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魔狼の森 ~ 朝靄の街(ティアルサーレ)

★ 契約獣:決河之勢(けっかのいきおい)

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※引きつづき、契約獣カチューシャの視点です。

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 それは突然だった。森に潜む魔狼まろうが前方から群れでやって来て、遠巻きにわたしたちを囲んだ。狩りの体勢じゃない。芽芽を守ろうと気を張っている。

 耳を澄ますと、遠くから甲高い声が微かにした。女だ。そして揶揄からかうような若い男の声。

≪グウェンフォール、小竜、芽芽は任せるわよ。道から外れて隠しなさい!≫

 戦闘訓練の施されていない人間なんて、直ぐ錯乱するから邪魔なだけ。芽芽には聞こえないように、極秘の念話で命じておく。

 この目で確かめるために、白い脚で大地を蹴る。蛇には絶対、無理な速さでしょ、距離でしょ。

 走りながら考えた。
 
 芽芽は良くも悪くも頑固者。こうと決めたら、絶対譲らない。

 結界を出るときも、小竜が一緒じゃないと嫌だと言い張った。市場では小竜に食べさせるために、どれだけ重くても果物を抱え込んで、何度もあちこちしゃがみ込んでいた。

 小竜のために青い馬の連峰で助けを乞うのだと、こちらの言葉を朝から晩までぶつぶつつぶやいては暗記しようとしている。

 つまり、この娘の最優先事項は小竜のフィオ!

 人気のない旧街道をこちらに足早に向かってくる人間がいた。

 嫌がる女一人に男二人が付きまとっている。女の方はえらくあか抜けた雰囲気をしているわ。服も洒落しゃれてる。森の中を進めば、魔獣怖さにえない男どもが撤退すると願っているのね。

 でも、そんな危機管理能力のある面構つらがまえじゃないわよ。今だって、『女ってのは心の中では喜んでいるに違いない』と興奮してる。

 昔からよく見る光景だけど、これでも人間が『知の生き物だ』なんてのたまう大馬鹿は、人間以外にいるのかしら。

 そこでふと思いつく。

 王都の神殿に戻すには……荒療治も必要かもしれない。

 きびすを返して、芽芽たちの元に急いだ。



 ――んだけど。ここにも馬鹿がいた。わたし、『隠せ』って言ったわよね?

 何そのしゃがんでギリギリの高さの茂み。隙間がスッカスカじゃない。魔術使うならまだしも、地面にくっついただけで、同化できると思ってるの。

 目をすがめていたら、何故か下の草がもそもそと密かに動く。上や横や斜めの樹樹がこっそり揺れて、枝が少しずつ伸びてくる。

 魔草も魔樹も、芽芽の周囲には一切いないはずよ。気のせい……よね?

≪三人。女一人が男二人に絡まれてる≫

 驚かさないよう、出来るだけ淡淡とした声で報告してあげた。さっきよりも緑の隙間がこう、減っているような……目の錯覚、よね?

≪え。それって節度あるナンパ? それとも強姦ごうかん狙い?≫

 お子ちゃまかと思えば、そういうことは知っているのね。やっぱり荒れ果てた世界から来たのだわ。だったら最低限の戦闘訓練くらい受けておきなさいよ、礼儀でしょ常識でしょ。全くもう。

≪グウェンフォール、芽芽の外套がいとうの守りを解除して≫

 熊人形の中の老いぼれに、秘密の念話を送った。

≪おい。ああいう輩は話が通じんぞ≫

≪わたしがいるのよ、芽芽には傷一つ付けさせない。でも女の一人旅で青い馬の連邦まで辿たどり着くのは無理って解らせないと≫

 現実を見せる良い機会だわ。お人形とお花畑で笑っていられる世界なんて、どこにもないのよ。……まぁ、こっちの方が芽芽の元の世界よりかはマシだろうけど。

 普通のはずの草と樹樹が、なんか変な動きしてるけど! 芽芽を匿いたいのね。解るけど、あんたたち魔草でも魔樹でもないでしょーが! 無理ありまくりだから!

 グウェンフォールが術式を念じはじめた。元の魔法陣が精神干渉の高等魔術だからややこしいってのに、流石ね。魔導士としては現役で最高峰、シャンレイの再来とまでうたわれているのだもの。

 って、現役じゃないわ、死んでたわ。

 そういえば、芽芽は霊山で老いぼれの屍体したいから追いぎするだけで蒼褪あおざめていた。あんまり恐怖を与えすぎるのも良くないわよね。人間の精神ってホント弱いのよ。すぐポッキリ折れちゃう。

 ついでに芽芽の横に伏せた、わたしの心も折れかけているかもしれない。風がいでいるのに周囲の草と樹が少女を守るように覆ってくるの。魔樹も魔草も一本もないってのに、何この怪奇現象。

 一緒に隠れているうちに緑が茂ってどんどん視界が悪くなってきたけど、気にしたら負けよ。芽芽にはこのまま遠巻きに、男女の寸劇として見せましょうそうしましょう。

 男二人に挑発されながら、女がこちらに逃げてくる。近すぎず、遠すぎずという所で丁度良く押し倒されてくれた。

「!!!!!」

 芽芽が声を上げないように、両手で口を押えている。

≪放っておきなさい。こんなの助けていたらキリがないわ≫

≪そうだよね、うん、私の世界でも絶望したくなるほど毎日大量に起こっているんだけど……≫

 ほんとロクな世界じゃないわ。魔法も未発見みたいだし、文明のレベルが相当低いのね。

≪……だからそのあの……≫

 ぶつぶつと念話でつぶいているものだから、芽芽の思考がダダ漏れ。外套がいとうを握りしめる手が震えている。なのに必死に助ける方法を捻り出そうとしている。

 日常茶飯事なのに、平気じゃないって。変な子。

 まぁわたしだって、最後まで見せるつもりはなかったし。教育上、配慮は必要よ。うん……男が下半身を剥き出しにしようとしている時点で幕は降ろすべきと判断。だって美しくないわ。根っこから潰しましょう、ええ。

≪芽芽は助けたいのね≫

 確認すると、芽芽がガクガクと小刻みに首肯する。

≪それが芽芽の命じたいことなのね≫

≪え? いや、命じるって何≫

 恐怖で頭がまわらないみたい。まどろっこしいわ。

≪いいから命じなさい!≫

≪え゛ええっ? いやでも、命じる立場じゃないし――えーとえーと、あの女の人を助けたいです! 神様、森の皆皆様、何卒お力を貸してください!≫

 違うわよ。あんたは命じる立場だと生まれたときから信じて疑わない種族でしょ。こんな時まで、なんでなんで上位存在に祈れるのよ!

≪そうじゃなくて――ああ、もういいわ、この程度の雑魚なら命令必要ないし≫

 なんか腹立つから、なぶり殺す。人間ってのはね、こーいう目の前の男どもみたいな薄汚い生き物なの! 最後には神も精霊も罵る。天も地も関係ない。自分勝手な生き物なの!

 まずは飛び出した勢いで、一人に体当たり。もう一人は身体をひねって、後ろ蹴り。まだまだ遊び足りないから、力加減はしておいた。

 ふーん、受け身が取れるの。多少は武術の心得があるみたいね。

 さて、どう料理してやろうかし――――え゛?

≪はぁぁっ!? グウェンフォール! なんで芽芽がここにいるの!≫

≪知るかあああっ! 止める間もなく、飛び出していきおったーっ≫

≪どどどどどおしよおおおおっ≫

 完っ全に役立たずの熊と緑竜が背後で無駄に絶叫している。わたしの前には、恐怖で震えながら極小の刀を握りしめる少女。足元すら覚束ない。

 えーと、もしかして、わたし、かばわれてる?

 戦い方も知らない小娘が、このわたしをがむしゃらに守ろうとしている。武器もまともに構えられないクセに! 

 あ、女がそろりそろりと音を立てないように移動してるわ。牙娘に男たちの注目が集まってるのを確認して――こっそり逃げだした。

 なんて人間らしい保身行動かしら。所詮、自分さえ助かればいいって算段ね。これよこれ。これぞ人間。なんかほっとするわぁ。

≪消えた! スカートが! チガくて練り辛子の! 『***』!≫

≪芽芽、意味不明。女なら元来た道を走って逃げたわよ≫

 よろめいた芽芽が、その場でしゃがみ込んでしまう。せめて後ろに下がってからにしてほしいものだわ。

「くそガキがぁっ! 俺を誰だと思っていやがるこのクズ!」

 あ゛~語彙があまりに貧相で、戦意喪失しそう。念話で訳さなくてもいいわよね、これ。

「俺様はティアルサーレ領主の息子だ!」

「俺様はカハルサーレ領主の息子だ!」

 そーれーでぇ? もうイラっときた。

 男がつかんだ棒を芽芽に対して振り上げる。襟からのぞく薄紫の白肌めがけてみついた。ついでにそのまま頭部を回して、前足で踏みつけて。うん、すっきり。

 心なしか、風まで涼やかに舞い上がった。

 短刀を持った男の笑い声もウザイので、首に犬歯を食い込ませる。同じく頭部をぐりっとやって、わたしの体重でゴリッと地面に押し込んで。あー、さっぱりした。

 また風が、わたしの動きに合わせて回ってきた。なんなのこの怪奇現象。

≪牙娘、ここから引き払うわよ!≫

 声を掛けるけど、芽芽の反応がおかしい。不審な風はともかく、人間のオスはちゃんと退治したのに。

 毎回グウェンフォールから不評だった、一刻かけての生殺しのなぶり殺しはしなかったわよ? めちゃくちゃ瞬殺だったでしょ?

≪ディラヌー! お前の血じゃ血! 芽芽が引いておるわっ≫

 ちょっと、今はカチューシャって名前が――て、ああ。血ね、成程。芽芽側に飛ばさないようにしたら、返り血まみれになってしまったわ。

 初代契約主のシャンレイが教えてくれた浄化魔術。四肢を踏ん張って、軽く身体を払うと、大地の中に浴びた血が吸収された。こと切れた男たちは、後から戻って証拠隠滅しましょ。

 まずは芽芽を移動させるのが先。急かしたいのだけど、ちっとも腰を上げてくれない。浄化するべく衣服を確かめると、血が一滴も付いていなかった。さっきの謎の風が盾になったのだわ。

≪グウェンフォール、あんた風で膜作ってたの?≫

≪あ? そんな暇あるか! お前が外套がいとうの解除をしろと言うからワシは延延と術式を紡いで――≫

 芽芽が近くのくぼみに嘔吐おうとし、ぼろぼろ泣きだした。朝も昼も、緑竜の食事にかまけて大して食べてなかったから、すぐに吐くものがなくなる。それでも、口を開けて吐き気をやり過ごそうと耐えていた。

≪ど、どうしたらいいの、これ?≫

 戦場では最前線で走り回っていた。後方支援の救護班なんて専門外もいいとこよ。歴代の契約主は、既に魔導士として上級に到達していたから屍体したいでこんなウブな反応しなかったし、困ったわ。

≪まずは口を洗浄させるかの。水筒を出してやれ≫

 グウェンフォールの提案に従うことにする。芽芽の荷物袋の中にあったはず。そうそう、この動物が踊っているとかいう変な絵面えづらの瓶。

 手元に押しつけるように渡すけれど、ぼんやりとした目をしている。

≪芽芽、泣かない≫

 娘の意識がはっきりするようになったら、わたしはまた化け物扱いかしらね。そう思うと、妙にぶっきらぼうな言い方になってしまった。人間に忌諱きひされるのはいつものことなのに。

≪だってっ、怖くて……怖かった≫

 芽芽がしゃくりあげながら、あろうことかすがりついてくる。わたしのことは怖くないのかしら。背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめて、≪ごめんね、ありがとう≫とまた言われた。



「無事なのっ?! 一体、どうやって――」

 さっき逃げだした女が父親を連れて戻ってくる。わたしを見てひるんだので、芽芽よりも後ろに下がることにする。荷物の隣にすわると、番犬だと理解したみたい。

 女は恐る恐る芽芽に近づいて、顔をレースの洒落しゃれたエプロンで拭いだした。

 折角落ちついてきたのに、大柄の父親がこちらに来ようとしたせいで、芽芽がおびえてしまう。背後で歯を見せて威嚇しておいた。

 そのうち芽芽が手帖てちょうを取り出し、覚えたての文字を読めもしないのにつづりだす。木片を地面に並べて、わたしに何列目の何個目か指示させるの。必要最小限の単語だけ書き出して、表情や身振り手振りで理解させている。

 霊山で、装備品を分けてってわたしたちに頼んできたときもそう。あの曇りのない瞳で一所懸命お願いされちゃうと、無下に出来ないのよねぇ。

「警察には言わないわ、安心して。この雲行きだと大雨になりそうだし……良かったら、うちに来る? 姉が、その、出稼ぎで……空いてる部屋があるの、泊まっていきなさいな」

 赤毛の父親が身振りで招きいれるよう促し、同じ髪色に染めた娘の方が提案してきた。よくて街の集会所かと思ったら自宅だなんて、芽芽は運がいいわ。

 半人前の体力で長旅が出来るとは思えない。このまま野宿に慣れてもらっちゃ困るし、ベッドで寝させるべきね。古いだけが取り柄のティアルサーレの警察組織なら、たとえ向かってこようがなんとかなるわ。使える若者は王都や帝国に出払っているでしょうし。

 喜んだ芽芽が、何度も叮嚀ていねいに頭を下げ、親子二人に御礼を言ってる。その場できょろきょろと頭を動かし、目をしばたいていたのは、何か手伝おうと思案していたみたい。トコトコと荷車に近づいた。

「いやいや、その細腕で運ぶのは無理だろう。おじさんに任せておきなさい」

 外套がいとうに掛けた魔法陣の効力が戻っているせいか、親子からすれば芽芽は幼な子にしか見えない。それでも荷車をつかんで、自信たっぷりにうなずくものだから、二人が笑いだす。



 だが、父親が屍体したいを回収しようと荷車を動かしたところで、魔狼まろうたちが茂みから姿を現した。

≪芽芽!≫

 わたしが前に出ると、娘の方が横から芽芽を抱き寄せていた。父親も腰に下げていた鉈鎌なたがまをすぐに構えたし、反応が早い。

≪この男、手練れのようじゃの。帯飾りからして、十二華式雷師派と見受ける≫

≪アヴィガーフェの?≫

 九年大戦の時に迫害を逃れてきた流派が幾つかあった。余所者をあっさり泊めようとしたのは腕に覚えがあるせいだったのね。

 まず仕留めるべきは、群れのかしら……あら? ちょっと! わたしに向かってきなさいよ!

 統率していた雄狼おすおおかみは、後方でじっとしている。配下の十頭が二隊に分かれ、こちらに警戒することなく屍体したいを引っ張りだした。

≪……大型犬だね≫

 おおかみよ、牙娘。しかも魔獣だから一回り巨大なのよ。

≪しっぽがふさふさ……引っ張るの、お口がはむっとしてて……なんか……超かわいい≫

 芽芽の念話がおかしい。きっと元の世界の言語がおかしいのだわ。向こうの『可愛い』には『死ぬほど怖ろしい』とか『兇悪きょうあく極まりない』とか数多の複雑怪奇な含意があるのよ、絶対に。

 屍体したいを森の奥へと引きる魔狼たちもおかしい。なんで芽芽のほうばっかりうかがっては、うれしそうに尻尾振るのよ。後ろのかしらまで、尻尾がぱったんぱったん動きだしたわ。あんたたち、威厳はどこやったの!

「急げ。今のうちに逃げるぞ」

 男が荷車をつかみ、小声で自分の娘に指示した。

 芽芽に念話で翻訳すると、大人しくうなずく。親子が最大限の警戒をしながら荷車を動かす中、小走りで付いていく芽芽は――――――こっそり魔狼まろうの群れに手を振っていた。

 瞳がキラキラ輝いている。あの顔、絶対触りたいと思ってるわ。

≪ありがとう、またね≫

 御礼言ったし。『またね』じゃないわよ。普通、人間は魔狼の餌にされるんだから!

 やっぱり脳内お花畑。神殿で大切に守られて、かしずかれているべき存在なのだわ。

 わたしは大きくめ息をいた。

 草樹が匿おうとして背を伸ばし、風が血のけがれを遮り、魔獣が場を浄めに来る。森が味方についてしまったわ。

 果たして王都に戻せるかしら……。






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