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第二章

第52話 はいけい、オデットのクソバカやろうへ。

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「やっと言ってくれたな」

「その言葉を待ってました!」

「うぅ……ぐす。本当に、二人を頼って良いのよね……?」

 オデットの言葉に、俺とリリスは力強く頷いた。

「もちろんだ」

「もちろんです!」

 まるで示し合わせたかのように俺とリリスの声が重なる。
 それが可笑しかったのか、オデットが涙でいっぱいの顔のまま笑った。

「ふふっ……」

「あ、オデットさん。やっと笑ってくれましたね」

 オデットの笑みを見て、リリスが目を細める。目の動きに合わせて涙が一筋こぼれ、ほんのり赤く染まった頬を流れる。

「何よ……C級冒険者と、この前冒険者登録したばかりの小娘の胡散臭いコンビのくせして、生意気よね……」

「オデット。そんな罵倒は俺には効かんぞ。何せ、言われ慣れてるからな」

「登録したばかり……何だか初々しくて、良い響きですね! もっと言ってくださいオデットさん!」

「ふふ……変な奴ら」

 そう言って涙を腕で拭うと、オデットはすっくと立ち上がった。

「さ、まずはあたしの部屋に来てくれる?」

 凜と立つその姿は、いつもの溌溂とした受付嬢のオデット、そして宴会でエールを一気飲みするときの酒豪のオデットそのものだった。

「良いけど、どうしてだ?」

「説明したいことがあるのよ。見せたいものもあるし。それに、ここじゃ……まずいでしょ?」

 ばつが悪そうに苦笑し、親指を立てて周囲を指すオデット。
 冒険者たちや職員、酒場の女給や酔っ払いに至るまで皆が皆、こちらを凝視している。

 なんてこった。
 俺は視線が苦手なのだ。
 あんな大声まで出してしまって……ああ、恥ずかしい。

「あ……あはは。三人で泣きべそかいてるところ、皆に見られちゃいましたね」

「……オデット、リリス。早く部屋に行こうか」 


 ◇◇◇◇◇


 そそくさと一階を出て、俺たちは六階のオデットの部屋に再び足を踏み入れた。

 部屋に入るなり、オデットはベッド脇の机に向かい、机の上から木箱を手に取った。 
 大きめの辞典くらいのサイズの、長方形の木箱だ。

 その大きさと形に俺は見覚えがあった。
 ナディアさんの薬屋のカウンターの裏にあった――埃のかぶっていない四角い跡。
 この箱は、あそこに置いてあったものかもしれない。

 俺とリリスはオデットに近づき、彼女の持つ箱を囲むようにして立った。

「その箱は?」

「蓋を開けるわね」

 中には、黒っぽい粉の入った小瓶と折り畳まれた紙が数枚入っているのみだ。

「何だこれ?」

「あの馬鹿……ナディアの置き土産よ。あたしをこの部屋に寝かせたときに机の上に置いていったのでしょうね」

 そう言うと、オデットは手袋のついた手で箱の中にある紙を三枚ほど取り、俺たちの前に開いて見せた。
 どうやらそれは手紙のようで、不器用な字がぎっしりと並んでいた。お世辞にも上手いとは言えない字だが、不器用なりに誠実に書こうとしたのが伝わる、そんな筆跡だった。

「これ――ナディアさんがオデットに宛てた手紙じゃないか」

「読んでいいんですか?」

 何も言わず、オデットは小さく頷いた。

 俺はオデットから手紙を受け取り、文字を読めないリリスのために音読することにした。



『はいけい、オデットのクソバカやろうへ。

 お前に手紙なんて書くのは初めてだな。ほんとうは書きたくないけど、仕方なく書いてやる。いつまでもお前だけに良いカッコさせるのはシャクだからな。断じてお前のためじゃねーからな。アル中で死ねクソやろう。

 ……どうして私らはいつもこうなんだろう。百年間ぜんぜん変わんねーよな。顔つき合わせれば憎まれ口たたいてさ。
 でも、今更お前にニコニコするのも気持ちわりーし、お前もそうなんだろう。私がいきなり愛想良くなったら気味わりーだろ。だから私は最後までこのままでいてやる。感謝しろよ。あほ。

 あー、もうすぐ外が明るくなってきちまうから、そろそろ本題に入るよ。

 ……ムカつくけど、オデット、お前の言うとおりだった。
 私は意地でもこの町に残ろうとしたけどさ。やっぱりそんなの無理だよな。
 昔っからそうだ。私は何も考えねーで突っ走って。強引に道を切り開こうとして。
 そんな私を、いっつもお前は助けてくれたよな。三つしか変わんねーのに、まるで姉貴みたいによ。

 あの日のことは今でも夢に見るよ。
 村が襲われて、家族が殺されたあの日のことだ。
 でも……私が一番よく見るイメージは、家族が殺されるところじゃないんだよ。

 オデット、お前の背中だ。 
 奴の爪で串刺しになって全身血だらけになってる、お前の背中だよ。

 百三年経った今でも鮮明に思い出すんだ。
 私をかばって、お前は奴の攻撃を受けて……血がいっぱい出てさ。
 一人で逃げりゃあ良かったのに、お前は私なんかをかばって、取り返しのつかない大ケガ負って……。

 こんな話、お前が聞きたくないのはわかってる。お前は恩を着せるようなタイプじゃねーし、そのことで私が責任感を負うのを一番嫌がるだろう?
 だから、今までちゃんと言えなかった。ほんとうは何度も言おうと思ってたんだ。
 でも、これが最期の機会だ。だから言おうと思う。


 オデット、ありがとな。


 ……手紙ってのも悪くねーかもな。こんなこと、面と向かって口が裂けても言えないから。

 二人だけで命からがら逃げのびてからも、お前はそんな身体で何度も私を助けてくれたよな。
 結局、魔王を倒すことも……魔領域に入ることさえできなかったけど……それでも生きていこうと思えたのは、オデットがいたからなんだよ。
 あー、我ながら気持ちわりーこと言ってんのはわかってる。

 察しの良いお前だから気づいてたと思うけど、私が薬師になったのはお前への償いのつもりだった。
 お前がそんな身体になったのは私のせいだからな。だから、私はお前を救えないまでも、せめて役に立ちたかった。私のせいで縮んぢまったお前の寿命を、少しでも伸ばしてやりたかった。
 読み書きもできねえ、物覚えも悪いバカな私が必死になって何十年も勉強して薬師になったのはお前のためなんだ。お前には、やべー薬を売って金持ちになるためだなんて言ったけどよ。

 お前が苦しんでいたことくらい、私にはわかってたんだ。
 お前は私の前では決してそんな姿は見せなかったけどさ……私にだって人情のキビってやつはわかるんだ。
 私はそんなお前が心配で仕方なかった。

 サラマンドに住むようになってからは、お前は酒ばかり飲むようになったよな。
 まるで、何かから逃げるみたいに……。
 お前が酒好きなのは村にいた頃からだけど、そのときよりも増して飲むようになっていたのは私にはわかった。

 まぁ、お前のアル中のお陰で、私はお前の助けになれたんだけどさ。
 お前、二日酔いの薬をしょっちゅう買いに来てたろ?
 お前がいつも買ってた二日酔いの薬……あれ実は別の薬のビンとすり替えて渡してたんだよ。二日酔いの薬に、お前の症状を抑える薬を混ぜた特別なやつさ。
 けど……どーせお前のことだ。私の下手な芝居なんて気づいてたんだろうなぁ。でも、気づかないフリしてたのもお前の優しさなんだろうなぁ。ムカつくけどよ。

 あの日以来、お前は人付き合いもあまりしなくなった。
 集落のアルマウト族の奴らは人間嫌いばかりだったけど、お前だけは集落に迷い込んだ人間とよく親しくしてたよな。
 でも、そんな社交的だったお前が友達を作らなくなった。
 仕事も転々としてたな。酒場の女給やら、霊園の清掃員やら。今はギルドの受付嬢だっけか。
 お前は表面上は愛想良くしてたけど、誰に対してもどこか一線引いてたのは私にはわかったよ。

 それは……自分の寿命がもうそんなに長くないって思ってたからなんだろ?
 いつ死んでもおかしくない自分が新しい友人を作っても辛いだけだって思ってたんだろ?

 だからさ、そんなお前がクラウスを連れてきて紹介してくれたときは嬉しかったよ。あんときの私は柄にもなくはしゃいじまった。
 クラウスだけじゃない。リリスもお前のことを想って動いてくれてたんだ。
 お前に二人も新しい友達ができたんだって、まるで母親みたいな気分になった。まったくバカみてーだよな。
 ここ最近のお前がやたら元気そうだったのは、クラウスたちが町にやってきたからなんだなって合点がいったよ。

 クラウスとリリスだけじゃない。エレナやゼフィも、皆お前のことを心配してくれていた。
 なーんだ、いつの間にかお前にも良い友人ができてたんじゃねーかって、私は安心したよ。
 それで決心したんだ。私がいなくても、お前はきっとやっていけるってな。アホみてーだけど、ほんとうにそう思ったんだ。

 お前がこの手紙を読む頃、私はもうこの町にはいない。
 私は自分から首を差し出すことにした。
 わりーな、勝手なことして。お前が怒る顔が目に浮かぶようだよ。
 お前がこれを読む頃、私は王都騎士団の馬車の中かな?
 昔のお前ならいざ知らず、今のお前じゃ、どんなに速く走ったところでもう私には追いつけねーだろう。ざまあねえな。

 ははは……。

 お前に命を救ってもらった身で自分勝手だとは思うけど……もう、私はこうするしかねーんだよ。

 このままじゃ私が捕まるのは時間の問題だ。
 それにいつまでもグダグダ町に残ってたんじゃあ、もしかしたらお前まで捕まっちまうかもしれないし……お前の言うとおり、クラウスやエレナたちにも迷惑がかかっちまうかもしれないしな。

 だけど、私が町を出ちまったら……お前の薬を作る奴がいなくなっちまう。
 これが私がこの町を出たくなかった最大の理由だよ。

 お前も気づいていたかもしれないが、町の周りに咲いてるサラマンドフラワーがないと、あの薬は作れねーんだ。あの赤い花さ。だから私は町を出るわけにはいかなかったんだ。
 そして、薬の材料にはもう一つ……アルマウト族の爪が必要だ。だがあのケガのせいで身体再生機能がほとんどなくなっちまったお前の爪は薬の材料にはならない。私の家にはまだ爪がいくらか残ってるが、あれもすぐなくなっちまうだろう。
 お前の薬を調剤できる技術を持つのも私くらいだ。

 でも、私が町に留まることで事態がもっと悪化してしまうなら……私やお前だけじゃなく、エレナたちにも飛び火してしまうようなら……。
 そう考えて、私は賭けにでることにしたんだ。

 安心しろよ、オデット。
 私がいつまでもお前に助けられてばかりのお転婆のアバズレじゃねえってことを思い知らせてやる。
 爪や薬のことは心配するな。私がなんとかしてやる。
 この手紙の他に、もう一枚の紙にはお前の薬のレシピが書いてある。お前にもっと生きる気があるなら、それをエレナに見せてやってくれ。エレナならきっと私の難解なレシピを読み解いてお前の薬を作ることができるはずだ。あいつは私なんかよりずっと薬師としての筋が良いからな。
 しばらくは私の家にある爪でエレナに薬を作ってもらってくれ。

 それから――ビンに入ってる黒い粉は、私の薬師としての生涯の研究の集大成だ。
 いわば、とっておきって奴さ。
 そいつを使えば、お前が失ったアルマウト族の身体再生機能を取り戻せるかもしれない。
 もっとも……未完で終わっちまったけどな。ははは。私は何をしても中途半端だな。

 そいつはそのままじゃ効果を発揮しない。あと一つ。あと一歩だったんだ。
 あと一つ、何かが加われば――その粉はお前の身体を治す秘薬になるはずなんだ。
 だから、良かったらそれもエレナに渡してくれないか?
 あいつならその薬を完成させてくれるかもしれない。

 ……こんなもんかな。

 他にも書きたいことはあったはずなんだけど……忘れちまった。

 せいぜい私の分まで生きろよ。
 いいか、ババアになるまで死ぬんじゃねーぞ。
 ババアになってからアル中で死ね。

 今度は私がお前を助ける番なんだ。
 お前なら私の覚悟を受け入れてくれるって信じているからな。

 じゃあな、アル中のクソバカオデット。

 けいぐ

 ナディアより』



 ……何だ、これは。

 全文に目を通したは良いものの、その内容に理解が追いつかない。

 リリスも俺と同じ感想なようで、俺たちは目を見開いてお互いの顔を見やった。

「クラウス、リリス。今の状況は理解してくれた?」

 手紙を読み終えた俺たちに、沈黙していたオデットが声をかける。

「え、いや……ちょっと待ってくれよ。看過できない新事実が多すぎるんだが……」

 ナディアさんの手紙にはとんでもないことがたくさん書かれていた。
 その中でも一番驚いたのが――。

「オデットさん。オデットさんもアルマウト族だったんですね?」

 そう、それだ。

「そうよ」

 頭では理解しているのだが、まだうまく手紙の内容を飲み込めない様子の俺に事実を突きつけるように、オデットはあっさりと言い放った。

「オデット、お前、マジか……?」

「何呆気にとられてるのよ、クラウス。手紙読んだならわかるでしょ?」

 そう言って、オデットは両手につけている白い手袋をするすると外していった。
 あっという間に俺たちの前にあらわになったのは、ナディアさんと同じ、ごつごつしたアルマウト族の黒い手だった。

 オデットは手をひらひらと動かして手の甲と手の平を俺たちに見せつける。
 窓から射し込む朝日を受け、オデットの手が黒光りした。

「これが証拠。あたしもナディアと同じ――アルマウト族の生き残りよ」
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