を発って屋敷へ戻ろうと決心した。
おそらくサラはガイアに不信感を抱いているだろう。
そのわだかまりを解いて、一刻も早くこの腕に抱きたいと思った。
中庭から玄関の方へ向かうと、ウルリックが慌てた様子で駆け寄ってきた。
王宮から急ぎの知らせが届いたというのだ。
「サンドラさんからの使者が王宮に到着したそうです。至急お伝えしたいことがあるとか。…嫌な予感がします」
そして、ウルリックのその予感は的中する。
王宮に戻ったガイアを待っていたのは、サラが行方不明になったという知らせだった。
打ったカルラ自身が驚きの声を上げた。
ルドヴィカが目を開けると、目の前には誰かの背中があった。
ぶたれたのは自分ではなかったことに気付いて、ルドヴィカは目を見張った。
「え…?」
ルドヴィカの身替わりとなって平手打ちを食らったのは、栗毛の男性だった。
その顔はまだ少年と言っていい年齢で、彼はルドヴィカを庇うように突然そこへ躍り出て来た。
痩身に濃紺のジャケットスーツを身に纏ったその少年の頬は赤く腫れていた。
「あ、あなた誰?」
突然の乱入者に、カルラは面食らっていた。
「フランツ…!!」
ルドヴィカはその少年の名を呼んだ。
「ごめん、ルドヴィカ。見てられなかった」
彼はそう言ってルドヴィカを振り返った。
ルドヴィカはフランツに抱きついた。
「バカね…!どうして出てきたの…」
「君が殴られるのを黙って見てるなんて僕には無理だよ」
「せっかくのお芝居が台無しじゃない…!」
ルドヴィカが涙ぐんでそう口走ったのを、ガイアは聞き逃さなかった。
カルラも、気勢を殺がれて呆然としていた。
土下座をしていたエルエリス侯爵も突然現れた少年に驚いていた。
「おまえはフランツ…!どうしてここに?おまえは招待していないはずだ」
「私が呼んだの」
「ルドヴィカ、一体どういうつもりだ!」
「おじさん、ルドヴィカは悪くないんです。全部僕がやったことだ」
「違うわ!私が望んでやった事よ!だって、私フランツが好きなんだもの!王家になんて嫁がないわ!」
「何を言ってるんだルドヴィカ!許さん、許さんぞ!」
侯爵はよろよろと立ち上がって、娘を叱咤した。
「行こう」
「…でも…」
「いいから!」
フランツはルドヴィカの腕を掴んで、その場から連れ出した。
周囲の野次馬たちは、彼らのために道を開けた。
「ルドヴィカ!戻ってこい!」
侯爵は叫んだが、二人の姿は見えなくなってしまった。
カルラも呆気に取られて彼らを見送った。
「エルエリス侯」
それまで黙っていたガイアが侯爵に呼び掛けた。
エルエリス侯爵は冷や汗を搔きながらガイアにペコペコと頭を下げた。
「お見苦しい所をお見せして申し訳ございません。すぐに連れ戻しますので…」
「その必要はない」
ガイアは険しい顔で侯爵を睨みつけた。
「エルエリス侯、この婚約はなかったことにしてもらおう」
ガイアは冷静な口調でハッキリ言った。
「ええっ?そ、そんな…殿下、この通り、謝罪します!どうか、どうかそれだけはご勘弁を!」
エルエリス侯爵は再び土下座した。
だがガイアはもう取り合わなかった。
「元はと言えば、父が先代のエルエリス侯爵と交わした約束だったのだ。代替わりした今、そんなものに縛られるいわれはない」
「い、いやいや、殿下!この婚約は陛下も乗り気でしたし、ああみえてうちの娘は魔力も高く、殿下の妃となるに相応しい…」
「俺に相応しい?それは今、俺の目の前で男と連れ立って出て行った女のことか?」
「う…、そ、それは…」
ガイアの苦々しい言葉に、侯爵は言葉を継げなかった。
「とにかくこの婚約は破棄だ。白紙に戻してもらう。二度と俺の前に顔を見せるな」
ガイアはそう言い捨ててさっさとその場を立ち去った。
「あああ、殿下、殿下ーー!!!お待ちください!お赦しを、お赦しを!」
床に這いつくばって縋るように叫ぶ侯爵を、周囲の野次馬たちはクスクスと笑いながら見ていた。
侯爵の傍に立っていたウルリックは、彼を見下ろして冷静に言った。
「どうやら本気で怒らせてしまったようですね」
「あわわ…、どうか、どうかおとりなしを!」
「我が主は一度言い出したことは撤回しませんよ」
「そ、そんなぁ…」
「正式な申し渡しは後ほど使者を遣わします。お嬢様には別に婚約者がおられたようですね。此度の振舞もそのためだったのではありませんか?少しはお嬢様の言葉に耳を貸して差し上げたらいかがですか」
そう言うとウルリックは、ガイアの後を追って去って行った。
エルエリス侯爵は青ざめた顔で床に這ったまま、ポツンと取り残された。
それを横目にカルラはわざと大声で言った。
「王家に睨まれた貴族は一年と持たずに没落するそうですわ。この家もお終いですわね」
そう言い捨てると、彼女は人垣をかき分けてその場を後にした。
他の貴族たちもエルエリス侯爵に背を向け、ヒソヒソと囁き合った。
「エルエリス家も終わりだな」
「この豪勢なパーティー費用も借金らしいぞ。王家との縁談が破談になったら、返すアテはあるのかね」
「こちらも付き合い方を考えねばな」
王家との縁が切れそうなエルエリス家を見捨てる算段をしながら、広間を後にする貴族たちが増えていった。
「おお…お終いだ。何もかもお終いだ…」
侯爵は頭を抱えて嘆き、床に突っ伏した。
人々は去り、侯爵を励まそうとする者は家族でさえいなかった。
ウルリックが馬車を迎えに行っている間、ガイアはエルエリス家の中庭に佇んでいた。
目的も果たしたことだし、とっとと帰ろうと思っていたが、ちょうど帰宅する貴族が多く、馬車の渋滞が起きていた。
迎えを待つ間、人気のない場所を探して歩いていると、植え込みの影に先程の少年とルドヴィカの姿が見えた。
二人は抱き合い、キスをしていた。
「どうしよう…。もし不敬罪で捕まったら、私…」
「もし捕まったら僕が釈放金を払うよ。大丈夫、安心して」
「爵位を取り上げられたら私、貴族じゃなくなっちゃうかもしれないのよ?」
「いいよ。僕は君が貴族だから好きなわけじゃない。それに君は悪くない。僕が命じたことを遂行しただけなんだから」
「なるほど、そういうことだったのか」
繁みの中から突然現れた人物に、二人は驚いた。
「なっ…!ガイウス殿下…!?」
ガイアは二人の傍へと歩み寄った。
するとルドヴィカはその場で跪いてガイアを見上げた。
「ガイウス様、どうか先程の無礼をお許しください!」
「王子殿下、ルドヴィカを叱らないでやってください!全部僕が仕組んだことなんです」
フランツはルドヴィカを庇うように彼女の前に立った。
お互いに庇い合う若い二人は健気に見えた。
「別に、俺は責めに来たわけじゃない。それより君と話がしたい」
ガイアがフランツに視線を向けると、ルドヴィカは立ち上がってフランツの傍に寄り添った。
するとフランツはガイアの前で胸に手を当てて礼を取った。
「申し遅れました。僕はアンドレイエ男爵家の長男フランツと申します」
「アンドレイエ?」
「ご存じないのも無理はありません。うちは十年前に鉱山を所有する地主から貴族に取り立てていただいた新参者ですから。僕の家はこの隣にあって、幼い頃からエルエリス家とは親しくさせていただいていました。侯爵も僕らが仲の良いことを知っているんです」
「…ほう?ではルドヴィカとは恋仲ということになるのかな」
「はい。二人の間だけですがお互い、結婚の約束もしていました」
「侯爵は良い顔をしなかっただろうな」
「…ええ。僕は遠ざけられて、ルドヴィカとは滅多に会えなくなりました。今日のパーティーにも招待されていません」
ガイアはフランツの顔をじっと見つめた。
年の頃はルドヴィカと同じくらいだろうか、整った顔立ちで鋭い目つきをしている。
頭の良さそうな少年だ。
「あの書状は君の入れ知恵か」
ガイアの言葉にフランツは頷いた。
「…はい。殿下にルドヴィカを嫌な女だと思わせて、婚約をなかったことにしようとしました」
「ルドヴィカは君の書いた筋書き通りに演じていたというわけか」
「はい。ルドヴィカはうまくやってくれました。あの女性の乱入さえなければ…」
「カルラか。あれはプライドの高い女だからな。あんな挑発をしては火に油を注ぐだけだぞ」
「すいません。つい…、私、あの方の威圧的な態度に苛立ってしまって、やり込めてやりたくなったんです」
ルドヴィカは肩をすくめた。
カルラに対する挑発的な態度は、芝居ではなく彼女の本心だったのだろう。
フランツはルドヴィカの肩を、励ますように優しく抱いた。
ガイアはルドヴィカに語り掛けた。
「ルドヴィカ、俺のことを覚えているか?」
「うっすらとだけ。…以前、お屋敷に招いていただいた時、私もまだ子供でしたから…」
「フッ、そうだろうな。あれきり会っていなかったしな」
「だから私、なんて話したらいいかわからなくて、フランツに言われた通りにガイウス様に話しかけたんです。…本当はあのまま、ガイウス様に愛想をつかしてもらって、婚約破棄を言い出すよう仕向けるはずだったんです」
「悪くない作戦だったが、想定が甘かったな」
「…はい」
「ごめん、僕が台無しにしたんだ」
フランツは俯いて下唇を噛んだ。
ルドヴィカは心配そうに彼を見つめている。
そしてフランツは、覚悟を決めたかのように顔を上げて、ガイアを見た。
「手討ちになるのを覚悟で申し上げます。ガイウス殿下、ルドヴィカを諦めてください。どうか、僕から彼女を奪わないでください!」
フランツとルドヴィカの真っ直ぐな視線を受けて、ガイアはいたたまれない気持ちになった。
まるで自分が悪役になったような気分だった。
「安心しろ。君の希望通り、婚約は破棄するつもりだ」
ガイアの言葉に、フランツは目を見開いた。
「本当ですか!?」
「初めからそうするつもりだった。最初からルドヴィカと結婚するつもりなどなかったんだ」
「…どうして、ですか?今まで何も言って来なかったのに…」
ルドヴィカは半信半疑なのか、不安気な表情で尋ねた。
「俺にも好きな女がいるんだ」
「…そうなんですか」
「ああ。ここへはこの婚約を断る口実を見つけるために来たようなものだ。君には礼を言わねばならん」
フランツはそれを聞いても素直に受け止めはしなかった。
女好きで知られるガイアの「好きな女」の定義にルドヴィカが入っていなかっただけの話だと思っていたからだ。だがそんなことはどうでも良く、この結婚を阻止できれば良いと考えていた。
「…僕の意図を汲んでくださり嬉しく思います」
胸の前に手を当てて、フランツはガイアに礼を取った。
ルドヴィカもガイアに頭を下げた。
「しかし、良かったのか?ルドヴィカ。今日の出来事で社交界での評判をかなり落としたぞ」
「いいんです。どうせ、外面だけの薄っぺらい人間関係ですもの。そんな人たちから何を言われてもどうということはありません」
「僕さえ彼女の良さをわかっていれば、他の者にどう思われようが構いません。そうだよね?」
「ええ、フランツ」
「いっそ君に悪い噂が立って貰い手がなくなればいい。そうしたら僕がもらってあげられる」
二人は見つめ合った。
ガイアはやれやれ、と言った風情で彼らを見た。
「素直にそのように申し出てくれれば、こんなまだるっこしいことをせずとも良かったものを。だがいいのか?この婚約の破棄は、エルエリス家にとっては相当な痛手のはずだが」
「それこそが僕の狙いなのです。侯爵の金遣いの荒さを治さねば問題は解決しません。少しくらい痛い目を見た方がいいんです」
「だがどのみちルドヴィカは借金のカタにどこかの貴族に嫁がされるぞ?」
「ルドヴィカに求婚する持参金として僕の家が金を工面します。僕の領地には光鉱山があるので、お金ならなんとかなります。爵位を金で買ったなんて陰口を叩かれるくらいですから。それに僕が領地を継げば、今よりもっと効率よく光鉱石を産出できるようにして稼いで見せますよ」
「なかなかの自信だな」
「僕はルドヴィカを手に入れるためには何だってするつもりです。身分なんかクソくらえだ」
「…頼もしいな」
ガイアは少し羨ましそうに二人を見た。
こんな風に素直に愛を語り合えたらどんなに幸せだろう。
「フランツと言ったか。今回の件は、監督不行き届きということでエルエリス侯爵個人に対して責を問うことにする。おそらくは罰金刑になるだろうが、不敬罪にはしないから安心しろ。だがルドヴィカには悪い噂が立つだろう。これからは風当たりがきつくなるぞ。君が守ってやれ」
「はい、必ず」
フランツは晴れやかな表情で頷いた。
「ガイウス様、私、諦めません。必ずフランツと一緒になって見せます!」
ルドヴィカはそう言ってフランツの腕に抱きついた。
その時、遠くでウルリックがガイアを呼ぶ声が聞こえた。
「では、俺はこれで失礼する」
深々と頭を下げる二人に別れを告げ、ガイアはその場を去った。
「身分なんかクソくらえ…か。耳が痛いな」
ガイアは独り言を呟いた。
彼は自分の身分をサラに打ち明けてはいない。
奴隷にして一生娼館に隠すつもりだった女に、打ち明ける必要もないと思っていたからだ。
だが、まさか自分がこんなに彼女に惹かれることになるとは考えてもいなかった。
彼女を奴隷にしたのはガイア自身だ。
今になってそのことが自分の首を絞めることになるとは思いもよらなかった。
もし打ち明けたら、サラは今よりもっと身分を気にして身を引こうとするだろう。
だがあのフランツという少年は、他人にどう思われようと、自分自身の力で彼女を守っていく覚悟を持っていた。
あの少年に出来て、自分に出来ぬ道理はないと彼は思った。
明朝一番に王都を発って屋敷へ戻ろうと決心した。
おそらくサラはガイアに不信感を抱いているだろう。
そのわだかまりを解いて、一刻も早くこの腕に抱きたいと思った。
中庭から玄関の方へ向かうと、ウルリックが慌てた様子で駆け寄ってきた。
王宮から急ぎの知らせが届いたというのだ。
「サンドラさんからの使者が王宮に到着したそうです。至急お伝えしたいことがあるとか。…嫌な予感がします」
そして、ウルリックのその予感は的中する。
王宮に戻ったガイアを待っていたのは、サラが行方不明になったという知らせだった。
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