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第8話 更衣室の歌声
しおりを挟む魔女商会長フロインドラが自警団第33支部に来た日の出来事だった。
自警団支部の厨房のシンクにはられた氷水に頭を沈めている人がいるのを見て、初老の人物ハンタは腰を抜かさんばかりに驚いた。
「あんた、大丈夫かいね。」
ハンタが声をかけると、ぶはあっと息を吸い込む音と共に氷水の中からチグレの顔が現れた。
冷水を髪からしたたらせながら、肩で息をしているチグレは、ハンタをじっと見てからむりやり笑みを浮かべた。
「はい。どちら様ですか?」
「ハンタってんだけど。あんた、なにしてたんだい?」
「すこしからだを冷ましていただけです。まさかひざまくらなんて…」
最後の方はよくききとれず、ハンタは不気味さを感じたが、どうせ辞めるしまあいいか、と思いなおして手を振った。
「あたしゃ前任者だよ、わるいね、急で引き継ぎもできなくて。忘れ物をとりに裏口から入ったんだけど、誰もいなくてね。気にせず続けとくれ。」
「そうでしたか。」
ハンタは身をかがめると手近な箱にじゃがいもやら人参やらを詰めこみはじめた。チグレは水滴を落としながらハンタに近づいた。
「それをどうするのですか?」
「退職金がわりだよ。安い給金で長年働かされたからね。あんたも物好きだあね、自警団支部で家事手伝いなんかさ。」
チグレはニッコリ笑うと大根やキャベツを持ってきて箱にいれはじめた。
「てつだいますね。長年お疲れ様でした。」
「おやまあ、ありがたいねえ。あんたみたいな可愛いコなら他にもいくらでも仕事はあったろうに。」
「いえ、あなたが辞めたおかげで私に素晴らしい機会がおとずれましたので。」
ハンタは夢見るようなチグレの様子に再び不気味さを感じたが、急に何かを思い出した様子だった。
「おや? あんた、ひょっとして…? あんときの子かい? やだねえ、はやく言っとくれよ。大きくなったねえ。」
チグレの顔がひきつった。
「…人ちがいです。」
「そ、そうかい? でも…。」
「人ちがいです。」
豹変したチグレの表情と雰囲気にハンタは寒気がして、早く用をすませて帰ろうと決めた。
「まあいいよ。あたしゃもう帰るでな。さいなら。」
「はい、さようなら。」
深々と頭を下げるチグレから早く離れたくて、ハンタは野菜をいれた箱を抱えて裏口から出ていった。
チグレはエプロンのポケットから小さな水晶玉をとりだし、表面に触れた。少し間があり、玉から野太い低い声が聞こえてきた。
『はい。なにか。』
チグレは、ハンタが消えていったドアをみつめながら応じた。
「私だ。たのみがある。」
更衣室にマリーンたち3人がこっそり入っていくと、シャワー室の方から水音が聞こえてきた。
マリーンは口に指をあてて静かに、と合図し、ジーンとコナは無言でうなずいた。
幸い、他の団員はいなかった。シャワー室への扉に近づくと、床に何かが散らばっていた。
(これ…!? ヨウさんの着てたあたしの服だ。)
(こっちは下着ですね。)
(だらしねえ奴だな!)
マリーンは扉に手をかけて、急にとまった。
(待って、不自然じゃない? あたしたちもシャワーを浴びにきた風にしとかないと。)
(たしかに。)
(そうだな。)
ジーンが先陣をきって服を脱ぎ始めると、鍛えられた肩から腕があらわになった。
(うわあ。ジーン、筋トレ続けてるんだ。)
(あたりまえよ、自警団員たる者、こうでなくちゃ。)
(非論理的です。筋肉量と自警団の活動になにか相関性があるのですか?)
(なんだと、てめえ。)
(シーっ! 静かに!)
マリーンが小競り合いをとめに入ったとき、シャワー室の中から歌が聞こえてきて3人とも思わず動きをとめた。
(ヨウさんの…歌…?)
(なんと…。妖精族の吟遊詩人のような…。)
(意外にいい声してやがるなあ…。)
それは誰も聞いたことがない歌だったが、あまりの心地よさに全員がその場で聴きいってしまった。
しばらくすると水音がとまり、ヒタヒタと足音が近づいてきた。
(まずい!?)
ドアが開き、ヨウがタオルを体に巻いた姿で更衣室に入ってきた。
「あーさっぱりした。あれ? みんなもシャワー?」
マリーンは内心あせりながら、服を脱ぐふりをした。
「あ、あれー? ヨウさん? いたんだ。あはは。」
「ここ、シャワーしかないんだね。湯舟はないの? あと、洗濯はどうしたらいいの? それと、僕にもロッカーを割り当ててよ。」
ヨウはタオルで頭を拭きながらマリーンからジーンに視線を移し、目を輝かせた。
「うわあ! すっごい筋肉! ちょっとさわっていい?」
許可を得る前にヨウはベタベタとジーンの体に触れて、ジーンは悲鳴をあげた。
「うわわっ! なれなれしく触るんじゃねえよ!」
すぐに飽きたのか、ヨウは次のターゲットに迫った。
「君はほそいねえ。なんだこのウエストは。」
いきなり腰をつかまれた半裸のコナはキャッと叫び、顔を赤らめて抗議した。
「支部長、この行動をすぐにやめさせてください。」
マリーンは防御姿勢をとりながら自分に火の粉がかからないようにしていたが、ヨウに目をつけられてしまった。
「次はマリーンさん! 君は…。」
ヨウはマリーンを凝視すると、肩をすくめた。
「うーん。特にコメントはないなあ。」
(ドッ!)
マリーンは思いきりこけてロッカーに頭をぶつけてしまった。そして、当初の目的を思い出した。
起き上がり、マリーンはヨウを指さした。
「え、えらそうに。それならあなたも見せてみて!」
マリーンが傍らを見ると、ジーンとコナがグッジョブのサインを送ってきていた。
「いいよ。」
ヨウはあっさりとタオルをとった。
その時、マリーンたち3人は生まれて初めて「他人の体に見とれてしまう」という経験をした。
それはまさに完璧と言って良いスタイルだった。
「もういいかな? じゃあね。」
ヨウは鼻歌を歌いながら衣服を身につけると、去っていこうとしたが戸口あたりでふりかえった。
「それにしても君たちは仲がいいねえ。3人とも胸の大きさまで似たり寄ったりだね、あははっ。」
ウインクすると、高らかに笑いながらヨウは廊下に消えていった。
しばらくしてから、コナが滅多に見せない険しい表情で言った。
「マリーン支部長。」
「な、なあに?」
「射撃許可をいただけますか?」
「ダメ!」
どっと疲れを感じたまま、3人は更衣室を出た。ジーンがコナに問いかけた。
「で、どうなんだよ。お前の見立てではさ。」
「おそらく感想は同じでしょう。」
湿気で髪がパサついたのか、コナは髪を手でしきりにかきあげた。
「軍人どころか、貴族か王族の子弟かと思いましたよ。たしかにある意味では鍛えられてはいますが…。」
「たしかにな。いったいありゃあ何者だ? マリーンはどう思う?」
マリーンはぼうっとしながら歩いていて、まだ顔を赤くしていた。
「マリーン?」
「えっ? あ、な、なんか言った?」
「支部長、もっとしっかりして頂きませんと団員の士気にかかわります。」
「そうね、ごめんなさい。団長には手紙で報告しておくわ。」
「それがいいですね。」
コナがうなずいた時、廊下に警報音と音声が鳴り響いた。
『事件発生! タイク街区の水路にて水死体発見の報あり、応援要請あり! 団員は急行願います!』
3人の顔にサッと緊張が走り、支部内が足音で慌ただしくなった。
「俺が行ってくる!」
すさまじい速さでジーンは走っていき、あっという間にいなくなった。
「妙ですね、あの辺りは確か第8支部の担当区域です。なぜ当支部に応援要請が?」
「さあ…。」
マリーンはコナの疑問にもあまり頭が働いていない様子だった。
ジーンは結局、その日は帰らなかった。
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