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第一部 ディオンヌと仮面

プロローグ

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 わたしの父は、お人好しでした。

 疑うことを恥だと思っているかのように、誰の言葉でも信じ、とても簡単に騙されました。
 莫大な借金を背負わされ――

 とうとう、爵位まで失いました。
 父が築いたブランドン家は、もうありません。

「あれ? きみ、こんなところでどうしたんだい?」

 ここはジョーデン侯爵の屋敷です。
 大公爵と呼ばれたわたしの父には及びませんが、ジョーデン家もまた、王からの覚えがめでたい有力貴族。

 その屋敷の廊下で、わたしは嫡男のジョサイアに呼び止められました。

 ことしで18になる彼は、わたしと同い年。
 金色の髪と青い瞳をした、典型的な貴族のお坊ちゃんです。
 かつてジョーデン侯爵は、大切なひとり息子である彼をよくわたしの屋敷に連れてきていました。
 育ちのよさの塊のような彼と、お人形のようなお嬢様だったわたしは、とてもお似合いだったと思います。

 でもそれも、もう昔の話。

(ああ、見つかっちゃった……)

 できるだけ彼の視界に入らないようにしていたつもりですが、ついうっかり、他のことに気を取られました。
 二階の廊下を掃除したら、さっさと地下の使用人部屋に引っ込むつもりだったのに。

 廊下の突き当たりに掲げられた古い仮面に、つい目を奪われてしまい――

「きみ、ディオンヌだよね? どうしてここで、そんな格好をして……」
「お久しぶりでございます。わたしは先日雇っていただいた、使用人です」

 できるだけ落ち着いて、ゆっくり答えました。

 使用人としての制服は、粗末で、装飾と呼べるものは何もありません。
 かつて彼がわたしの家に遊びにきたときに見せたような、優雅なおじぎは無意味。

 わたしはただ、深々と頭を下げました。

「父が亡くなり路頭に迷ったわたしを、ジョーデン様が雇ってくださったのです」
「……」
「わたしのことは、ただの使用人として扱ってください。幼なじみのディオンヌは、死にました」

 ジョサイアは黙っています。
 わたしは頭を下げたまま、彼の言葉を待たなければなりません。

 つい昔の癖で、わたしは顔の横に垂れる巻き髪を触ろうとしました。
 今は金髪をひとつに束ね、無造作に後ろに流しているというのに。
 ファッションに手間をかけることが貴族として当然のことだったのだから、使用人としての当然は、手間がかからず、邪魔にならないこと。

 わたしは使用人です。
 ドレスも巻き髪も不要な、働くだけの存在。

 わたしはおじぎの姿勢で彼に言います。

「特別なご用件がなければ掃除の続きを――」
「そうか……邪魔をして悪かったな」

 それだけ言い残すと、彼は足早に自室へと消えていきました。

 ようやく顔を上げたわたしの視界に、さっきまで見つめていた仮面がまた映り込みます。

 なぜそこに飾られているのかわからない、骨董品の仮面。
 父の趣味とはまるで違う、わたしが見たことのないデザインです。
 もしかしたら宗教的な意味があるのかもしれません。

 邪悪な見た目ではないこの仮面に、わたしが抱いている感覚は――

(恐怖……なの?)

 わたしはぶるっと大きく身震いしてから目を逸らし、廊下の掃除に戻りました。
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