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3. 家住期 ~僥倖~

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 それからは、無我夢中で隣国のアヴィガーフェまで落ち延びた。

 途中、自分と背丈の似た旅商人を襲い、殺してから自分の衣服を着せた。顔は大型魔獣に襲わせた。
 職種が違えば刺青の紋様も異なる。身体中の皮膚に魔鳥の血液を浴びせ、ただれさせるのが厄介だった。幸い染料は同じ系列。巣穴の近くに埋め込んだから、冬を越えて発見される頃には判別出来まい。

 いくら下級魔導士の務めとはいえ、竜騎士たちの助太刀として犯罪捜査に駆り出されるのは嫌で堪らなかった。しかし今になり、そのときにき集めた様々な知識が役立ってくれている。
 死体の判別方法、追手の放ち方。どれも自分の魔術で誤魔化しが利く。敵の手の内を知っていれば、あっけない程に西の国境を越えられた。

 生き延びてカドックに復讐ふくしゅうする。そのためならば悪魔に魂も売ってみせよう。
 いや、いっそのこと自分が悪魔と化してやろうじゃないか。
 責められるべきはカドックたちだ。復讐の鬼を、殺人鬼を生み出したのは奴らなのだ。痛むべき良心は、とうの昔に失っていた。

 神殿勤めで毎日っていたひげは伸び放題、身代わりにした旅商人以外も、顔を見られれば口を封じて金目の物を奪い、すっかり山賊のような目つきになってしまった。
 だが奪った服をいくら着込んでも寒さを防げない。本格的な冬がすぐそこまで迫っている。落ち葉で埋まった獣道は、今では薄っすら雪が積もり始めていた。



*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*



「お前さん、どこから来たの?」

 火の魔術でき火を作り続けるのも億劫おっくうになり、余りの寒さに岩陰で凍えていたら、いつの間にか眠ってしまったようだ。
 太った中年女が至近距離でのぞき込んでくる。辺りに張った魔法陣が何故か作動していない。この女、同業者か。

「貴様、何者だ」

「やだよ、怖いね。アタシはこの森に住む、ただの田舎女だってのに」

「結界があったはずだ」

「そうなのかい?」

 小さな目をしばたいて、不思議そうに周りの木々を見渡す。そう言えば、相手の攻撃を逆手に取った魔法陣だった。
 余計な魔力の消耗を避けるため、こちらの命や持ち物を奪おうと仕掛けてこなければ作動しない設計に切り替えたのを忘れていた。
 緊張が緩むと、途端に腹が盛大に鳴る。

「お腹空いてたんだねぇ」

 あはは、と大きな口を馬鹿みたいに開けて、女が笑い出す。
 例え平民であろうと魔導士となるべく教育を受けていれば、宮廷作法も徹底的にたたき込まれる。貴族家系が多い職業だ。こんな粗野な所作では、学生の時分で振るい落とされるだろう。

「アタシの家、もうちょっと行ったとこなんだけど、来る? ちょうどね、ヤギの白スープを煮込んでいたの」

 白スープ、つまりヤギの乳にとろみをつけたやつか。昔、父親に領地へ連れて行かれる度に、乳母ばあやが部屋へ持ってきた。田舎は嫌だとごねて、閉じ籠ってばかりいたからな。

 こんな警戒心の欠如した女は、いつでも始末出来る。まずは食糧の確保だ。そう決意して立ち上がると、女がうれしそうに道案内し出した。



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 それにしても。アヴィガーフェから王宮わがくにに招かれた女たちは、服装こそ違えども、もう少し『まとも』だった気がする。
 怪しげな見知らぬ男を家に招き、食事を与え、あまつさえ寝台まで提供するなど、他国であろうと狂気の沙汰だろう。

 使用人や護衛は一人もいない。隣家もない。
 こちらを油断させておいて、毒でも盛るのか。余程の手練れなのか。一日中、暖炉の前で丸まっている尻尾の短い老猫は、まさか契約獣か。
 日夜警戒してみたが、女や猫が危害を加えてくることは一度も無かった。

「あら、その服。やっぱり裾も何もかもぴったりね」

 数日後、寄越してきた冬服に初めて袖を通すと、女は周りをくるくると巡りながら手をたたいて喜んだ。
 小さな家だが、頑丈な丸太が積み重なり、更に漆喰しっくいで塗り固めて隙間風は一切入らない。大きな暖炉には常に火が入り、居心地が妙に良かった。

「父親のものか」

 この家には男物で埋まった収納箱が一つある。来た当初から好きに使っていいと言われたが、魔術でも掛けられているのではないかと今日まで手を付けなかったのだ。
 勿論もちろん、考えられるだけの解除魔術は施し済みである。

「え? お父ちゃんじゃないよ」

 大分前に死んだとか、いてもいないのに話したではないか。

「それはねぇ、ちょっとだけ旦那だった人の服」

 照れ笑いしながらも、瞳の輝きが少しかげった。

「そいつも死んだのか」

「死んだ、か。うん、そうかもしれない」

「どっちだ」

 いつか現れる可能性があるのなら、先に教えろ。

「アタシ、こんなだからさ……逃げられちゃったみたいなんだよねぇ」

 女は困ったように眉を寄せながらも、へらへら笑い続けている。

 品が無いし、気が利かない。そして何より醜い。太った女が好きな奴もいるらしいが、歯がガタガタで目は豆粒のように小さく、歩く度に無骨な足音が耳障りだ。まともな男なら食指は動かないだろう。
 現に数日同じ部屋で過ごしても、どうしたいとも思わない。

「そうか」

 深入りしたくない話題になったので、強制的に終わらせることにした。



「ど、どこに行くんだい?」

 扉に手をかけると、女は決まって泣きそうな顔をする。

「猟だ。冬を越すには食糧が足らない」

 この家の横手に作られた倉庫には、この女が食いつなぐ分しか無かった。

「いいよ、アタシがする。お前さんは休んでて」

 そう言って女は毛皮を着こむと、自分が寒空の下にに出て行くのだ。そして一刻も経たない内に手ぶらで帰って来ては、「今日は獲物が見つからなかった」と照れ笑いすることの繰り返し。
 これではらちが明かない。

「俺の方が確実だ」

「でも」

「鍋でも作っておけ」

 うざったい女だ。強引に手を振りほどいて、外に出た。

 今日は数日ぶりに晴れたが、これだけ雪が積もれば動物たちも冬ごもりを終えた後だろう。狙うは魔獣だ。この時期になると、どこからともなく現れる。
 あの女の父親は流れの魔士だったらしく、家の周囲には何重かの魔獣除けが残されていた。一番外側の結界まで来ると、周囲にうごめく魔獣の気配を探る。

 クランシィから奪った魔杖まじょうを構えてバチバチと飛び跳ねる雷を作り出し、熊のような魔獣の喉元に撃ち込んだ。

 その魔獣の正体を瞬時に見抜き、どの系列の魔術が苦手で、どこが弱点かさえ頭に入れておけば、魔獣退治は造作ない。
 残るはこの結界越えだが、熊もどきの心臓を貫き、魔核を先に手元に収めれば後はただの物体。風の魔術で、そのまま小屋まで空中を移動させることにした。



「うわあ! 魔獣なんて、お父ちゃんみたい!」

 中年女の父親扱いなんぞ御免こうむりたいのだが、子どものようにはしゃぐ姿を見せられると反論もし辛くなる。

「えーと、解体は普通でいいんだっけ」

 こっちを見るな。そんなもの知るか。家畜をさばくのは農民の仕事だろう。

「とりあえず、倉庫から道具を持ってくるね」

 なんだか心許ない。女がいなくなった内に、念のために検屍けんしの際に施す解体魔術を軽く掛けておこう。ついでに死んだ魔獣に留まっていた魔力を残さず奪う。

 小屋のすぐ外に巨大な魔獣の屍骸しがいがあるのも美観を損なうので、熊もどきを少しだけ倉庫の方へ移動させる。あとは慣れた奴に任せればいい。
 風除け扉と玄関扉を一つ一つくぐると、猫を押し退け、すぐさま暖炉の前の椅子に腰を下ろした。



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