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第四章 国難

その三十六 表裏の精神

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 声が、聞こえた。
 魔獣と……もう片方は、女の子だろうか。
 しかし甲高い悲鳴というわけではなく、戦いのかけ声の様な。
 まるで猛々しい戦士の様な。


『せやぁっ!!』
『ガルルルルゥ!!』


 駆ける。
 木々の根を飛び越え、ひたすらに。


『ガルゥァァッ!!』
『あぐっ!?』


 駆ける。
 声は次第に大きくなり、金属音が耳に届いた。


『グルァァッ!!』


 駆ける。
 止めを刺そうとする魔獣――コボルトの一撃を、両手で持った片手剣で受け止める。
 背後には脚を負傷したのか血を流した少女。
 年齢は、十五歳といったところだろうか。
 辺りを見回せば既に幾度となく交戦していたようでコボルトの死体が散乱していた。
 少女は脚以外に負傷した様子はなく、年に見合わない実力者であることは見て取れた。
 髪は返り血を浴びたようで一部赤く染まっているものの、地毛は金色の様だ。
 それも非常に美しく輝く、陽を浴びた川面を思わせる金。
 傍らに転がっている剣は青色の美しい装飾が施され、どう見ても業物だった。

 聞きたいことは多々あるが、まずはこの状況をどうにかするしかない。
 生き残っているコボルトは四体。今の俺の力でも何とか倒せるだろう。
 ……今の?
 何故だ、そんな言葉が思い浮かんだのは。
 まるで前はもっと力があったような……
 いや、そんなことを気にしている場合ではない。


『グルルゥ……』
『くっ……おらぁッ!!』
『ガルゥッ!?』


 コボルトの爪を弾く。
 胴体ががら空きになったところで切り裂き、さらに首を突いた。
 弱点を的確に突いたことでコボルトは倒れ伏した。


『来いっ!! 俺が相手だ!!』


 次々に襲い来るコボルトを切り伏せる。
 一体一体には然程苦戦しないが、三体纏めてとなると話は別だ。
 だが少女は恐らく、数十体のコボルトと交戦した筈だ。
 俺よりも年下だというのに凄まじいな。
 そんなことを考えながら戦うこと暫く、全てのコボルトが倒れた。


『おいっ、大丈夫か?』
『ああ……助かったよ。感謝する』


 少女は怪我を負いながらも凛とした雰囲気を纏い、年に似合わない口調でそう言った。
 これだけの傷を負ってもしっかりと話せている辺り、胆力も相当なものだろう。


『ところで……何でこんなところに? しかも、大量のコボルトと一緒に……』


 そもそもこの辺りにこれほどのコボルトがいることはない。
 何かを追いかけて来た、という可能性が高い様に思う。
 この場合の何かとは少女のことになるだろう。


『走っていたら襲われてしまったのだ……逃げ切ることは出来ず、交戦した』
『こんな山の中を走って……? 荷物も持たずに……?』


 少女は豪奢な装飾の施された軽鎧を身につけていた。
 しかしそれ以外には剣しか持っていない。
 食料も何も持たずに山中を走っているのは明らかに妙だ。


『……すまない、あまり事情は話せないんだ。図々しいかもしれないが、出来れば近くの村か街に案内してくれると助かる……』
『うーん、この付近にそんな場所はないぞ? ここは人里離れた山の中だ』
『……では、何故貴方はここに……? 冒険者というわけでもないだろう』
『そうだな。俺はこの近くに住んでるから……っと、そうだ。俺の家に来るか? どの道その怪我じゃそう遠くまでいけないだろ?』
『家? こんな、山の中に?』
『まぁ、小屋だけどな。嫌なら野宿するしかないと思うけど』
『いや……お邪魔させてもらおう。野宿は……難しそうだ』


 恰好を見た時点で分かることだが、やはり少女は高貴な身分なのだろう。
 豪商の娘、いやあるいは貴族か……
 だがそうなると、こんな山の中に一人でいるのは明らかにおかしい。
 色々と気になることはあるが、見たところ悪人ではなさそうだ。
 見捨てるという選択肢は無い以上、それしか取れる手段はない。
 ここから近くの村まで歩いていくなら、どうしても野宿することになる。


『そういえば名前は? 俺はテイル』
『ラーグラウス=イ……ラーグラウスだ。ララとでも呼んでくれ』
『分かったよ、ララ。それじゃ行こうか』
『ああ』


 名乗った時に途中で止めたことは気になるが、あまりしつこく聞くものでもないだろう。
 そう思った俺は、自身の家――小屋へ向かって歩き出した。



 ◇◇◇



「《アステリオスッ》――おぉっ、らぁッ!!」


 レーガンは光輝く紫の剣――〈神剣アステリオス〉を召喚した。
 彼が得意とする雷属性の魔法と『神としての力』を合わせて作り出した、身の丈ほどもある両手剣。
 もしも下界でこの剣が振るわれるようなことがあれば、ただの一振りで街一つが消し飛ぶ。
 正しく『神の剣』、雷の力――否、雷神の力を宿した剣は、三本の尾を生やした異形の人族へと振るわれた。
 彼の奥の手とも呼べる力をテイルの尾が増えた瞬間に発動したのは、彼が傲慢ではあっても何千という戦いを経験したことの証左であっただろう。
 既に失った片腕は魔法を駆使して――複数の属性を合成し――義手を取り付けている。
 光り輝く紺碧の腕がそれだ。
 剣を振るうのに支障は無い。
 だが――


「――ッ!? 斬れな――」


 瞬間、剣を受け止めた一本の尾を除く二本が振るわれた。


「――《アステリオスッ》!!」


 先ほどと同じ言葉を叫ぶ。
 しかし現れるのは剣ではなく、紫の鎧。
 〈神鎧アステリオス〉、〈神剣アステリオス〉と合わせて正式名称は〈神具アステリオス〉。
 レーガンが持つ正真正銘の切り札、例え【消滅】が付与されていようと並大抵の攻撃では僅か足りとも欠けることは無い。
 下界に存在する全ての聖剣、あるいは魔剣を遥かに上回る『神の道具』である。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 衝突。
 たった一本の尻尾、その太さはレーガンの腕よりも僅かに太い程度。
 だが感じる圧力は並ではなく、空中に踏みとどまることが出来ず押され続ける。
 数秒後、漸く尾は止まった。しかしそれはレーガンが止めたというよりも、伸長の限界距離に到達したようであり、彼我の膂力の差を明確に示していた。


「畜生がぁ……」


 ミシミシと腕が軋む様な音を聞きながら、彼はそう言葉を漏らした。
 異形への変化が齎した、理不尽なまでの力の上昇。
 下界の生物にとって『神』とは理不尽の塊であり、その『神』にとっての「理不尽」たる人族など――


「どんな冗談だよ――糞ったれがぁッ!!」


 神剣を振るう。
 紫の閃光を軌跡とし、『雷神の剣』は『魔獣の尾』へと迫る。
 正しく神速、レーガンが使用可能なに存在する身体強化系、加速系の魔法全て――十を超える魔法をが生み出す一撃。
 彼の生涯――生死の概念は既に消滅しているが――において、間違いなく最高の一撃。
 そもそも『神』となってから全力を出すことなど、ありはしなかった。
 つまり魔族から『神』となった彼が出した、初めての全力だった。
 が――


「……嘘だろオイ」


 キィィンという澄んだ音と共に、彼の剣は尾の表面を僅かに削って受け止められる。
 呆然として呟いた次の瞬間には、彼の相棒と同じく吹き飛ばされていた。
 魔法による静止を試みるも、勢いは簡単には殺せない。
 ダメージを負い点滅する意識の中、彼は先ほどの光景を思い返した。

 神の剣と尾が衝突する瞬間、尾の表面には奇妙な光沢があった。
 まるで液体と固体の中間の様な。
 しかしそれは小指の先より薄い程度の厚さのみ、その先には結晶化した何かが――


(そういうっ、ことかよ――!!)


 刹那の瞬間で考察を終えたレーガンは、空中に静止して大きく距離を開けて佇む人族を見据えた。
 言葉で表すなら容易いことだ。
 スライムの様な表面、更にその奥には硬質な紅色の鉱石。正確には体の一部なのだろうが。
 恐らく下界に存在するどの鉱石よりも固い、馬鹿げた物質。
 スライム状の皮膚により勢いを殺し、鉱石によって完全に受け止める。
 ただし当然そんな状態では自在に操ることも伸縮させることも出来ないため、防御の一瞬で変質させたわけだ。


(見た目通りじゃねぇってか……大量の魔獣の力を同時に発現させてやがる。こりゃあ、今回参加したのは失敗だったな……つーか、風神サマは何やって……ああそうか)


 神の瞳は、戦いが始まった位置からこちらを見据える『主神』を捉えた。
 当然人族の変化は理解しているだろうが、理解した上で傍観しているわけだ。
 魔獣の力など長時間は保てないだろう、と判断して。


(それは無駄だろうぜ、風神サマ)


 レーガンは心中で諦観を浮かべながら。
 魔獣の力を『主神』に苦笑しつつ。
 ああ、参加しなきゃよかった、と。
 過去の己を悔いた。
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