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第二章・激闘

第30話 大岩くずれ

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 遠州(遠江)の西端には浜名湖があり、さらに西へ行くと三河へ入って吉田(豊橋)となる。そしてすぐに豊川の流れに行きあたり、その川を渡れば豊川稲荷のある豊川の地である。三河湾が近くにあり、そこへそそぐ豊川河口の近くに平井がある。
 勝蔵たちは今、その平井の雲風亀吉の屋敷にいる。天竜川の対決から逃亡してここへやってきたのだ。
「すまねえ。またしばらくやっかいになる。平井の兄弟」
「ああ。遠慮せず、ゆっくりしていってくれ、黒駒の兄弟。それで、話は聞いたぜ。天竜川では残念だったなあ」
「まさか奴らがヤクザ同士のケンカに役人を引っ張り出して来るとは思わなかった。いや、そこまで考えが及ばなかった俺が甘かった。笑ってやってくれ、兄弟」
「お上の威光を盾に相手のヤクザを潰そうとするなんざ、いかにも次郎長が考えそうなやり口だ。ずる賢い野郎だからな。あいつは」
「しかし世話になりに来た俺が言うのも変だが、俺たちをかくまうと、兄弟の迷惑にならないか?」
「心配無用だ。ここは三河だ。いくら次郎長が“御用”を振りかざしても国境くにざかいを越えてまで追いかけてはこないだろうさ」
「ただ、同じ三河の寺津にいる間之助は次郎長の兄弟分だろう?あいつが何かちょっかいを出してこないだろうか?」
「なあに、間之助ごとき何でもねえよ。あんなのは俺の敵じゃねえ。ところで、また変な噂を聞いたぜ。天竜川での騒動の後、黒駒一家の連中が逃げる途中、掛川宿で女郎をかっさらっていった、という噂だ」
「何だって?そんなバカな事がある訳ねえだろう。掛川は天竜川の東側だ。わざわざ敵地へ飛び込んでまでして、なぜ俺たちがそんな逆方向へ行かなくちゃならねえんだ」
「そうだよなあ。俺もその話を聞いて変だと思ったんだ。どうせまた、次郎長あたりがそんな噂を吹聴してるんだろうぜ」

 この平井の亀吉屋敷で世話になっているのは勝蔵の他、大岩(岩五郎)、小岩(岩吉)、綱五郎、猪之吉、治郎吉、要次郎、豊五郎の子分七人だ。
 前回、天竜川の対決のために再結集した子分たちは再び各地へ散って行った。この七人だけが勝蔵の側近として残ったのだ。あと、甲州の戸倉には玉五郎たち数人が留まっているが、彼らは甲州での拠点の確保と、祐天、三蔵、犬上の動静を調べるために甲州から動くことができない。

 亀吉屋敷の二階の一室では、勝蔵の子分たちが暇を持て余しながらゴロゴロとたむろっている。
「せっかく元の一家のかたちに戻ったと喜んでいたのに、また皆バラバラになっちまいましたね」
 と猪之吉が大岩に言った。
「ああ。ようやく一家が元の姿に戻って、今度こそ甲州へ帰れると思っていたのにな」
「俺たちはいつになったら甲州へ帰れるんでしょうねえ……」
「何いってやがる。お前は去年、一度帰ってるじゃねえか。俺なんか二年前に逃げ出してから一度も帰ってねえんだぞ」
「でも、戻ったっていったって、ちょっとの間しかいなかったですよ。しかもたった一回だけ……」
「ぜいたく言うんじゃねえ。俺や小岩だって一度ぐらい帰りてえんだ。小岩は無口だから口では何も言わないけどな。それにしても、玉五郎たちは達者でやってるかなあ」
「去年帰った時に会ったら、昔と全然変わってませんでしたけどね」
「やはりめしと女は体に馴染んだのが一番だな。早く甲州へ帰って、飯や女を堪能したいものだぜ」
「ハハハ、甲州のめしと女ですか」
「猪之吉は甲州の女が恋しくないのか?」
「別に……、そんな相手もいませんし」
「あのな、猪之吉よ。前から気になってたんだが……、お前、ひょっとして武藤家のお八重殿に惚れているんじゃねえのか?」
「バ、バカなことを言わないでくださいよ、大岩の兄貴。お八重ちゃん……、いや、お八重殿は親分の女ですよ。そんな女に俺が惚れるわけないでしょ?」
「お八重殿が勝蔵親分の女ねえ……。お前も、本当にそう思っているのか?」
「ええ、そりゃもう。俺は二人のことをずっと身近で見てきてるんで、それは疑いありません」
「ふふん。お前はまだガキだから分からねえだろうがな。男と女のことは、そんな単純なものじゃねえよ」
「もう二十半ばの男をつかまえてガキはないでしょ、ガキは。で、兄貴は何が言いたいんですか?」
「俺は、お八重殿は親分の女にはならないと思うぜ」
「そんなこと、信じられないなあ。でも、なぜ、そう思うんですか?」
「親分を見ていれば分かることだ。まあ、いずれお前にも分かる日が来るさ……」
「……?」
 猪之吉には大岩の言っている意味が理解できなかった。



 そうこうしているうちに月が変わって六月となった。
 そしてやはり、次郎長が三河まで勝蔵を追いかけて来た。むろん、遠州中泉代官の御用、という名目で勝蔵を捕まえに来たのだ。
 豊川に沿って内陸へ北上していくと四、五里ぐらいで新城しんしろという静かな町に着く。そこに中山の四馬蔵しまぞうというよわい七十近い老博徒がいる。四馬蔵は雲風亀吉の親分筋にあたる。今は年老いて亀吉ほどの押し出しはないが三河ではそれなりに影響力を持っている人物だ。
 この日、次郎長は大政・小政たち二十数人の子分を率いて四馬蔵の屋敷へ乗り込んできた。
 中泉代官の御用という後ろ盾があり、しかも武闘派集団として鳴らしている次郎長一家に乗り込まれては、年老いた四馬蔵がそれに歯向かえるはずもない。
 そこで次郎長は四馬蔵に言い放った。
 おそらく黒駒勝蔵をかくまっているであろうお前さんの子分雲風亀吉と、ひょっとすると事を構えることになるかも知れないが、お前さんは手を出すな。黙って見ていろ。もし手を出したらお前さんもただでは済まないぜ。
 こんな風に言って次郎長は四馬蔵を脅した。
 四馬蔵としては否も応もなく、次郎長に言われるがまま受け入れるしかなかった。
 そして次郎長たちは新城を去って、三河西部の寺津へ向かった。
 このことを受けて次郎長が亀吉や勝蔵と抗争することを恐れた四馬蔵は、次郎長と縁続きの御油ごゆの玉吉という男に両者の仲立ちをするよう頼んだ。ちなみに御油は東海道五十三次の一つで、豊川の少し北西にある宿場である。

 三河の男として、この三河で物騒な事件が起こっては大変だ、と玉吉も心配し、さっそく寺津へ行って次郎長に掛け合った。
「清水の貸し元。この辺の堅気衆も、三河で何か物騒な出入りが起きるんじゃねえか、とおびえております。ここは一つ、黒駒勝蔵と仲直りをしていただけませんでしょうか」
「おう。玉吉じゃねえか。誰に頼まれてやって来たんだ?」
「いえ。あっしが自分から言い出したことでござんす。有名な清水と黒駒のお二方ふたかた仲人ちゅうにんを立派につとめることができれば、あっしの貫禄もずいぶんと上がるに違えねえと思って言い出したことなんで」
「そうか。それで、お前は勝蔵がどこにいるか知っているのか?」
「それを知らねえんじゃ仲人はつとまらねえんでござんす。もちろん知っております」
「なるほど」
 といって次郎長は長脇差を抜き、玉吉の目の前に突きつけた。
「玉吉!勝蔵の居場所を言え。親戚だからって容赦はしねえ。勝蔵の居場所を言わねえと命はねえぞ!」
「貸し元。ふざけた事を言っちゃあ困るぜ。こんな危ない話の仲人になろうっていうんだ。こっちだってハナから命はねえと覚悟してらあ。斬れるもんなら斬ってくれ!ただし玉吉の骨には南蛮鉄が入ってるぜ!」
 こうして玉吉がタンカを切ると、次郎長はニヤッと笑みを浮かべて長脇差を鞘へ収めた。
「ふっふ。玉吉よ、許せ。お前の度胸を試してみたんだ。もしお前が勝蔵のところで同じことをされて、お前が俺の居場所を勝蔵に教えないとも限らねえからな。お前の覚悟を聞いて安心したよ。分かった。お前なら仲人にうってつけだ。すべてお前に任せよう」
「これは貸し元。まことにありがとう存じます。それでは、これからさっそく黒駒の貸し元のところへ行ってまいります」
「まて、玉吉。その前に一つやってもらいたいことがある。これをやらないと勝蔵との仲直りはできねえ」
「へえ。あっしは一体何をすればよろしいんで?」
「勝蔵のことは俺一人で決められることじゃない。これは大和田の友蔵親分から頼まれた仕事だ。それで友蔵親分の了承を取ってきてもらいたい。ただし、三日間の日限に間に合わなかったら、この話は無しだ」
 そう言われると玉吉は、さっそく遠州の大和田へ向かって出発した。

 このやり取りを脇で見ていた寺津の間之助が次郎長に質問した。
「いいのかい?あんな約束をしてしまって。どうせお前さんは、何があっても勝蔵の首を取るつもりなんだろう?」
「いいんだよ。大和田は遠い。三日で行って戻って来るのは、鳥のように空でも飛ばない限り無理だ。それに今、友蔵親分は不在のはずだから会えないに決まっている。おそらく玉吉をここへ寄こしたのは四馬蔵のしわざだろう。奴らに『ひょっとすると仲介が上手くいくかも知れない』と思わせておけば、こちらにとっては都合が良い」
「なるほど。じゃあ、当初の予定通り、六月五日に平井の亀吉宅を襲撃するんだな?」
「ああ。勝蔵が逃げ込むとすれば亀吉のところしか考えられない。問題は襲撃する時に勝蔵がいるかどうかだった。だが、ああやって玉吉が来てくれたおかげで、今、勝蔵は間違いなく平井にいる、ということが分かった。あいつは勝蔵にも聞きに行くと言っていたからな」
「しかし、我々が大挙して平井へ攻め込んだら、向こうへ着く前に亀吉たちも守りを固めるだろう。ひょっとしたら勝蔵を他へ移すかもしれないぜ?」
「ふっふ。敵に奇襲をかけるのは、海から攻めるのが一番よ。おい、寺津の兄弟。お前さんの兄弟分の斧八おのはち形原かたはらの人だろう。形原の浜から三河湾をひとまたぎして豊川の前芝に上陸すれば、平井は目と鼻の先だ。うまく敵の意表を突けるだろう」
「そりゃあ良い。それならきっとうまくいく。斧八や吉良の仁吉にきちにもその旨、知らせておこう」
 それから次郎長たちは襲撃の際に使用する二丈(約六メートル)はあろうかという長槍を二十本用意して当日に備えた。



 その日、勝蔵と亀吉は朝に平井の家を出て、新城の四馬蔵の屋敷へ向かった。
 特にこれといった用事がある訳ではない。前から亀吉が久しぶりのあいさつに行くと決めてあったので、それに勝蔵が同伴したのだ。
 昼前には四馬蔵のところに着き、一通りのあいさつを済ませたあと四馬蔵が、
「ついこの前、ここへ次郎長が来た」
 という話をしはじめた。
 次郎長の名前を聞いては勝蔵も、その話に食いつかざるをえない。
「次郎長は何と言ってここへやって来たんですか?」
「どうやら次郎長はお前さんを探していたようだ。ひょっとすると亀吉と事を構えるかも知れないなどと物騒なことも言っていた。ワシもちょうどそっちへ伝えに行こうと思っていたところだったが、これで手間が省けて助かったよ」
「やはりお上の御用ごようづらしてましたか、次郎長は?」
「ああ、大勢の子分を引き連れて、偉そうに威張っていた。それで、差し出がましいかもしれないが、この三河で何か大事おおごとが起きてはまずいと思って、御油の玉吉に次郎長とお前たちとの仲立ちを頼んだ。四日前に玉吉から知らせがあって、三日のうちに大和田の友蔵から了承をもらえれば次郎長は和議に応じると言っていたそうだ」
(勝手なことをしてくれる)
 と勝蔵は内心思った。
 が、正直なところ、今の自分の立場からすれば周囲の人間がそのように配慮するのも無理はないだろう、という忸怩じくじたる思いもある。
 冷静に考えて、今の自分は次郎長の風下に立っている。お上の威光を振りかざし、戦力も豊富にそろえている次郎長に対して、今の自分はあまりにも劣勢だ。この状態で次郎長が和議に応じてくるのなら、こちらにとっては悪い話ではない。
 だが、あのずる賢い次郎長がそんな話に乗るはずがない。もし乗るとすれば、何か罠があるに決まっている。だからどのみち、この話は成るわけがない。と勝蔵は思った。

「では親分。玉吉がまだ戻って来てないということは、友蔵からの了承は得られなかったということですか?」
 と亀吉が四馬蔵に尋ねた。
「まあ、そういう事になるかな……。いや。だからといって、すぐに次郎長が何かをするという訳でもないだろうが……」
 と四馬蔵は答えた。
(何か嫌な予感がする……)
 勝蔵は少し心配になった。

 その頃、次郎長たちは豊川河口付近の前芝に上陸を終えて、平井へ向かっているところだった。
 この日の朝、次郎長たちは形原(現、名鉄蒲郡がまごおり線の形原駅の辺り)の浜から漁船に乗り込み、三河湾を東へ向かった。
 総勢四十五人。大政・小政たち次郎長子飼いの連中はもちろんのこと、寺津の間之助、形原の斧八、吉良の仁吉などの三河勢も加わった。二丈の長槍二十本と、さらに火縄銃も数丁持ってきている。
 前芝の浜から平井の亀吉屋敷までおよそ半里(約ニキロ)。昼前には到着し、次郎長たちは亀吉の屋敷を包囲した。

 屋敷の二階にいた大岩や猪之吉も、ようやくこの異変に気づいた。
 屋敷内にいるのは黒駒一家の子分たち七人と、雲風一家の子分たち同じく七人。数の上では、いや、装備も含めて数の上でも、明らかに劣勢だ。建物の中にいる、という地の利をいかして戦うしかない。
「猪之吉!お前はすぐにここを脱出しろ。そして急いで新城へ行って、親分たちにこの事を知らせろ」
 と大岩が言った。
「何を言ってるんですか!俺だけ戦わずに逃げるなんて、できるわけないでしょ!」
「バカ!逃げるんじゃねえ。敵の包囲を突破しろ、と言ってるんだ。早く親分たちに知らせて援軍を送ってもらわないと、本当に俺たちは全滅するぞ。この中ではお前が一番足が速いから、お前に頼むんだ」
「うう……」
「迷ってるヒマはねえ。俺が表玄関で敵を引きつけておく。そのスキにお前は裏から飛び出ろ。いいか?行くぞ」
 と言うと大岩は表玄関の方へ向かった。
 途端に次郎長側が発射した鉄砲の音が二つ、三つ聞こえた。大岩の体の近くに着弾しているようだった。
 こうなったら猪之吉も行くしかなかった。
 敵の少なそうなところを見極め、二階から飛び降りた。
 上手く着地して、それからすかさず走り出す。
 そこへ敵が長槍を持って駆けつけて来たが、突きがくり出される寸前に素早くあいだを走り抜け、猪之吉は包囲網を突破した。
 あとは五里(約二十キロ)先の新城を目指して息のつづく限り疾走した。

 その間、屋敷では凄惨な戦いが展開された。
 黒駒一家と雲風一家の子分たちは全員、二階へ上がった。そして梯子はしごを外し、次郎長側が登ってこれないようにした。鉄砲は一丁だけあったがとっさの事だったので弾や火薬をあまり用意できず、大して役に立たなかった。あとは周りにある物を何でもかんでも手当たり次第、階下へ投げつけた。
 一方の次郎長側は、畳を使って防御壁にしたり、畳を積み上げて階段代わりにしようとした。そして何といっても、大量の長槍と数丁の鉄砲が物を言った。これらを使って離れたところから次郎長側は、やりたい放題に攻撃した。
 室内の大岩たちは基本的に長脇差しかまともな武器がない。が、これでは敵のところまで届かない。そのうえ多勢に無勢だ。じりじりと敵に押され、室内の男たちは一人、また一人と討ち取られていった。

 昼八つ(午後二時)前、息を切らして大汗をかいた猪之吉が新城の四馬蔵の屋敷に着いた。
「ハア、ハア、ハア……。た、た、大変だ、親分!敵が平井の屋敷に攻めて来た……!」
 猪之吉から話を聞いた勝蔵と亀吉は、驚いているヒマもなく、ただちに四馬蔵の屋敷を発って平井へ急行した。その後を、猪之吉はふらふらによろけながらついて行った。

 夕七つ(午後四時)過ぎ、三人が息を切らしながら屋敷へ戻って来ると次郎長たちはすでに引きあげた後だった。
 街路のそこらじゅうで人々がガヤガヤと騒いでおり、遠巻きながら亀吉屋敷を眺めている野次馬も結構いる。
 三人が屋敷の敷地内へ入ると畳や雨戸、障子、それにいろんな木片やガラクタが散らばっていた。血の跡がついているところも多々目についた。建物全体もボロボロになり、柱も何ヶ所か傷だらけになっている。
 庭の一角に十数人の男たちが集まっているのを見かけたので行ってみると、この周辺に住む亀吉の息がかかった子分や知人たちが、騒ぎを聞いて少しずつバラバラに駆けつけて来たということだった。そしてその脇には、次郎長たちとの戦いで負傷した子分たちが座り込んでいる。

 さらにそのすぐ近くに、むしろをかけた五人の遺体が横たわっていた。
 五人とも首がなかった。しかも遺体は傷だらけで、見るにたえない状態だ。
 誰が誰だか分からない。
 が、一つは着ている服と、そのバカでかい体で、すぐに大岩と分かった。

 勝蔵と猪之吉は大岩の体を前にしてがっくりと腰を落とし、ボロボロと涙を流した。
 他の四名の遺体は勝蔵子分の治郎吉と、亀吉子分の種吉、勘重、松太郎ということが判明した。
 生き残った者で傷を負っていない者は一人もいなかった。
 綱五郎も肩と足に傷を負って包帯を巻いている。それで小岩の姿が見当たらないので勝蔵が綱五郎に聞いてみると、どこへ行ったのか自分も分からない、ということだった。
 これ以降、小岩の行方はようとして知れなかった。
 一説によると小岩は出家して托鉢たくはつ僧になったという。親友の大岩の死をいたんでのことか、それともつくづく博徒稼業に嫌気がさしたか、その理由は定かではないが、以後、小岩こと岩吉は、二度と勝蔵たちの前に姿を現すことはなかった。

 この襲撃の際、次郎長側に死者は出なかった。負傷者は数名出たが重傷者はいない。
 次郎長の完勝である。
 入念に準備をした上で奇襲を成功させた。
 勝蔵・亀吉側としては、突然、嵐のように敵がやって来てやりたい放題やられた末に、嵐のように去って行かれた格好だ。
 次郎長たちは襲撃後、近所の神社へ行って高い木製の祭壇を組み立て、そこへ討ち取った大岩たちの首を置いてさらし首にした。
 そして集まっていた村人たちに、
「中泉代官様の御用として、この悪党たちを討ち取ったのだ!」
 と次郎長は叫んだ。そしてそれから帰途についた。来た時の道をそのまま戻って前芝の浜で船に乗り込み、形原へと帰って行った。

 このあと勝蔵と亀吉は大岩たち五人の首を取り戻し、遺体と一緒に亀吉が懇意にしている寺で丁重に葬った。現在、豊川市平井町に「無縁法界の墓」として彼ら五人の墓が建っている。

 ちなみに中泉代官としては次郎長や友蔵に、
「勝蔵一味が当国(遠州)にいる場合は追討しても構わないが、他国へ去ってしまえばそれ以上追う必要はない」
 と通達した。
 将軍家茂が京都から江戸へ戻る際、東海道で不慮の事故があっては大変なので中泉代官は次郎長たちに勝蔵の追討を命じたのだが、家茂は六月九日に京都を出発して大坂へ行き、大坂から船に乗って六月十六日に江戸へ帰還した。つまり、家茂が東海道を通ることはなくなったのである。
 中泉代官が次郎長などに勝蔵追討を命じたおかげで、天竜川では二百人以上の博徒が集まる騒ぎが起き、三河の平井では博徒同士による凄惨な殺人事件が起こってしまった。
 事なかれ主義の役人に過ぎない代官としては、まったく藪蛇というかたちになったわけである。
 それで中泉代官も、もう勝蔵追討にそれほど積極的ではなくなったのだ。
 にもかかわらず、次郎長は執拗に勝蔵を追いつづけ、「勝蔵が信州へ逃げた」という情報を聞いて信州まで追いかけて行った。

 むろん、子分を次郎長に殺された勝蔵と亀吉も、次郎長を許してはおけない。
 心底、復讐心をたぎらせている。
 先に雪辱を果たしたのは亀吉だった。
 自宅を襲われて子分を殺された亀吉が黙っていられるはずがなかった。
 半年後の十二月、「目には目を歯には歯を」のことわざ通り、今度は亀吉たちが船に乗って形原を襲撃し、親分の形原の斧八は取り逃がしたものの斧八の子分七人を斬殺した。
 一説によるとこの際、次郎長子分の豚松ぶたまつが眼球が飛び出すほどの負傷をしたという。ちなみにこの豚松はこれで片目となって、のちに石松と混同されて「片目の石松」という伝説が生まれたとか何とか、そんな逸話もあるらしい。が、どうでもいい余談である。

 このあとしばらく、勝蔵や猪之吉は傷心を抱えたまま各地をさまよい歩く放浪生活を送ることになった。
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