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第二章

第46話 美人薬師、過去を語る

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「冬の寒い日だった。私の住む村に突然魔族の群れが攻め入ってきたんだ。本当に……突然の出来事だったよ」

 背もたれに体重を預けたまま、天井のランプに遠い目を投げかけてナディアさんは語り始めた。

「優しかった鍛冶職人のおじさんや、いつもクッキーを作ってくれた婆ちゃん。隣の家のお転婆な姉ちゃん、向かいの家の生意気なガキ。それから私の父も、母も、弟も――みんな、魔族に殺されちまった」

 ナディアさんは一見、淡々と語っているように見えるが……その声の裏には静かな激情がこもっていることに俺は気がついていた。

「両親や……友人が必死になって私を逃がしてくれて……私は命からがら村から脱出することができた。それから私は復讐を誓ったんだ。アルマウト族の名にかけて――必ずや魔族を根絶やしにし、魔王の首を仲間の墓標に捧げてやるってな」

 彼女の生い立ちはこの大陸では珍しい話ではない。王都やこのサラマンドのような都市ならいざ知らず、人間の小さな集落などは魔族の格好の標的なのだ。魔族によって滅ぼされた村や町の例は枚挙にいとまがない。
 俺の両親も、俺が幼い頃に魔物に襲われて命を落としている。

「でも……結局、私には無理だったんだ。私は魔領域に入ることすらできなかったよ。心を折られた私はこの町に辿り着いて――薬師として生きていくことに決めたんだ」

 ナディアさんの顔を照らすランプの灯りが、なんだかとても切なげに見えた。

「そんなことが……」

 目に涙を浮かべてナディアさんを見つめるエレナ。

「えと……それって、つまり百年前の出来事なんですよね?」

 困惑した様子で頭を横に振ってから、こめかみに指を当ててゼフィが言った。
 百年前というのは、ゼフィの読んだ歴史書に記載されていたというアルマウト族が滅んだ年のことだろう。

「ああ。私の村が襲われたのは、だいたい百年前の話だよ。正確に言えば、百三年と三十五日前だけどな」

「ということは、歴史書に書いてあった、アルマウト族が滅んだ事件って……」

「恐らく、私の村のことだろうな。百年前の時点で、アルマウト族はほとんど残ってなかったんだ。私の村にいたアルマウト族が最後の生き残りだったんだよ」

 ナディアさんの答えに、ゼフィは唖然として言葉を失っている。
 俺もまだ信じられないし、驚いている。
 隣にいるこの女性が、まさか百年以上前から生きていて、滅んだはずの種族の最後の生き残りだなんて。

 ん?
 百年前から生きているということは……。

「ナディアさんって……おいくつなんですか?」

 言ってから、俺はしまったと思った。
 ナディアさんはにやっと笑って俺に顔を近づけてきた。

「おいクラウス。一つ良いことを教えておいてやる。どんな理由があろうと、女には年齢なんて尋ねるもんじゃねえ。百二十歳のお姉さんのありがたいお言葉だ」

 息がかかるくらいの距離でナディアさんが言った。口元は笑っているが、目は笑っていない。

「そうよ。クラウスって無神経ね」

「クラウス様、女性の年を訊いてはならないのは常識ですわよ?」

 女性陣の容赦ない突っ込みに、自らの失言を悔いる俺。

「す、すみません」

「わかればよろしい」

 俺に近づけていた顔を離し、ナディアさんは再びテーブルに身体を向けた。
 というか……あっさり言っていたが、百二十歳なのか。

「アルマウト族は長命なんだ。人間の約六倍……ざっと五百年は生きる種族だ。二十歳あたりまでは人間と同じくらいのスピードで成長するんだが、それ以降は緩やかに年を取っていく。だから百二十歳の私なんてまだまだ若輩者だ。人間で言やぁ、二十歳くらいさ。お前らとそんなに変わんねぇよ」

「そういうもん……ですかね?」

「そういうもんだ」

 現に、ナディアさんの見た目はまだ二十歳そこらに見える。
 この若くて綺麗な女性がまさか俺の婆ちゃんよりも年上だなんてな。

「……で、こんなところだが、私の疑いは晴れたかな?」

「ええ、そうですね。まだ戸惑いはありますが……あなたがアルマウト族であれば、アルマウト族の爪を持っていても何らおかしくありません。疑ってすみませんでした」

「いや、謝るなよクラウス。私も少し不用心だったんだ。アルマウト族の爪で作った薬なんて安易に売り捌くべきじゃなかった。あれは効能が段違いなんだよ。あんなもんを捌いてりゃ、変な噂を立てられるのも当然だったんだ」

 彼女が暗黒街で売っていたのはアルマウト族の爪で作った薬だったのか。

「もしかして、一昨日俺が頂いた二日酔いの薬って」

「ああ。あれも私の……アルマウト族の爪と薬草を煎じて作ったものだ。……気持ち悪ぃよな、すまん」

「そんな、気持ち悪いなんてことはないですよ。ただ、凄い効き目だったので単純に驚いたんです」

「……アルマウト族の身体は強力な自己治癒能力を持ってるんだ。その中でも、爪は一番の再生機能が詰まってる部位なんだよ。原理はよくわからねぇが、薬の材料に使うと物凄い効果を発揮するんだ」

 俺は、切断されたナディアさんの足がすぐに再生したのを思い出した。
 あの後俺が折った両腕も、腱を切った両脚も、今ではすっかり治っている。
 それだけでもアルマウト族の自己治癒能力の凄まじさが伝わってくる。

「それがナディア様のお薬の秘密でしたのね……。どんなに分析してもわからないわけですわ」

「すまねぇな、エレナ。私の薬は、薬の勉強の役には立たなかったろ?」

「いえ! そんなことはありませんわ。ナディア様のお薬は原料の珍しさだけで成り立っているものではありませんもの。薬の構造自体が複雑ですし、高度な技術で調合されたものだということはわたくしにもわかりました。とても参考になりましたわ」

「そうか……そいつは良かった」

 そう言って苦笑いを浮かべるナディアさん。

 すると、俯いて何かを考え込んでいるような様子だったゼフィが思い出したように顔を上げた。

「ナディアさんのことはわかりましたけど……エレナはどうしてここに、ナディアさんやオデットと一緒にいるのよ? あたしはてっきりアパートの部屋に籠もっているとばかり……」

 ゼフィは戸惑いを込めた目を隣のエレナに向けた。
 ここ最近、色んな辛いことがあったエレナを、ゼフィは気遣っていたからな。
 パーティーメンバーであり親友でもあるエレナが何かに巻き込まれているのではと考えて、気が気じゃないのだろう。

「それについても私から話そう」

 口を開きかけたエレナを、ナディアさんが遮った。

「昨日の早朝、オデットが私の店に来たんだ。例のクエストのことを知らせにな。商業通りの私の店はほとんど客が入っていなかったとはいえ、店にギルドからの刺客が来るのは時間の問題だった。オデットに言われてすぐに店を出たのは良いんだが、そこからが難儀だった。隠れる場所がなかったんだ。それで店の近くの路地でオデットと一緒に考え込んでいたら、たまたまエレナに会ったんだよ」

 やはり俺たちの予想通り、オデットは昨日の朝ナディアさんのところへ行っていたのだ。

 ナディアさんの視線を受けて、エレナが頷いた。

「わたくしは昨日の朝、お散歩も兼ねてナディア様のお店に行ったのよ、ゼフィ」

「ど、どうしてそんなに朝早くから?」

「お薬の調合について、ナディア様に質問がしたかったのですわ。前の晩にふと疑問が浮かんできてしまって……。それが気になって仕方なくて、つい……」

「まぁ、あんたは昔からそういうところがあるからね。魔術学校時代も、図書室で毎日徹夜していたし」

 そういえば、リザードマンに捕らわれていたエレナをリリスが回復魔法で助けたときにも、エレナは回復魔法のことを俺に質問してきたんだった。並外れた知識欲があるからこそ、彼女は十六歳という若さでA級冒険者になることができたのかもしれない。

「それで、私がエレナに言ったんだ。どこか隠れる場所を知らねぇかってな。もしどこか知ってるなら、私を匿って欲しいと頼んだ。オデットはエレナを巻き込むなと言って止めたんだが、私が強引に頼み込んだんだ。だからエレナを責めないでやってくれよ、ゼフィ」

「わたくしは普段お世話になっているナディア様とオデット様のお力になりたかっただけですわ。この場所をお貸ししたのも、何か少しでもお役に立てればと思ったからです。今の侯爵家は、グラッドレイがいなくなり混迷をきわめております。敷地の端にあるこの小屋のことなど誰も気にも留めませんから、一時的な隠れ家にはうってつけだと思いました」

 エレナは俺に視線を送った。
 きっと三日前のことを思い出しているのだろう。
 三日前、彼女はここで母親と最後の会話をした。
 あのときの彼女は、もうこの小屋に戻ることはないだろうと言っていたが、まさかまたここに来ることになるとはエレナ自身も思っていなかったことだろう。

「もうエレナには頭が上がらねぇよ。昨日から私とオデットの為に食糧の世話やら色々してくれたんだからな。訳も聞かずに、だ」

 エレナは今回のクエストのことや、ナディアさんがお尋ね者になっていることについてまったく知らなかったようだからな。

「事情がおありのようでしたので。込み入ったお話は、誰にでも話せるわけではありませんもの」

 グラッドレイの汚職のことなどを自分だけで抱え込んでいたエレナだからこそ、ナディアさんの気持ちがわかったのかもしれない。

「経緯はわかったわ。でも、エレナ。次もしこういうことがあったら、ちゃんとあたしにも相談してよね。あたしたち親友だし、仲間でしょ?」

「ゼフィ……ごめんなさい」

「謝らなきゃいけないのは、エレナの人の良さにつけ込んだ私の方だよ。すまん、ゼフィ」

 エレナとナディアさんの二人に頭を下げられ、ゼフィは少し慌てた様子で首を振った。

「も、もう良いのよ……。皆が無事なら、それで」

 皆が無事なら。
 ……ん?

「あっ!」

「どうしたの、クラウス? 突然大きな声を出して」

 突然立ち上がった俺を、三人は不思議そうな目で見る。

 ナディアさんとの追走劇や、彼女の生い立ちが衝撃的すぎて――俺はすっかりリリスのことを忘れていたのだ。
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