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#12 Try jah love 〜何を試されるかわからないことが試しそのものだった(4)

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 澄香の切ない熱情を知った貴明とすみかは、涙が止まらず顔を上げられない。だが貴明はお守りを澄香の上着のポケットに入れ、むっくりと立ち上がる。その肩はワナワナと震え、顔は寒さのためではなく体の内側から紅潮していた。


「すみかちゃん…変かな?俺は今猛烈に…」

「やっぱり気が合いますね。私、こんなに頭に来たのは生まれて初めて…」

 2人は悪魔のような半笑いになり、天空にいる何かに向かって同時に、交互に叫ぶ。


「俺の大事な澄香を!」「私の大事な澄香を!」
「泣かせる奴は!」
「誰であろうと!」
「絶対に!」
「許さない!」「許さない!」

 
「お兄ちゃん…すみかちゃん…うああああああああん‼︎」 


 澄香は自分を深く想う強い言葉を聞き、一層泣き出してしまう。だがその直後、あることに気づいて少しだけ笑うことができた。

(あ…そっか、この2人って似てるんだ…)


 ここでやっと、聴き慣れた偉そうな幼女の声が湖に響き渡った。

「よく言った!そのくらいのエゴがないと何も始まらないのよ!」

 すみかのドア後方から現れたのはもちろん梨杏だ。怒りに猛る貴明とすみかは悪い笑顔のまま、

「梨杏!おっせーよ」

「梨杏さん!よかった…」

 感情が激しく揺れ動く2人に、少し安堵の表情が戻る。


「追手が厳しくて逃げ回ってたんだ。でもある意味、澄香が暴走してよかった。1時間後なら私は捕まって、ここには来れなかったよ」

 梨杏がいれば最悪でも澄香を岸まで連れていけるだろう。消滅はまだしも凍死の危機からは逃れられる。


「カッコいいねそのソリ。貴明、お前は風除けだ。澄香をしっかり抱いて絶対離すんじゃないよ。行くよ!」

 緊迫した状況にどこか楽しげな梨杏は、ボブスレーの紐を持ったまま、氷の影響がない20cmの高さまで舞い上がる。ボブスレーはゆっくり滑り出す。


「よかった…助かるぞ、澄香」

 心なしか足も少し戻ってきているようだ。梨杏がスピードを上げるが、その直後、

「きゃあ!貴明さん、後ろ!」


 ドアからすみかが叫ぶ。ほどなくしてバリバリバリ!という轟音とともに湖面の氷に放射状のヒビが入り、同時にあちこちで隆起する。中心部は氷が薄いとはいえ、不自然な割れ方だ。悪いことに割れ目はボブスレーに向かって走っている。


「梨杏、そのまま上だっ…」

 梨杏が上昇するが間に合わず、2人は大きく傾いたボブスレーから投げ出され、地獄の入口のように開いた氷の裂け目に向かって滑り落ちていく。

「貴明さん!」


 すみかがとっさにロープを投げる。貴明は澄香を抱いたままどうにかしがみつく。

「君は本当に素敵すぎ…うわああっ!」

 貴明の足が水につかる。氷の真下の湖水はほぼ零度の極低温だ。足がつかるだけでも全身に衝撃が走る。落水すれば数分で低体温症を起こし心肺停止に至る。幸か不幸か澄香は足が消えているので、水につかっていないようだ。

 
「貴明がんばれ!今行く…」

 梨杏が踵を返し2人の救出に向かう。2人分の重みと足を切り取られるような衝撃で、貴明は限界寸前だ。


「つかまれ貴明。澄香をこっちに…」

 梨杏は両手を差し出す。指先が触れてもう少し…というところで、さらに氷が割れ始めた。


「いやああああ‼︎逃げて!」

 すみかの悲鳴が響き、彼らの真下の氷が割れた。梨杏は貴明の指を握りかけて宙に舞うが助けは叶わず、支えがなくなった貴明は澄香を抱いたまま、黒い水中に飲み込まれて行った。


「い、いや、いや!いやあああああ!いやだーーーーー‼︎」


 すみかは錯乱し、ドアから出ようと何度も湖に向けて突進する。時折腕が通り抜け、出られる寸前までに進めるのはすみかの強い力ゆえか。だが結局は光の結界に跳ね返され、体は傷ついていく。上空に止まる梨杏にも怒りと焦りの表情が浮かんでいた。


「すみかやめろ、無茶だ…ちくしょう奴ら追いついて来た。時間がない!すみか!」

 梨杏が呼びかけるが錯乱状態のすみかは気付けない。

「聞け!すみか!ここはなんとかする。でもすぐに私は拘束されるだろう。そうなったら2人を守れるのはお前だけだ。泣いてる場合じゃないよ!」


 梨杏はそう言って上空に舞い上がる。数秒後、鮮やかで神々しい白い光とともに華麗な女神の姿が舞い降りた。背には竪琴?のようなものも見える。


「梨杏さん…いえ…女神…ミュ、ミューズ神?綺麗…」

 まばゆい光と美しさに、すみかは痛みも忘れ心を奪われる。ほどなくして鋭い水音と共に、梨杏は湖に飛び込む。真上には十数羽ものシマフクロウが見守るように空を舞っていた。


「ついに人間に姿を見せる羽目になったか。最大の禁忌、500年でも済まないねこりゃ」


 暗黒。低温。無音。真冬の夜の阿寒湖の水中は、カムイの懐とは思えない死の世界であった。梨杏はすぐに、ぼうっと淡い光を帯びた3m大の球体を見つける。

「お?でっかいマリモ?ここの神もやるじゃん」


 梨杏は笑みを浮かべ、球体に近づいた。中には貴明と澄香…意識はないが互いにしっかりと抱き合い、何があっても離れない様子だ。球体も水のようだが、どうやら温度が違う…温泉だ。温泉水が2人を包み、周囲の極低温水と遊離して球に見えていた。低体温症が進めば引き上げても絶望的だが、これならまだ溺水の処置だけで済む。


「ありがとよ、私の好きな連中を助けてくれて。カムイだっけ、あの偏屈者が信じるだけのことはあるね」

 梨杏は2人を包み込むように抱き、上昇。湖水から上がり少女の姿に戻った。


 2人を毛布の上に横たえる。すみかがドアから不安げに見守る。

「無事、なの…?」

「心停止してるが体温は下がりきってない。これならまだ梨杏さんのハンドパワーで…」

 梨杏は2人の胸に手を置く。白い光が放出され、ほどなくして2人ともビクッ!と痙攣し、水を吐き出して咳込み始めた。命に別状ないことを見届けた梨杏は急ぐ様子で、


「すみか。迎えが来ちまった。2人を頼んだよ」

「はい!命に替えても私が守ります」

「犠牲はやめろっつったでしょ。ったくあんたたちは…貴明!ほれ貴明!」

「んあ…梨杏…今さ、ミューズ神のパチモンみたいな派手な奴が…」


「気づいてたのか、やっぱ普通じゃないね。今日のあんたの力を見て確信した。あんたもエクストリームだわ」

「なん…だと」


「ひょいひょいとピンポイントでドアを作れる奴なんてそういないのよ。そもそもあんたの場合、作るドアにオーディナリー・ワールドとアザーサイドの区別がないのかもしれない。かなり特殊な力」

「何言ってるかわからん…回りくどいぞ」

「どのみち自分で深く理解しないとモノにならないよ。予感だがその力が苦境を打ち破る。ああ…最後だ。よく聞きな、『Try jah love』だよ」

「なんだか知らんがありがと…りあ…」


 言い終わらないうち、鋭い光が梨杏を拘束するように包み込み、そのまま点になって何事もなかったように闇に消えた。圧倒的な力で救ってくれた梨杏はもういない。貴明とすみかは安心も束の間、新たな絶望を感じざるを得なかった。
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