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蒲公英の街(チェアルサーレ)

■(元)神殿侍女: 動くなら今でしょ

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※引きつづき、芽芽が朝靄の街ティアルサーレで出会ったオルラ視点です。

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 中央高地を北東に抜けてすぐ、蒲公英の街チェアルサーレの領主館で目を覚ました。

 普通だと地下階なら窓部分に風景画を飾ったり、壁に直接描いたりするものだけど……防犯優先なのか、一切なかった。おまけに天井のき出しの空調魔道具が、どう見たって軍事用。
 どの街も地下道が張り巡らされて、冬になると自宅から地上へ出ずに移動できるようなっている。でも、この雰囲気だと他との行き来を遮断した制限区域ってことよね……ひょっとしたら収監場所かも。

「――オルラ! 大丈夫か? 顔色が悪いが、何か変な症状は? 意識は?」

 姉さんが心配してのぞき込んできた。アタシみたいに化粧でしっかり隠さないから、ソバカスが目立つったら。

 最速での移動手段となると竜一択だけれど、一般人は飛行に耐えられない。たとえ驚異のバランス力で吐かずにくらにしがみついていられたとしても、同時に上空の気温や風圧を防ぐ術までは持ち合わせていない。だから特殊な睡眠薬を服用して、袋に入って運搬される。
 外宿に預けていた騎竜シールに、意識を保ったまま乗れるのは契約をした姉さんと、竜騎士の訓練を受けたヘスティア様だけ。

『記録に残る睡眠薬は使えない。どうしても来たいのであれば、馬車で追いかけるべきだ』

 ヘスティア様にまでそう説得されかけたけれど、絶対に一緒に行くとゴネた。

 根負けした姉さんが街の薬局へ抽出用の薬剤を買いに走り、ヘスティア様がメメを助けた際に得たという『転寝うたたね癒しの樹』の葉から睡眠作用を取り出し、半ば人体実験のような形で強引に同行させてもらった。

「だ、大丈夫だと思うわ」

「と本人も言ってるんだ、シャイラ。そもそも論としてだな、神殿の薬の方が人工的な成分を加味して安価にしてあるんだ。あっちのほうが、よっぽど害がある。
 『森の王』の葉を主薬として使うのが本来は最適解。あまりに希少で量産できないだけだって説明しただろうが」

 はいはい。加えて優秀なヘスティア様の知識と技術あってこそですよね、感謝してるんだから、そこまでふんぞり返らなくてもいーじゃない。
 子どもの頃から神童扱いされてきた人に、竜にまたがることも覚束ないアタシたち一般人の気持ちなんて解らないんだわ。

 真っ赤な口紅がお洒落しゃれに似合っているのも腹が立つ。そりゃ待ち時間に塗ってあげたの、アタシだけど! だって姉さん同様、ロクにお手入れしてないんだもの。

そろったな。まとめて説明するぞ」

「ウェイロン! 御婦人の許可なく部屋に入るのは失礼なのである!」

 扉をノックされたかと思うと、許可を出す間もなく開いて、初老の男性が二人。勝手に入って来たのは、神殿や宮廷で見かける重鎮だった。
 顔に切り傷のある監査長官のウェイロンきょうと、その後ろに続いたのは外務次官のファンバー宮廷伯ね。
 確か、侍従次長のイーンレイグ宮廷伯と、竜騎士の詰め所にもしょっちゅう顔を出すの。筋肉を鍛える装置がどれも最新だからって、押しかける官吏はあの三人くらいよ。
 高慢ちきな聖女メルヴィーナが『宮廷の脳筋組』ってよく馬鹿にしていたわ。

「あたしゃ全然構わんけどね。で?」

 ヘスティア様がアタシの整えてあげた細眉を片方、持ち上げて先を促す。
 代表者ぶることに異議を申し立てたくても、国王紋を手に押された手前、黙って従うしかない。元からそうだけど、この中でアタシの序列は一番下だ。

「上級侍女殿ではないですか、なぜこちらに」

 意外なことに、赤ひげのファンバー宮廷伯は覚えてくださっていたみたい。正しくは、都落ちした『元』侍女だけど。

 姉さんが薬局へ走っている間、ヘスティア様に問い詰められた話を男性陣の前でもう一度繰り返す。森での一件もすでにバレてしまっているから、洗いざらい告白した。

「なるほどな。やっぱり魔狼まろうが出てきたか」

「あれは偶然です! その後の大嵐や街庁舎の火事で、うやむやになってしまったと言うか、その、黙っていたのはなんと言うか、我が家は移民だし、どうしても誤解されると言うか――とにかくメメが悪いわけでは」

「ああ。女をどうこうする連中の末路なんざ気に病む必要はない。俺の嫁もアヴィガーフェ出身だから、差別するつもりもねぇよ。
 問題はそこじゃなくて、魔狼まろうの群れが証拠隠滅に協力してきたって点だ。しかもその前から、メメ様は魔響まきょうの森の中を歩かれていらしたんだな?」

 ウェイロンきょうがおかしなところに関心を示す。一昔前の黒い官吏服を普段着にする感性は何とかならないのかしら。しかもさっきから『メメ様』ってどういうこと?

「うむ。確実に森の愛し子であらせられる。流石なのである」

 復古調の紋様入りジュストコールを着用したファンバー宮廷伯は、興奮気味にほおを赤らめ、うっとりとうなずかれた。王都の『紫陽花あじさいの羽館』の最新作だわ。

「ちょっと待った。氷緑鼠ルルロッカちゃんが、森の愛し子? あれって確か五代前の聖女様の伝説だったはず」

「……一部の竜騎士だけに伝わってたってのに、『からす』の情報網ときたらハンパねぇな。
 そうだよ、お前の弟分がメメ様と香妖こうようの森の中で出会った際にも、不可思議な現象を目撃したらしくてな。
 『騎士殺しの樹』の枝や『道惑わしの樹』の花、おまけに『夕焼けの欠片』まで所持していた」

 うそでしょ、有り得ない! ウェイロンきょうがなぜか可笑しそうに体を揺すっている。荒唐無稽すぎてこっちは声も出ないというのに、ファンバー宮廷伯まで小鼻を膨らませて自慢げ。

「先ほど、土の精霊の眷属けんぞくも新たに顕現された! ヴァーレッフェ史上初、四大精霊様全ての加護を得た聖女様が誕生されたのである!」

 聖女ってのは、神殿にいるあのクソ小生意気で超絶我がままぶっこいてる厚化粧オバケのことよね?

「つまり、あの三匹は精霊の眷属けんぞくだったってこと? 水と火と風の? だから魔獣探知に反応ゼロだったのか。変な波長だと思ったけど、あれが精霊魔術か」

 ヘスティア様だけが納得している。違うわ、メメが連れていたのは犬一匹だけよ。あと太った変なお人形一体と……。

「シャイラ、お前はこのまま新聖女様の護衛を務めろ。神殿長モスガモンがどう動くか解らんからな。態勢を整えるまでは休暇の延長ってことで、手続きしておくぞ。
 オルラ、お前も神殿仕えで勝手は知っているな、しばらくでいいからメメ様の侍女を引き受けてくれ。
 あたしゃ急ぎ王宮へ戻る」

 ヘスティア様は泥色のくたびれた外套がいとうをひるがえし、部屋から大股で出て行ってしまった。さっき『からす』って呼ばれてたし、あれって国王陛下お抱えの間諜かんちょうってことでしょ。
 なにが王都学園の養護教員よ! 今日は変装しているけど、普段着に生地と同じ色でこってり刺繍ししゅうを入れさせるなんて、上級者向けの贅沢ぜいたくが出来てたのも納得だわ。

「――この屋敷の警備体制と見取り図を」

 姉さんは真剣な表情で、ウェイロンきょうと確認しはじめた。メメが新しい聖女様って既定事項なの? そこは疑問を抱かないの?

「現第一師団長のガーロイドきょうと、そのお母上である旧第二師団長が、光の柱を正式に承認された。
 幹部クラスの竜騎士は、魔素の波長を体感で見分けるのである。ヘスティア殿も相当な手練れであるからな、メメ様には尋常でない御力があると、元々察知していたのであろう」

 ファンバー宮廷伯の説明に、しぶしぶながらうなずく。竜騎士がなぜ魔導士の関わる犯罪を取り締まれる唯一の存在なのか。理屈では知っているけど……。壮大な話に頭がついていかない。

「あの、メメ『様』は……」

「うむ。何度かほんの少しの間、意識を取り戻されたのだが、熱も引かず、寝込んでしまっているのである。精神的にも肉体的にも疲労蓄積が著しいと診断された。
 顔見知りのオルラ殿がお側に付いてくださると大いにありがたいのである」

 メメが眠っている部屋に案内される前に、古代竜とも出会っていたことや、神殿の魔導士がその竜を誘拐してしまったことを教えてもらった。
 白犬だと思っていたのは、この国の聖獣である九尾きゅうびきつね様で、今はメメが――いえ、メメ様が契約主だそう。



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 相変わらず長い睫毛まつげ。化粧してないわよね、なのにソバカスが全くない。人種がかなり違うのかしら。再流行している白樺しらかば水を使っても、この肌感は出せそうもない。
 上質な寝台に横たわった黒髪の少女は、アタシが知っているよりも少し大人びた顔立ちだった。もとから雰囲気は落ち着いていたし、こちらの意図を先回りして積極的に手伝おうとしてくれた。その利発さには何度も驚かされたけれど……。

「なんだか別人みたい」

 外套がいとうの魔法陣で幼く見せていた、と説明を受けた。ほんの一週間前まで同じ家で寝起きしていたのよ。実際に見ると、違和感が拭えない。

「オルラ、神殿と関わるのが嫌なら早めに言ったほうがいい。この件は関われば関わるほど――」

「もう遅いわ、姉さん」

 今さら家に帰してくれと言えば、メメ様の安全が確保されるまで一般人のアタシはどこかに閉じ込められる。同じ拘束されるのであれば、誰かのためにこの身を動かせるほうがいい。

「ねぇ、本物の精霊の眷属けんぞくなのかしら?」

 青い蜻蛉とんぼに赤い魚、紫の小鳥に黄色のハリネズミ。枕元にいる奇妙な生き物たちは、メメ様が心配なのか、代わる代わる枕元にやって来る。

「判らないけれど……この部屋は完全に浄化されている。神殿よりもはるかに澄んでいるんだよ。どう表現したらいいのかな……えっと、そうだ、『神聖』って言うのかな、うん」

 姉さんも竜騎士として幹部候補まで出世したのだ。何か感じるものがあるのだろう。魔素なんて、ちっとも体感できないアタシとは違う……生まれ持った魔力もそうだけど、日頃の鍛錬も、実戦経験も、座学における勉強時間ですら。努力の量が圧倒的に違う。

 もしメメ様と関わることで姉さんが神殿本部に復帰させてもらえるなら、何としても応援したい。姉さんの左遷が決定した時、火の聖女に懇願すらしなかった薄情なアタシの、せめてもの罪滅ぼしだわ。

「でも姉さん、変だと思わない? 精霊の眷属けんぞくって、一箇所でじっとしているものでしょ?」

「四つそろうと活発になる、とか? 神殿の外っていうのも影響しているかもしれないね。
 とにかく私は、こちらのほうが自然で好きだな。火の聖女の聖火鼠クツルルは、どうにも得体が知れなくて」

 そうね、いつも蔓篭つるかごの中で微動だにしなかった。それでも『精霊の眷属けんぞく』と言えば、地なら天道虫だし、水ならかえる、火は赤栗鼠りすで、風が蝶々ちょうちょだと決まっている。
 空中に浮いたり、身体が透けているから普通の魔獣ではないのでしょうけど、こんな変わった生き物ばかりで神殿が果たして認めるのかしら。

「神殿に入ったら、性悪女が絶対に嫌がらせするわよ」

「オルラ、一応あっちも聖女だからね」

 姉さんがソバカスをくしゃりとさせ、困ったように笑う。帯剣して暗黄色のマントをまとい、壁際に控えている。
 少し前までは神殿内の聖女の部屋で、いつも見ていた光景だ。もうちょっと化粧して、金色の髪も艶立たせたら、男の竜騎士なんかよりずっとずっと格好良いのに。

 今いるのは、土の選帝公の配下、ルキアノス領地伯の所領。姉さんの上司であるガーロイドきょうのお父上が治めている。夏の宮廷舞踏会で聖女に軽く挨拶されたと思うのだけど、ご本人の印象が残っていない。
 歴史の浅い一帯を任されて、領地の特産物開発に尽力されていると聞いたわ。つまり、中央の政治には踏み込まず、宮殿派でも神殿派でもない。

 たとえ後ろ盾を引き受けるのが土の領地伯どころか国王陛下になったって、神殿は独立機関。祖父がモスガモン神殿長であることをかさに、火の聖女メルヴィーナの専横が続いている。

「このままじゃ、ダメなのよ」

 この国も、神殿も……そして、アタシも。
 移民だからって何。一般人だからって何。竜に乗れないからって何。努力してこなかったからって何。
 変わりたいなら、動き出さなきゃ。

 メメ様は濁った池に落とされた一粒の石。その波紋を活かすも殺すも、結局は池の中の住人次第なのだわ。






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