星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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27、よすが

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 葉陰の向こうに見え隠れする月が高い。
 出所が判ぜられぬほどの虫の声、獣のひそめた息づかい、風に揺れる葉の音。どこか遠く、ため息をつくような梟の鳴く声。
 それら全てが、いつもより賑やかに、広くあるように思われる。
 森を駆ける獣人達が現れぬと気づいて寛いでいるのか、ただ、己自身が砦の様子を知っているから、そんな風に聞こえるだけなのか。
 家々に灯りの点る砦の、影から影を渡るようにして、馬小屋へと足早に入り込む。
「スリオン、来い。悪いが夜駆けになる」
 愛馬に鞍をかけて馬小屋から引き出すと、歩かせながらそのまま飛び乗り、東への隠れ道をかき分けて進む。
 昼に見たアギレオの刀は一本だけだった。だが、捜索範囲を広げる内、もっと西、つまりベスシャッテテスタルに向かう方向でもう一本の刀を見つけた。
 何かを引きずったような跡はそこで途切れている。
 森から離れたその場所での出来事が、森の中に倒れていたリューから見えたとは考えにくい。意識を失う前にリューが見たという、戦闘が終わった場所はそこではなく、引きずり始めの森の傍だろう。
 谷のエルフはアギレオを倒し、引きずるようにして連れ去った。恐らくそれは、確かなことなのだ。
 傷だらけで、刃の折れた刀。粉々に砕けた魔石。
 その意味を静かに噛み締め、重くなる頭を無理に上げて前を見る。
 何の用があって連れ去ったのかは知らないが、返してもらわなければ。たとえ、――…たとえ、もう息をしていないのだとしても。

 朝に昼に夕に、何がどうなっているか、何が起こり得るか、何ができるか、そればかりを考えに考え、考え詰めて馬の背に揺られる。
 ベスシャッテテスタルが交渉に応じないということは、充分に考えられる。
 森の樹をへし折り、倒すまでしたのだ。ベスシャッテテスタルの出方次第では、こちらも強い姿勢を見せた方が良いかもしれない。
 或いは、否、規模は知れずとも十中八九戦闘は起こる。
 そうなってから援軍を要請していては、無論、遅すぎるのだ。
 休むことなく頭を巡らせながら、砦とはまた違う、魔術的に隠された森の入口を騎馬のまま抜け、数ヶ月ぶりの王都へと足を踏み入れた。
 馬を預け、騎士隊に立ち寄って身を清めて、正装に着替え。謁見えっけんの許しを待つ間、玉座の間の手前、広間で跪いたまま、考えは休むこともない。
 王陛下に陳情して軍を借り出すとして、どの程度の隊を編成すべきか。一目で敵わぬと悟れるよう、数百の騎馬隊を武装させるか。それとも、忌々しいベスシャッテテスタルを刺激せぬよう、小さな部隊で、交渉する心の余裕でも持たせてやるべきか。
 アギレオはどこにいるだろうか。ベスシャッテテスタルの谷へ踏み込む可能性も考えるとすると、少数精鋭か、それとも正面衝突を考えるべきか。
「境の森守備、ハルカレンディア!」
 扉を守る近衛このえに名を呼ばれ、考えに沈んでいた顔を上げて、立ち上がる。
 開いていく扉の向こうに、玉座の間が姿を現していく。
 王都の中心である深い森がそのまま懐を開いたように、樹肌が石造りの壁や柱に絡み合い、移り変わり、荘厳な空間を成している。
 白金と宝石がしとやかに飾られた玉座へと至る道を進み、いくらも離れた場所で跪いて、こうべを垂れた。

「ならぬ」
 かろうじて声が届く距離へ控えて額を下げたまま、玉座から下賜された短い言葉に凍りつく。
 けれどすぐに、ふつふつと身の奥に何かが湧いてきて、指先は凍み付き、血が煮える。
 腹と腕に力を込め、もうすぐにでも震えだしそうな身体をこらえ。
 この国、クリッペンヴァルトはエルフの国であり、国境の守備はエルフの役割だ。経緯いきさつがあって砦の者達が雇われ、担っているとはいえ。
 頭を垂れる前にかすめるように目にした王の姿が、焼き付いたように胸に居座る。
 まだ王が王子であった頃、親を失った己を預かり、設けた養育施設で同じような境遇の子らと共に育てられた。
 多忙の合間を縫っては、自分達の様子を見にたびたび足を運ぶ王子を、自分達は殿下、殿下と呼び、今思えばもったいなくも、ずいぶん親しく懐いていた。
 背まである黄金の髪、思慮深そうな整った顔立ち。永い時間を生きるエルフに特有の、憂いた深碧の瞳は、けれど、いつも優しく微笑みを浮かべ。
 四百数十年の時を経て、今も尚、たとえ短い間にその姿を拝見しても、いつ何時でも懐かしさに胸すら詰まるようで。
 だがふいに今、頭の中に数百年がめまぐるしく巡って捕らえられず、風の渡る草の間に、折れた剣ばかりが横たわる。
「今一度、お願い申し上げます…! アギレオは必要な者です、国軍を一隊、わずかな数でも構いません、お預けいただきたく…!」
「頭を冷やすがよい」
 身の程もわきまえぬと承知の上で食い下がるのに、取り合わぬ声の色が返り、カッと、頭は熱くなり、身ばかりがまた冷えていく。
 何故。何故、何故。
「…ッ! アギレオが、エルフではないからでしょうか…!」
 先に口に出てから、嫌な汗が背を伝う。
 我が国クリッペンヴァルトは、エルフ国としては珍しい、他種族と共存する国だ。それでも、エルフというものはエルフ以外とは交わらぬことが常で、己自身にも、エルフである自分は他の種族と違うという染みついた感覚が未だにある。
 否、国王陛下はそのような方ではない。国軍とて、雇い入れた砦を、だからといって使い捨てにするほど無情な軍ではない。
 だが。
「この国の者ではないから…!?」
 己の言うことは違うと、思いながら、足掻く胸から言葉がまず勝手に出てしまう。
 そうではない。そうではないのだ。
 だが、砦は、アギレオは、自分たちエルフの求めた通り、国境の守備を確かに務めている。
 アギレオは確かに元々この国の者ではない。
「それでも、あれは頭領として国境を守り、」
 砦にはアギレオが必要で、
「――頭を冷やせと言うたぞハルカレンディアッ!!」
 高く開いた石造りの天井まで揺るがし、伸びる樹々の絡まる美しい壁も震わすような、凄まじい声。
 身体の方が、ひとりでに跳び上がったかと思うほど。
 この方に育てられたも同然でありながら、生まれて初めて耳にした怒号に、言葉通り縮み上がり。拳を握り締め、腹に力を入れても、ガタガタと音がしそうなほど、身体が震えて止まらない。
「見捨てろとは言うておらぬ。頭を冷やせと言うたのだ」
 はい、と、答えたつもりの声が出ず、短い息が抜けるばかりで。
 首筋を伝う己の汗が、冷たい。
「――ご、ご無礼を…お許しください…」
 やっと出たと思った声は小さく、震えはまだ止まらない。
「連隊長の任を退き、国境の守備へ下るにあたり、以前と同じに部下の心をまとめられぬと言うたのは誰であったか?」
 王陛下の言葉に、思い出される。
 アギレオ達に敗北し、部下を失い、虜囚の屈辱を受け。だが、その間に彼らを知って、敵である砦を潰すよりも、救うことを選んだのは、己だ。
「私です…」
 無理のように国軍と繋いだ砦へ、己こそが留まるべきだと考えたのは嘘ではない。
 だが、そう決めた時に、そう決めたことを、国の者達は不審に思うだろうと陛下に申し上げた通りのことが、大きな理由であった。
「ベスシャッテテスタルの領域へと踏み入り、たった一人の者を探し出すは、厳しい戦となろう。部下の心をまとめられぬ指揮官の率いる軍は、厳しい戦を勝てるのか?」
「――ッ!!」
 ああ、と。
「…成せませぬ。成したとて、多大な犠牲を…」
 理解されぬと、諦めたのではない。仲間である国軍を襲った野盗であった砦を、理解されるには、時間と実績が必要だと考えた。
 そうしてそれはまだ、なされたとは言えない。
 いつの間にか震えは止まり、叱責を受けたとて当然だと、失意が満ちる。
「何人だ?」
「は、…」
「アギレオを救うために、何人ならエルフが死んでもよいと思うたか?」
 思わなかったことに、けれど、青ざめ、今度は歯の根が合わずカチカチと音を立てる。
 そんな風には考えていなかった。だが、考えてもいなかった己に、総毛立つ。
 歯を食い縛り、身に沁みる。
「──ッ!! …一人、たりとも…ッ」
 頭を冷やさなければ。
おのが手にない武器を求めてはならぬ。必ず勝利を得ようと欲する時こそ、己が手に持つものを武器とするがよい」
 考えに考えたつもりでいた。
 けれど、何も考えられてなどいなかったのだ。
「仰せの通りに…!」
「下がれ」
 ハッ、と。応の声すら短く切り上げ、立ち上がる。
 頭を垂れて踵を返し、けれどまだ、頭の中は真っ白だった。

 そもそも、と。
 厩舎へ向かいながら、完全に我を忘れていたとしかいえない己の浅慮に呆れ果てる。
 数百年も緊張関係にあるとはいえ、クリッペンヴァルトとベスシャッテテスタルは戦争状態ではない。
 そこへ軍を率いて押し入れば、開戦を宣言するようなものだ。
 ベスシャッテテスタルの挑発に乗らないことで保たれてきた非戦を、たった一人の男を取り戻すために打ち壊しにするところだった。
「ハルカレンディア殿」
 ため息などつきながら足を踏み入れる厩舎きゅうしゃで、名を呼ばれて顔を上げる。
「アェウェノール殿」
 騎士隊の厩舎に長く勤める厩番うまやばんだ。
 こちらへ、と、出発を察して案内に先立ってくれる彼の後につき。
「馬を替えておいででしょう。速い馬がいいですね」
 空いている馬を何頭か見繕っておりますので、と、そのまま続けられる話がすぐに理解できず、思わず眉を詰めてしまう。
「…いや。自分の馬で戻ろうと思っている。何故だ?」
 アェウェノールは足を止め、肩越しに己を見てから、改めて身を振り向かせる。じっと見つめられるのに瞬き。
「スリオンはずいぶん疲れているようです。お急ぎでしたら、馬を替えておいでになる方がよいかと」
 懐かしい、と、ふいに感じる。
 自分の方が正しいだろう、と、相手に問いかける時のエルフのニコリとした笑み。アェウェノールから目を外し、辺りを見回してスリオンを探す。
 ああ、…そうだ。
「すまないアェウェノール殿、スリオンはどこにいるだろうか…」
 こちらで休ませています。と、再び踵を返して歩き出すアェウェノールを追い越したいほどの思いで後につき、すぐに見えてくる馬房のひとつへと駆け寄る。
 自分の目的と考えに夢中になるあまり、3晩かかる道のりを、2日で駆けさせてしまったのだ。
 スリオンは由緒も正しく、訓練された軍馬だ。膝を折って寛ぐことなどない。それが足を畳み、寝藁ねわらに身を伸べるようにして休んでいる。
 愛馬の哀れな姿を目にし、膝から崩れてしまいそうな身を、戸柵にすがるようにして支える。
「…すまない、スリオン…。…立つな、立たなくていい…」
 それでも、己の姿を見留めれば、嬉しげに鼻を鳴らして四つ足を立ち上がらせる様が、あまりにも胸苦しい。
 柵から突き出すように押しつけられる鼻先を撫で、抱きしめる首筋に額をすりつけた。
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