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ルイザ編

03 愛の向かう先

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 ルイザに心のトレースを提案されて以降、しだいにアイーシャはユーナが乗り移ったようになることが多くなった。

 その日も、ムーン商会の社長室で今後の話し合いをしているルイザたちの耳に、階下からの声が聞こえてきた。

「ムーニー、なんだか下が騒がしいわ。
 司祭長がまた来たのかしら。
 今日はきちんと表向きの用事を作ってきたから、探されるいわれはないのだけれど」
「……いや、どうも雰囲気が違う。
 騒いでいるのはあっしの部下の声で、訪問者の若い女は落ち着いてしゃべっている。
 なんだろう。
 気になるからすこし見てくるよ」

 若い女、というところでルイザは予感していたが、階下から戻ってきたムーニーは、思ったとおりアイーシャを連れていた。

「これはどういうことだい?
 この子、教会の若い子だろう?
 自分のことをユーナと名乗って、あっしとクロードさんの話をしたいと言って聞かないらしいんだ」
「ああ……」

 やりすぎを叱って連れ帰ろうかと考えた。
 が、形はどうあれ、ユーナが教会を去った動揺を和らげたいというアイーシャの気持ちはわからないでもない。
 ここにいるのはムーニーと自分だけだし、好きにさせようと思い直した。

「ユーナの大ファンなのよ。
 悪い子ではないから、喪失感を埋めるのに付き合ってあげて」
「へえ、ルイザに気づかわれるとは、よっぽど大切な後輩なのかね。
 もしくは、どうにも手を焼いているのか」
「後者よ」

 即答するルイザにムーニーはにやりと笑ってから、アイーシャのほうに向きなおる。
 彼女はふたりが話すあいだ、朗らかな笑顔をキープしたまま待っていた。

「お話は終わりました?
 今日はクロード様の話を聞きたくて、ムーニー様のところにお邪魔させていただきました」
「あれ?
 あっしは彼女から、『ムーニーさん』と呼ばれていたはずなんだが」
「ムーニーさんのいじわる」

 下唇を軽く噛んで、上目遣いにじっと見つめる。
 ユーナが男に対してこんなしぐさをするのかルイザは知らないが、してもおかしくない気はする。
 アイーシャの物真似は、彼女が見たものを再現するだけでなく、ユーナならこうするだろうという予測にまで発展しているようだ。

「ムーニーさんから見て、クロード様ってどんなかたですか?」
「質問がざっくりすぎるだろう……まあいいや。
 ええと、あっしとクロードさんはガヴァルダの先代領主のときからの顔見知りで、初めて商談に訪れたときは、あちらさんがまだ小さくて――」
「ガヴァルダ?」
「そこからなのかい!
 まったく、雰囲気だけはだいぶ似ているが、ガワだけまねてもすぐボロが出るよ」

 文句を言いながらも、ムーニーは彼らしい整理された話しかたで、クロードという人間とその周囲の人びとのことを語って聞かせた。

 大勢の使用人のいる屋敷に生まれ育ったこと。
 両親を反乱で亡くしたこと。
 没落してゆくガヴァルダ領で彼なりに奮闘したこと。
 カイルという年の近い親友の存在。
 おっかさんと呼ばれる炊事場の女性。
 クレアという男嫌いのメイド。
 そして、ユーナとの出会いと別れ――

 横で聞いているルイザにも、クロードという男のことがなんとなくわかってきた。
 実際に話していなくても、まっすぐに理想を見つめ、だからこそ挫折して涙する彼の純粋さが想像できる。
 たしかに、あのユーナが惚れそうな相手だ。

 ルイザは、人には裏表があると思っている。
 幼いころ、他人には愛想のいい父親から、たびたび酷い目にあわされていたのだから当然だ。
 だから、クロードやユーナのような、裏表が判然としない、ただきらきら輝いている人間が恐ろしい。
 ムーニーみたいに裏表があって、なおかつ裏のほうが自分に無害とわかってはじめて、心地よくそばにいることができる。

 話を聞き終えたアイーシャは、胸のまえで両手を組み合わせて、「クロード様……」と夢に浮かされたように呟いている。

「どう? ユーナの気持ちはわかってきた?」
「クロード様……愛しています……。
 教会を辞めてでもおそばに――」
「いやいや、行ってもしょうがないからね?
 クロードとやらのそばには、もう本物のユーナがいるんだから。
 アタシはふたりで男を奪い合えなんて言ったわけじゃないの。
 ユーナが教会を去った気持ちがわかったなら、アタシに教えてちょうだい」
「愛です」

 端的すぎる返答にルイザは面食らったが、なにやら掴んだ様子のアイーシャに辛抱強く尋ねる。

「愛って、どんな気持ち?」
「彼の望むことをするのが、わたしの喜びです。
 彼が真の領主をめざすのなら、わたしは当然それをサポートします。
 彼がわたしを求めるなら、その胸に飛び込みます。
 どんなことでも彼のために……ああ!」
「ああ! じゃなくて。
 まあ、だいたいわかったわ。
 人生の主体が相手に移るってことね。
 アタシには絶対にない感情だってことが理解できた。
 ありがとう」

 ルイザにとって、自分の人生は自分だけのものだ。
 神に祈るのすら、おのれの目的のため。
 それを間違ったことだと思った時期もあったが、ガヴァルダから戻ってきたユーナと過ごした二年間で、それもすっかりなくなった。
 開き直っただけかもしれない。

 でも、前回の豊穣祭でルイザが発した加護の光は、その開き直りが間違いではないと教えてくれた。
 ユーナから学んだことがあるとすれば、それは、心のままに生きるということ。
 ユーナとは心の向かう方向が正反対だが、でも、だからこそルイザはこれこそが自分なのだと確信している。

 利己的でわがままで尊大な女。
 こんなやつが近くにいたら引っぱたいているだろう。
 でも、自分自身なら仕方がない。
 せいぜい地位を高めて、心のままに振る舞うことが許される環境を築くまでだ。

 よし、と決意をあらたにするルイザの横で、アイーシャは不安そうにそわそわしている。

「わたし……わたしの愛はどうすればいいのでしょう。
 クロード様にはユーナ先輩がいます」
「神様への愛じゃいけないの?」
「神様と愛し合えますか?
 わたしはもっと、この手で愛を実感したいんです!
 誰か愛させてください。
 いえ、いっそのこと、誰でもみんな愛したい」

 またとんでもないことを言い出した。
 やれやれと思いながら、ルイザは「それじゃ娼婦じゃないの」とたしなめた。
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