星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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56、巣離れ

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 そうして、待ちわびた報せが届くまでには、一年を要した。

 他に何もない時には朝一番で、と決めている馬小屋の世話へと歩き出す。
 集落の中でもほとんど端にある家から出て、別の端といえる馬小屋までの道すがら、一年の間に驚くほど様変わりした砦の様子を眺め、隣を見上げる。
「見違えるように、と言っても過言ではないだろうな。ここに砦を築いた時にも思ったが、集落や家を作るのが得手なのか?」
 彼は彼で一日の仕事へと向かうアギレオが、アガ?と欠伸を噛み殺してから、淡く片頬に笑い。
「何言ってんだかな。ここに越してきた時にも、家建てるには外から大工入れてっし、ここ一年のは明らかにあいつらだろ」
 褐色の顎がしゃくられる先に目をやり、合点して。
 それぞれに仕事に取りかかり始める朝の景色の中、土を浅く掘り返しては整え、何人かで協力して、あちこちへと大小の石を運ぶ者達の姿を、少し目で追う。
「ヴィルベルヴィント達か」
 そうそ、と頷くアギレオの声を耳に入れ。
「橋はともかく、その辺の石があっちにあろうがこっちだろうが、それがどうしたと思ってたが。こうも違うもんだとはな」
「本当だな。王都にも石畳の道はあるが、実際に道を作るというのは初めて見た」
 二人で少し足を止め、増えた家々や、それらを繋ぐ石の道を眺める。
 アギレオが捕らわれてから戻った頃に訪れたヴィルベルヴィントを代表とする、20人ほどの鹿の獣人達は、それほど経たぬ後に正式に砦に加わった。これに際して、ヴィルベルヴィントが“迎え入れてよかったと言わせる仕事をする”と堂々と言い切ったのを思い出し、頬が緩む。
 これまで砦にいた獣人達とも違って、鹿の獣人達は農耕種族であり、人間達と同じ昼行性の生活だ。
 新たな家に馴染むのも簡単ではないだろうに、ヴィルベルヴィント達は、畑仕事や生活面の仕事にも加わりながら、砦に居着くとすぐ、あちこちの整地と造成に取り掛かり始めた。
 理屈でいえばどうということもない、アギレオのいう通り、元々地面にあった小石や別の場所の小岩を取り除き、人々が主に歩く場所に集めたものだが。
 彼らの仕事は丁寧で、技術は高く、地面を削ってから敷き詰められた石の道は、小石を踏んだ時のようなわずかな不快感もない。当然、水はけはよくなり歩きやすく、靴や衣服の裾が汚れることが減って、洗濯が楽になったと、特に女性陣を大変に喜ばせた。
「石の道も相当なものだが、橋が変わったのは大きいな。架橋というのは貴重な技術だ」
「おうよ。外注すっと高えしな」
 水場が多くて近い方がいいと、アギレオを中心に砦の面々が選んだこの場所は、ちょうど川の流れが二股に分かれる支流を抱え込み、砦を3つに分けている。
 不便ではないのだろうかと思ったものだが、日々に欠かせぬ水を汲む場は、井戸であれ川であれ、確かに近くて多いに越したことはない。
 この川を越える往来のために、丸太や木材で簡素な橋を架けていたのを、ヴィルベルヴィント達は頑丈な橋に架け替え、今も数を増やしてくれている。
 仕事の効率すら上がった、と深く感心するところに、だなあとアギレオが頷き、また歩き出して件の橋のひとつを渡り。
「そうだそれで、例の防壁だ。リー達との話も加味した図案をヴィルベルヴィントに見せたんだが、やはり、簡単にはいきそうにない」
 はいはい、とアギレオが相槌を打って。
「お前が書いてたアレな。アレはアレで話は合ってんだが、あのまんまじゃちょっと狭っ苦しいんだよなあ。手ェ割いて朝晩見回りも出てんだし、もうちょいどうとかこうとかなんねえかね」
「どうとかこうとか、な」
 代名詞まみれだなと思いながらも、今や言わんとするところは充分に理解できて、では、どうとかこうとか思案してみねば、などと思い浮かべ。
 あちらとこちらと、仕事に向かう道を別れようとするところで、再びアギレオと同時に足を止める。
 東の方から聞こえたわずかなざわめきに目をやり、瞬いた。
 二頭の馬に、二人の乗り手。遠目でも察せられる、砦の者でも、周辺の者でもない出で立ち。
「使者か」
 アギレオに先立つよう、そちらへと歩き出しながら、次第にはっきりしてくる使者の様子に、思わず目を丸くする。
 一人はローブ、もうひとりは軍装だが、騎士隊のものではない。
 人間達に声を掛けて馬の鼻先を向ける二人も、こちらに気づいたのが分かる。
 馬の足を速めて近付く距離をなお詰めるよう、思わず早足になる。
「メリリエル! ランシリエル!」
 幼馴染みたちに呼びかける声に、馬上の一人が大きく手を振る。
「ハルカレンディア! 久し振り!」
「お待ちかねの報せを持ってきたわよ! 喜びなさい!」
 少し向こうで馬を止め、ローブ姿が滑るように、軍装の方は颯爽と、それぞれに馬から降りるのに、駆けるようになる後ろに、ヒエ、などとアギレオが声をひそめているのが聞こえた。
「今度は女エルフか…」

 夜が明けてしまっているから、と、リーは起こさずアギレオと二人で、メリリエルとランシリエルを食堂に案内した。
 昼食の準備にはまだ早く、早朝の食事の片付けが終わって、食堂は今しがた空になったばかりだ。窓から日が差し込み、室内には穏やかな光が満ちている。
「彼女はメリリエル、国軍に属する有能な魔術師のひとりで、こっちのランシリエルは、私と同じ年ながら国内でも名の知れた剣士だ。二人とも私と同じく金の芽寮の出身者で、幼馴染みというわけだ。それで、この大男がアギレオ。この境の森砦の頭領を務めている」
「噂のアギレオね。ヴァルグ族を見たのは初めてだわ。よろしく」
 淡い金髪が豊かに波打ち、ランシリエルが鮮やかな青色の瞳を笑ませる。
「ランシリエル、アマランタに会ってないのね」
 あら、と声するメリリエルの意外な言葉に瞬き。
「アマランタに会ったのか?」
 ええ、と、癖のない濃い蜂蜜色の金髪をサラリと揺らし、メリリエルが桃色の瞳で頷いた。
「あなたの書き付けを持ってたわよ。北東の山で見つけた薬草について、エルフの知識を得たいって訪ねてきたの。人間とは思えないすごい知識で、魔術師隊じゃしばらく引っ張りだこだったのよ」
 それはすごい、と、思わず頬を緩め。
「ここにも優秀な魔術師がいるって聞いたから、楽しみにして来たの。よろしくね」
「よろしく。和平が決まった話だろ。使者が二人で来んのは初めてだな」
 ついでに見学か?と顎をひねるアギレオに、大きく性格が違うのに子供の頃から仲の良い二人だ、帰りに物見遊山にでも行くのだろうかと相槌を打って。
「いいえ、留守番に来たのよ」
「ハルカレンディアがここに自分の代わりのエルフを寄越して欲しがってるって、前々から聞いてたから」
 ああ、と、思わず声を上げそうになる。そう、アギレオが本気で考えてくれていると知って、一年前から、定期的に王都へ戻るたびに、心当たりはないかと方々ほうぼうに声を掛けていたのだが。
 まさか幼馴染みたち、しかも女性二人が手を挙げてくれるとは思っておらず。
「和平が決まったら恋人と遠出したいから、しばらく誰かここに住めないかって」
 屈託ないメリリエルの言いように、噴き出しそうになるのをこらえ、よじれたように咽せてしまう。
「そっ!? そんな言い方はしてないだろう!?」
「あら。そういう意味じゃなかった? 要するに、恋人の生まれ故郷まで、西の大陸の、しかも山奥まで行くのに何年もかかるから、そう簡単には代わりが見つからないのかと思ってたわ」
「いやッ、そ、それは……その通りなんだが……」
「その通りなんじゃない」
 なによ、と、青色の目をたわませ、含むように笑うランシリエルの様子は相変わらずで、額を押さえてしまう。
「へえ。ここに住むのか? 女のエルフが? 二人も?」
 へええ、と珍しいといわんばかりに繰り返すアギレオに、ええ、と彼女達が頷き。
「さすがに、勝手の分からない国境に、一人で何年も住み着くのは…、と思ってたんだけど、この間ランシリエルと話したら、同じように考えてたみたいだから、なら二人で行ってみる?って」
「無理ならまた王都に声をかけて、短い期間で交替していくことも考えるわよ。行ってらっしゃい」
 相変わらず行動的で、しかも二人そろえば恐れ知らずと呼べるほどのメリリエルとランシリエルに、圧倒されながらも、気持ちも申し出も心からありがたく。
「本当にありがとう。心から感謝する。新しく建てた家にも、まだ人の入っていないものがあるから、案内しよう。アギレオ、いいだろうか」
 面白そうに自分たちを眺めていたアギレオが、ン?と眉を上げてから、おうと快活な片頬笑みで頷いて。
「このところ、人数は減るより増える話が多いからな。家ももうちょい増やしとくかって話してたところだ。…が」
 が?と、区切られるのに、浅く首を傾げ。
「まさか、和平の報せと同時に“行ってこい”とくるとは思ってなかったからな。リーとも前から準備してっから行くにゃ行くが、すぐのことにはならねえぜ?」
 うん、と答えに頷く頬がゆるいのが、自分でも分かる。
「それは勿論そうだな。私も色々支度をしたいし、メリリエルとランシリエルにも砦のことをよくよく案内しておかなければ」
 二人を振り返れば、何か声をひそめているのが、己と目が合った途端に声をそろえて「なんでもないわ」と微笑まれるのに、少し言葉に詰まるが。
「よろしくね」
「あら、自分で勝手に歩き回って確かめるわよ」
 即答で答えの分かれる二人が、ちょっと!と、声を上げ、それからクスクスと笑い合っているのに、相変わらずだと思わずまなじりを緩めた。
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