上 下
56 / 69
白銀の章 阿久利川3

~蛇田山~ 3

しおりを挟む
「準備は整ったか?」
 説貞は、自分の館に戻ると、二人の息子を室に呼んで尋ねた。
 
「万端、整いましてございます。」
 嫡男の光貞が、弟元貞と共に父の前に座して一礼した。
 
「ご苦労であった。・・・ところで、先ほど陸奥守様に呼ばれた。」
 説貞が、二人の顔を見ながら言った。
 
「何かご指示があったのですか?」
 元貞が、尋ねる。
 
「いや、とりたてて具体的なご指示があったあったわけではない。」
 説貞は、首を振る。
 
「それにしては、お顔が険しいようですが?」
 光貞が、聞き返す。
 元貞も頷く。
 
「ただ、何も成果を上げることなくこの地を去ることに、少しばかり心残りがお有りになるようだ。」
 説貞は、そう言って目を閉じた。
 
「・・・そうですか。ですがすでにご後任も決まり、あとは鎮守府での務めが終われば、帰京するばかりです。こればかりは、致し方ないのでは?」
 元貞が、聞く。
 
「俘囚どもも、陸奥守様がご下向されて以来、全く猫を被ったように大人しくしておりますからな。朝廷の方々もすっかり安心しきっておられるのでしょう。まことは、虎狼のような奴らだというのに・・。」
 光貞が、うつむきながら言う。
 
「まあ、そうなのであるが、陸奥守様はこのようにも仰せられていた。『万が一のことが起これば、武門の家の者でなければ陸奥守は務まらぬことになる。その時の適任は自分の他におらぬであろう。』と。」
説貞が目を開けると、顔を上げて言った。
 
「『万が一』ですか・・。」
 元貞が、つぶやく。
 
 
「・・・・そう言えば、貞子のことですが、やはり連れて行くのですか?」
 しばらくの沈黙の後、光貞が、急に妹の話を持ち出した。
 
「そ、そうじゃな。あまりにうるさいので、連れて行くことにした。あれが、いかがした?」
 説貞が、怪訝な顔をして尋ねた。
 
「家人の話では、どうも想い人がおるようなのです。」
 光貞は、目元に僅かに笑みを乗せて答える。
 
「な、なに!それはまことか?その相手とはどこの誰じゃ?」
 説貞が、慌てたように身を乗り出した。
 元貞は、唖然とした表情で兄の顔を見ている。
 
「先日、志波彦神社に詣でた折に、見初めたようなのです。なんでも、熊のような巨躯で青毛の馬を駆っていたとか。」
 光貞の目元の笑みが、冷たいものに変わっている。
 
「安倍次郎か!」
 元貞が、ハッとして言った。
 
「なんじゃと!よりにもよって、あの獣のような奴か!・・うぬっ、けしからん。」
 説貞の顔が、みるみる赤黒くなる。
 
「父上、そう熱くなられますな。おなごの一時の気の迷いなど、取るに足らぬこと。向こうも、アレの想いなど全く気づいてもおらぬはず。」
 光貞は、こぶしを握りしめて震わせる説貞を静かになだめる。
 
「そ、それはそうだが・・・。」
 説貞は、元の位置に座り直した。
 
「それよりも、この話、全くの逆の場合であったならば、どうなりましょうな?」
 多少落ち着きを取り戻した説貞に、光貞が尋ねる。
 
「そのようなこと、考えるだけでもおぞましいわ。だれが、大事な娘を俘囚ごときにやるというのか!」
 ふたたび激昂し始める説貞であった。
 
「ですから、当然断るわけです。それでも諦めきれない男は、どうしますでしょうな?」
 あくまで冷静さを保ちながら光貞は、もはや冷笑というべき表情で、さらに尋ねる。
 
「・・・自棄に、走るやも、知れぬな・・。」
 息子の変わらぬ冷静さに何かを感じ取り、説貞は呟いた。
 
「左様ですな。まさにそのような場合、『万が一・・・』のことが起こることもあろうかと・・・・。」
 光貞は、小さく頭を下げて言った。
 
「兄上!」
「光貞、そなたもしや・・・だが、それではアレがあまりに不憫ではないか・・。」
 説貞と元貞は、二人同時にハッとして顔を上げた。
 
「父上、元々欲してはならぬものを欲したのです。事が成ればいくらでも、後々よく言い含めることも出来ましょう。いずれ、それなりの方へ輿入こしいれすればよろしいのです。それよりもまずは、陸奥守様がこの地に引き続き残られて、存分にお働きして頂けることが肝要かと。」
 光貞は、説貞の目を真っ直ぐに見つめて言った。
 
「そうか・・、そうじゃな。では、鎮守府に着いたら、一度、二人が会えるようにするといたそう。」
 説貞は、光貞の言葉を聞き、漸く納得したのか、再び犀利そうな瞳を取り戻してそう言ったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す

矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。 はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき…… メイドと主の織りなす官能の世界です。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

堤の高さ

戸沢一平
歴史・時代
 葉山藩目付役高橋惣兵衛は妻を亡くしてやもめ暮らしをしている。晩酌が生き甲斐の「のんべえ」だが、そこにヨネという若い新しい下女が来た。  ヨネは言葉が不自由で人見知りも激しい、いわゆる変わった女であるが、物の寸法を即座に正確に言い当てる才能を持っていた。  折しも、藩では大規模な堤の建設を行なっていたが、その検査を担当していた藩士が死亡する事故が起こった。  医者による検死の結果、その藩士は殺された可能性が出て来た。  惣兵衛は目付役として真相を解明して行くが、次第に、この堤建設工事に関わる大規模な不正の疑惑が浮上して来る。

処理中です...