星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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53、語り継ぐものは声から文字へ

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 へえ、と相槌を打つアギレオに、ラウレオルンが顎を引いて返す。
「そもそもの始まりをひもけば、エルフとは元々、星の光であった――…」
 もう一度の「へえ」を今度は声にせず、目だけで頷いたアギレオが、だが顎をひねる。思案するよう斜め上に目線を傾けて、ラウレオルンが言葉を途切れさせたからだ
「否や。この話はそなたには長過ぎよう。エルフの始まりまで辿らずとも、」
「おい。ちょっと待て、昔話って今、創世そうせいから始めようとしてたのかよ!?」
「エルフの始まりよりは、遙かにのちの世のことだ」
「サラッと聞き流したな…」
 やれやれといった風であっても、抗いも無駄かと、アギレオは三度の相槌を打つ。
「エルフ、ドワーフ、人間。近頃では獣人も数えられる“言葉話す者”と呼ばれる者――この、光の生き物が棲まう世界を破壊し、覇権を奪わんとする勢力がある。広く“魔物”と呼ばれる者達、オークやグール、トロール達、闇の生き物は、長きに渡り、幾度も戦を仕掛けてきた。その中でも、大きな戦になったものがいくつかある」
魔大戦またいせんとかか」
 ハルカレンディアの生まれた頃、として、或いはそれこそ昔話として耳にした、とアギレオは記憶を辿って顎をひねる。だが、ラウレオルンは首を横に振り。
「さような近々きんきんの戦の話ではない」
「…四百年前は近々かよ…」

 語り継ぐものは声から文字へ委ねられ、言い伝えが物語に姿を変えるほどの遙かな昔。
 今なおそうであるよう、蜂起ほうきするたび激しく戦い、数を減らす魔物達は、深く敗れた後には、次の機を待って静かにその数を増やし、爪を研いだ。
 そのような数えきれぬ大小の戦を繰り返し、再び、光の者に平和をもたらす魔物達の“静かな時”が長く続いたのちに、大きな戦が起こった。
 物語に語られるほど激しく大規模な戦の影には、長く続いた繁殖期で魔物の数が膨大になったばかりでなく、光の勢力からの造反があったと云われている。
 たった一人の、だが強力な外法げほう術師じゅつしが闇にくみして魔物達に力を与えた。

「外法? 術師?」
 首を傾げるアギレオに、ラウレオルンは少し目を伏せ。それから目を上げ、どう説明したものかとでも云うよう、腕を開き、土でもこねるよう美しい手を少し彷徨わせ。
「大きなくくりなれば、外法術師もまた魔術師だ。魔術とは、ごく簡単に言わば、世界に存在するものの、力の大きさや形を変える術であり、……極端な言い方をするならば、魔術師でなくとも、時間を掛けることや、道具を使うことで同じ事象を起こしうる。これを、我らの言葉では“ことわりうち”と呼ぶ。だが、外法術師とは、理を破り、ひずませるかの術を用いた」
「分からん」
 左様か…、と、少し額を押さえてから、ラウレオルンはもう一度顔を上げた。
「魔術とは、火は火、水は水、風は風であることを超えず、変えぬ。外法の術は、これを超え、変えるのだ」
「分からん。が、言いてえことは分かった」
 うむ、と、短く頷き、ラウレオルンが再び語り始める。

 元より、魔物達は、光の者達と対をなすよう生まれた。
 例えば星の光であったエルフに相対するのは、オークだ。オーク達は星の影より生まれ出た。
 それゆえに、エルフの現在の地位は、ことによれば自分たちのものであったはずだと信じ、これを“取り戻す”こと、これを奪い続けるエルフへの憎しみを血に刻み受け継いでいる。
 だが、エルフを憎むオークがいつまでもエルフを滅ぼせぬことを考えたものか、外法術師はこれを成すため、さまざまな魔具や外法術を編み出し、魔物を強化し、また、新たな魔物を造り出すことすらした。
 まだその黒幕が目に見えず、魔物達の持つ新たな、そしてすさまじい戦力に、光の勢力は世界のあちこちで大きな傷を負うようになっていった。
 力を与えられて生まれたエルフ達は、変わらず矢面に立ち、進んで魔物達との戦に挑んでいた。
 そんな中、攻めてくる魔物達の大軍を迎え撃つべく、刃を研ぐひとつのエルフの守護地があった。魔軍との対峙を待つそこへ、少し離れた人間の国から、援軍を求める使者がやってきたそうだ。
 話を聞けば、どこから湧いてくるのかというような、退けても退けても攻め入ってくる魔軍に、人間の国は疲弊し、いよいよ壊滅も危ぶまれるという。
 助けを求められた守護地も、今や攻め込まんと土煙さえ見えそうな敵を迎えるところだ。
 守護地のおさであるエルフは迷ったが、話の限りでは、人間の国を攻める敵の方が多勢に思えた。
 そこで、不安がる妻を励まして後を任せ、いくらかの兵を率いて援軍へと出向いたそうだ。
 魔術と剣と弓、槍を持ってエルフの力を貸し、人間達も大いに奮闘して、深く傷つきながらもついに魔物達を退けた。
 だが、罠であったのだ。
 遠くない守護地のエルフに助けを求めるであろうことを見越して、魔軍はすぐに人間の国を滅ぼさず、また、援軍にやってきたエルフを長い戦いに引き留めていた。
 人間の国を救って守護地に戻ったエルフの長が見たものは、妻や仲間のむくろだけではなかった。残ったエルフ達を蹂躙してなお、戻ってくるエルフ達を待ち構えるほどの膨大な兵が控えていた。

「……人間なんか見捨てりゃよかった、…と、思っただろうな」
 顎を擦るアギレオに、さて、と、ラウレオルンは深碧の双眸を細くする。
「そうかもしれぬ。そうではないかもしれぬ。だが、エルフがそうするであろうことは、確かに見抜かれていた。守護地の長は、自己犠牲のつもりなどなかったであろう。力ある者は、力の限りみなに力を貸すべきだと考えた。なし得ると思うたのは、エルフの傲慢といえば、そうだ。不安がる妻に後を任せたのは、妻もまたエルフであり、長と同じくすべきだと考えたのであろう。エルフに限らず、たけき者の正しさが、時に身近な者にほどひどく厳しいことがあるものだ」
 少し考えてから、ああ…まあ…、とアギレオは語尾を曖昧に濁らせた。
「敵は、エルフのことをよく知る者であったようだ」
 言葉少ななアギレオに、ラウレオルンは深く頷き、再びその語りは続く。

 長と仲間のエルフ達は捕らわれ、連れ去られた。
 そうして、ほとんど同時期に、あちこちで同じようなことが起こっていたのだ。
 それまで、力と数、せいぜい残酷と醜悪に工夫をこらした武器で、波のように押し寄せるばかりであった魔物達が、かような奸計かんけいをめぐらせた陰に、外法術師がいたことが知れたのは、これがきっかけであり、だが、もう少し後のことであった。
 エルフを毛嫌いし憎むばかりのオークや魔物達では、エルフがどのように考えるかを想像することなどなく、自らの軍を割いて他国を救うものがあるなどと、思いつきようもないはずだった。だが、その異変を目の当たりにしたエルフ達が、これを他国に報せるには至らなかったのだ。
 滅ぼされたと思われたエルフの少なくない数が連れ去られ、闇の陣中で、苦痛の中に沈められていた。
 残忍で狡猾であり、しかし深い知識と術の才に長けた外法術師は、思いつく限りの痛みと苦しみをエルフに味わわせ、その正気を失わせ、心を病ませた。その上で外法を用いてエルフの魂を傷つけ汚して、生み出された強力な魔物――これを、ヴァルグと呼んだ。

 思いがけぬ言葉を耳にし、目を剥き言葉を失うアギレオに、目で頷き、ラウレオルンの声は更に続ける。
「エルフを殺すためエルフを穢して生み出されたヴァルグは、恐るべき強さを誇り、光の軍勢を幾度も圧倒した。だが、傷つき、その数を減らしながらも、エルフ、人間、ドワーフ、他の光の者どもも全て手を組み力を合わせ、ついに外法術師を滅ぼし、魔軍を退けた」
 選ぶ言葉を選びきれぬアギレオに、ラウレオルンの声は僅かに、色を沈め。
「――…外法術師の滅びにより、魔物の中でも弱き者は、強化のために施された術を失うことで崩れ、溶け失せさえしたものもあったという。急激に闇は失せ、光の力が増し魔物どもが朽ちてゆく中、わずかな正気を取り戻した幾らかのヴァルグ達は、祈ったそうだ。“ヒトに戻りたい”と」
 眉を寄せ、ごく神妙な様子でアギレオは口をつぐんだまま。
「絆の断たれた森の精霊にヴァルグ達の声は届かず、これを聞きつけたのは、世界に漂う古い霊達だった。だが、魂は穢れ、精霊の守護を失い霊力を捩じ曲げられたヴァルグ達を、エルフに戻すことはできなんだ。なれど、とがもなく闇に引きずり込まれたヴァルグを哀れに思ったか、様々な力がそれぞれに手を貸し、ヴァルグの祈りへと差し伸べた。せめて闇を取り除き、ヒトへと戻してやろうと試みたのだ。……そうして、捩れた霊力に満ちた肉体と穢れた魂から闇を払うのは、恐ろしい痛苦だったという」
 聞きたくなくなったかとでも言うよう、首を傾げるラウレオルンに、顔を顰めながらも続きを促し、アギレオが頷いて。
おおきな手に宙へと持ち上げられ、濡れ布巾のように総身を絞られるかの痛みであったと、伝えられている」
「げえ…」
「肉が千切られ、臓腑ぞうふを絞られ、頭蓋骨を割って脳が溢れるような痛みにより、その時からヴァルグ達の頭には角が生じた」
 おっ!?と、ひとつ声を上げ、しばし閉じ損ねたアギレオの口から、大きく嘆息の息がこぼれ。
「そう…か…。それで角やら牙がなあ…」
「否。牙は魔狼まろうの血だと云われている」
「マロウ?」
「今はもうどこにもおらぬ、狼の姿をした魔物よ」
「へえ…」
「手酷い拷問によって狂気の淵に落ちたエルフに、更なる強靱と凶暴さを増すため、口にするのもおぞましいような外法げほうを用いて、魔狼の血を混ぜたそうだ」
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