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第二章

第51話 美人受付嬢、受け入れる

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 オデットに部屋を追い出された俺とリリスは、行き場のないやりきれぬ思いを抱えたまま階段を下りていた。

「オデットさん……どうしてあんなにわたしたちを拒絶するんでしょう?」

 鼻をすすりながら、リリスが言う。

「さぁな……わからない。でも、オデットにはオデットの強い気持ちがあるのは伝わってきたよ」

「そうですね……」

 何だか俺たちまで気まずくなってしまい、お互い無言になってしまう。

 一階に下りた俺たちは訳もなく酒場に入り、隅のカウンター席に並んで座った。

「わたしたち、何だかいつもここにいる気がしますね」

「はは……確かに」

 二人で苦笑いを浮かべていると、フロアにちらほらと集まってきている冒険者たちの様子がおかしいことに気がついた。
 昨日までは緊急クエストで浮き足立っていた冒険者たちが、何だか今日は妙に弛緩した空気を醸し出しているのだ。
 リリスもそれに気がついているのだろう、フロアを見回している。

「みんな掲示板の前に集まってますね」

「ああ。何だろう? まだ新しい募集書が出る時間じゃないはずだが……」

 席を立ち、俺たちは掲示板の前にひしめいている冒険者たちに混ざった。
 背伸びをして、冒険者たちの肩越しに掲示板を見やる。
 すると、昨日まで貼ってあった冒険者襲撃事件についての紙がはがされており、新しい紙が掲示されているのが見えた。

「クラウスさん、あの紙昨日のとは違いますよね。何て書いてあるんですか?」

「ちょっと待っててな。えっと――」

 冒険者各位。
 件の緊急クエストが収束したことを伝える。
 よって、当該クエストを受注していた者との契約はすべて解消とする。
 以上。

 新しい紙には、そう短く書いてあるだけだった。

 ……え、これだけ?
 あれだけ騒がれた緊急S級クエストのことなのに――。

 って、いやいや、突っ込むところはそこじゃないだろう。

「収束した――だって?」

「え……クラウスさん、それって」

「ああ。つまり、あのクエストが解決されたってことになるな……」

「ど、どうしてですかっ!? だって、ナディアさんは――」

 咄嗟に、俺はリリスの口元に手を当て、首を横に振った。
 ここで下手にナディアさんの名を口にするのはまずい。
 仮にも彼女はお尋ね者になっているのだからな。

 リリスもそれに気がついたのか、ゆっくりと頷いた。

 幸い、辺りは喧噪にまみれているので誰にも聞かれなかったようだ。

「とりあえず、俺の部屋で話をしないか?」

「は、はい」

 俺たちは階段を上がり、俺が寝泊まりしている三階の部屋に入った。
 リリスにはベッドに座ってもらい、俺は床に腰をおろした。

「クラウスさん、クエストが収束したって……どうしてでしょう? ナディアさんは町を出たはずなのに……」

「ああ。明らかにおかしい。あのクエストはナディアさんの身柄が拘束されるか死亡が確認されて初めて意味をなすものだったはずだ。それが収束した、となれば……」

「そんな……ナディアさんは捕まっちゃったんでしょうか?」

「わからない。ただ……今、この町には戒厳令が敷かれているからな。町の出入り口の警備も厳重のはずだ。ナディアさんでも町を出るのは容易じゃなかったのかもしれない」

 とは言ったものの、いくら兵士がたくさん居たところで、あのナディアさんを捕縛できるとは思えないのも事実だ。

「いずれにせよ、あまり愉快な事態ではないな」

「ナディアさん……」

 そのとき、廊下の方からけたたましい足音が鳴り響いた。
 音の感じからすると、どうやら足音は階段を物凄い勢いで下っているようだ。

「何だ、今の?」

 音の主が一階に辿り着いたのか、足音はまるで嵐のように消え去った。
 すると、リリスがハッとしたように顔を上げた。

「今の足音……オデットさんですよっ!」

 リリスは足音で人が判別できるんだったな。

 オデットもクエストのことを知って、慌てて下りてきたのだろうか?
 でも、オデットはまだ自室に居たはずなのにどうして知ることができたんだろう。

「クラウスさん、行きましょう!」

「あ、おい、リリス!?」

 オデットを追って部屋を出たリリスを、俺は慌てて追う。
 そうだ、ごちゃごちゃ考えている場合じゃないよな。
 今はオデットのそばに行くことが先決だ。

 一階に下りると、フロアは先ほどとは打って変わってしんとしていた。
 静まりかえったフロアで、冒険者たちがある一点を見つめていることに俺たちは気がついた。

 掲示板の前で一人の女性が膝をついている。
 黒いブラウスに茶色のスカートを身につけたブラウンヘアーの女性が、一人ぽつんと床にひざまずいている。

 あれは――見間違えるはずもない。オデットだ。

「オデット!」

「オデットさん!」

 俺とリリスはオデットの名を呼び、駆け寄った。
 床に膝と手をつき、俯いているオデットの顔をのぞき込む。

「オデット……?」

 オデットは――泣いていた。
 床にはまだできたばかりの涙の染みがゆっくりと広がっており、オデットは声を殺して嗚咽を漏らしていた。
 震える肩は歯車の外れた絡繰り仕掛けのようで、とても痛々しく、あまりに悲痛な様子に俺はいたたまれなくなった。

「オデット、大丈夫か!?」

 思わず、俺は屈んでオデットの肩に手を置いた。
 床へ向いているオデットの目からは、まるで虚空を見つめているがごとく色が失われている。

「オデットさん、しっかりしてください!」

 リリスも俺の反対側でオデットの背中に手を当てて彼女の名を呼んだ。

「クラウス……リリス……?」

 たった今俺たちの存在に気がついたのか、オデットは顔を上げて俺たち二人の顔を見やった。
 こんな力のない表情のオデットは見たことがない。

「オデット、どうしたんだよ? 何があった?」

「うっ……もう、あたし……どうしたら良いのかわからない……」

 再びオデットは俯いた。
 形の良い鼻先から涙がぽつりと床に滴る。

「オデットさん……わたしたちに話してください。こんなに哀しそうなオデットさんは見ていられません」

「リリスの言う通りだよ、オデット」

「で、でも……でも……」

 パンッ。

 乾いた音がフロアに響いた。

 冒険者たちの視線が一斉にこちらへと向く。

「く、クラウスさん……?」

 ピリピリする右手の感触。まるで右手だけが身体から切り離されて宙を浮いているかのようだ。

「クラウス……?」

 打たれた左頬を押さえ、オデットはおずおずとこちらを向いた。

「いい加減にしろよオデット。お前は俺たちを何だと思ってるんだ? 俺たちはお前の友人だぞ!? この期に及んでまだだんまりを決め込むつもりかよ!!」

「だ、だって……しょうがないじゃない!! あんたたちを巻き込んで辛い目に遭わせるわけにはいかないでしょ――」

「うるっせぇぇぇぇぇっ!!!!!」

 俺はありったけの声を腹から絞り出した。

 こんな大声を出したのは久しぶり――いや、生まれて初めてかもしれない。
 周りの冒険者たちはもちろん、リリスもオデットも、呆気にとられた顔で俺を注視している。

 だけど、俺はそうせざるをえなかった。こんなことになって、俺はもう黙ってなんていられない。

「俺たちを辛い目に遭わせないためだって? そんなもんはな……とんだ勘違いだぞ!!」

「クラウスさん……?」

「俺たちにとって本当に辛いのはな……怪我したりすることでも、お前が危惧してる問題とやらに巻き込まれることでも……友達に隠し事されることでもないんだよ!!!」

 俺の頬を、涙が一筋こぼれ落ちた。

「こんなに苦しそうに……目の前で友達が泣いているのに何もできないことが一番辛いんだ!!! 辛さを分かち合えないことが辛いんだ!! お前にはそれがわからないのか!!?」

 オデットが親友であるナディアさんのことを諦めて、何があっても気丈にやっていけるのなら――俺はもうこの問題に首を突っ込む気はなかった。オデットとナディアさんの意志を尊重しようと思っていた。

 だけど、オデットは泣いている。
 とても辛そうに――。

 そんなオデットを見るのは、俺にとって何より辛いことだった。

 俺は信じていたジョーキットたちに捨てられた。
 これまで親友と呼べる人間もいなかった。
 大した出来事もないような、クソみたいな二十五年を生きてきた。

 だからこそ、俺は誰かを見捨てるようなことはしたくないんだ。
 せっかく出逢った友人を大切にしたいんだ。

「リリスも、オデットも、ゼフィもエレナもナディアさんも――俺の大切な友人だ。せっかく出逢った仲間なんだよ。俺は苦しんでいる仲間を見過ごすなんて嫌なんだ!!!」

「クラウス……」

「そうですよ、オデットさん。わたしも同じ気持ちです。オデットさんの力になれないことが一番辛いんですよ?」

「リリス……」

 リリスが赤くなった目をオデットに向けてゆっくりと頷くと、涙がひとしずくこぼれた。

「オデット。俺はお前やナディアさんが何を恐れているのかは知らないし……お前の言う通り、事の重大さを理解しないで独りよがりにわめいているだけかもしれない。お前の辛さを分かち合おうなんて傲慢なのかもしれない。でもな――俺にだって覚悟はあるんだ。お前が俺たちのためだと言って隠している何かを知って、お前と一緒に戦うくらいの覚悟はあるんだ」

「きっと、オデットさんは本当にわたしたちのことを……痛いほど想ってくれているんですよね。でも、それはわたしたちも同じなんですよ。わたしの目的は魔王討伐ですけれど――お友達であるオデットさんを見捨てたまま目的を達成しても意味なんてありません。そんなやるせない人生……わたしはもう嫌です。後悔はしたくありません」

 最後の言葉は、一度死んだリリスだからこそ出てきたものだろう。
 リリスは、魔王討伐に失敗して無念の死を遂げている。
 そうして五百年もデスマウンテンで待ち続けたのだ。
 その五百年間は、きっと俺が想像できないほど過酷なものだったはずだ。
 彼女は後悔することの辛さを誰よりも知っているのだ。

 オデットは泣き腫らした目で俺とリリスを交互に見た。

 まばたきをするたびに絶え間なくこぼれ落ちる涙。
 力なく震える肩。

 何も言わず、オデットは再び俯いた。
 そして、永遠に思えた数秒後――涙が床の染みを更に広げようかというとき、オデットはゆっくりと顔を上げてもう一度俺たちを見た。

 涙でぐしゃぐしゃになったオデットの顔を見て――俺は安堵した。

 先ほどまで何一つ宿っていなかった、すべてを拒絶したかのように冷え切っていた顔に、一つの感情が宿っていたからだ。

 それは――喜びでも、哀しみでも、怒りでも、諦めでも、どれともつかない表情で――。

 けれど、オデットの瞳は俺とリリスをしっかりと捉えて――まるで泣きじゃくる子供のように、感情をあふれ出させていたのだ。


 そして……小さく、しかしはっきりと、オデットは言った。





「クラウス、リリス……お願い、たすけて……」




 オデットの声を聞いた俺とリリスは、涙も拭かずに――顔を見合わせて笑った。
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