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烏妖怪のお婿さん

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「へ!? 今、なんて?」

 朝から探していた獲物は、もう目と鼻の先。やっと余裕が出てきたディアナは、先ほどからしつこく話しかけてくる背後の若者へ、初めてまともに振り返った。

 針葉樹と広葉樹が縦横無尽に生い茂る、文字通りカオスと化した深く広大な森だ。よくもまあ余所者が付いてこれるものだと感心もする。

「ですからっ、お嬢様の、婿候補としてっ、参りましたっ、フィリポス、ですっ」

 少女ほどは鍛えてないのだろう。青年のほうは、だいぶ息が上がっていた。

 おまけに、この森で獣除けとなる黒マントも羽織っていない。ディアナはここ南部の伝統衣装である膝までの厚織ワンピースの下に、裾を絞ったバルーン型の厚織ズボンまで着込んでいるというのに。

 しかしフィリポスは、東北部の伝統衣装である薄織の繊細な男性用ワンピースを重ね着して、左右に精霊四色の帯紐おびひもを垂らしていた。整えられた庭でのお茶会ならば、相応しい正装ではある。

(舗装された道から外れてしまったし、いい加減、あいつらの足を、止めないと、僕の肺が、止まっちゃうっ)

 青年はたもとに仕舞っていた腕半分ほどの長さのつえを、自分の身長ほどへ一気に拡張させた。紫梨むらさきなしの木に、風と相性の良い魔石を組みこんだ魔杖まじょうである。

「あなた、それ!」

 先端の装飾で、ディアナはこの森から切り出されたものだとすぐに判った。一年前、梨の木を選別し、わざわざ風の日に伐採し、風の満月の光を吸いこむ溶液を塗ったのは、自分だからだ。

 でもそれは、大恩人の頼みだったからであって、こんな見ず知らずの男にやるためではなかった。

(紫水晶のお婆様ったら、どうしてこんなひょろっちい男に!)

 勿論もちろんこの男が力づくで奪ったとは思わない。なにせディアナが知っている生物の中で、あの老婆は史上最強。

 そういえばこの前、『弟子にやった』とのたまってたなと思い出しかけたが、今は走りつづけるしかない。ディアナには、この地の領主の娘として優先すべき仕事があるのだ。

 城下町での目撃情報や、森での足跡を頼りに追っていた本日の『獲物』二人が、ディアナの仕掛けたわなの場所へと追い込まれた。狙いどおりに足をすくわれ、茂みの中に吹っ飛ぶ。

 あわや二人が枝で傷だらけになるところ、魔杖まじょうから放たれた突風が今度はふわりと包みこんだ。

「ふーん。悪くないじゃない、その魔術」

「お褒めに、あずかり、まし、て」

 面白くなさそうなディアナに対し、フィリポスはあくまで帝国貴族としての礼節を崩さない。肩で息をしながらも、優雅に片膝を地面に付いた。

 面食らったディアナは、無言で横を通りすぎる。お姫様扱いになんと返したらよいのか解らなかったのだ。両足を天に頭を地に、引っ繰り返っている男のほうへと向かう。

「東部銀伯家のケンリックと帝都金公爵家のレティシアですね? お二方のご実家から、それぞれ駆け落ち阻止と捕縛の依頼が来ています。
 抵抗なさるのでしたら、ここから目と鼻の先のカルナーフェ領に一旦放り込んで、帝国領地間法に則り現行犯逮捕しますけど、いかがなさいます?」

「えー、ディアちゃんてば、相変わらず辛辣ぅ」

「ケンリック様、この無礼極まりないからす妖怪と知り合いですの!?」

「ちょぉぉぉっと待ったぁ! 姫剣士様の婿になるのは、この僕ですから!」

 ……筋骨隆々な烏妖怪からすようかいなる化け物が、人を惑わすとうわさの『魔烏まからすの森』。針葉樹と広葉樹が縦横無尽に生い茂る秘境の地で、勝手な誤解と憶測により、カオスな人間関係が展開されていく。

 これまでも他領の帝国貴族から『姫剣士』と遠巻きに賞賛され、『からす妖怪』と陰で罵倒されてきたディアナは、松の枝や藤のつるの合間から僅かに見える天を仰いだ。



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 きっかけは、兄ディモスの出奔である。

『運命の恋に落ちました。探さないでください』

という、父母世代から使い古された没個性的短文を残し、次期領主が侍女の一人と駆け落ちした。

 実は帝国貴族の間では、幼少期から決められた許婚と帝都のパーティー会場で派手に婚約破棄して、親に確実に反対されるような相手と属国へ逃げる、というのがもう何十年も流行っている。

 劇場や三文小説の中で定番となった逃亡先が、『魔烏まからすの森』を挟んで向こうのカルナーフェ辺境伯領。南国の港湾都市という開放的な雰囲気が詩心を刺激したらしい。

 帝国が侵略戦争を仕掛ける前は、この東南部一帯はディアナの一族の領地も含め、旧『カルナーフェ王国』が治めていた。敗戦後、本家は属国として『辺境伯領』扱いを受け、森の中を流れる烏川からすがわで領地をばっさりと分断。こちら側の分家筋には代々、帝国貴族との婚姻を強要してきた。

 祖先の地と血を引っき回すだけでなく、甘やかされた帝国貴族の恋愛ごっこで使い回されるとは。加えて、誰も反対していなかった兄とその恋人がそのような世迷言に踊らされるとは。

 今でもカルナーフェ貴族として生きようとするディアナ一族にとっては噴飯ものだが、背に腹も代えられぬ。

 『帝国属国法の適用される現カルナーフェ領へ踏み込まれ、婚姻届けを出されてしまう前に、うちの息子、あるいは娘を秘密裏に送り返してくれ』、という帝国貴族からの依頼は重要な収入源なのだ。

 森に領地の大半を占められ、特産物と耕作地の少ない地にとって、他領から穀物を割引販売してもらえたり、中古であろうと騎士団の武具や軍用獣を譲ってもらえるのは非常に有難い。

 今回の捕獲が成功したら、ケンリックの実家からは城のすべての魔灯に充填じゅうてんする魔石を、レティシアの実家からは皇帝へ収める向こう三年分の税収の肩代わりを約束してもらっていた。

「またえたのは運命だよね! ディアちゃん、俺と夢の国へ行かない?」

 カルナーフェ陥落の際の要塞でもあった領城で、成金貴族の放蕩息子ケンリックが口説いてきた。不幸にも再会と相成ったのは、一回目の駆け落ち騒動でもディアナが奴を捕獲したからだ。

 ちなみに一年前の当時は、城下町のレストランで、別の帝都貴族の娘と一緒だった。『夢の国』というのは、最近の恋愛小説でのカルナーフェに対する呼称である。晴れて駆け落ちに成功して、カルナーフェで熱い夜を過ごし、恋人同士の甘美な夢を……とかなんとか。

「……下半身の余計なもの、ごっそり切り落とされればいいのに、と思います。以上」

 ディアナの軽蔑しきった視線を受け、ケンリックは「そんなぁ!」と芝居がかった口調で頭を抱えてみせた。その横では、帝都の高級ドレスに身を包んだ女性が肩を震せ、床をにらんだまま。

 見当違いの嫉妬をぶつけられそう、と思ったディアナが身構える。

「~~~~わたくしの価値が、こんな貧乏領地の! たったの! 税収三年分ですってぇぇぇ!?」

 いや違った。怒りの矛先は、実家の公爵家だったらしい。

 まぁでも、この醜聞によって確実に結婚市場での価値の下がる娘に対する報酬としては、高いほうだとディアナは思う。自分同様に、高い魔力に恵まれたわけでもないのにだ。魔力が平民並みに低いまま三代も続けば、純帝国貴族であろうとお取り潰しになってしまう。

 ディアナだって、本来はこの家を継げるほどの魔力を持ち合わせていない。剣術を磨いて、魔力を活用した『覇気』は身に付けたから、辛うじて体裁は保てるが、生来の魔力値でいえば、兄のほうが相応しかった。

 なのに腑抜け野郎ディモスときたら。帝都で一向に廃れることのない『駆け落ち病』に感化され、幼い頃から領主教育を受けておきながら『駆け落ちの聖地』へと消えやがった。

 おかげでディアナが婿を取るため、お見合いをすることとなる。だがそもそも論として、帝国貴族は男勝りの女を好まない。連続19回断られて嫌気がさし、今回20回目はすっぽかした。

 その言い訳として駆け落ち貴族の追跡に出かけたのだが、まさかお見合い相手が乗り気だとは。

「昨年いただいた僕の魔杖まじょうなんですけど、ここの森で切り出された梨の樹だと聞きまして! すごく相性が良いんですよね、だから師匠からお嬢様のことを伺って、是非お会いしたくなって」

 フィリポスと名乗った青年は、森の中を走ったせいで切れた服の端を、着たまま器用に縫いながら微笑んだ。

 可愛らしい裁縫道具を持参しているのも、図案集も見ずにキラキラ刺繍ししゅうが出来てしまうのも、家事全般苦手なディアナにとっては異様すぎて、どう返したらよいのか判らない。

 魔導士は基本、自分の生まれ育った土地の木材で魔杖まじょうを作る。身体に馴染なじみやすいからだ。ディアナは剣士として、『魔烏まからすの森』の山査子さんざしの樹で剣の柄を作った。やはり魔力の亜種である覇気を乗せやすいからだ。

 魔道具として強化魔法を付与するから、材質の適性として重要なのは産地である。

「えっと、もしやカルナーフェの血が入っていたりは……」

「うーん。どうでしょう。うちは西北のアヴィガーフェに近いので、そちらの血が――失礼、入っている可能性は、いえ、無きにしも非ずですが……」

 帝国貴族は生粋のシャスドゥーゼンフェ人であることを誇る。周辺国へ攻め入っては現地の女を奪うくせに、『劣等種の血が混ざった子』は忌み嫌われた。最早当たり前となった言い回しの差別的な思想に気づいて、フィリポスは気まずそうに言い直す。

 実は自分の一族には属国の血が『大いに混じっている』のだが、その発言も辛うじて誤魔化した。

 部外者の帝国貴族二人が聞き耳を立てているのだ。うわさが巡ってフィリポスの父の耳に入れば、決闘騒ぎになりかねない。

「あ、こっ、これ! モグラ鉱山の魔化石なんです! まずは婿入りの持参金をと思ったのですが、なにせ三男坊でして。自分で探しに行ったんですよ。その、見つけたのはお師匠様なのですけど……」

 紫水晶のお婆様の魔杖まじょうほどではないが、立派な石がつえの先で輝く。

 話題を変えようとして、墓穴を掘ったらしい。フィリポスは、さらに気まずそうに視線を彷徨さまよわせた。希少な魔化石は、そう簡単には見つからないのだから、別に恥じる話でもないのだが、そこはお年頃の男の子。虚勢を張りたかったようだ。

 しかしディアナが気に入らないのは、そこではない。

「あなた、弟子ってどういうことですの」

 自分だって内弟子になりたかった!

 戦争のない昨今では、微々たる魔力でも生活魔法に特化した魔導士になることならば出来なくはない。帝都の魔導士大学は高級官吏の登竜門と化しており、入試の一般教養科目で落とされてしまうけど、魔導士の身の回りを世話しながらの手習いならなんとか。

 そう思って長年、紫水晶のお婆様に頼みこんでいる。毎回出される試験で、惨憺さんたんたる結果を弾きだし、大学同様に門前払いされていたけれど。

「ディアナ、ケチつける暇があったら、きちんと相手と向き合え。折角、帝都お見合い協会が厳選してくれた御仁なんだぞ」

 出るところが見事に出て、くびれるところは美しくくびれている、年齢不詳の妖艶な美女が応接室にやってきた。つるぺったんなディアナとは正反対である。

「お会いしたかった、お義母様!」

 と叫んで抱きつこうとしたケンリックは、美女の振り下ろした七竈ななかまど魔杖まじょうにより、容赦なく殴打された。

 背後に控えていた中年騎士二人が、気絶した成金色魔を連行。ついでにレティシアのほうも、中堅どころの屈強な侍女二人が退室を促す。

 帝国は法律でも男尊女卑だ。書類上は、ディアナの父の名が領主として登録されている。だがカルナーフェ側との貿易や私設騎士団の訓練まで、差配を振っているのはこの母親である。つまり城主。この領地に君臨する女王陛下。ついでに言うと、この地方在住では最強の上級魔導士。

「命令だ。な次期領主として相応しい男か、見定めろ」



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 後は若い者同士で、とばかりに、フィリポスとディアナは庭園の四阿あずまやに放り込まれた。しかし控えている使用人は男女ともに、見るからに定年間近な者ばかり。ディアナよりも眼光鋭く、新参者のフィリポスを値踏みしていた。

 今日は、シャスドゥーゼンフェ帝国歴257年、第四月、第四週目の四の日。

 あるいは、カルナーフェ旧王国の伝統に則ったほうが、本日のお日柄の良さが伝わるだろうか。春の風の月の、風の週の、風の日である。

 もう七竈ななかまどの樹々に、ふわふわとした小花が沢山咲く季節だ。四阿あずまやの周囲は夜を彩る四つの月に合わせ、紫の花、青の花、赤の花、そして黄色の花をつける七竈の大木が一本ずつ植えられていた。

 その根元にも、それぞれの大木の花と同じ色の草花が咲き誇る。人の膝丈まで伸びたセリ科の香草と、地面を覆うシソ科の香蔓かおりづるが、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

「あの、すみません。僕がこっちの席で……」

「いえ、お客様ですし……」

 二人とも、季節は違うが同じ年の風の日生まれ。つまり紫の月の守護である。

 ディアナは、いつも自分が座る紫七竈ななかまどの樹の傍の椅子をフィリポスに譲っていた。そして反対側の青い花の枝がすぐ近くに迫る椅子に腰かけている。行方不明となった、水の日生まれの兄の定位置だ。

 風雨にも劣化しにくい白合金で作られたテーブルと椅子のセットは、どれもが紋章入り。この地方の守護鳥であるからす妖怪が、軍鷹ぐんだかのように勇ましく羽を広げている。

(お母様には、数カ月で離婚してもいいから、たねだけでもせしめてこいと言われてるけど……)

 ディアナは、部屋を出る際に耳元でこっそりささやかれた台詞を思い出す。お見合いが始まって以来、家族の食卓の場でも何度かけしかけられていたので、特にショックな内容ではない。

 何度も言うが貧乏領地なのだ。無用な人材を養う余裕はないので、直系を継ぐ次世代さえ作ってくれればよい、というのが皆の願いである。

 だがディアナにとって、魔導士は小さい頃から憧れの職業。この年齢になれば十中八九もう無理なのは理解しているけれど、それを易々とかなえた男と家庭を持つなんて……拷問にも等しい。

「あの、帝都を越えて遠路はるばるお出でいただいたのは申し訳ないと―-」

「あの! 勝負しませんか! お互いに得意な分野で三回! それぞれの勝負で毎回、負けたほうが勝ったほうの言うことを聞くということで!」

 丁重に断ろうとしたら、フィリポスが被せ気味に提案してきた。マナーにうるさい貴族として、あまり褒められた振舞いではない。だがフィリポスは、ディアナをよく知る師匠から、くれぐれも先手を打たせるなと言い含められていた。

「すみません。気乗りなさならないのは、先ほどから見ていて判ります。ただ、父は典型的な帝国貴族男子なものでして……その日の内に追い返されてしまうと、その……」

 提案も言い訳も、紫水晶のお婆様から授けられた知恵であって、自分のオリジナルではない。

 若者はそのせいで気まずかったのだが、出されたお茶菓子にも手を付けず下を向く様子は実に哀れで、侍従や侍女たちの同情を誘った。ディアナにこぞって目線で訴えてくる。

(この男の滞在費分も、ケンリックの家へ回す請求書の中に紛れ込ませて回収するしかないか……となると、魔石の等級で水増し、あるいは魔灯の総数が違ったと言い張る……うーん)

 裏工作の不得手なディアナは、青七竈ななかまどの大きな枝の合間に広がる天を仰いだ。繰り返すが、ここは貧乏領地なのだ。



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 そうして勝負は始まった。始まってからディアナは後悔した。そりゃもう激しく。

(~~~~ぬ、ぬかったわ!)

『三回勝負』とは、お互いに得意な分野を三つ挙げるという意味だった。すなわち、合計六回も対戦しないといけない。

 しかも自分にとっての得意とは、相手にとっての不得意である可能性が高い。面子を重んじる帝国の伝統では、本物の決闘であろうと最低限の恥をかかせぬよう、数日の準備期間が与えられるもの。すなわち、仮そめの滞在期間がどんどん延びる。

 チートとなる魔導士の魔力や、剣士の覇気は封印して戦うというルールも設けられた。魔杖まじょうや剣を使うのもご法度となれば、いくら得意分野といえども圧倒的な差はつけにくい。すなわち、対戦時間もかかってしまう。

 娯楽の少ない貧乏領地で、これを面白がらない者がおろうか、いや、おるまい(反語)。

 こうして裏では賭けが横行した。元締めが事実上の領主であるディアナの母親なので、おもてと呼んだほうが正しいかもしれない。

 今回はフィリポスが『料理』というお題を出した。ディアナの得意技は、切ったパンに切ったチーズを挟んで、枝に刺してき火であぶるという……どっからどーみても野宿飯だ。せめて刃物だけを扱う内容なら勝算も見えてくるのでは、とディアナが捻りだしたのが『蕎麦そば切り』なのだが。だがしかし。

「な、なんでそんなに均等に切れますの! あ、あなた、蕎麦そば麺どころか生麺も食べたこともないとおっしゃいましたよね?!」

「西北部では玉蜀黍とうもろこしの乾麺が主流ですし、帝都も小麦の乾麺しか出回っていませんよ。でも、紫水晶のお婆様のところでキャベツの千切りをしょっちゅう作らせられていたので……」

 お見合い協会に依頼してきたお嬢さんたちのダイエット食として提供されていたらしい。拠点となる帝都では事前のケアも厚いのだ。

 自分だって実地でお見合い訓練してもらいたかった、とディアナは悔しがる。

 どっぷりたっぷり落ち込んでいる横で、フィリポスは周囲の使用人に教えてもらいながら、赤蕎麦あかそばでている。ついでに、赤人参と紅葱べにねぎも千切りにして、ピンク色の胡麻ごま垂れも手際よく作ってしまった。

「扱ったことのない素材ですが、こちらにお邪魔してから何度か出していただいて、美味しいなと思っていたんです。姫剣士様に、こうして調理させてもらえるなんて光栄です」

 今日は赤を基調とする火の日。色味を引き立てる渋くざらざらした黒炻器せっき皿の上に、芸術的な盛り付けをされた即席創作料理がディアナの前に置かれた。薔薇ばらの花のように、くるくると巻かれた生ハムまで添えてある。

「未来の義理の母として味見を所望するぞ」

「是非パパの分もお願いしま~す」

 厨房ちゅうぼうの扉が大きく開け放たれ、その前のホールに急遽きゅうきょ設けられた観客席からは、ディアナの両親が興味津々にのぞき込んでくる。研究室に籠もりっきりの父が、勝負のせいで昼食時以外でも顔を見せるようになった。

「あ、じゃあ……ディーの麺も使わせてもらっていいですか?」

 無言で俎板まないたごと押しやると、ディアナに断りを入れつつも、フィリポスがあまりにも分厚すぎる部分を手早く切りなおしてではじめた。昨日採取してきたという松ぼっくりだけを使い、待ち時間でスープまで作っている。

 いつの間にかディアナの愛称である『ディー』呼びされているし、両親や使用人たちとも仲良しになっているし。そして何より、細やかな気遣いのできるこの男が不快でなくなってしまった自分がいる。



 ディアナの得意は肉体を駆使する分野だ。最初の対戦では『駆け比べ』を選んだ。訓練場での走り込みなら、男の剣士にも負けない。だがフィリポスが出した条件は、『借り物競争』。

 城の皆が、借り物となるものをなぞなぞ形式で紙に書き表し、見えないように折って籠の中に入れる。そこに手を突っ込んで四つ選び、先にすべてそろえたほうが勝ち。

 夕闇の迫る頃、あと一歩で負けそうになったディアナが二階から勢いよく跳び降りたせいで、かばおうとしたフィリポスが足を痛めた。

 次はフィリポスが、療養中でも寝ながら出来るものをと『鑑定』を指定した。お洒落しゃれや流行と無縁な生活をしているディアナには、宝石の等級や骨董こっとう品の良し悪しなど判ろうはずもない。なので『味利き』という条件を出した。

 南部のカルナーフェでも北部のアヴィガーフェでも手に入る食材で公平に競おうと、母や使用人たちが選んだのが『蜜』。

 ディアナには、どの液体も『ものすごく甘ったるい』としか感じられなかったが、フィリポスは『これは蓮華れんげの蜂蜜、これはかえでの樹液、こちらは甜菜てんさいの糖蜜、こちらは松の蜂蜜……』と全て当ててしまった。

 ここまでで一対一。

 剣は封じられたので、ディアナは二回戦に『弓』を指定した。実は馬で走りながらでも、大弓でも日頃から訓練していた身。ちょっとズルいかもしれない。物言いが付くかとドキドキしていたら、フィリポスはあっさりと了承し、『ルーレット形式のまと』を条件にした。

 丸い板をオレンジの輪切りのように中心から分割して得点を書く。それを引っ繰り返して、さらにぐるぐると回転させた状態にする。どこが何点なのか判らない状態で矢を射るのだ。

 弓に不慣れなフィリポスは四回の内、一度しか板に矢が刺さらなかった。だが運が良かったのだろう。その一回だけで、全ての矢を当てたディアナの合計点にあと一点差と迫った。

 それでも負けは負け。こうして今回の料理戦となったのだが、ディアナの思惑は外れ、長剣を振り回すのと庖丁ほうちょうで細かく切ることが大いに違うことを痛感させられてしまった。いっそのこと、『蕎麦そば打ち』のほうが筋肉で勝てたかもしれない。地元とはいえ、未体験なために尻込みしてしまったのが悔やまれる。

 ということで二対二。

「ねぇ。これってこのまま続けても、三対三になるだけじゃないの?」

「どうでしょう。ディーの得意分野でも、もし僕が勝てたら見直してもらえるかなって頑張ってるんですけど……」

 フィリポスが遠慮がちに、出来上がったスープをディアナにも分けてくれる。中央に軽くあぶった松の実を散らし、胡椒茸こしょうだけの粉末を削りかけるという細かい技まで加えて。

 ディアナの胃袋は、赤蕎麦あかそばで既にがっつりつかまれてしまったのに、今度は食後の蕎麦茶そばちゃを用意しだした。これは心しないと、ずるずると既成事実化していく。

「あの、でも三って、あんまりい数ではありませんよね。あともう一回で、四回戦にしませんか?」

 地・水・火・風の四大精霊を尊ぶアヴィガーフェやカルナーフェでは、四が縁起良い数字なのだ。ちなみにシャスドゥーゼンフェ帝国は、天・地・人で三である。

 フィリポスの、帝国貴族ぶらない態度は城内でも好評だ。ディアナも自分はカルナーフェ人だと思っているから、四つの月がそれぞれ満月の夜には一緒に祭壇で供物をささげてくれるのもうれしい。帝都学園を卒業した兄いわく、帝国の社交界では『田舎の迷信』とわらわれてしまうのだとか。

(で、でも……ほだされたりなんか、しないんだから!)

「ちゃんと話をしましょう、森で」

 両親に使用人。ここは野次馬が多すぎる。しかも最近ではフィリポスにくみする者が増えた。ディアナは自分に有利に進めるために、『魔烏まからすの森』での散歩を提案した。



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「あら、なぜ着替えられたのかしら?」

 蕎麦そば対決が終わってから、森に行くまで一刻は欲しいと言われたディアナは辛抱強く待った。城の裏門を出たすぐの草原で剣の素振りをしていた。

 すると、ピクニックバスケットを抱えたフィリポスが、先ほどとは装いを新たに意気揚々とやって来たのだ。

 カルナーフェの厚織シャツは裾を出して、アヴィガーフェの光沢帯を横結びしてある。ゆったりしたカルナーフェ流のズボンは絞った裾部分に、四大精霊の赤・黄色・青・紫色でアヴィガーフェの刺繍ししゅうが追加されていた。シャツとズボン自体は、風の日生まれということで薄紫。おびと靴は濃い紫。

「それは勿論もちろん、初デートですから――」

「―-じゃなくて、話し合いです!」

 しゅんと項垂れる青年に、罪悪感を刺激されながらもディアナは一線を引く。壁にかけられた『黒羽マント』を二人分外し、フィリポスにも被るように促す。

 『からす』と揶揄やゆされる一因は、昔から地元民が艶光りするこの黒マントで森を縦横無尽に駆けるからだ。両横と背中の中央にスリットが入り、羽のようにひらひらとたなびく。人の耳では拾えない超音波が出て、この森独特の魔獣除けとなるのだ。

 ディアナは警備兵が見えない樹々の中まで移動すると、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい」

「ちょっと待って! それって話し合いの過程をすっとばした、最終結論ですよね!?」

 フィリポスがバスケットの中身を見せながら、とりあえず、お菓子を食べましょう、と懇願した。食べ物に罪はない。ディアナがうなずいたのは、自分の好物が詰まっていたせいでは決してない。

 大人の背丈ほどもある巨大な倒木の上に二人して登り、フィリポスが敷いた布の上に並んで腰かける。

「ディーは、お師匠様の試験を何度も受けたって伺いました」

 フィリポスは水筒から赤い薬草茶を注いで渡してくれたのだが、ディアナは無言のままだった。ディアナだって、矜持きょうじってもんがあるのだ。直球で傷をえぐらないでほしい。

「なぜ魔導士になりたかったんですか?」

「うぐっ~~~~続行するのね! いいわよ、教えてあげるわよ。うちは代々の領主が真っ当な魔導士なの。父も母も兄も、どちらの祖父母も魔導士なの。私だけそうじゃないの!」

 じんわりと目の前の景色がかすむ。こんなことも察することのできない男なんかと結婚してたまるか、とディアナは改めて思った。

「僕もそうです。小さい頃は騎士になりたかった。父も祖父も、父や祖父の兄弟も、騎士として帯剣していたので、その一員として認められたくて……同じじゃないと、家族になれない、仲間に入れてもらえないって悲観していました。
 実際に、剣の才能がまるでない僕を馬鹿にする親戚が何人もいましたからね。僕なんかよりずっと年輩で、立派な肩書の人たちが、そういうこと平気で言ってくるんです」

「うちは……幸い、そういうのはないわ。私のほうが喧嘩けんかになったら強いから、陰で言ってるのかもしれないけど」

「だとしても、悪意の度合いは薄いと思います。たまたま本人の機嫌が良くなかったとか、ほんの揶揄からかい程度ですよ。城に滞在して少しの僕でも、ディーが皆から大切にされているのは伝わってきますから――息をしているだけで疎まれるような、醜い世界ではないです」

 帝都の向こう、アヴィガーフェの西北方角を見ながらフィリッポが自嘲気味に笑う。

「第二夫人だった母は、才能のない僕を生んだことで冷遇されました。紫水晶のお婆様が離婚させて、帝都でお店を開けるようにしてくれて。その時に、僕も帝都へ逃げたんです」

 お婆様の屋敷に保護されて、ひと月ほど経った風の満月の日。あたりが紫の月光で染まる庭先で、月見茶を飲みながら紫水晶のお婆様がこう言ったのだ。

『それで? 騎士になりたいという夢は、お前の本心から出た、本物の願いなのかい?
 そう言うわりにゃ、剣を握ってもちっとも楽しくなさそうだけどね。素振りをしている時の顔なんて、死んでるよ。
 それが夢だってんなら、お前さん、随分とつまらない人生を望んでるんだねぇ』

 だから変えろ、と説得されたわけじゃない。ただ、フィリポスも『なるほど確かに苦痛だな』と思ってしまっただけだ。

「それからは、色んなことを試しました。
 料理とか裁縫とか、自分の手で作ることが楽しいって思いました。整理整頓とか、窓拭きとか、床を履くのも、スッキリしていいです。毎回の食事で食器にこだわるのも、実に無駄なことで、実に奥深いのです。家事に必要な魔道具は、もっと追及しがいがありますね。それで生活魔法専門の魔導士資格を取りました」

 つまりフィリポスにとって、魔術は『自分の好きなこと』をもっとするために必要な手段に過ぎない。実家のことを思い出した時とは打って変わり、生き生きとした表情になった青年の横で、ディアナもまた、気づいてしまった。

 自分の『魔導士になりたい』は、その肩書が欲しかっただけ。『魔導士ディアナ』と名乗れるだけが最終地点で、そこにはワクワクが何も見当たらない。というか正直、魔導書を何冊も読んで、論文を書かされる過程を想像するだけで、吐き気がする。

「私……剣術の練習が好きなの。馬に乗って、森で狩りをするのも楽しい。有名な鍛冶師の作った武器を見にいくのも、いつも前の日から心待ちにしているわ。座学は苦手だけど、城や町をつぶさに見回って、皆と防災対策を検討するのは刺激になるし。あとは、拳や蹴りの大技が決まると晴れ晴れとするし。
 ……って全部、魔導士は関係ないわね」

 防災面で辛うじて、かすっているくらいだろうか。しかし魔道具や魔法陣を使う対策は金がかかる。設置するだけで魔石を消費していくものより、古典的な落とし穴や泥堀や矢毒のほうが重宝された。

「お師匠様が言ってました。理想の夫婦は、二人で一つの完成形なんだって。
 だから万が一、魔導士の力が必要なときは、僕をディーの一部として使ってください。僕は、騎士であるディーの武器の一つになりたい」

 いつの間にか、ディアナの両手はフィリポスの節だった両手によって包み込まれていた。しかも二人の間に置かれたお菓子の小さな藤籠は、ピクニックバスケットの向こうへと移動してしまっている。

 何が言いたいかというと、つまり、ディアナの目と鼻のすぐ先までフィリポスの顔が迫ってきているのだ。

「~~~~っ! ち、近いですわ!」

「流されてくれませんね、残念です」

 大袈裟おおげさに悲しんでみせる青年の背中を、少女がパシパシとたたいて抗議する。もちろん、力は手加減した。なにせ鍛えているから、本気を出すとこの巨大な倒木の上からはたき落とし、地面にのめりこませてしまうだろう。

「痛っ、イタタタッ、すみません! 謝りますからっ」

 ……手加減しても、痛かったらしい。フィリポスの筋肉は人一倍の鍛錬を積もうが、ロクに育たなかった。逆にディアナは、大した訓練などせずとも強くしなやかな筋肉に恵まれていた。

「え、これで?! ご、ごめんなさい、私こそ! えっと――さっき言ってた、あれ。四回戦形式に応じるわ! あと2回、ちゃんと対戦するから、その、許して?」

 驚いたディアナは、咄嗟とっさ蕎麦そば打ち対決での提案に同意してしまった。



 夏半ばの烏扇ヒオウギの咲く頃になると、カルナーフェへの里帰りしていた紫水晶のお婆様が城に立ち寄り、さらにフィリポスの滞在期間が延長されることになる。

 秋の蕎麦豚そばぶた祭りが開かれる頃には、フィリポスはディアナの父と一緒にこの地方の新たな名産である烏炭からすずみの開発に参加し、ディアナの母の領地経営でも書類仕事を担うようになる。

 領民がフィリポスを完全にディアナの夫候補として扱うようになるのは、連雀れんじゃくの群れが渡ってくる冬前の魔獣対策会議あたりだろうか。



 ここは古来、カルナーフェと呼ばれた『精霊の飛び交う国』。

 『からす妖怪』とは、古い詩で森を守りし者を賞讃する言葉。

 ほら、今夜も城壁に。

 漆黒の外套がいとうを羽織った若い二人が肩を並べ、四つの月が照らす烏玉ぬばたまの森を眺めておりましょう。



 ― 了 ―






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