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9、対アギレオ
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不遜に片方の口角だけ深く吊り上げ、肩の凝りでも解すよう首を回してこちらを見るアギレオに、眉を上げる。
「そうまでデカい口叩くなら、見せてやらなきゃ嘘だろうがよ、エルフの騎士さんよ」
「驚くほど柄が悪いな、お前」
半ばは感心するほどの心地で言うのに、ブホッと噴き出してから、うるせえと笑うアギレオの前に進み出る。
「この距離では弓というわけにはいかないな。剣を」
既に寛いで座り込み、見学に回っている獣人達を見渡し、ベルから投げて寄越される長剣を宙で受け取る。手に馴染ませ、その姿を覚えるように一振り二振り回転させてから、腰を落として構え。
「お前は? それは便利そうだが、木では切れてしまうぞ」
「はアン?」
獣人達の武器は、今受け取った長剣も、リューなどが持つ短剣も刃がついている。
それを退け続けた木の棒を顎で示すのに、笑みを歪めるようアギレオが片眉を跳ね上げる。
「お前の胴や首が切れなくてちょうどいいだろうよ」
顎をしゃくって挑発する声に、浅く目で頷いてみせ。
「そうか。ありがとう」
ハハッ!と、返る笑い声が、急激に重さを帯びる。
「抜かせッ! ヒョロ長野郎がッ!」
――速い。
棒の先で繰り出される突きを薄皮一枚に躱し、だが突いた先をそのまま上へ引き上げ、瞬く間もなく逆の先が下から抉ってくるのを剣で払いのけ、言葉通り冷や汗が出る。
払った剣を引きつけるように戻しながら、構え直す間を選ばず、そのままアギレオの胴に斬りかかる。
パン!と軽やかな音を立てて剣を打ち払われ、無理な動きにならぬよう、柄から引き寄せ寝かせて構えるように次打を止める。
打ち込んでは払われ、打ち込まれるのを食い止め、互いの崩れる隙を待ち、待つ間も惜しいとばかりに捩じ込むようにして打ち合う。
突きと払いを繰り返す棒術を剣で止め、恐ろしい速さの次打を再び止めるを選ばず、ヒラと身を転じることで丸ごとに躱し、一回転で振り返る流れに乗せる速さで斬り上げてやる。
「クッ!」
スパッ、と、小気味よいほどの音を立て、剣の横腹を叩きそこねた木の棒が真っ二つに切れる。
おお…!と、歓声が上がるのが耳に入り、アギレオのこめかみに青筋が立つ。己を讃える声が聞こえているが、否や。
半分の丈になった棒をそれぞれ両手に握るアギレオから、剣を構えながら一歩距離を取る。
この男は元々二刀流の使い手だ。有利になったとは言い難い。
「思ったよりやるじゃねえか…。こないだの時とは別人に見えるぜ!」
ゴッ!ゴッ!と、敢えて差をつけ上下の外から追い込むような打撃を、払うまでいかず剣で止める音が重い。
アギレオの声が示す通り、初めて出会った時には敵同士だった。弓に比べ劣る己の剣は歯が立たず、打ちのめされたのを忘れるはずがない。
「いいや、」
力尽くで跳ね上げるようにして、止めた木の棒を真上に払いのける。当たる向きに無理がある、抗えばまた棒は切れて丈を短くするだろう。引き上げるアギレオの判断も速い。
己の流れに押し込んだ機を逃さず、踏み込みながら長剣を真横に薙ぎ払う。素早く剣の腹を叩いて払いにくる棒の動きは隙がないが、バランスも悪い。一歩下がったアギレオに、斬り流した刃を戻してまた打ち込みながら、更に一歩踏み込む。
「お前が弱いのだ。私を殺す気がない」
ゴッ…!と、深い音がして、もちろん気を抜いたつもりはない剣撃を重く払いのけられ、ゾッと総毛立って思わず足が下がってしまう。
「いい度胸じゃねえか、トンガリ耳の説教野郎が…ッ!」
立った青筋がこめかみから額に伝い始めているのに、口を引き結ぶ。
それが恋人に言う台詞だろうか。
ザ、というより、ガリッと聞こえるほどに強く地を躙って踏み込む打撃を、剣の半ばで受けて押し上げるよう払う。
上からの打撃の次は下からの打ち上げ、右からくれば次は左、剣を下げさせれば突いてくる。その粗暴さに見合わぬごく堅実な打ち方も、だが、その恐ろしい速さと強さ、切り替えの機転で容易くこちらの余裕を奪う。
一瞬も休まず打ち込まれる棒撃を剣で止め、払い、追い込んでくる顔に次第に愉悦が浮かぶのを見る。叩き落とされ剣ごと身体を下げたと見せかけ、すかさず叩き下ろす次打を際疾くかわして、跳び上がる。
昨夜リューが見せたように、低くなった棒に飛び乗り、だが剣を構える間が惜しい。危うい足場を無理に踏み込み、褐色の顎を狙って垂直に蹴り上げ。
「ガッ!!」
「な…ッ!」
避けられた。掠っただけだ、と、判じる僅かの間に、見えぬ位置で足首を掴まれる感触に、血の気が引いた。
地面に叩きつけられた衝撃に続いて、骨が軋むような強い痛みが胸の中央。
「カハッ…!」
息が止まる。
何がどうしたか一瞬理解できず、目が泳ぐ。夕暮れの空を背にアギレオを見上げ、息を妨げる胸を見下ろし、胸の中央に突き下ろされた木の棒を見つける。抗うように大きく息を吸って吐き。
「――参った」
足首を掴んで地面に叩きつけられたようだ。
肩を打ったかもしれない。左手が上がらず、右手だけを上げて降参し。
「加減が遅れた。骨イッたか?」
ドォと沸くような歓声の中、差し出されるアギレオの手を借りて、まだ少し咽せながら立ち上がる。主な痛みは胸と肩か、少し動かして様子を窺い。
「いや、折れてはいないだろう。音がしなかった」
「慣れてんな。肩はどうだ、腕が上がらねえのか」
「ハル…!」
悪くて捻挫だろうと頷くところへ、掛けられた声に振り返り、駆け寄ってくるダイナに目を留める。
「ちょっと…! 大丈夫なの?」
「もちろん。砦の頭領も猛獣ではない、手加減してくれている」
「十分猛獣だよ! もう…、また、どうしたらいいか分かんなくなっちまったよ」
眉を下げながらも、すごかったね、と賞賛してくれるのに、ありがとうと頬を緩め。
「こいつみてえに、敵わねえ相手に勝ちを取りにいくのは悪手だってこった。夜の連中のが粘ってただろう。だから、誰か一人強くなくてもお前らみんなに動けるようになってもらいてえのさ」
悪手の例として挙げられるのに眉を上げながらも、うんうんと頷きを重ねてアギレオの話を聞くダイナの様子に眦を和らげる。
「あんた…勇敢なんだね…」
振り返り、眉を下げるダイナに、こちらでは眉を上げ、それから笑ってみせる。
「そうでもない。私はエルフだ、ここの誰より長く生きている」
そっか、と息を抜くダイナに頷いて。
「なんの話だ?」
行こうぜ、と、アギレオに促され、夜の食事の支度も終わるころだろう、食堂へと足を向ける。灯りの点り始める砦を歩きながら、勇敢なやつは先に死ぬって話、とダイナがかいつまんで説明しているのに、隣で相槌を打つ。
なるほど、と、けれど笑い飛ばすような声で言うアギレオを、ダイナと二人で見上げてしまう。
「弱えやつが死ぬのさ。だからこうして、砦ん中の弱えとこを埋めてんだ」
嘘ではないな、とやはり相槌を打つところで、給仕の手伝いに向かおうと早足になるダイナと、マイペースに食堂に向かうアギレオから離れて川へと足を向ける。
「ン? 飯食わねえのか、ハル」
声に足を止めて振り返り、開いた距離に見えるに足るよう、上がらなくなった左腕をけれど半ばまで上げてみせ。
「すぐに向かう。まず冷やしておいた方がよさそうだ」
ああ、と受け取る声に頷いて返し。
「おかしいなら見せろよ。後でレビに何かもらってってやる」
大丈夫だ、と気遣いに礼を添えてから、川へと歩き出した。
ひどくまずい感触というわけでもない、しばらく冷やしておけば差し支えないだろう。
川辺に膝をつき、手拭きを水にさらして絞ってから、上を脱ぐ。改めて胸と肩に触れ、動かしてみても、考えた通り打ち身と捻挫でしかなさそうだ。
おおまかな熱が取れるまで風に当たろうと、濡れた布を肩に当てて手近の岩に腰を下ろす。
砦のほぼ中央である食堂近くのこの場所で、天を見上げれば、視界を遮る木々は遠く、空に撒いたような無数の星が輝いている。
考えることも思うところもやたらにあるような頭に、蓋をして休めるよう一度瞼を閉じ。
もう一度目を開いて、春先にぬるみ始めの風よりまだ高く、変わらず瞬く星を映した。
美しいものを、ただ美しいと感じるだけのものでありたい。
捻った肩の熱が取れるまで暫しの間、そうして木偶のように空を見上げて過ごした。
皆でそれぞれ取り分ける大皿から肉ばかり並べて平らげるのも、そろそろ終わりの頃か、食べるペースを落としてエールを飲み飲み寛いでいるアギレオの隣に腰を下ろす。
「どうだよ?」
「ああ、問題ない」
片眉を跳ね上げ窺うアギレオに頷き、己は己で野菜ばかりを皿に取り、エールをもらってのんびりと腹を満たす。
アギレオに挑んでいた“早起き”な顔ぶれだけでなく、日が落ちて目を覚ました獣人達と、一日を終える人間達が集まる食堂は賑やかで、時折その光景に目を留めて眦を緩める。
「なあ、ハル」
声を掛けられて目を上げれば、アギレオと逆隣の男が席を立ったところへ、こちらも肉料理ばかりの皿を持ったリーが腰掛け。うん?と首を傾げる。
「アギレオとやり合ったんだって?」
食い入る、というのに近い、愉しげな眼差しの理由を理解して、ああ、と笑う。
「やり合ったというか、仕合いというべきか、組み手か。剣の稽古に付き合ってくれた」
「もう少しで倒せるとこだったって?」
「なわけねえだろ」
早い。
口を開く間もないほどすかさずアギレオが訂正するのに、思わず振り返ってしまう。また少し笑いながら、リーへと振り向きなおし。
「参ったと言わせるには、もう少し作戦を練った方がよさそうだ」
ヘッ!と盛大に鼻で笑うアギレオをよそにして、うんうんと頷きを重ねるリーに、肩を竦めてみせ。
「ああ、見たかったな。起こしてくれればよかったのになあ」
心から口惜しそうに言うのが珍しく思え、彼を見る目を思わず丸くしてしまう。
「そうか。…だが、」
エールのカップを口に運びながら、少し首を捻る。
「難しいな。アギレオの手が空くなら、私ではなく他の者に腕をつけてもらいたいし…」
次、という機も惜しく感じてしまう。そうだ、と目を上げて琥珀色の瞳を見つめ。
「リー自身がアギレオに挑むのが一番いいのではないか? 獣人達はみな達者だが、やはりリーは飛び抜けているように思う」
なんということのない、誰でも考えつきそうな案だと思うのだが。当のリーが、「…いや…俺は…」などと口ごもり、ごまかすよう料理を口に運びながら目を逸らしてしまうのに、首を傾げた。
「そうまでデカい口叩くなら、見せてやらなきゃ嘘だろうがよ、エルフの騎士さんよ」
「驚くほど柄が悪いな、お前」
半ばは感心するほどの心地で言うのに、ブホッと噴き出してから、うるせえと笑うアギレオの前に進み出る。
「この距離では弓というわけにはいかないな。剣を」
既に寛いで座り込み、見学に回っている獣人達を見渡し、ベルから投げて寄越される長剣を宙で受け取る。手に馴染ませ、その姿を覚えるように一振り二振り回転させてから、腰を落として構え。
「お前は? それは便利そうだが、木では切れてしまうぞ」
「はアン?」
獣人達の武器は、今受け取った長剣も、リューなどが持つ短剣も刃がついている。
それを退け続けた木の棒を顎で示すのに、笑みを歪めるようアギレオが片眉を跳ね上げる。
「お前の胴や首が切れなくてちょうどいいだろうよ」
顎をしゃくって挑発する声に、浅く目で頷いてみせ。
「そうか。ありがとう」
ハハッ!と、返る笑い声が、急激に重さを帯びる。
「抜かせッ! ヒョロ長野郎がッ!」
――速い。
棒の先で繰り出される突きを薄皮一枚に躱し、だが突いた先をそのまま上へ引き上げ、瞬く間もなく逆の先が下から抉ってくるのを剣で払いのけ、言葉通り冷や汗が出る。
払った剣を引きつけるように戻しながら、構え直す間を選ばず、そのままアギレオの胴に斬りかかる。
パン!と軽やかな音を立てて剣を打ち払われ、無理な動きにならぬよう、柄から引き寄せ寝かせて構えるように次打を止める。
打ち込んでは払われ、打ち込まれるのを食い止め、互いの崩れる隙を待ち、待つ間も惜しいとばかりに捩じ込むようにして打ち合う。
突きと払いを繰り返す棒術を剣で止め、恐ろしい速さの次打を再び止めるを選ばず、ヒラと身を転じることで丸ごとに躱し、一回転で振り返る流れに乗せる速さで斬り上げてやる。
「クッ!」
スパッ、と、小気味よいほどの音を立て、剣の横腹を叩きそこねた木の棒が真っ二つに切れる。
おお…!と、歓声が上がるのが耳に入り、アギレオのこめかみに青筋が立つ。己を讃える声が聞こえているが、否や。
半分の丈になった棒をそれぞれ両手に握るアギレオから、剣を構えながら一歩距離を取る。
この男は元々二刀流の使い手だ。有利になったとは言い難い。
「思ったよりやるじゃねえか…。こないだの時とは別人に見えるぜ!」
ゴッ!ゴッ!と、敢えて差をつけ上下の外から追い込むような打撃を、払うまでいかず剣で止める音が重い。
アギレオの声が示す通り、初めて出会った時には敵同士だった。弓に比べ劣る己の剣は歯が立たず、打ちのめされたのを忘れるはずがない。
「いいや、」
力尽くで跳ね上げるようにして、止めた木の棒を真上に払いのける。当たる向きに無理がある、抗えばまた棒は切れて丈を短くするだろう。引き上げるアギレオの判断も速い。
己の流れに押し込んだ機を逃さず、踏み込みながら長剣を真横に薙ぎ払う。素早く剣の腹を叩いて払いにくる棒の動きは隙がないが、バランスも悪い。一歩下がったアギレオに、斬り流した刃を戻してまた打ち込みながら、更に一歩踏み込む。
「お前が弱いのだ。私を殺す気がない」
ゴッ…!と、深い音がして、もちろん気を抜いたつもりはない剣撃を重く払いのけられ、ゾッと総毛立って思わず足が下がってしまう。
「いい度胸じゃねえか、トンガリ耳の説教野郎が…ッ!」
立った青筋がこめかみから額に伝い始めているのに、口を引き結ぶ。
それが恋人に言う台詞だろうか。
ザ、というより、ガリッと聞こえるほどに強く地を躙って踏み込む打撃を、剣の半ばで受けて押し上げるよう払う。
上からの打撃の次は下からの打ち上げ、右からくれば次は左、剣を下げさせれば突いてくる。その粗暴さに見合わぬごく堅実な打ち方も、だが、その恐ろしい速さと強さ、切り替えの機転で容易くこちらの余裕を奪う。
一瞬も休まず打ち込まれる棒撃を剣で止め、払い、追い込んでくる顔に次第に愉悦が浮かぶのを見る。叩き落とされ剣ごと身体を下げたと見せかけ、すかさず叩き下ろす次打を際疾くかわして、跳び上がる。
昨夜リューが見せたように、低くなった棒に飛び乗り、だが剣を構える間が惜しい。危うい足場を無理に踏み込み、褐色の顎を狙って垂直に蹴り上げ。
「ガッ!!」
「な…ッ!」
避けられた。掠っただけだ、と、判じる僅かの間に、見えぬ位置で足首を掴まれる感触に、血の気が引いた。
地面に叩きつけられた衝撃に続いて、骨が軋むような強い痛みが胸の中央。
「カハッ…!」
息が止まる。
何がどうしたか一瞬理解できず、目が泳ぐ。夕暮れの空を背にアギレオを見上げ、息を妨げる胸を見下ろし、胸の中央に突き下ろされた木の棒を見つける。抗うように大きく息を吸って吐き。
「――参った」
足首を掴んで地面に叩きつけられたようだ。
肩を打ったかもしれない。左手が上がらず、右手だけを上げて降参し。
「加減が遅れた。骨イッたか?」
ドォと沸くような歓声の中、差し出されるアギレオの手を借りて、まだ少し咽せながら立ち上がる。主な痛みは胸と肩か、少し動かして様子を窺い。
「いや、折れてはいないだろう。音がしなかった」
「慣れてんな。肩はどうだ、腕が上がらねえのか」
「ハル…!」
悪くて捻挫だろうと頷くところへ、掛けられた声に振り返り、駆け寄ってくるダイナに目を留める。
「ちょっと…! 大丈夫なの?」
「もちろん。砦の頭領も猛獣ではない、手加減してくれている」
「十分猛獣だよ! もう…、また、どうしたらいいか分かんなくなっちまったよ」
眉を下げながらも、すごかったね、と賞賛してくれるのに、ありがとうと頬を緩め。
「こいつみてえに、敵わねえ相手に勝ちを取りにいくのは悪手だってこった。夜の連中のが粘ってただろう。だから、誰か一人強くなくてもお前らみんなに動けるようになってもらいてえのさ」
悪手の例として挙げられるのに眉を上げながらも、うんうんと頷きを重ねてアギレオの話を聞くダイナの様子に眦を和らげる。
「あんた…勇敢なんだね…」
振り返り、眉を下げるダイナに、こちらでは眉を上げ、それから笑ってみせる。
「そうでもない。私はエルフだ、ここの誰より長く生きている」
そっか、と息を抜くダイナに頷いて。
「なんの話だ?」
行こうぜ、と、アギレオに促され、夜の食事の支度も終わるころだろう、食堂へと足を向ける。灯りの点り始める砦を歩きながら、勇敢なやつは先に死ぬって話、とダイナがかいつまんで説明しているのに、隣で相槌を打つ。
なるほど、と、けれど笑い飛ばすような声で言うアギレオを、ダイナと二人で見上げてしまう。
「弱えやつが死ぬのさ。だからこうして、砦ん中の弱えとこを埋めてんだ」
嘘ではないな、とやはり相槌を打つところで、給仕の手伝いに向かおうと早足になるダイナと、マイペースに食堂に向かうアギレオから離れて川へと足を向ける。
「ン? 飯食わねえのか、ハル」
声に足を止めて振り返り、開いた距離に見えるに足るよう、上がらなくなった左腕をけれど半ばまで上げてみせ。
「すぐに向かう。まず冷やしておいた方がよさそうだ」
ああ、と受け取る声に頷いて返し。
「おかしいなら見せろよ。後でレビに何かもらってってやる」
大丈夫だ、と気遣いに礼を添えてから、川へと歩き出した。
ひどくまずい感触というわけでもない、しばらく冷やしておけば差し支えないだろう。
川辺に膝をつき、手拭きを水にさらして絞ってから、上を脱ぐ。改めて胸と肩に触れ、動かしてみても、考えた通り打ち身と捻挫でしかなさそうだ。
おおまかな熱が取れるまで風に当たろうと、濡れた布を肩に当てて手近の岩に腰を下ろす。
砦のほぼ中央である食堂近くのこの場所で、天を見上げれば、視界を遮る木々は遠く、空に撒いたような無数の星が輝いている。
考えることも思うところもやたらにあるような頭に、蓋をして休めるよう一度瞼を閉じ。
もう一度目を開いて、春先にぬるみ始めの風よりまだ高く、変わらず瞬く星を映した。
美しいものを、ただ美しいと感じるだけのものでありたい。
捻った肩の熱が取れるまで暫しの間、そうして木偶のように空を見上げて過ごした。
皆でそれぞれ取り分ける大皿から肉ばかり並べて平らげるのも、そろそろ終わりの頃か、食べるペースを落としてエールを飲み飲み寛いでいるアギレオの隣に腰を下ろす。
「どうだよ?」
「ああ、問題ない」
片眉を跳ね上げ窺うアギレオに頷き、己は己で野菜ばかりを皿に取り、エールをもらってのんびりと腹を満たす。
アギレオに挑んでいた“早起き”な顔ぶれだけでなく、日が落ちて目を覚ました獣人達と、一日を終える人間達が集まる食堂は賑やかで、時折その光景に目を留めて眦を緩める。
「なあ、ハル」
声を掛けられて目を上げれば、アギレオと逆隣の男が席を立ったところへ、こちらも肉料理ばかりの皿を持ったリーが腰掛け。うん?と首を傾げる。
「アギレオとやり合ったんだって?」
食い入る、というのに近い、愉しげな眼差しの理由を理解して、ああ、と笑う。
「やり合ったというか、仕合いというべきか、組み手か。剣の稽古に付き合ってくれた」
「もう少しで倒せるとこだったって?」
「なわけねえだろ」
早い。
口を開く間もないほどすかさずアギレオが訂正するのに、思わず振り返ってしまう。また少し笑いながら、リーへと振り向きなおし。
「参ったと言わせるには、もう少し作戦を練った方がよさそうだ」
ヘッ!と盛大に鼻で笑うアギレオをよそにして、うんうんと頷きを重ねるリーに、肩を竦めてみせ。
「ああ、見たかったな。起こしてくれればよかったのになあ」
心から口惜しそうに言うのが珍しく思え、彼を見る目を思わず丸くしてしまう。
「そうか。…だが、」
エールのカップを口に運びながら、少し首を捻る。
「難しいな。アギレオの手が空くなら、私ではなく他の者に腕をつけてもらいたいし…」
次、という機も惜しく感じてしまう。そうだ、と目を上げて琥珀色の瞳を見つめ。
「リー自身がアギレオに挑むのが一番いいのではないか? 獣人達はみな達者だが、やはりリーは飛び抜けているように思う」
なんということのない、誰でも考えつきそうな案だと思うのだが。当のリーが、「…いや…俺は…」などと口ごもり、ごまかすよう料理を口に運びながら目を逸らしてしまうのに、首を傾げた。
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