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中編
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「あらサイード、久しぶり。
しばらく見ない間に、あなた、ずいぶんお変わりになった気がいたします」
「ふん」
妻の言葉に、おれは鼻を鳴らして居間のソファに身を預けた。
妻――ジャクリーヌは美しい顔立ちをしているが、女としては、モーリンに比べると月とすっぽんもいいところだ。
美人に不必要な知性があるのがよくない。
これはおれの持論だが、女の知性は美を損なう。
爵位という餌がなければ、おれがこいつを口説き落とすことはなかっただろう。
もう七年もまえになるが、あのときは必死にジャクリーヌをオトしにかかった。
身なりもきちんとし、品行方正を装った日々がどんなにつらかったか。
おかげでまんまと爵位を手に入れることができた。
先代が死んでからは装うこともやめ、楽に過ごすことにした。
金は好きなようにつかい、女も好きなように買う。
我慢した日々への褒美と考えれば、どんなに好き勝手やってもバチは当たるまい。
催眠術というすばらしい能力を手に入れたことからも、いかにおれが神に祝福されているかがわかるだろう。
「すこし、お話でもいたしましょうか」
ジャクリーヌが使用人に紅茶を出させた。
おれのまえに置かれたカップのその香りは、おれに、ここ数ヶ月むせ返るような女のにおいしか嗅いでこなかったことを気づかせる。
「ずっとお部屋にこもって、なにをなさっていたのですか?
侯爵の務めは、わたしが名代をつとめさせていただいておりますが」
「おれがなにをしようと、おまえには関係のないことだ。
そんなことより……どうだ?
おれの目を見て、なにか感じないか?」
「?」
催眠術をかけようとしたが、やはり、この女には効かない。
モーリンのようにはいかないようだ。
相性というものがあるのかもしれないとおれは思った。
そもそもこの女が、おれの命令で乱れ狂うさまを想像することができない。
おれが想像できないから、催眠術がかからないのかもしれない。
「あなた、疲れた目をされています。
お身体は大事になさっていますか?
お部屋から話し声が聞こえると侍女が申していましたが、だれか客人でもいらっしゃっている?」
「だれでもいいだろう。
おれにはおれの付き合いがあるんだ」
言い放ったおれを、ジャクリーヌはじっと見つめる。
怒ったか?
怒ったところで、もはやどうでもいいのだが。
できるなら最後に、この女が怒りで取り乱すところを見てみたいと思った。
が、
「そうおっしゃるなら、そうなのでしょう。
わたしは妻として、夫のことを信じておりますから」
あろうことか、ジャクリーヌは微笑んだ。
なんという胆力。
この女の余裕は、いったいどこからくるのだろう。
パチン。
妻は笑顔のまま、指を鳴らして紅茶のおかわりを呼んだ。
その乾いた音が妙に心に響く。
なんだ……?
なんだこの胸騒ぎは……。
「それで本日は、なにかご用がおありで居間に来られたのではなくて?」
「あ、ああ。
そうだった、おまえに話がある」
おれは気を取り直すように、低い声で妻にいった。
すこしでもこいつに衝撃を与えたい。
これまで、奔放にふるまうおれに、一度たりとも離縁をにおわせなかった女だ。
離れることは望んでいないはず。
つんと澄ましてはいるが、まちがいなくおれに心底惚れている。
「おれと別れてくれ。
爵位はもういい、そんなものは捨ててやる。
手切れ金だって、おまえの家の金など、もう銅貨一枚だっていらない」
言った。
ついに言ってやった。
ジャクリーヌ自身も、爵位も、金も、おれはすべてを否定した。
おまえに価値などないとつきつけてやったのだ。
しばらく見ない間に、あなた、ずいぶんお変わりになった気がいたします」
「ふん」
妻の言葉に、おれは鼻を鳴らして居間のソファに身を預けた。
妻――ジャクリーヌは美しい顔立ちをしているが、女としては、モーリンに比べると月とすっぽんもいいところだ。
美人に不必要な知性があるのがよくない。
これはおれの持論だが、女の知性は美を損なう。
爵位という餌がなければ、おれがこいつを口説き落とすことはなかっただろう。
もう七年もまえになるが、あのときは必死にジャクリーヌをオトしにかかった。
身なりもきちんとし、品行方正を装った日々がどんなにつらかったか。
おかげでまんまと爵位を手に入れることができた。
先代が死んでからは装うこともやめ、楽に過ごすことにした。
金は好きなようにつかい、女も好きなように買う。
我慢した日々への褒美と考えれば、どんなに好き勝手やってもバチは当たるまい。
催眠術というすばらしい能力を手に入れたことからも、いかにおれが神に祝福されているかがわかるだろう。
「すこし、お話でもいたしましょうか」
ジャクリーヌが使用人に紅茶を出させた。
おれのまえに置かれたカップのその香りは、おれに、ここ数ヶ月むせ返るような女のにおいしか嗅いでこなかったことを気づかせる。
「ずっとお部屋にこもって、なにをなさっていたのですか?
侯爵の務めは、わたしが名代をつとめさせていただいておりますが」
「おれがなにをしようと、おまえには関係のないことだ。
そんなことより……どうだ?
おれの目を見て、なにか感じないか?」
「?」
催眠術をかけようとしたが、やはり、この女には効かない。
モーリンのようにはいかないようだ。
相性というものがあるのかもしれないとおれは思った。
そもそもこの女が、おれの命令で乱れ狂うさまを想像することができない。
おれが想像できないから、催眠術がかからないのかもしれない。
「あなた、疲れた目をされています。
お身体は大事になさっていますか?
お部屋から話し声が聞こえると侍女が申していましたが、だれか客人でもいらっしゃっている?」
「だれでもいいだろう。
おれにはおれの付き合いがあるんだ」
言い放ったおれを、ジャクリーヌはじっと見つめる。
怒ったか?
怒ったところで、もはやどうでもいいのだが。
できるなら最後に、この女が怒りで取り乱すところを見てみたいと思った。
が、
「そうおっしゃるなら、そうなのでしょう。
わたしは妻として、夫のことを信じておりますから」
あろうことか、ジャクリーヌは微笑んだ。
なんという胆力。
この女の余裕は、いったいどこからくるのだろう。
パチン。
妻は笑顔のまま、指を鳴らして紅茶のおかわりを呼んだ。
その乾いた音が妙に心に響く。
なんだ……?
なんだこの胸騒ぎは……。
「それで本日は、なにかご用がおありで居間に来られたのではなくて?」
「あ、ああ。
そうだった、おまえに話がある」
おれは気を取り直すように、低い声で妻にいった。
すこしでもこいつに衝撃を与えたい。
これまで、奔放にふるまうおれに、一度たりとも離縁をにおわせなかった女だ。
離れることは望んでいないはず。
つんと澄ましてはいるが、まちがいなくおれに心底惚れている。
「おれと別れてくれ。
爵位はもういい、そんなものは捨ててやる。
手切れ金だって、おまえの家の金など、もう銅貨一枚だっていらない」
言った。
ついに言ってやった。
ジャクリーヌ自身も、爵位も、金も、おれはすべてを否定した。
おまえに価値などないとつきつけてやったのだ。
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