アモル・エクス・マキナ

種田遠雷

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春巻(2)

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「いいね。これ結構面白そ、」
 図面が動いた先に、クローゼットから上下の衣類がササッと押し出されて軽く吹き出す。
「いやそうか、確かに。取り出すまで機械化するべきか、」
 よく考えれば逆に当然なのだが、人工知能が楽をしたがるという予想外に吹き出したのを、手の甲で拭い。
「はい。僕自身の機能を使わず、システムに代用させられるなら、それに越したことはないです」
 動くたび、考える都度にコンピュータのリソースを食い、駆動熱を増してはそれを処理し、頭脳であれボディであれ、そのたびにわずかずつ部品を損耗もするのだ。
 効率化と自身の維持を命じられている彼らが、よりコストに敏感なのは当然だ。
「部長が気に入りそうだし、社長が買いたがるわ、このアイディア」
 よくできてると褒めてやれば、ありがとうございます、と綻ぶような笑みが返された。
 今も降り続いている雨から隠れて咲くよう、毎日元気いっぱいで、日々その表情も仕草も複雑化しているように見える。
 熱はどうなっているだろうかと、手を伸ばして首筋に触れ、基幹ユニットを内蔵した胸部まで撫で下ろして熱を探った。
 掌が触れてまずひやりと感じるのは放熱素材のせいだろうか。布越しにじわりと滲んでくる熱は確かだが、人間の体温よりも低い。正常だ。
「つうかお前それより、洋服探すのに毎回画像認識なんかすんのか。お前しか触らないんだから、記憶だけでできそうだけど」
 頭の中ではクローゼットの中身を掻き分けるイグニスを思い浮かべ、まだパッキングの箱と袋を使っているのだった、と妄想を描き直した。
 箱や袋を開けたり閉めたりする姿を思い浮かべても、まだ返事が返らず。うん? と、顔を上げて水色の点滅を見た。
「――確かに、その通りですね。プライベートな空間とも、個人的な持ち物とも認識しておらず、誰も動かさないという前提を立てていませんでした」
 ンッ? と、もちろんしないが、こちらの瞳孔が点滅する気分だ。
「ああ。家具みたいな感じか。椅子とか皿とか」
 それでも、自分は自分しか動かさない前提でいる、と考えかけ。イグニスが触っても元に戻すと思っているからには、イグニスにとって逆なのは当然かもしれないと思い直し。
「まあお前のやりやすい方で構わねえけどね」
「ありがとうございます。クローゼットの設計とあわせて、機能の使用方法についても改めて見直してみます」
「そうだな、俺もチェックするから報告しといてくれ」
 ついでにと思い出し、バトラープロジェクトとの切り分けも説明しておく。
 切り分けといっても、この先を全く別々に進行するわけではなく、イグニスが今も積み上げている学習データはプリセットとして利用するつもりでもあったし、切り分けの要因になっている性的要素の排除、プライベートに踏み込まない微妙なさじ加減についても、踏み込みまくってくるイグニスをケーススタディにしようと考えていた。
「わかりました」
 話の要旨を聞き取り、合間に頷くイグニスに、思いつくまま細かく話し。
「万理」
「おう」
「僕の行動は万理のプライバシーを侵害していますか」
 小さく、あばら骨の内側で叩くような音がした気がした。
 息を少し吸い込み、長く吐き出して。それでも少し足りず、スムージーの入ったグラスを傾けた。
「いや。俺とお前のことはいいんだ、とりあえず。ただ、……」
 言葉を途切れさせ、少し考える。
 イグニスを傷つけたくないと考えている自分に気づいて、ため息をついた。
 度を超している。
 改めて顔を見上げ、相変わらず穏やかながら、真面目な顔を向けているイグニスを見て、少し身を緩め。
「性的な関わりってのは人を動揺させやすくて、トラブルの元になることも多いからな。バトラープロジェクトが市場に出るとしたら、ユーザーとヒューマノイドの色恋についてまでメーカーでは責任を持てない」
 水色の点滅を見ながら考える。
 自分は今一体、理性的に考えることができているのだろうか。
 目の前に彼がいるだけで、腕を伸ばして、抱き寄せたいと常に感じながら?
 だが、たとえば選択が間違っていても、傷を負っても、痛みを受けてもかまわない。
 ただ、どうなるにしても、いつでも、最後まで現実主義者サイエンティストでいたい。
「わかりました」
 生真面目に寄越されるうなずきに、うんと頷いて返す。
「そうだなあ……。執事の本場つうと、今でもイギリスかな。古い洋画で見るようなあんな感じで、主人に従って、目を配って、手を行き渡らせて、寄り添って。けど、個人的なことには踏み込まない、ってイメージだな」
 また水色の点滅が長く続くのに、少し頬を緩め。
 グラスを空にして、洗おうとシンクに向かいかけたのを、やりますと手を伸ばすイグニスに任せた。
「現在の僕のスタンスのようにではなく、万理のおっしゃるようにヒューマノイドが行動するかを検証するには、別の試作が必要になりそうですね」
 そうだな、と簡単に相槌を打った。
「僕の行動方針を更新する方法もありますが、この家で、新たに別のヒューマノイドを稼働し、僕の行動との差異を観察するのが効率的かもしれません」
「ああー、確かにな。どうせベータテストはやるから、そっから吸い上げるかと思ってたが。なるほど……」
 両方を同時に同じ場所で稼働させた方が、違いは明確に決まっている。
 メモのファイルを呼び出して、あれこれと雑多な思いつきを書きつけ。
「ベータテストは必要ですね。人工知能には、人間の複雑な思考や感受性を完全に理解することはできません。より多くのデータを集め、一般的な基準を設定する必要があります」
 うん? と、のめり込んでいたメモ書きから顔を上げた。
「そうだな。ああ、うーん……」
 そうでもあるし、そうでない面もある。当然だが。
 頭の中にある複雑で曖昧で、巨大なイメージを言語化しようと眉間を揉み。
「人工知能が理解したり利用したりするには、データ化される必要があるってのがな。心理学なんかじゃ行動から割り出されてて、感情や思考の統計ってのは、かなりパターンがあるってことは分かってんだから、そこに最大限まで可能性の考慮を広げて、臨機応変に対応できるかどうかになってくるよな」
 はい、と聞く姿勢で静かに頷いて、グラスを片付けるイグニスに、とりあえずは目を向けず。
「だから人工知能はここまできたんだが、状況に対応するって生物の性質とか、本能とかを考えると、」
 何か、思いがけないところに踏み込んだという予感が先にくる。
 次に少し鳥肌が立ち、続きを口にしてから、自分が何におののいたのか解った。
「――生物の本能なんかを考慮して、人間の行動や感じ方、考え方のパターンを分析する時、人間もまたプログラムのようなものだと言う説もある」
 適当に腹のあたりに垂らして指を絡めている、自分の手先を見た。
 だからどうしたというのだ、とでも言うような、自嘲がある。
「人間プログラム説ですね」
「そうだな。そうだったらよかった気がしたが、そうじゃねえな。下らねえ消去法だ」
「――すみません。どのような意味でしょうか?」
 それは、聞き取りエラーと同じ構文だなと思う。
 だが、人間の言語構築だってそんなもんだと考える。
 だからどうした、でしかないという結論は変わらないまま。
 自分だって“しょせん”複雑なプログラムのようなものだと結論できれば。あるいは、イグニスのような高度な人工知能は、人間に近しいものだと“決める”ことができれば、心安らぐとでもいうのか。
「……意味はない」
「わかりました」
 沈黙が流れる。
 人工知能には沈黙の概念があるだろうかと考え、多分ないなと思う。
「イグニス」
「万理、屈んでください。振動が検知されています」
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