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第17話 ジェシカさんと狼(後編)

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 僕は大狼エリゾンドに声をかけられるまで、ボーっとしていたようだった。

「なあ、店主さんよ、なんでバケツに水をかけてんだ?」

「え…。」

 僕はじょうろで水やりをしていたつもりだった。エリゾンドは牙をむいて恐ろしい顔になったけど、ニヤニヤしているつもりのようだった。

「なあ、おまえまさか、ボスにほれてんのか?」

「ま、まさか! 冗談はやめてください! 僕なんかがジェシカさんにつりあわないですよ。」

「だよな。もしそうなら、食い殺すとこだぜ。」

 本気なのか狼流の冗談なのかよくわからなくて、僕はエリゾンドから離れようとしたけど彼は僕につきまとってきた。
 お客さんに見られやしないかと僕はひやひやした。

「店主さん、俺にもなにか仕事をさせてくれよ。タダ飯は落ちつかないぜ。」

 僕は、リーダー狼の意外な律儀さに驚いた。

「お気持ちはありがたいけど…。」

「ユリにいい考えがあります!」

 会話を聞いていたユリさんが寄ってきて、エリゾンドにしがみついた。

「う~ん、フッカフカ!」

「ユリのあねさん、俺の仕事は?」

「子連れのお客さんがけっこう多いんです。お花を選んでいる間、子どもを見ていてほしいの。」

「がってんだ!」

 エリゾンドは尻尾を振って喜びを表現した。

「大丈夫かなあ。」

「食べないから心配すんな。ちょっと賢い犬を演じてやるぜ。」

 エリゾンドの体がみるみる縮んで小さくなり、すこし大きい犬くらいのサイズになったので僕は腰を抜かした。

「そ、そんなことができるんだ!?」

「へへへ。でかくもなれるぜ?」

「それはやめてください…。」


 何日間かの間、狼たちの食事と、全員を洗うのとで僕とユリさんは大忙しだったけど、なんとか周辺住民にはバレずにのりきることができそうだった。


 夜、僕は事務室で書類仕事をしていた。
 気がつくと、目の前にユリさんが座っていた。

「あ、ユリさん。いまお茶をいれますね。」

「店長さん、やっとユリとふたりっきりになれましたね。」

 ユリさんはほおづえをついて、ニコニコしながら僕を見ていた。僕は苦笑して、帳簿をとじた。

「狼たちがいますけどね。」

「ねえ店長さん。店長さんはユリのこと、どう思います?」

「本当に有能な店員さんだし、いつも助かっていますよ。」

 ユリさんは途端に頬をふくらませて上目遣いになった。

「そうじゃなくって。ジェシカさんのいない間に、ユリははっきりさせておきたいんです。」

「え? 給料のこと?」

「ちがいます! ユリは、このお店の共同経営者になりたいんです。」

 ユリさんは言ってから顔を真っ赤にして手で顔を隠してしまった。

(か、かわいい…。)

「そ、それってつまり…?」

「もう、ユリに言わせるんですか?」

 僕はもう舞いあがってしまって、自分で自分に決めたルールを忘れそうになった。


(僕はこの世界では絶対に…誰かを…。)


 僕は慌てて帳簿を開いて、仕事をするふりをした。ユリさんは立ちあがると、テーブルをまわって僕の肩にうしろから手をまわしてきた。

「だから、ユリには教えてほしいんです。店長さんが、いったいどこから珍しいお花を仕入れているのかを…。」

「ぼ、僕は…。」

 僕は胸の高鳴りを抑えることができなくなってしまって、目がクラクラしてきた。

「ユリは店長さんのお部屋でお話をしたいです。」

「え…。」

 意味を聞きなおそうとした僕に、目を閉じたユリさんの顔が眼前に迫ってきていた。



「いま戻ったぞ!!」

 革鎧を着たジェシカさんが事務室にとびこんできて、テーブルの上に大きなカゴをドカッと置いた。

「みやげの果物だ! ユリ殿、うけとれ!」

「えっ? あら、あら?」

 ジェシカさんはみかんみたいな果物をユリさんに次々に放り投げて、受け取ったユリさんはお手玉をしながら炊事場に消えていった。

「まったく、油断のならないやつめ。店主殿、大事ないか?」

「ジェシカさん…!」

 ジェシカさんの不在はたいして長くなかったのに、僕は久しぶりに彼女の笑みを見たように感じた。
 その上、それを限りなく嬉しいと思っている自分がいた。

「店主殿、また会えて嬉しいぞ。」

 ジェシカさんはあちこち土やほこりでよごれていたけど、僕は彼女の抱擁を受け入れて、いい香りを胸いっぱいにすいこんだ。

「…と、言いたいところだがな。」

 ジェシカさんが僕にまわした腕にメキメキと力を入れだして、僕はその痛みに焦った。

「ど、どうしたの? ジェシカさん、痛いよ。」

「浮気したら承知しないと私は申したな?」

「まだなにもしてないってば! あ、あいたたたた!」

「まだ、だと?」

 僕の反論は聞きいれられず、ジェシカさんは力をゆるめてくれなかった。



「じゃ、エリゾンドさんたちは移住できるんだね!」

「ああ。だがな、条件つきだ。」

「なんだよボス、条件って。」


 帰ってきたジェシカさんを囲んで話しあいが始まった。彼女の話によると…。


 近場の森狼のリーダーが、決闘で自分に勝てば移住を認めてやると言ったそうだ。

「決闘だなんて、ユリは反対です。」

「あねさん。このエリゾンド、ケンカに負けたことは一度もねえぜ。」

「うむ。だがな…。」

 ジェシカさんはうかない顔だった。

「どうしたんですか?」

「いや、会えばわかるが…。」

「まさか、連れてきたんですか!?」

 僕はびっくりしたけど、エリゾンドさんはやる気満々だった。

「相手が誰だろうと関係ないぜ! おまえ、立会人をやってくれ。」

「僕が!? ジェシカさんじゃダメなの?」

「すまぬな、店主殿。私は関係者だから立会人にはなれぬのだ。」
 


 僕たちが裏庭にでると、そこには黒い大きな狼がいた。

「きれい…。」

 その気品と美しさに僕は声も出せず、ユリさんが呆然としながらつぶやくのだけが聞こえた。黒い大狼が口を開いた。

「あたしはアリシア。おまえがエリゾンドか。」

「ああ、そうだ。立会人!」

「は、始めてください。」

(決闘相手は雌狼だったんだ!?)


 2匹の狼は激しくにらみあった。まわりの狼たちがいっせいにうなり、声援を送りはじめた。

「リーダー! 負けるな!」

「やっちまえ!」
 
 エリゾンドとアリシアはうなり合いながら円を描くように歩き、にらみ合いを続けた。僕はもう、ハラハラしてジェシカさんにとりすがった。

「これって大丈夫なんですか?」

「黙って見るしかない。これが狼たちの流儀だ。」

 大狼の迫力満点のにらみあいに、狼たちの興奮は最高潮に達したようだった。
 その瞬間、2匹の決闘者は目にもとまらない速さでお互いにとびかかった!

 そして…。

 2匹は庭の中央にスタッと並ぶと、たからかに宣言をした。

『わたしたち、結婚します!』

 狼たちをふくめて、ユリさん以外の全員がこけて地面につっこんだ。

「ひとめぼれなんて、ロマンチック! ユリはうらやましいです!」



「達者でな。エリゾンド。」

「はい、ボス。世話になりやした。」

 街道からの枝道で、テクテクと続く狼の列の先頭を歩いていたエリゾンドが急に戻ってきて、僕に鋭い牙を見せながらささやいた。

(おい。ボスのことをくれぐれもたのんだぞ。もしもあの人を泣かせたら…わかるな。)

(は、はい…。)



 狼たちは去り、残ったのは平穏な日常、のはずだったけど…。


「お肉屋さんからの請求書の束も残ったなあ。」
  
 僕がため息をついていると、ユリさんが手をあげた。

「はーい! ユリはジェシカさんの給料からさしひくことを提案しまーす!」

「そんなことをされたら、服も下着も買えなくなるではないか。」

「ユリのを貸してあげますよ。あ、サイズがあわないか。」

「…斬る。」

「ふたりとも、やめてください!」


 
 僕はこの時、こんな平穏がずっと続くと思いこんでいた…。
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