1 / 2
前編
しおりを挟む
言葉が通じなくても気持ちさえ伝われば問題ない?
身振り手振りでなんとかなる?
ええ、はい。
俺にもそう考えていた時期がありました。
あったというか、前世の話だけど。
愚かな愚かな大学生だった俺は、英語すらろくに話せないのにひとりで海外旅行をして、荷物を盗まれて宿の場所も分からなくて、誰にも事情を伝えることができないままトラックに跳ねられて命を落とした。
最期だって、跳ねられた俺に人だかりができたけど、救急車を意味する単語がまるで思い出せなくて、困った時の日本人特有のあいまいな笑顔のまま死んでいった。
馬鹿だ。
馬鹿すぎる。
だから俺は、転生する時に女神に言った。
「完全翻訳スキルをお願いします!
分からない言葉なんて1個もないレベルで!」
思えば、この発言の意図すらもちゃんと伝わっていなかったのかもしれない。
だって俺は、言語の壁を気にせずに日常が送れれば、それでよかったのだから。
本当の「完全」なんて、これっぽっちも望んじゃいなかったのだから……。
* * *
「朝は明るくて夜は暗い♪
若者は元気で年寄りは元気がない♪
今日も普通♪
明日も普通♪
ああ日常、ああ日常よ♪
毎日が日常で私は幸せ~♪」
そんな歌声で俺は目を覚ました。
なんだこのひどい歌詞は……。
「あらあなた、気がついたのね。
先生! 先生!
森から運んできた人が目を覚ましたわ!」
「あらまあ」
見渡すとそこは教会の中のようだった。
ベンチのような長椅子に寝かされていたようだ。
そばには女性がふたり、年取ったのと若いのが修道服に身を包んで俺のほうを窺っている。
「ここは?
俺は森に倒れていたのか?」
「ええ、ここはイチの村の教会です。
村外れの森で見つけたあなたを、村の若者が運んできてくれたの」
「イチの村?
イチっていうのは数字のイチのことか?」
俺がそう訊ねると、若いほうの女は面食らったような顔をして、助けを求めるように年寄りの顔をみた。
おかしなことを質問しただろうか。
変な名前だと思ったから確認しただけなのだが。
「あなたは古代語が分かるのですか?
たしかにイチは数字の1を意味すると、村の古い文献には書かれています」
「いや、イチが1って……」
そこで俺はハッと気づいた。
これは完全翻訳スキルのせいだ、と。
おそらくイチと聞こえているのは、たとえばアインスとかウーノみたいな他言語の1を意味する言葉で、ここでは俺の耳にだけそれが翻訳されてイチとして届いているのだ。
恐ろしいことに口の動きもきちんと「イチ」になっており、これはきっと、目に映るものもすべて完全翻訳されているということだろう。
ラグなしのリアルタイムで生成されるディープフェイク映像というわけだ。
女神の力、おそるべし。
「なるほど古代語ね。
となるとあれか、さっきの歌も古代語だったり?」
「まあ!
あなた本当にお分かりになるのね。
そうです、あの讃美歌は千年以上前からこの村に伝わる伝統の歌なのです。
今となっては意味は失われていますが、なんでも日々の営みを感謝しているとか」
感謝ねえ……。
今日も普通、明日も普通って言ってたけど。
まあ普通が尊いってことか。
「古代語が分かる旅人なんて初めて会います。
あなたはもしかして伝承にある勇者様なのでは?」
「でしょうね」
俺はさらりと答えた。
だってさっきから視界に入っている自分のズボンのあちこちに、「勇者勇者勇者勇者」って刺繍が入っているから。
勇者を意味する紋章か何かなのだろうが、完全翻訳スキルのやつがご丁寧に文字に変換してくれている。
俺の理解が早いんじゃなくて、目に入るもの、耳に入るものすべてがすごいスピードでネタバレしてきている。
イチの村というのも、どうせ、勇者が旅立つ最初の村という安易な意味だろう。
俺の言葉に飛び上がった老婆は、村長やら長老やら村じゅうの偉い連中に話をして、古文書や巻物を片っ端から集めてきた。
現代では誰も読めないそうだが、俺にはそれは子どもの絵本並みの平易な言葉で書かれた、しょうもないメモ書きのようにしかみえなかった。
「読んだけど、あんま役に立つものはないな。
あー、これはちょっと意味あるか。
魔王の弱点は足元の影だって。
よくあるパターンだけど、王道パターンもいくつかあるから、あらかじめ知れるのはありがたい」
「ちょ、ちょっと!」
教会の前に集まった人混みの中から、ひとりの男が慌てた様子で駆け寄ってきた。
ひょろりとした若い男だ。
「あんた、本物の勇者で間違いなさそうっスね。
オイラも魔王退治に連れてってもらえないっスか?
いちおう魔術師なんで、魔法が使えるっスよ」
そう言って男は指先に火をともしてみせた。
おお、これは何かと便利そうだ。
人類は火を手にした時に文明が始まった。
カセットコンロとかなさそうな世界だし、いつでも火が使えるのは文明人として大歓迎だ。
「よし、きみは仲間にしてあげよう。
聖剣のある場所もさっきの古文書でだいたい分かったから、旅と言っても、それを回収して魔王の影に刺すだけの簡単なやつだけどね」
「あ、ありがとうっス!
オイラの名前は悪魔。
代々伝わる古代語の名前で、とくに魔力が強い者だけがこの名前を名乗ることができるっス」
「よろしく、悪魔くん」
分かってしまった……。
この男たぶん、魔王の手先だ。
身振り手振りでなんとかなる?
ええ、はい。
俺にもそう考えていた時期がありました。
あったというか、前世の話だけど。
愚かな愚かな大学生だった俺は、英語すらろくに話せないのにひとりで海外旅行をして、荷物を盗まれて宿の場所も分からなくて、誰にも事情を伝えることができないままトラックに跳ねられて命を落とした。
最期だって、跳ねられた俺に人だかりができたけど、救急車を意味する単語がまるで思い出せなくて、困った時の日本人特有のあいまいな笑顔のまま死んでいった。
馬鹿だ。
馬鹿すぎる。
だから俺は、転生する時に女神に言った。
「完全翻訳スキルをお願いします!
分からない言葉なんて1個もないレベルで!」
思えば、この発言の意図すらもちゃんと伝わっていなかったのかもしれない。
だって俺は、言語の壁を気にせずに日常が送れれば、それでよかったのだから。
本当の「完全」なんて、これっぽっちも望んじゃいなかったのだから……。
* * *
「朝は明るくて夜は暗い♪
若者は元気で年寄りは元気がない♪
今日も普通♪
明日も普通♪
ああ日常、ああ日常よ♪
毎日が日常で私は幸せ~♪」
そんな歌声で俺は目を覚ました。
なんだこのひどい歌詞は……。
「あらあなた、気がついたのね。
先生! 先生!
森から運んできた人が目を覚ましたわ!」
「あらまあ」
見渡すとそこは教会の中のようだった。
ベンチのような長椅子に寝かされていたようだ。
そばには女性がふたり、年取ったのと若いのが修道服に身を包んで俺のほうを窺っている。
「ここは?
俺は森に倒れていたのか?」
「ええ、ここはイチの村の教会です。
村外れの森で見つけたあなたを、村の若者が運んできてくれたの」
「イチの村?
イチっていうのは数字のイチのことか?」
俺がそう訊ねると、若いほうの女は面食らったような顔をして、助けを求めるように年寄りの顔をみた。
おかしなことを質問しただろうか。
変な名前だと思ったから確認しただけなのだが。
「あなたは古代語が分かるのですか?
たしかにイチは数字の1を意味すると、村の古い文献には書かれています」
「いや、イチが1って……」
そこで俺はハッと気づいた。
これは完全翻訳スキルのせいだ、と。
おそらくイチと聞こえているのは、たとえばアインスとかウーノみたいな他言語の1を意味する言葉で、ここでは俺の耳にだけそれが翻訳されてイチとして届いているのだ。
恐ろしいことに口の動きもきちんと「イチ」になっており、これはきっと、目に映るものもすべて完全翻訳されているということだろう。
ラグなしのリアルタイムで生成されるディープフェイク映像というわけだ。
女神の力、おそるべし。
「なるほど古代語ね。
となるとあれか、さっきの歌も古代語だったり?」
「まあ!
あなた本当にお分かりになるのね。
そうです、あの讃美歌は千年以上前からこの村に伝わる伝統の歌なのです。
今となっては意味は失われていますが、なんでも日々の営みを感謝しているとか」
感謝ねえ……。
今日も普通、明日も普通って言ってたけど。
まあ普通が尊いってことか。
「古代語が分かる旅人なんて初めて会います。
あなたはもしかして伝承にある勇者様なのでは?」
「でしょうね」
俺はさらりと答えた。
だってさっきから視界に入っている自分のズボンのあちこちに、「勇者勇者勇者勇者」って刺繍が入っているから。
勇者を意味する紋章か何かなのだろうが、完全翻訳スキルのやつがご丁寧に文字に変換してくれている。
俺の理解が早いんじゃなくて、目に入るもの、耳に入るものすべてがすごいスピードでネタバレしてきている。
イチの村というのも、どうせ、勇者が旅立つ最初の村という安易な意味だろう。
俺の言葉に飛び上がった老婆は、村長やら長老やら村じゅうの偉い連中に話をして、古文書や巻物を片っ端から集めてきた。
現代では誰も読めないそうだが、俺にはそれは子どもの絵本並みの平易な言葉で書かれた、しょうもないメモ書きのようにしかみえなかった。
「読んだけど、あんま役に立つものはないな。
あー、これはちょっと意味あるか。
魔王の弱点は足元の影だって。
よくあるパターンだけど、王道パターンもいくつかあるから、あらかじめ知れるのはありがたい」
「ちょ、ちょっと!」
教会の前に集まった人混みの中から、ひとりの男が慌てた様子で駆け寄ってきた。
ひょろりとした若い男だ。
「あんた、本物の勇者で間違いなさそうっスね。
オイラも魔王退治に連れてってもらえないっスか?
いちおう魔術師なんで、魔法が使えるっスよ」
そう言って男は指先に火をともしてみせた。
おお、これは何かと便利そうだ。
人類は火を手にした時に文明が始まった。
カセットコンロとかなさそうな世界だし、いつでも火が使えるのは文明人として大歓迎だ。
「よし、きみは仲間にしてあげよう。
聖剣のある場所もさっきの古文書でだいたい分かったから、旅と言っても、それを回収して魔王の影に刺すだけの簡単なやつだけどね」
「あ、ありがとうっス!
オイラの名前は悪魔。
代々伝わる古代語の名前で、とくに魔力が強い者だけがこの名前を名乗ることができるっス」
「よろしく、悪魔くん」
分かってしまった……。
この男たぶん、魔王の手先だ。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
転生貴族のスローライフ
マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた
しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった
これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である
*基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?
朱音ゆうひ
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!
「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」
王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。
不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。
もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた?
他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)
へぇ。美的感覚が違うんですか。なら私は結婚しなくてすみそうですね。え?求婚ですか?ご遠慮します
如月花恋
ファンタジー
この世界では女性はつり目などのキツい印象の方がいいらしい
全くもって分からない
転生した私にはその美的感覚が分からないよ
うちの娘が悪役令嬢って、どういうことですか?
プラネットプラント
ファンタジー
全寮制の高等教育機関で行われている卒業式で、ある令嬢が糾弾されていた。そこに令嬢の父親が割り込んできて・・・。乙女ゲームの強制力に抗う令嬢の父親(前世、彼女いない歴=年齢のフリーター)と従者(身内には優しい鬼畜)と異母兄(当て馬/噛ませ犬な攻略対象)。2016.09.08 07:00に完結します。
小説家になろうでも公開している短編集です。
転生幼女具現化スキルでハードな異世界生活
高梨
ファンタジー
ストレス社会、労働社会、希薄な社会、それに揉まれ石化した心で唯一の親友を守って私は死んだ……のだけれども、死後に閻魔に下されたのは願ってもない異世界転生の判決だった。
黒髪ロングのアメジストの眼をもつ美少女転生して、
接客業後遺症の無表情と接客業の武器営業スマイルと、勝手に進んで行く周りにゲンナリしながら彼女は異世界でくらします。考えてるのに最終的にめんどくさくなって突拍子もないことをしでかして周りに振り回されると同じくらい周りを振り回します。
中性パッツン氷帝と黒の『ナンでも?』できる少女の恋愛ファンタジー。平穏は遙か彼方の代物……この物語をどうぞ見届けてくださいませ。
無表情中性おかっぱ王子?、純粋培養王女、オカマ、下働き大好き系国王、考え過ぎて首を落としたまま過ごす医者、女装メイド男の娘。
猫耳獣人なんでもござれ……。
ほの暗い恋愛ありファンタジーの始まります。
R15タグのように15に収まる範囲の描写がありますご注意ください。
そして『ほの暗いです』
隷属の勇者 -俺、魔王城の料理人になりました-
高柳神羅
ファンタジー
「余は異世界の馳走とやらに興味がある。作ってみせよ」
相田真央は魔王討伐のために異世界である日本から召喚された勇者である。歴戦の戦士顔負けの戦闘技能と魔法技術を身に宿した彼は、仲間と共に魔王討伐の旅に出発した……が、返り討ちに遭い魔王城の奥深くに幽閉されてしまう。
彼を捕らえた魔王は、彼に隷属の首輪を填めて「異世界の馳走を作れ」と命令した。本心ではそんなことなどやりたくない真央だったが、首輪の魔力には逆らえず、渋々魔王城の料理人になることに──
勇者の明日はどっちだ?
これは、異世界から召喚された勇者が剣ではなくフライパンを片手に厨房という名の戦場を駆け回る戦いの物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる